終末の唄_035
マスクの男がG市駅のターミナルを出発したときには、バスには何人かの乗客が乗っていたのだけれど、山に入る手前の橋を渡る頃には、そのほとんどが降車していて、山のクリニックへ向かったのは彼と若い女のふたりだけだった。
その彼女はクリニックに着くと、おかっぱ頭の長い前髪の中に顔を隠すようにして、男の前を横切ってバスを降り、赤いダッフルコートの裾を揺らせながら、先にクリニックの中へと消えてしまった。
マスクの男は初診の受付を済ますと、待合室のベンチに座って、自分が呼ばれるのをじっと待った。
彼はその間もずっと、頭に被ったフードやマスクを取ろうとはしなかった。
待合室には彼以外には、だれもいなかった。診察は完全予約制なので、めったにほかの患者と顔を会わせることはないのだろう。
アイボリー色のスリッパが、入り口に整然と並んでいる。その先から、清潔なブルーのカーペットが診察室へと続いている。
ガラスブロックを透かして入ってくる淡い光が、コンシンネの細い葉を柔らかく照らしている。
かすかなシャボンの匂いが、宙に溶け込んでいる。
そして男はふうとひとつ、息を吐いた。
どうやら診察が長引いているみたいだ。
バスに乗り合わせていた、あのおかっぱ頭の若い女が診察室に入るのを見てから、もうかれこれ四十分くらいはこうして待たされている。
それとも、このクリニックの診察時間はこれくらい当たりまえなのだろうか?
そう思ったとき、診察室のドアが開き、彼女が出てきた。
見たところ、とくに変わった様子はなく、彼女は先ほどと同じように、おかっぱ頭の長い前髪の中に顔を隠すようにして、俯いたまま男の前を通り過ぎていった。
そして、マスクの男が呼ばれた。
「どうぞ、そこに座って」
チェン先生が向かい側のチェアを差して、言った。
マスクの男は言われたとおり、ベージュ色の革張りのリクライニングチェアに座った。
「どうか、そのフードを取ってくれないかしら?」
チェン先生は両腕を腰のあたりにあてて、よわった顔をしている。
男はそう言われてもすぐには動こうとしなかったけれど、しばらくすると仕方なく黒いウィンドブレイカーのフードを頭から背中の方へとずらした。
するとその中から、中途半端な長さに伸びたよれよれの髪と、大きなマスクに覆われたロバのような極端に面長な顔が現れた。
眉毛と目は少し垂れぎみで、一見おとなしい感じにも見えるのだけれど、瞳の奥には何か不吉なものを隠し持っているように、チェン先生には見えた。
「どうもありがとう。
さて。まず、症状を聞かせてもらえるかしら?」
チェン先生は新しいカルテを手にして、男に訊いた。
けれど男はそう訊かれても、またも黙ったままだった。
To be continued.


その彼女はクリニックに着くと、おかっぱ頭の長い前髪の中に顔を隠すようにして、男の前を横切ってバスを降り、赤いダッフルコートの裾を揺らせながら、先にクリニックの中へと消えてしまった。
マスクの男は初診の受付を済ますと、待合室のベンチに座って、自分が呼ばれるのをじっと待った。
彼はその間もずっと、頭に被ったフードやマスクを取ろうとはしなかった。
待合室には彼以外には、だれもいなかった。診察は完全予約制なので、めったにほかの患者と顔を会わせることはないのだろう。
アイボリー色のスリッパが、入り口に整然と並んでいる。その先から、清潔なブルーのカーペットが診察室へと続いている。
ガラスブロックを透かして入ってくる淡い光が、コンシンネの細い葉を柔らかく照らしている。
かすかなシャボンの匂いが、宙に溶け込んでいる。
そして男はふうとひとつ、息を吐いた。
どうやら診察が長引いているみたいだ。
バスに乗り合わせていた、あのおかっぱ頭の若い女が診察室に入るのを見てから、もうかれこれ四十分くらいはこうして待たされている。
それとも、このクリニックの診察時間はこれくらい当たりまえなのだろうか?
そう思ったとき、診察室のドアが開き、彼女が出てきた。
見たところ、とくに変わった様子はなく、彼女は先ほどと同じように、おかっぱ頭の長い前髪の中に顔を隠すようにして、俯いたまま男の前を通り過ぎていった。
そして、マスクの男が呼ばれた。
「どうぞ、そこに座って」
チェン先生が向かい側のチェアを差して、言った。
マスクの男は言われたとおり、ベージュ色の革張りのリクライニングチェアに座った。
「どうか、そのフードを取ってくれないかしら?」
チェン先生は両腕を腰のあたりにあてて、よわった顔をしている。
男はそう言われてもすぐには動こうとしなかったけれど、しばらくすると仕方なく黒いウィンドブレイカーのフードを頭から背中の方へとずらした。
するとその中から、中途半端な長さに伸びたよれよれの髪と、大きなマスクに覆われたロバのような極端に面長な顔が現れた。
眉毛と目は少し垂れぎみで、一見おとなしい感じにも見えるのだけれど、瞳の奥には何か不吉なものを隠し持っているように、チェン先生には見えた。
「どうもありがとう。
さて。まず、症状を聞かせてもらえるかしら?」
チェン先生は新しいカルテを手にして、男に訊いた。
けれど男はそう訊かれても、またも黙ったままだった。
To be continued.
