たしかにここのはずだ。
だがあの木々、そしてわが君の愛でられているあの木が無い。
ああ・・・大変だ、かの方がお知りになられたらどれほどお怒りになることか。
この丘は去年まで荒れ果てた雑木林だった。
それを父が買い取って整備し、ここに小さなホテルを建てたのだ。
この秋オープンするこの館をわたしが取り仕切るよう命を受け、ここに赴任してきたのは九月も最終週に入ったころだ。
丘から街を見下ろす風景は素晴らしく、喧騒から隔離された場所特有な都会では味わえない開放感と、ちょっとした優越感にも浸れ、知らず気分が高揚する。
わたしはここを気に入った。
オープンまではなにかと忙しく、日中は職人たちが出入りしたり、装飾品や食事のメニューの最終打ち合わせをしたりと、とかく人の出入りが激しいのだが
夜ともなれば皆下の街に帰っていき、ここに残るのはわたしと、腹心の部下であり学生時代からの親友の二人きりだ。
この親密な大切な時間を過ごすのに、この館はなんとうれしい存在か。
雨が降ってきた。ちょっと強いな。ひどくならなければいいんだが。
とはいえ明日は工事も休業で、静かなひとときをすごせるだろうか?
わたしたちは視線を絡め、ほくそ笑んだ。
どうしてくれようか、人間どもめ
わが最愛の香木たちをなぎ払って あのようなものを建てるとは!
なんとしても探し出せ!
わが香木の行先を!
朽ちていようとその残骸、必ずや わが下へ持ち帰るのだ!
下知が下った。
それは丘のはずれに哀れな姿で放置されていた。
根は掘り起こされ飢え切ったまま息絶えて、幹は輪切りに打ち砕かれて散乱し、
枝葉など、すでに土に還ろうとしていた。
しもべはそれらのパーツをすべて持ち帰り、かの君へ献上した。
その魔物は
香木の残骸を胸に掻き抱き大きく咆哮すると 紅蓮の瞳を館へ向けた。
絶大な魔力をもって魔物は、その香木の在った場所、今新たな館が建っているその真上から残骸を降り注ぎ、 願い、念じ、呪った。取り返すのだ!すべてを。
この季節の魔物の威力に不可能は無い。
おびただしい稲妻が、嵐の空を猛り狂った。
完全に、あの嵐の晩にこれは起きたのだ。
その時は何が起きたのかわからなかったのだが、窓窓から見える太い毛深い木のようなものが、ぐんぐんと落ちてくる様子がうかがえたのだ。
新造の石造りの屋敷が悲鳴をあげていたっけ。あれは風雨の音かと思っていたが。
翌日わたしたちは驚くべき光景を見たのだ。
館が、天を隠さんばかりの巨大な金木犀の木に覆われていたのだ!
覆われていた・・・?いや、むしろ取り込まれていた、というほうが正確かもしれない。
根は上から地中にしっかりとたどりつき、ゆるぎなく着地を完了したようだ。
集まってきた職人たちがひそひそと囁き合うのを小耳にはさんだところ、ここはなかなかいわくのある丘として有名な場所であるらしい。
以前には、たくさんの金木犀がこの丘をおおっていたそうな。
その木をかこんでハロウィンには、怪しい者たちが宴をするらしいとか、どこかの大物がたいそう大事にしているらしいとか、胡乱な話で満ちていた。
つまりこれは、闇の世界の呪いの仕業で怖ろしい出来事なのだというわけだ。
結構ではないか。
さいわいホテルを閉じなければならないような傷みは無い。
窓から見える木の根は異様だが、屋上にそそり立つ大樹の不思議さと、見てみたまえ、満開の花々の拡散する香りの芳醇なこと、降る花びらの豪華なこと!
肝はつぶしたが、これはいける。
新しいこのホテルの最大の売りになる。
呪いでも結構だ。執着だって言い方を変えれば愛というのだろう?
秘密めいたいわくなど、わたしたちの城にぴったりじゃないか。
咲きっ放しの降りっぱなしな花々を集めて、酒でも菓子でもポプリでも、みやげ物にもことかかないだろうな。
だがしかし、矛盾といえばそうなんだけど
願わくば、流行すぎませんように。
忙しすぎてもぶち壊しだし、不思議や秘密は知る人ぞ知るくらいが調度いいから。
魔物は、ゆっくりと香気をすいこんだ。
これは二度と枯れることはない。
ひとつだけした約束事は、開花は10月朔日から、きっかり31日の23時59分までだということ。
普通の花より充分永いが、せっかくだからこの時季だけは香っていてほしいのだ。
この香木はこの先ずっと、もちろん魔力と、この館の人間たちの欲望で守られていくことだろう。
そしてゆったりと 大きく 満足げに笑った。
By.Purple