それは遠くからでも気づく、印象的なもので
暗闇の夜の底であったとしても、見過ごすことなど不可能な
それほど強い拘束力を持つものでした
わたしにとっては
たぶんまだ物心がつくよりずっと前
もしかしたら生まれてくる以前からだったのかもしれません
暑い、なにもかもが強い輝きに埋め尽くされる圧倒的な光がふいにやわらかくなると
それは突然香りはじめふと見上げた樹木の影には甘いオレンジの色彩
遠目にその色はまるで溶け出しかけたシャーベットみたいで
きっとおいしいのだろう、なんてずっと思っていました
花の盛りにはその香りはむせ返るほどで
食べ物としては、あまり好ましいものではありませんでしたけれど
だから幼い日ふと落ちていたその花を口にいれて
その時のがっかりした気持ちを今でも忘れられません
甘くも冷たくも柔らかく解けてゆくことも無くて
花の色はその正体を語るものではないと思い知らされました
家の前の道にはずっとその樹が並木のようにだらだら町まで続いて
一人歩きするようになってわたしはその樹に送り迎えされている気分でした
きれいなけれど強い女の人に手をひかれているような
季節の変わり目の使者でもあったのですが
生まれた家を出て
あの花に迎えられて家に帰ることもなくなってしまった今になっても
あの花の香りに街中で気づくと
わたしは無性に帰りたいと、落ち着かないのです
暗闇の中ぼんやり光るオレンジに呼ばれ続けているみたいで
隣に並んで歩く連れの足取りまで気になって
無言で早くなる歩調を指摘されるまで
ただ家路ばかりを急ぐことになる
いつかその話をゆっくり美味しいお酒でも飲みながら話したい
子供の頃からいやしかったとか笑って
いっしょに笑って
もしかしたらその花を拾いに行って
同じように口にしてくれる
そんないくたりかの仲間たちに
それから小さな家の庭に
その樹を植えて
ずっと守っていけたらと
そんなことを思っていました
また巡ってきた冷たい季節と
甘い香りに