牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師) -2ページ目

牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

48歳から28年ぶりに剣道再開。
すっかりはまってしまいました。
57歳で五段をいただきました。長年クリスチャン剣士でしたが、2010年11月に牧師になりました。これからも神と人に仕える者となっていきたいと願っています。剣道修業も続けていきます。

おはようございます。

今朝は、目が覚めたらなんと643分・・・・。日曜日は5時前には起きているのでびっくりしました。

というわけで、「聖書の言葉」をちょっと遅くなりましたが送らせていただきます。


2015816日(日)


戦後70年が過ぎ、71年目のスタートの日です。

世界の平和のために祈りをささげて行きたいと思います。


さて、今日は何の日カレンダーから

古橋広之進、全米水上選手権大会1500m自由形 世界新記録で、優勝。
 2日後の400m、3日後の800mでもたて続けに世界記録を更新(1949)


1945815日 日本はポツダム宣言を受諾して、戦争に負けました。

その前には、本土空襲、沖縄地上戦、広島原爆、長崎原爆と・・・。敗戦前の一年間の死者、日本の損害は甚大なものがありました。


日本はまさに焼け野原・・・・。

戦争が終わったと言っても、国民が生きて行くための貧困との戦争は続いていました。

毎日の食べ物があるかないか・・・・。と言う状況。

戦争に負けて、それまでの価値観も変わり、日本人の誇りも失いかけていました。


敗戦国 日本は世界の中で戦争犯罪国としても多くのペナルティーもありました。


復興のためにどうしていけばいいか手探りの状態でもあったと言えます。


そんな中で水泳選手の活躍は日本人を大いに励ましてくれました。


当時は、敗戦国としてオリンピックにも出る事はできません。


そんな中、行われたロンドンオリンピック(1948年)日本の水泳界は、オリンピックと同じ日に東京で水泳大会を開催したのです。


オリンピック選手は栄養十分、準備十分で試合に出たと思いますが、敗戦国の日本人は、まともな食事もとれていなかったと思います。

それでも会場の神宮プールは超満員


しかもそこで古橋広之進は、400m、800m、1500m、いずれも世界最高記録(世界水連に加盟を許可されていないので公式には認められていません)


ロンドンオリンピックの金メダルの選手より成績が良かったのです。

これは、心打ちひしがれていた日本人の心に大きな励ましを与えたと思います。

日本中が熱狂しました。


世界で一番速く泳ぐ人が日本人。


まさに痛快な事でした。


この後、サンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本も国際社会の一員の末席に加えられ、世界水連にも参加が認められ、


古橋広之進をはじめとする日本選手団は、全米水泳選手権に出場するのです。


「ジャップ!」と罵る人もいたと言いますが、その時の試合で驚異的な世界新記録を連発するのです。


1949年(昭和24年)816

古橋広之進は1500m自由形で、またも世界新記録をだし、優勝したのです。

その後400m、800mも世界新記録で優勝。


それを見て、アメリカの新聞も古橋広之進の事を「フジヤマのトビウオ」と呼んで大絶賛をしました。


日本人にとっても復興中の国民を勇気づける大きな、大きな事であったと思います。


私はまだ生まれる前の事・・・・。


でもこの「フジヤマのトビウオ」古橋広之進(その他の日本選手も大活躍で123位の表彰台独占もありました。)の活躍は小さい頃から父から何回も何回も聞かされていたのです。



これは日本人が偉かったと言うような民族主義的な話ではなく、敗戦と言う悲しみの中、極度の貧しさと言う中で、生きる希望を与えてくれた、スポーツの素晴らしさを思うのです。


ひたむきに努力し、頑張っている姿、それはスポーツの中にとりわけよく現れますが、

人生の苦しみの中で戦っている人に勇気と希望を与える力があるんだなあと思います。


古橋広之進「フジヤマのトビウオ」は確かに戦後の日本に大きな勇気と励ましを与えてくれた方だったと思います。


個人的な話ですが、私が献身して奮闘中の頃、

極度の過労で肺結核になって入院した時があります・・・・。

これからどうしていいかわからず、しかも自分の体もままならず、

家族を守って行くこともできず、ただベッドの上で寝ているだけの時

聖書を読んで、祈る日々でしたが・・・。


夏の高校野球をテレビで観ていて、そのひたむきに、前を向いて、戦っている高校球児たちの姿を見て、勝ち負けを超えた素晴らしい姿に、感動し、勇気と励ましを与えられた事を思いだしました。

 スポーツの持つ、純粋な力に人は教えられる事が多いものです。



暑さが厳しい日が続きますが、皆様のご健康を祈ります。

日本の夏、とりわけ熱い今年の夏   熱中症にもお気をつけて下さい。

神様の恵みと守りがありますように


今週の暗唱聖句と拙い解説を送ります。









































今週の暗唱聖句と拙い解説を送ります。



201589

今週の暗唱聖句と解説

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

                    ヨハネ1010

 イエス様は「私は良き羊飼い」とご自分の事を話しています。羊と言うのは私たち人間のたとえです。羊は弱い動物です。近眼で遠くも見えません。オオカミと戦う力もありません。誰か世話をしてくれる人がいなければ荒野では到底生きていけない。一匹で生きて行くこともできない動物です。

 羊にとって、自分の事を親身になって導いてくれる羊飼いが必要なのです。

これって私たち人間の姿ですはないでしょうか?

一人で生きていけない。か弱い羊。迷いやすい羊。厳しい荒野の中では獣に今にも殺されてしまいそうな私たちです。

 その時、羊を飼ってくれる人がいます。それが羊飼いです。

当時でも羊飼いにはいろんな羊飼いがいました。

雇われただけの羊飼い。いざとなると自分の事が大事で、逃げてしまいます。悲しいかなこの社会の人と私たちの関係もそのようなものです。最後まで私を守ってはくれません。会社も学校も・・・・。

盗人のような羊飼い。 羊を利用して盗んだり、殺したりする羊飼い。特に新興宗教の教祖などはこの傾向があります。人の悩み恐れに付け込んで利用し、盗み、滅ぼしたりするのではないでしょうか。

良き羊飼い。それは羊の為にいのちを捨てる羊飼いです。イエス・キリストはまさに羊の為に命を捨てて下さいました(十字架のわざです) それは羊がいのちを得、それを豊かに持つためです。と言われます。

私たちのために、ご自分のいのちをも捨てられて、私たちの永遠のいのちを約束し、私たちの人生を豊かに導いて下さる方。

 それがまことの羊飼い。イエス・キリストなのです。

このイエス・キリストの事を是非、知っていただきたいと思います。イエス・キリストはあなたのために、この世に来て下さったのです。

201589

おはようございます。今日は何の日と考えると、やっぱり70年前

194589日に長崎に我が国に二発目の原爆が投下された事でしょう。

日本の指導部は、この原爆投下により、無条件降伏(ポツダム宣言受諾)の最終決断をしたと言われています。

この原爆の事も覚えつつですが

今日は何の日カレンダーからは、明治489日に、断髪令が太政官公布されたと言う事を調べてみました。

士農工商四民の斬髪勝手たるべき事」の太政官布告発布。チョンマゲから
 ザンギリ頭へ。しかし、はじめはなかなか実行されず、東京のような都会でも
 断髪が完全に実施されるのは10年後(1871) 今日は何の日カレンダーより

明治の時代になって、開国し、西洋諸国に追い付けとの文明開化の時代。

それまで続いていた丁髷(チョンマゲ)は、ふさわしくない。新しい時代の髪型にしていかなくては・・・・。

もはや江戸時代ではなく、明治であるとの改革を進めて行く中で、日本は色々と変わっていきました。その中で、俗に言う(断髪令)も布告されたのです。

チョンマゲを止めて、ザンギリ頭にする。これは命令ではありませんでした。

これからはチョンマゲはダメ!!!。もう全員チョンマゲを切って、ザンギリ頭にしなさい!!と言う事ではなく。

布告の条例を読むと、

これからは士農工商四民(すべての日本人)は、身分に関わらず、髪型は勝手にしていいよ。と言う事だったのです。

これは、今までの武士の特権階級を認めず、四民平等と言う原則を目に見える形で示していったものであると思います。

それまでは髪型で身分がわかる。

武士のようなチョンマゲは、農民には結えない。

そこには身分差別がありましたが、チョンマゲにしなくてみんな自由でいいよ。と言う事は、武士にとっては、悔しい事、自分の特権を失う事で反発もあったかもしれませんが、

人口の大多数である、農工商人の人々にとっては新しい時代が来たと思う事であったと思います。

この布告が出る前にも、新しい考えを持った人たちは、チョンマゲをやめ、総髪にしていました。

徳川方であった、新選組の土方歳三も晩年は総髪にしていました。(写真で見ると似合っていてダンディでした)

封建時代のがんじがらめの身分制度が崩されていく、新しい時代の髪型が、ザンギリ頭であった。

明治維新は、徳川幕府に対する薩長の革命であり、

徳川幕府が、薩長に変わっただけと思っていた、薩摩の島津久光などは受け入れられなかったでしょう。

もう時代は殿様でもなく、貴族でもなく、四民平等の時代が来た!!!(現実にはいろんなしがらみがあり。簡単には行かなかったですが・・・・)

もう武士の時代ではない。

日本人の時代だ!

みんな髪型は自由だ!!!

そんな心意気がこの太政官布告から見えてきます。

長年親しんだ髪型を変える事は、ものすごい、抵抗があります。

嫌な人もあったでしょう。でも嫌ならそれでもいいよ。勝手にしなさい。

でもこれからは士農工商四民が髪型は勝手にして下さい。

これって具体的な明治を現す、時代を映しています。

こんなはずじゃアなかったと、苦虫かみつぶした武士もいたと思います。

でも多くの日本人は、今までとは違った国になった・・・・。

新しい時代が来た!!!。

百姓に生まれたものは一生百姓ではない。人は努力すれば、博士にも大臣にもなれる・・・。そんな夢が与えられた事を、髪型自由と言う布告は、具体的な形で現していたのです。

明治と言う時代に、若々しい、夢と希望に満ちた、明るい時代を私は感じてしまうのです。

チョンマゲが永遠に続くと考えていた人々にとっては、びっくりだったでしょう。

人の身分は一生変わる事がないと考えていた、大多数の虐げられた人々にとっては喜ばしい新しい時代がやってきたのです。

この断髪令は、国民に受け入れられていくのです。

その背後には、人は自由に、何事もできると言う。明治の明るい部分があったのです。(明治が全て良かったとは言っていませんが、そこのところは突っ込まないでください)

生れて来た人は、これからは、みんな髪型は勝手に自由にしていいよ!

そんな布告がされたのが、

1871年(明治4年)89日だったのです。

暑い日が続きます。

どうぞ皆さま、お体が守られていますように。

私は先週の日曜日の夜には少し、体調を崩しました。

冷たいものの取りすぎだったように思います。

それからは、熱い白湯を飲んでおります。これは意外とのどの渇きが取れて、汗はかきますが、お腹に優しく・・・いい感じです。

皆様の上に今週も神様の守りと恵みが満ち溢れますようにお祈り致します。

今週の暗唱聖句と拙い解説を送ります。

201582


今週の暗唱聖句と解説

『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。            マタイ5章43、44節

この言葉は、イエス様が群集に言われた言葉です。「自分の隣人を愛しなさい」と言う事は旧約聖書でも語られている、私たち人間の生きる中心です。

私たちが隣人を愛して生きるならば、それは素晴らしい世界でしょう。

ところが、これが出来る人はいないんじゃないでしょうか。人は自分が可愛く、自分を第一にしてしまうのではないでしょうか・・・・。

それなのに、なんとイエス様は、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」とまで言われるのです。

「敵を愛し!自分を苦しめ迫害する者のために幸いを祈る・・・」誰が出来るでしょうか。

 それでは、私たちは自分の敵を憎み、敵の不幸を憎しみを込めて祈る事が幸せなのでしょうか。それは一時の感情を満足させるかもしれませんが、永遠の満足ではありません。

 私たちは人間として人を愛し、自分の敵をさえ愛せる者にしていただく事が出来る事を望むのではないでしょうか。この聖書の言葉の前にはイエス様はこの様に具体的な言葉で私たちに語りかけておられます。

しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。

あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。

あなたに一ミリオン(1480m)行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。 求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。 

こんな人になりたい!!!。でも自分の力では絶対にできません。自分の弱さをイエス様の前に正直に告白し、罪赦されるところから、私たちはイエス様のお言葉に従えるものになるのです。それは生きている間ずっと失敗し続けるのですが、少しづつ変えられていくのです。

201582()


おはようございます。

暑さが厳しい日々が続きます。

皆様、夏バテは大丈夫でしょうか。


暑い日が続くと、昔は、西成区のあいりん地区で暴動が起こっていました。交番の焼き討ち事件などもありました。

私は四国の田舎で住んでいたので、新聞で読む程度で詳しい事情は知りませんでしたが、大都会には厳しい事が多いんだなあと思っていました。


社会の厳しい環境の中でいる人々にとって、いろんな不満もありますが、それが爆発するのが、この暑い夏に多くあるようです。


テレビの「暴れん坊将軍」で有名な八代将軍:徳川吉宗が、民衆の不満をなだめるためか目安箱を設置しました。



今日は何の日カレンダーから

8代将軍徳川吉宗、目安箱を設置(1721)


とありました。


本当にこの日なのかどうかは私は、確信はないのですが・・・・・。

この暑さを毎日感じて、ぐったりなっている夏にこのような対策を行ったのは、まことに時を得ていると思いました。


徳川吉宗は、元々は将軍家ではない、紀州藩の三男(早死にした兄をいれれば四男)と言うわけですから、生まれた時から将軍になるなどと言う事は考えられてもいませんでした。


紀州の殿様にもなる予定はなく・・・・・。

まあ気楽に育っていたような方です。

生まれつき帝王学を受けて育った方ではありません。それゆえ、庶民の事も少しはわかるという所からテレビでの暴れん坊将軍などのイメージができたのかと思います。


吉宗は全く将軍とは縁遠かったのに、父や兄が死に、紀州藩の藩主になりました。


それだけでもすごい事ですが、


徳川将軍家の将軍が空席になり、徳川宗家に男児はいない・・・・。

御三家筆頭の尾張家にも事情があり・・・・。

なんと徳川将軍の座が転がり込んできたのです。


徳川家にとって、初めて宗家以外からの将軍です。


まあかなり、苦し紛れの将軍選びでした。


そんな事もあって吉宗は今までの慣習を打ち破り、

かなり徳川家の政治体制が苦しくなってきていた中で

幕府の体制と引き締め、

経済的にも確立し、

徳川幕府を立てなおした、中興の祖とも言われる名将軍でした。


その政策の中で、社会科の時間にも習いましたが。

江戸時代の三大改革

享保・寛政・天保の改革って習ったでしょう。

享保の改革の立役者です。


その中で、民衆の意見を聞くために目安箱を設置!!!と言うのが294年前の今日です(たぶん???)


将軍が庶民から意見を聞いて何かをする・・・・。封建主義の時代に考えられない事ですが・・・。素晴らしい事だと思います。


この中から庶民の為の病院 小石川養生所ができたり

町火消が整備されたと言います。


この目安箱。匿名ではなく、ちゃんと住所氏名を記し、訴状としての形でした。

ちゃんとした手続きを踏み、将軍まで上げられ、将軍が目を通したと言いますから、なかなかのものでした。


江戸時代もきっと今の時期は暑かったと思いますが、

暑さの憂さ晴らしに、目安箱にでも恨み言や、愚痴を放り込もうというような軽いものではなかったようです。


でも庶民の意見を聞き、ガス抜きを考えている当たり、

エリート将軍ではない、暴れん坊将軍の真骨頂かと思いました。


目安箱のない社会。(北朝鮮・・・・などの独裁国家)これは息苦しいと思います。

日本が、目安箱もないような社会にならないようにも、この時代、祈って行く必要もあると思います。


今週も皆様の上に神様の豊かな恵みと守りがありますように

暑い夏。心静かに、涼やかにお過ごしください。



今週の暗唱聖句をお送りします。






























2015726日(日)


今週の暗唱聖句と解説

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

           ヨハネの手紙 第一410

ここにキリスト教の伝える福音のエキスが詰まっています。「神は愛なり」とよく言われますが。この愛とは原文のギリシャ語ではアガペーと言います。ギリシャ語では愛に三種類あります。

エロスの愛(これは自分の欲望を満たす、一方的な奪う愛です)

フィレオ―の愛(これは友情のような愛し愛されと言う相互通行の愛です。)

アガペーの愛(神の愛のように、無条件に与える愛です)

私たちの間でアガペーの愛は少ないと思います。相手が何かをしてくれるから、私も相手を愛しますと言う相互通行の愛が普通です。

もし相手が私に対して、何の益にもならず、私の嫌がる事ばかりし、なんにもいう事も聞かない時、愛する事は難しいのではないでしょうか。

 唯一、頭に浮かぶのは母親の子供に対する愛です。子供は泣きわめき、暴れ、お母さんの困る事をします。いう事も聞きません。おしめや、夜泣きも大変です。それでもお母さんは子供を愛しています。子供のためなら自分のいのちさえも与えてもいいほどに愛しています。すごい愛です。これはアガペーの愛です。

 神様の人間に対する愛は、このような愛です。私たちが神様を愛し、神様の喜ばれる事をしていないのに、かえって悪い事ばかりしているのに、神様は私たちを愛し、私たちが起こしている罪のために、その罰を受けて下さった。

それは命に係わる大きな罪ゆえに、ご自分のひとり子、イエス・キリストを私たちが本来負うべき罪の罰の身代わりに、十字架にかかって死んで下さったと言う事です。

たとえ自分がどうなっても母親が子を愛するように、無条件の愛で神様は私たちを愛して下さっているのです。これが神様の愛。福音です。

 母親の愛は、他人の子にはありません。しかし、神様の愛は世界中のすべての人に注がれているのです。どうかこの神様の愛を受け取ってください。

2015726日(日)


おはようございます。

今日は何の日カレンダーから

FBI誕生(1908)


FBIは、アメリカの連邦捜査局(司法省の管轄です)

現在のFBIはテロ・スパイなどの国家の安全保障にかかわる公安事件。インターネット犯罪などにもその力を発揮していますが。

私の場合FBIと言えばアメリカ各州をまたがった事件を捜査する、広域事件を扱う警察という理解が強いです。

昔、ゴルゴ13などを愛読していまして(?)

若い頃、喫茶店などにいったらゴルゴ13シリーズがずらっと並んでいて、ひどい時は何時間も一人でずっと読みふけっておりました。その時、FBIはよく出てきました。

フーバー長官と言う方が有名でした。


アメリカは日本と違って、各州で法律も違う事があります。連邦国家ですから。

そうなると、各州ごとの警察のやりかたもずいぶん違います。


日本でも、各都道府県警は、縄張り意識もあり、協力が難しい事があるようですが、アメリカでは各州の警察のやり方はもっと違います。


別の州まで逃げ込めば、もう追うのは難しいと言う事もあったようです。

そのために、1908726日 セオドア・ルーズベルト大統領の時代に、数人の規模で司法省内に発足されたのがFBIの前身だそうです。


広大なアメリカの治安を維持するために活躍しているのがFBI捜査官

「かっこいいなあ・・」とあこがれたものです。


最初は数人で始まり、その組織の綱紀も悪く、

そんなに有名ではなかったようです・・・・。

しかし、先ほども書いたように、

FBIにフーバー長官が1924年に29歳の若さで長官になり、大きな変化がありました。


FBIがアメリカの頼れる警察としての力を発揮してきたと思います。

フーバー長官はなんと1924年から死亡する1972年まで48年間FBI長官としての働きをするのです。

その間には、ギャングの時代、第二次世界大戦 スパイ戦と様々な任務の中でFBIの存在を輝かせてきました。


アメリカの正義を守る組織でもあります。


FBIと言えばフーバー長官と言う名が出てきます。

48年間 組織のトップに君臨すると言う事は自由と民主主義の国では本当に珍しい事だと思います。


たぶん、世界の組織の中で最も長くトップを務めた人ではないでしょうか?

FBIは政治家の汚職と言うような事にも捜査をしますから、

歴代の大統領も一目おく人でありました。


FBIの正義はアメリカを大いに助けたと思いますが、長いフーバー長官体制は、光と影も生んだようです。


フーバー長官の死後、FBI、CIAなども含め、トップに10年以上君臨する人がでないように考えられているとも言います。


各州の警察を超えた、それをまとめ、それ以上の権力で指導し、正義を維持して行くこと、組織が腐らないようにして行くこと、そんな事ができたフーバー長官をアメリカが持ったことは、混乱の世界で、賛否はあると思いますが、恵みではなかったかと思います。

(あんまりアメリカの事は知らないのですが、傍観者の感想かもわかりません)


ひるがえって、日本を見る時、各警察、各自治体 その縄張り意識の上にしっかりと統率けん引できるようなFBI的な組織はありません。

全国法律が一緒ですから、いらないのかもわかりませんが、小さな事で県境をまたぐと、捜査が混乱すると言う事はよくありそうです。

日本にFBIのように全国を迅速にまとめ、捜査ができる体制。それをリードする人材が日本には今だ、現れていないのかもしれません。


日本にフーバー長官のような人が出る事が幸せかどうかはわかりませんが・・・・。


そんな事を考えました。1908年(107年前)726日 アメリカにFBIが産声を上げた日でした。


今週も皆様の上に神様の恵みがありますように、お祈りしています。


今週の暗唱聖句をお送りします。


























2015719日(日)


今週の暗唱聖句と解説

ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

 第二コリント4章16節

 一休和尚の遺した言葉に「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」があります。

 昔はお正月に数え年で一つ年を取りますから、今でいう誕生日に思う言葉でありましょう。深い言葉です。

 人はみな生まれてからどこへ向かっているかと言えば、全員がこの世の死に向かって歩んでいます。二十歳を過ぎるころからは、みな老いていきます。

 剣道をやっていても、「60歳まではまだやれていたことが70歳になると、もうできなくなるよ。」「今まで届いていた打ちが、そこまで飛べなくなってくるよ。」「いやいや、70歳はまだまし、75歳からはもうガクッと来るよ・・・・。」とか・・・・。若い人から見ると50100歩みたいな話をしています。(笑い)

 どちらにせよ、人は皆、老いていきます。

聖書は「たとい私たちの外なる人は衰えても」とその事を言っています。

しかし、それでも私たちは勇気を失いません!!。とはっきりと言いきっています。

 負け惜しみではなく、たとえ体が老いて来て、今までできていた事もできなくなっても、私たちは勇気を失いませんと言うのです。勇気を失いませんとは、がっかりしたり、希望を失ったり、落ち込んで引きこもってしまったり、下を向いたりしません、元気が出てくるのです。と言うのです。

 それは「内なるひとは日々新たにされています」からです。

 私たちの心の中には、日々勉強であり、日々新しい事があるからです。新しい喜びがあるからです。と断言しているのです。

 どうしてそんな事が言えるのでしょう?それは私たちの心が地上の命だけでなく、永遠のいのちをしっかりと見つめているからではないでしょうか。

 それゆえに外なる人は衰える事が確かにあっても、勇気を失わず、日々新たに生きれるのだと信じます。どうぞその永遠のいのちを受け取って欲しいと願っています。

2015719日(日)


おはようございます。

7月早々に40度に迫る猛暑日連発!!!

一昔前はこれほどの気温はあまりなかったような・・・・。


気象衛星ひまわり8号運用開始に伴って、雲の動きなどは今まで以上にリアルにきめ細かくなって、地球スケールで台風の動きもわかります。

それだけに情報がありすぎて、台風11号は「大変、大変!」と言われましたが、実際、わが堺市は拍子抜けみたいなところもありました。

しかし、長時間の雨によっての被害が大きかったようです。台風11号の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。



さて、今日は何の日カレンダーから

日本初の種痘、成功(1849)


人類の歴史の中で、天然痘と言うのは恐ろしい伝染病でした。非常に強い感染力を持ち、致死率も高く、仮に治ったとしても顔中にあばたを残したり、後遺症がありました。独眼竜の伊達政宗も天然痘の後遺症で片目になったと言われています。

世界中で不治の病、悪魔の病気と恐れられていました。

その天然痘の予防を完璧にしたのが、「種痘」です。


中学校の歴史で習ったように思います。

イギリスのE.ジェンナーと言う人が、牛の天然痘の病気を人間に感染させて、免疫を持たせると言う方法。「牛痘」を使用するものです。

1796年ごろです。


その方法が日本にも伝わって来て、1849年に日本で初の種痘が成功したのです。

種痘をすると牛になってしまうなどと無理解もありましたが、この種痘によって天然痘の病気は根絶されたのです。


種痘と言えば緒方洪庵が有名です。

大阪の適塾を開いた、日本の代表的な蘭学者。彼の功績によって種痘は広められ、天然痘は撲滅されました。

緒方洪庵と言えば大阪のスーパースターです。

司馬遼太郎の「花神」にも書かれている村田蔵六(のちの大村益次郎)や福沢諭吉を育てた人です。

その緒方洪庵が最初に「種痘」を行ったのかと思っていましたが。


今回調べて分かったのは、日本で初めて種痘を行ったのは、

佐賀藩の医師 楢林宗建と言う方だそうです。


江戸時代末期、佐賀藩は非常に文化が高かったようです。

幕末、「肥前の妖怪」とも恐れられた実力派大名、鍋島直正(閑叟)の力もありました

長崎出島を通じて、多くの蘭学の知識を身に着け、資源もあまりない佐賀藩(肥前)は、教育に力を入れ、身分を問わず、死ぬほどの勉強をさせ、そこから優秀な人材を育てて行ったと言われます。

江藤新平や、早稲田大学を作った大隈重信も佐賀藩出身です。


この種痘の知識も、シーボルトから学んだそうです。


この楢林宗建が成功した種痘が種となって、全国に、特に緒方洪庵などの活躍、尽力によって普及したのです。


天然痘は、恐ろしい伝染病でしたが、「種痘」という予防法により、完全に根絶された病気となっているそうです。


牛がかかる天然痘を人間にうつす。そうすれば人間は比較的軽い天然痘になり、その後天然痘の病原菌が入っても天然痘にはかからない。免疫ができている。


こんな事を最初に考えた人はすごいと思います。牛みたいな大きな動物の病気を人間にうつしたらひとたまりもないように思いますが・・・・。


そうではなくて、人間には軽くしかならない。


最初に人体実験をする事もものすごい勇気が要ったことと思います。


たとえイギリスで成功したとしても、日本でそれを実際にやって見る事。これもコロンブスの卵のように最初が大変であったと想像します。


これも実は神様が用意しておかれた治療法だったんでしょう。漢方の薬なんかも、自然の中から発見されています。

人間が作り出した事ではなく、神様が用意して下さっていた事を、人間が発見して行く。


科学は決して信仰と相いれないものではないと思います。


人の治療の中でも私達は、全能の神様の前にへりくだりながら、人間のできる事を信仰深く、傲慢にならず、見つけて歩ませていただきたいと思います。


ノーベル賞を取られた山中伸弥教授もクリスチャンであるとの記事を見て、まさにそう思いました。


今週も皆様の上に、神様の豊かな恵みと憐れみ、守りがありますようにお祈りしています。


今週の暗唱聖句と拙い解説をお送りします。































2015年7月12日



今週の暗唱聖句と解説


だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。  マタイ6章34節


おはようございます。

今朝の聖句は、「あすのための心配は無用です」ってなんてお気楽な言葉を・・・・と思うかもしれません。

私達は、よりよい明日を目指して頑張っているのではないでしょうか。

しっかり勉強したり・・・・。節制したり・・・・・。訓練したり・・・・・。

すべて明日のためにやっているのです。昔、「明日のジョー」というボクシング漫画がありました。明日のためにその1、その2、と続いてだんだんと強くなっていきます。

 聖書は、このような明日に向かっての努力を否定しているのでは当然ありません。この言葉の書かれた前段には、私達の人生には私たちでどうすることも出来ない事がある事が書かれています。

 そして必要以上に心配し、思い煩いやすい者であるのが人間の弱さです。心配したからと言ってもどうにもならない事を悩み始めて苦しんでいる人もいます。

 中国にも天が落ちて来るのではないかと恐れ悩んだ「杞憂」と言う言葉がありますが、その思い煩いから、明日の為の心配ばかりしている人もあるのです。

 しかし、私を愛して下さっている神様がおられる。神様がすべてを心配して下さり、その道を用意して下さっていると信じる者は、必要以上の心配はしないのです。

明日の事は、明日をつかさどる神様が心配して下さるのです。そういう意味でクリスチャンは、ある意味お気楽な人生です。

 この世の事だけでなく、永遠のいのちまで与えて下さっているのです。死さえも怖くないのです。

 人間にとって最後の敵である死にさえ、神様と共に歩める時であると信じれる事は何という恵みでしょう。明日をゆだねて心配せずに生きる者こそ、今日と言う日を「労苦はその日その日に十分あります」との言葉通り、精いっぱい生きれるのではないでしょうか。