聖書のことばです。2/2 | 牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

48歳から28年ぶりに剣道再開。
すっかりはまってしまいました。
57歳で五段をいただきました。長年クリスチャン剣士でしたが、2010年11月に牧師になりました。これからも神と人に仕える者となっていきたいと願っています。剣道修業も続けていきます。

2015719日(日)


今週の暗唱聖句と解説

ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

 第二コリント4章16節

 一休和尚の遺した言葉に「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」があります。

 昔はお正月に数え年で一つ年を取りますから、今でいう誕生日に思う言葉でありましょう。深い言葉です。

 人はみな生まれてからどこへ向かっているかと言えば、全員がこの世の死に向かって歩んでいます。二十歳を過ぎるころからは、みな老いていきます。

 剣道をやっていても、「60歳まではまだやれていたことが70歳になると、もうできなくなるよ。」「今まで届いていた打ちが、そこまで飛べなくなってくるよ。」「いやいや、70歳はまだまし、75歳からはもうガクッと来るよ・・・・。」とか・・・・。若い人から見ると50100歩みたいな話をしています。(笑い)

 どちらにせよ、人は皆、老いていきます。

聖書は「たとい私たちの外なる人は衰えても」とその事を言っています。

しかし、それでも私たちは勇気を失いません!!。とはっきりと言いきっています。

 負け惜しみではなく、たとえ体が老いて来て、今までできていた事もできなくなっても、私たちは勇気を失いませんと言うのです。勇気を失いませんとは、がっかりしたり、希望を失ったり、落ち込んで引きこもってしまったり、下を向いたりしません、元気が出てくるのです。と言うのです。

 それは「内なるひとは日々新たにされています」からです。

 私たちの心の中には、日々勉強であり、日々新しい事があるからです。新しい喜びがあるからです。と断言しているのです。

 どうしてそんな事が言えるのでしょう?それは私たちの心が地上の命だけでなく、永遠のいのちをしっかりと見つめているからではないでしょうか。

 それゆえに外なる人は衰える事が確かにあっても、勇気を失わず、日々新たに生きれるのだと信じます。どうぞその永遠のいのちを受け取って欲しいと願っています。