聖書の言葉です。2/2 | 牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

48歳から28年ぶりに剣道再開。
すっかりはまってしまいました。
57歳で五段をいただきました。長年クリスチャン剣士でしたが、2010年11月に牧師になりました。これからも神と人に仕える者となっていきたいと願っています。剣道修業も続けていきます。

2015726日(日)


今週の暗唱聖句と解説

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

           ヨハネの手紙 第一410

ここにキリスト教の伝える福音のエキスが詰まっています。「神は愛なり」とよく言われますが。この愛とは原文のギリシャ語ではアガペーと言います。ギリシャ語では愛に三種類あります。

エロスの愛(これは自分の欲望を満たす、一方的な奪う愛です)

フィレオ―の愛(これは友情のような愛し愛されと言う相互通行の愛です。)

アガペーの愛(神の愛のように、無条件に与える愛です)

私たちの間でアガペーの愛は少ないと思います。相手が何かをしてくれるから、私も相手を愛しますと言う相互通行の愛が普通です。

もし相手が私に対して、何の益にもならず、私の嫌がる事ばかりし、なんにもいう事も聞かない時、愛する事は難しいのではないでしょうか。

 唯一、頭に浮かぶのは母親の子供に対する愛です。子供は泣きわめき、暴れ、お母さんの困る事をします。いう事も聞きません。おしめや、夜泣きも大変です。それでもお母さんは子供を愛しています。子供のためなら自分のいのちさえも与えてもいいほどに愛しています。すごい愛です。これはアガペーの愛です。

 神様の人間に対する愛は、このような愛です。私たちが神様を愛し、神様の喜ばれる事をしていないのに、かえって悪い事ばかりしているのに、神様は私たちを愛し、私たちが起こしている罪のために、その罰を受けて下さった。

それは命に係わる大きな罪ゆえに、ご自分のひとり子、イエス・キリストを私たちが本来負うべき罪の罰の身代わりに、十字架にかかって死んで下さったと言う事です。

たとえ自分がどうなっても母親が子を愛するように、無条件の愛で神様は私たちを愛して下さっているのです。これが神様の愛。福音です。

 母親の愛は、他人の子にはありません。しかし、神様の愛は世界中のすべての人に注がれているのです。どうかこの神様の愛を受け取ってください。