2015年8月2日(日)
おはようございます。
暑さが厳しい日々が続きます。
皆様、夏バテは大丈夫でしょうか。
暑い日が続くと、昔は、西成区のあいりん地区で暴動が起こっていました。交番の焼き討ち事件などもありました。
私は四国の田舎で住んでいたので、新聞で読む程度で詳しい事情は知りませんでしたが、大都会には厳しい事が多いんだなあと思っていました。
社会の厳しい環境の中でいる人々にとって、いろんな不満もありますが、それが爆発するのが、この暑い夏に多くあるようです。
テレビの「暴れん坊将軍」で有名な八代将軍:徳川吉宗が、民衆の不満をなだめるためか目安箱を設置しました。
今日は何の日カレンダーから
▲8代将軍徳川吉宗、目安箱を設置(1721)
とありました。
本当にこの日なのかどうかは私は、確信はないのですが・・・・・。
この暑さを毎日感じて、ぐったりなっている夏にこのような対策を行ったのは、まことに時を得ていると思いました。
徳川吉宗は、元々は将軍家ではない、紀州藩の三男(早死にした兄をいれれば四男)と言うわけですから、生まれた時から将軍になるなどと言う事は考えられてもいませんでした。
紀州の殿様にもなる予定はなく・・・・・。
まあ気楽に育っていたような方です。
生まれつき帝王学を受けて育った方ではありません。それゆえ、庶民の事も少しはわかるという所からテレビでの暴れん坊将軍などのイメージができたのかと思います。
吉宗は全く将軍とは縁遠かったのに、父や兄が死に、紀州藩の藩主になりました。
それだけでもすごい事ですが、
徳川将軍家の将軍が空席になり、徳川宗家に男児はいない・・・・。
御三家筆頭の尾張家にも事情があり・・・・。
なんと徳川将軍の座が転がり込んできたのです。
徳川家にとって、初めて宗家以外からの将軍です。
まあかなり、苦し紛れの将軍選びでした。
そんな事もあって吉宗は今までの慣習を打ち破り、
かなり徳川家の政治体制が苦しくなってきていた中で
幕府の体制と引き締め、
経済的にも確立し、
徳川幕府を立てなおした、中興の祖とも言われる名将軍でした。
その政策の中で、社会科の時間にも習いましたが。
江戸時代の三大改革
享保・寛政・天保の改革って習ったでしょう。
享保の改革の立役者です。
その中で、民衆の意見を聞くために目安箱を設置!!!と言うのが294年前の今日です(たぶん???)
将軍が庶民から意見を聞いて何かをする・・・・。封建主義の時代に考えられない事ですが・・・。素晴らしい事だと思います。
この中から庶民の為の病院 小石川養生所ができたり
町火消が整備されたと言います。
この目安箱。匿名ではなく、ちゃんと住所氏名を記し、訴状としての形でした。
ちゃんとした手続きを踏み、将軍まで上げられ、将軍が目を通したと言いますから、なかなかのものでした。
江戸時代もきっと今の時期は暑かったと思いますが、
暑さの憂さ晴らしに、目安箱にでも恨み言や、愚痴を放り込もうというような軽いものではなかったようです。
でも庶民の意見を聞き、ガス抜きを考えている当たり、
エリート将軍ではない、暴れん坊将軍の真骨頂かと思いました。
目安箱のない社会。(北朝鮮・・・・などの独裁国家)これは息苦しいと思います。
日本が、目安箱もないような社会にならないようにも、この時代、祈って行く必要もあると思います。
今週も皆様の上に神様の豊かな恵みと守りがありますように
暑い夏。心静かに、涼やかにお過ごしください。
今週の暗唱聖句をお送りします。