風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -74ページ目

「でも、あの日美裕が死んだ。あたしのせいで」
勝手にページがめくれてゆくアルバムを見つめながら美佐枝は呟いた。

「もういいのよ、自分を責めたって誰も救われやしないんだから。いつまでもそんなこと言ってると美裕が悲しむよ。ヒロちゃん、美裕ちゃんはそこにちゃんと座ってるんでしょ」
母が覗き込むように前かがみになった。

「座ってるよ。ちゃんとかどうかは怪しいけど。いてッ」
美裕が裕史の足でも蹴ったのだろうか。裕史が左ひじで横をグイグイと押している。それはパントマイムの域を越えている。かなり体が傾いても倒れないのだ。やっぱり美裕がいる。

見たい。姉弟の仲の良い諍(いさか)い、母として、この目で、見たい。

生きていればもう25歳。けれど、自分の中で幼いころのままで成長を止めてしまった娘の今を、想像できないもどかしさ。

「そうよね。だってアルバムのページがめくれるものねえ」母はコクコクと頷いている。

ぷッ! 突然吹き出した母につられて美佐枝も吹き出した。
スッと浮き上がったアルバムが上下に激しく動いているからだ。

「美裕ちゃんお茶目ね」母が目じりをぬぐう。
するとアルバムがくるりと裏返った。

「この写真は何かって訊いてるよって、どれ」
裕史が腰を上げて覗き込んだ。
「ああ、ここに写っている人は誰かって、これね」裕史が指さす写真に、美佐枝はソファを下りてテーブルを回り込み、膝でにじり寄った。

「ん? ああ、ダメだ眼鏡」テレビ台の下から眼鏡を取り出し改めて写真を見た。

年のころは40台ぐらいの男女だ。近所の人? いや、ピクニックとはいえ、これは内々の弔いだ。そんなところに家族以外の人を連れて行った覚えなどない。



「知らない。……知らない人が写ってる」
グッと突き出されたアルバムを手に取った。
見えないけれど、美裕が手渡してくれたアルバム。

「もう一回。ね、美裕もう一回」美佐枝はアルバムを差し出した。
宙に浮いたアルバムが再び突き出される。
それを手に取ると、動かない。いたずら心で美裕が引っ張っているのに違いない。

目には見えない。触ることもできない美裕の存在が、アルバムを通して確かに伝わってくる。
涙で景色がぼやける。

「何引っ張り合いしてるの」裕史の声がする。
「あんた、今画期的なことが起こったって気が付かないの」

「ん?」

「無理だね。あんたにゃどっちも見えてるんだものね」
「ああ、そいういことかあ」裕史はできの悪い学生みたいに頷いている。

「お願い。美裕もう一回」
「しつこいね母さん」
「あんたは黙ってて」

要望に応えるように、掴んだアルバムが再び引っ張られた。

「それより、誰かって話は?」
「ああ、そうね。しかしあんた情緒がないね。いったい誰に似たんだろう」
開かれたアルバムが、再びこっちを向いた。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


「止めていたら裕江は生きていたでしょう。いや、止めて止まるものでもなかったけど、もしも出産をあきらめていたら、裕史はいない」

まっすぐに僕を見る母の目は、悲しさと慈しみに満ちていた。

「二つの命のうちをひとつを選ぶのよ。100パーセントじゃなかったけど、極めて危険だとお医者さんは言ったの。でも、裕江は生むと強硬に言い張ったのよ」

母は息継ぎをするように大きく息を吸った。伝える事実に溺れそうな金魚。もういいからって言いたかったけれど、真相を知りたいのも確かだった。

「孝史(たかふみ)さんは止めたわ。でもね、たとえ死んでもいい、ここに間違いなく我が子がいるんだ、お腹を蹴るんだって。子供に世界を見せたいんだって、裕江は引かなかった」



「で、僕を生んで」
「死んじゃったのよ。次の機会はあるからってお医者さんは強く止めたんだけど、この子の生まれる機会は、ここしかないって、聞き入れなかった」

「違うわお母さん。体に魂があるのではなく、体に魂が宿るのよ。だから、やり直しても、ヒロ君の魂は生まれてきたわ」美裕が口をはさんだけれど、届きはしなかったし、伝えても、いまさら詮無いこととあきらめた。

「裕江叔母さんは、間違えた選択をしたの? 僕を生むために」
それは誰かに向けた質問ではなかった。ある種、自問のようでもあった。母が目を閉じ、祖母が腕組みをした。

そのとき、美裕がゆっくりと首を横に振った。
それは否定にも、僕の言葉に呆れているようにも見えた。
「正しいとか、間違いとかはないの。ただね、信じる人にだけ、奇跡は起こるんだよ。ヒロ君がここにいることが、奇跡なのよ。裕江叔母さんは、それを信じて、選んだだけ」


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


「え……」

僕の発した小さな驚きの声は、ぷかりと宙に浮かび、空気に紛れていった。

僕が裕江叔母さんの子供?
母が最初に口にした双子というのは、嘘だったということ?

それは、目の前の母が、疑うことすらしなかった母が、実の母ではなかったということに他ならないではないか。

晴れた空に突如とどろく雷(いかずち)。
そう、それは僕にとって、まさに青天の霹靂(へきれき)だった。

アイデンティティクライシス……自己認識の危機。
真っ白な頭の中に、その単語だけが浮かんだ。



「ヒロちゃん、落ち着きなさい。ほら、泣くんじゃないよ美佐枝」顔を覆い、肩を震わせている母を祖母が励ます。

「裕江が生んで、あんたが育てた。ね、ね。美佐枝も裕江もあたしの子供だって、さっき言ったでしょ? 美裕も裕史もあたしの孫だって言ったでしょ? あんたたちにとっては大事なことだろうけど、あたしにとっちゃ、大した問題じゃない」

だからさ……。祖母は言葉を整理するように間をあけた。

「どこの誰だかわからない他人を育てたわけでも、どこの誰だかわからない人に、我が子を預けたわけでもない。あたしがお腹を痛めて生んだ娘が、あたしの孫を生んで、そして、育てたってことだから」

祖母はかなり強引な論法を展開した。けれどそれは、奇妙な説得力を持っていた。

「そうだよ」美裕が頷いた。

「ほら美佐枝、話をしてあげなさい。あんたのかわいがってた妹の話を」
口を引き結んで顔を上げた母は、ひとつ鼻をすすって話し始めた。

「あたしも出産間近でね」ふぅーっと吐いた息が、リビングの空気を震わせた。

「お互いの子供のために、産着やおくるみを贈りっこしてさ。あたしもセーターやら帽子を編んでさ、楽しみにしてた。
一緒に育った妹がさ、もうほとんど同時と言ってもいいぐらいに命を授かったんだからさ、嬉しかった。だから」母は手の甲で涙をぬぐった。

「裕江が生みたいって気持ちが痛いほどわかって……強く止められなかった。あたしが弱かったのかねえ」
ソファに背を預けた母は、封印した記憶を探るように窓の外を見た。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


「美裕、お墓のピクニックで場が凍り付いたんだけど」
「そお? あ、これよこれ」
美裕がアルバムの写真を指差した。

「そお? じゃなくてさ、みんな顔が険しいんだけど」
「いいから見なさいよ」

美裕の肩に顎を乗せるように覗き込んだ僕は、その写真を見た。
確かに、お墓の前にビニールシートを敷いてみんなが笑っている。母や、おじいちゃんおばあちゃん。その前にお弁当やお茶や、ビールや日本酒がある。

「ほら、これも」
母や祖母に抱かれた乳飲み子の頃から、そこらを走り回るころまで、美裕と僕の成長を辿るような写真が何枚かあった。

「美佐枝もさ、裕江もさ」祖母の声に顔を上げた。
「あたしの子だから。裕史も美裕もさ、あたしの孫だから。おじいちゃんは死んじゃったけど、どっちが欠けててもあんたたちはいないんだから」

祖母は母と僕を交互に見た。

裕江というのは僕の母の妹、僕の叔母さんにあたる人だ。
写真に写るそのお墓に、僕の曾祖父母と祖父と裕江叔母さんが眠っている。

祖母はひとつ、鼻をすすった。
「だからさ、あたしはこの場の要(かなめ)なんだよ」
悲し気に顔を歪める母に向かって、祖母は言い含めるように頷いた。

それから大きく息を吐いて、美裕ちゃん、と呼び掛けた。

「もう、言いなさいってことでしょ」
隣を見た僕の前で、美裕が頷いた。

「美裕が頷いたよ」
「うん、分かった。分かったよ美裕ちゃん」
祖母はひとつ、咳払いをした。

「ヒロちゃん、あんたね、裕江の子供なんだよ」


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


東京は、11月としては54年ぶりの初雪らしいです。
確かに早い。
クリスマスの頃にも降らない雪が、もう空を白く染めたのですからね。

夜中の2時半ごろからの雨は明け方霙(みぞれ)になり、やがて雪になりました。
今ベランダから見たら、積もりそうなふわふわとした雪が舞っています。

東京23区は2センチの積雪予報が出ていますが、極力少なくなることを願うのみです。
だって、交通機関がグダグダになるから。

さて、「雪」の一文字で出てくる歌はなんですか?

僕が浮かんだのはこれでした。
猫の雪。

吉田拓郎のバックバンドだった彼らのヒット曲は、どっちがグループ名かタイトルか分かりにくいことでも注目されました。

リード・ボーカルでギターの田口清さん、残念ながら1991年にお亡くなりになったそうです。

田口 清(たぐち きよし、1948年12月1日 - 1991年7月17日)は、シンガーソングライター。
ジ・アマリーズでボーカル、その後、ザ・リガニーズの常富喜雄、内山修と猫を結成。メインボーカルとして活動。
猫解散後は、ソロ歌手として活動。
1991年7月17日、子供を自転車の補助椅子に乗せて走行中、バランスを崩し、子供を庇うような無理な姿勢で転倒。その時、頭を強打したことが原因で42歳で死去。

─Wikipedia より─

確か、左から二番目の髭の人が田口清さんです。


1972のヒット曲。
懐かしい! と思ってくれる人がいたら嬉しいです。

作詞・作曲/吉田拓郎
「猫」が歌う「雪」と書かなければ分かりにくい(笑)



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


僕は恋なんかしてない、それは忘れないで
君に電話をしたからって誤解をしないで、僕にとっては、たわいもないことなんだ
僕は恋なんかしてないんだ

いや、この詞の中の「僕」は「君」に恋してるんだね。
バレバレなのがいいですね。

1975年に発表された、イギリスのバンド10ccのこの曲、1970年代を代表する名曲、いや、20世紀の音楽史上に残る名バラードですね。

1975年かあ……
僕は、煙草も吸えなきゃ、酒も飲めないお年頃でしたね。

I'm Not In Love

色んなアーティストがカバーしました。
誰しも耳にしたことがあるはずの曲です。

さてさて、君は誰に恋してるんだろう。


I'm Not In Love/10cc



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


母も祖母も、僕と美裕の過去の出来事に、熱心に耳を傾けた。
この二人に美裕が見えていないのは、もはや明らかだった。
僕の隣を見る目の焦点は遠く、美裕には合っていないし、その声にも一切反応しない。

改めて、熱心にアルバムに見入る美裕を見る。
少し微笑む横顔が、いつもと違って見える。
それはそうだろう、十数年の時を経て、双子の兄弟だったと初めて知ったのだから。そして、この世の人ではないことに。

「あ……どっちが上なの?」母に尋ねた。
「なにが?」
「いや、美裕と僕、どっちが上なのかなって」
「ああ、美裕がお姉さんよ」

そうか、それはそれで正解のような気がする。

「それで? それで? 美裕は何か言ってるの?」母が身を乗り出し、真剣な目をする。
「さっきから、いろいろしゃべってるんだけど」
「なんて? なんて言ってるの?」
「写真が懐かしいとか、お母さん老けたとか、おばあちゃん相変わらず酒飲みだとか」
祖母がふっと笑う。

「美裕! お母さんに何か話して!」

母の声に、僕は隣を見た。
ちょっと天井を見上げた美裕は、小さく頷いた。

「お墓のピクニック楽しかったよね」
お墓の、ピクニック?
「なにそれ」

「ヒロ君は質問じゃなく、通訳すればいいのよ」
「にべもないなあ……美裕がね、お墓のピクニック、楽しかったねって言ってるよ」

「え……」
母の顔が瞬時に引き攣った。その反応に驚いた僕は隣に視線を移した。祖母は、眉を険しくしていた。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


人はときとして誤解を受け、ありもしない濡れ衣を着せられ、容赦なく裁かれる。

あるときは足を引っ張られ、責任を転嫁され、明日の見えない土中へと引きずり込まれる。

言葉は空回りをして、言いたいことの半分も伝わらない。
それはまるで、異国の民たちとの交わりのように、もどかしくも届かない。上と下、右と左のジレンマ。
板挟みの苦しさ、正邪のねじ曲がった醜い世界。

一人佇みなぜだと問うても返ってこない答えに、人を恨み、我が身を責め、境遇を呪う。

浮沈の激しい人生もあれば、平坦に進む人生もある。

どれもこれも、己が選んだ道だと悟ったなら、違う何かが見えてくるに違いないけれど……。

それでも人は、ひたむきに生きる。
眠りという、いっときの休息をよすがに。



ほら、夜が明けるよ。
たとえどんな状況でも、取り越し苦労だけはしてはいけないんだ。

イエスも言ったじゃないか。
「明日のことを思い煩うな、明日は明日自ら思い煩わん、一日の苦労は一日にて足れり」って。

昨日の自分を引きずってはいけない。
日々新たに。日々新たに。

ん? 君はひとりぼっちだって?
不思議だなあ、どうしてそう思うんだろう。

じゃあ、ふたりだけで。
Just the two of us

明日は雨でも、あさっては晴れるさ。
変わらないお天気なんてないんだ。
いつもどしゃぶりなんて、ないんだよ。

Grover Washington Jr - Just the two of us



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


「え? 靴がなくなったことと、このインクと関係あるのか」
先生は怪訝そうな顔で交互に見た。その表情には面倒なことは避けたい色が、ありありと浮かんでいた。

この先生はいつもそうだ。生徒の人気は高いけど、具体的なことは何もしない。

「僕の靴の中に赤インクを入れておいたんです」
それで先生も理解したようだった。

「だからってなあ……やり過ぎじゃないのか」
「僕の靴は返ってきていないんです。たぶんどこかに捨てられました」

「本当なのか、高橋」
「嘘です」
水で洗ったであろうその顔にも、まだインクの赤が無残に残っていた。
「じゃあ、その赤インクは何なの」僕は言い放った。

俯く高橋の頬を涙が伝った。一番に、親への言い訳を考えていたはずだ。
彼にとって不幸だったのは、今日着てきたのが、新しい服だということ。

「これ、落ちるのか?」
先生はまた、厄介ごとを避けようと必死だった。

「重曹と食器用洗剤がいいそうです」
僕は美裕に言われた通りを口にした。

「じゃあ、帰ったらすぐに洗ってもらえ」
「親にどういえばいいんですか」
高橋は、親に怒られることで心がいっぱいいっぱいになっている。

「職員室でいたずらをしたとでもいえばいい」
「僕がいたずらをしたことになるんですか」心細い声を出した。
「だってお前、靴を盗んだんだろう? 先生は責任持てないからな」高橋に背を向けて教壇に向かった。
これが人気者気取りのこの先生の限界だ。



「犯人はひとりじゃないんです。みんな知ってると思うけど」
僕はみんなを見渡した。
「いじめを見て知らんぷりをするのは、いじめをしているのと同じです。僕は、もしも誰かがいじめられていたら、助けます。それが誰でも、助けます」

クラスのほとんど全員が俯いた。
「僕は戦うと決めたんだ。僕をいじめた人たちは覚悟をしておいて」
ゆっくりと立ち上がった僕を見る人はいなかった。

すべての展開において、美裕の読みが当たっていたことに、僕は驚いた。
彼女はこうも言った。
「四年生になったら、ヒロ君は学級委員長になるの」


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング



「作戦?」
「そ」
「なにを……するの」

「んーとね」
美裕は、膝の上に乗せたランドセルの中から赤い液体の入った小瓶を取り出した。それも二つも。
「ほら、万年筆のインク」

彼女の企てた作戦は、僕をすごく躊躇させた。

「中学生ならいざ知らず、相手はたかが小学三年生よ」
初めて出会ったころから、美裕は時々、大人みたいなものの言い方をした。

「知らんぷりして靴箱に近づいて、そっと扉を開けて、シャッと引く」
うんうん、凄い早さでシャッと引く。美裕はしぐさを交えた。

「そのあと、どうすればいいか、教えてあげるからね」
そしてまた、空を見上げた。



「高橋、どうした」担任の先生が、廊下側の席に驚いて歩み寄った。
「いえ、なんでもないです」
「血じゃないよな」
「違います」
その顔は、今にも泣きだしそうにゆがんでいた。
「インクかこれ」

「靴が盗まれたんです」窓際に座る僕の声にクラスが静かになった。
「僕の靴が、盗まれたんです」
「え、いつの話だ」
「昨日です。靴箱から消えたんです」
「勘違いじゃないのか?」
「いえ、そのための犯人捜しです」僕は高橋を指差した。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング