風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -75ページ目

何かを置き去りにしながら、季節は巡る。

忘れてしまったものや、思い出したくないもの。
忘れてしまいたいものや、思い出せないものたち。

人は思い出に励まされたりもするけれど、嫌なものを忘れるからこそ生きていける。
忘却が人を正常たらしめる。

ところが、水底に沈めたはずの記憶がぷくりと浮上して、心を乱すことがある。

「消えなよ」
僕の苦悶のつぶやきは、闇に吸い込まれて同化する。
切ない思いも、苦い思いも黒になる。

黒は喪の色、宇宙の色、始まりと終わりの色。

痛みが去るまで、ゆらりゆらりと、黒に漂う。


ボビー・コールドウェル 風のシルエット
Bobby Caldwell/What You Won't Do for Love



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平和をかき乱す怪物は、あるとき突如出現する。
腹を震わすような咆哮(ほうこう)とともに、辺りに腐臭をまき散らしながら現れる。

気づかれないように身を潜め、そっと息をする。
ドクンドクンと、鼓動がうるさく耳を打つ。その音さえ聞かれてしまいそうで、心臓が喉元までせり上がる。

恐る恐る顔を上げると目が合ってしまう。
な、なんてことだ!

思考が空転する。立ちすくみ、後ずさる。

怪物がこちらに一歩踏み出してきた。
すぐさま背を向け一目散に走りだす。けれど膝に力が入らない。足がもつれる。自らの荒い呼吸が世界中にこだまする。

その怪物は、醜悪な匂いを振りまきながら、背後に迫ってくる。
バッサバッサと、地を踏むのか宙を舞うのか判別できない音が聞こえる。

今にも首筋に噛みつかれそうで、叫び声をあげ、突っ伏し、耳をふさぎたくなる。

足が動かない。
誰か助けて!
君はしゃがみ込み、耳をふさぐ。



その誰かなんて、都合よくは現れないことを君は何度も学んできた。

逃げるから、転がる雪の塊がどんどん大きくなるように怪物が追ってくるのだ。

解決策はひとつしかない。
勇気を振り絞って、立ち止まって、振り向いて、近づけば、それは思ったほどの怪物ではなく、すぐさま消えるのだ。

少し微笑んで近づけば跡形もなく消え去る幻なのだ。

あと少し、もう少しだけ、君に勇気がわきますように。
あと少し、もう少しだけ、君が自信を持てますように。

君が君らしくありますように。


ライディーン/YMO


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「あ、ところで足のサイズは?」
美裕は突き出した手提げのビニール袋を、ちょっと引っ込めた。

「21センチだけど」
「ちょうどいい!」

再び突き出された手提げ袋を僕は受け取った。
中を見ると、シューズが2足入っていた。そのうちの1足は明らかに僕の盗まれたものと同じだった。というか、どこかに捨てられたのだろうけど。

「なにこれ」
「弟がね」
ランドセルを下ろして隣に座った美裕は、ん? と言って、僕の頬から何かを摘み取った。そしてそれを、ふっと吹いた。枯れた芝だろうか、それとも髪の毛だろうか。

「もういらないからって、あたしの友達の弟にって」
「もらっちゃっていいの?」
「あげるって友達に言ったわけじゃないから、いいんだ」

取り出したアシックスのシューズは僕のものよりちょっと新しそうだった。
「ほんとにいいの?」
「いいんだよ。嬉しい?」
「すごくうれしい」



「あたしもうれしい! 初めて自分で自分をほめたいと思いますッ」
それは、マラソン選手の誰だかが言った言葉だった。
「有森裕子だよ」
僕の心を読んだかのように、美裕が口にした。

「ヒロ君のお役に立ててうれしい。うん」
きっぱり、といった感じで空を見上げて、ベンチに座ったままシューズのかかとで地面を交互に叩いた。

「もう一足ももらっていいの」
「それも必要なんだ」

「なんで?」
「ヒロ君のシューズはランドセルにしまって、それを靴箱に入れておくの」
「また盗まれちゃうよ」
「それでいいの。それがいいの。作戦があるの」


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空っぽの靴箱の前で、僕は茫然と立ち尽くした。
間違いなく仕舞った。確かにここに靴を入れた。

視線の端で動く影に、僕はぎろっと目玉を動かして、それを見た。
あのグループだ。僕をいじめるあのグループ。その中に、僕が幼稚園のころから知る近所の男子が混じっていることが、何とも悲しいことだった。

「お靴がにゃーい!」
一人の女子の声でそのグループは大笑いを始めた。

僕は靴箱を閉じて、上履きのままで歩き出した。
靴が一足なくなったことを、母さんは絶対気づく。よりによって一番新しい靴。
なんて言おう。

失くしちゃった。
失くしたって、どこで失くしたのよ。
外で靴を脱いで何をしていたのよ。

盗まれちゃった。
学校で?
先生に言わなきゃダメよ! 学校に泥棒がいたらだめよ!
あたしが学校に電話するわ!

ダメだ、どれもだめだ。親が騒いだら、余計にひどいことになる。
僕はベンチに座り、頭を抱えた。
どうしよう。



「上履きでどうしたの」
声に顔を上げると、いつも通り、ピンクのランドセルを背負った美裕だった。

「靴を、盗まれちゃった」
「盗まれたって、どこで?」
「学校」
「ひょっとして、靴箱からなくなったの」
「そう」
「ふうん」

そのふうんは、興味なさげというより、ほら見ろと言わんばかりのものだった。

「でもそれは困るね」
「困る」
「いじめを受けていることを知られるのが?」
「え?……」
「違ったの?」
「いや……」

「いいんだよ。あたしはね、ヒロ君を守ると決めたんだから。何を言ってもいいの」
「いや……うん、いじめかなあ、あれは」

「弱気だなあ。まあ、いいや。じゃじゃーん」
美裕は、手に持った手提げのビニール袋を突き出した。 


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小学三年生の夏休み明けの頃だった。
それまでなんてこともなく話をしていた級友たちの中から、僕をいじめるグループが現れたのだ。

他のみんなにも聞こえるように悪口を言われたときは、とても信じられなくて、僕は夢の中にでもいるような気分になった。
「ダサい」だの「臭い」だの「気持ち悪い」だの「消えてなくなればいい」だの。

見る人から見ればダサいのかもしれないし、気持ち悪いのかもしれないけれど、小学生のくせに、おじいちゃん並みにお風呂大好きだった僕は、臭くはなかった。

それはもちろん、とても傷つくことだけれど、あくまで一部の人たちだった。
けれどある日突然、クラスのみんなの態度が一変したのだ。

僕に話しかけられるのを、明らかに迷惑がっているようだった。

無視。
これほどきついものはない。
これまで普通にしゃべっていた友達に、僕はすがるように話しかけた。
でも、声が返ってくることはなくなった。

それなりに楽しかった僕の学校生活は、地獄のようなありさまに変わった。



そんなある日のことだった。靴箱から僕のスニーカーが忽然と消えたのだ。
お気に入りだったアシックスの紺地のシューズ。たぶん、父か母に買ってもらったもの。


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星の数ほどにも思えた選択肢。
右にも左にも、それどころか上や下にさえも道がありそうに見えた未来。

やがて、夢見るころは過ぎて、選択肢がひとつふたつと消えてゆき、ときとして絶望で黒く塗りつぶされた明日。

来るはずもなさそうに思えた遥か彼方の未来はここにある。
けれど、そこに立ったのも束の間、良かれ悪しかれ、その未来という名の現実は、足早に過去へと過ぎ去ってゆく。

時は幻、時間は妖(あやかし)。

戻れないOne way ticketを握りしめて、揺れて揺られて泡沫(うたかた)の夢。
それさえもおそらくは、まぼろし。

それが生まれてきた意味だとしたら。
誰かが嗤(わら)うだろうか。

嗤わば嗤え。
誰の上にも、陽はまた昇る。

諦めない限り、陽はまた昇るのだから。

Grover Washington Jr/Winelight


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「なんかあった?」
美裕はピンクのランドセルの背を、ピアノでも弾くように、トトトンと叩いた。

「ほら、風」秋のさわやかな風が彼女の前髪を揺らした。



「別に。……なんにもないよ」

「そ」
美裕は腿の下に両手を入れて空に視線を移した。小さな顎が、どこか不満げに見えた。

「じゃあさ、好きな女の子はいるの?」
美裕の問いかけにクラスの女子たちの何人かを思い浮かべた。
そう、僕の中のベストスリー。

「いるけど、ただ、いるだけ」
「じゃあ、嫌いな人は?」
僕はすぐに、クラスにいる、とある女子たちを思い浮かべた。そしてその周りにいる男子たち。それはとても気分を暗くさせた。

「ヒロ君は嫌われ者? それとも人気者?」
「わからない」
ううん、わかっている。僕はクラスで一番の嫌われ者。


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「母さんに訊けって」
「何を?」
「なんで美裕が写っているのかってこと」

「あんたたちはね」言葉を切った母が、ふぅっと息を吐いた隣で、祖母がすっと目を閉じた。
「双子なのよ」

繋がった。美裕が僕の母を、お母さんと呼んだ意味。
だけど、僕には姉や妹などいなかった。美裕が母や祖母に見えない理由は、ただひとつ。美裕がこの世の人ではないからだ。



けれど、今確かに、隣に座っている。
やっぱり少し、困った顔をして。

「ヒロちゃん、美裕ちゃんに最初に会ったのはいつなの」祖母がちょっと首を曲げた。
「小学校の三年生の時だよ」

「その時さ、何かなかった」
「何かって?」
「ヒロちゃんの身に、何か変わったことはなかったの」僕はテーブルに視線を落とした。
「ううん、ヒロちゃんだけじゃなくても、周りとか誰かとか、何か困ったことはなかったの」

僕は目を閉じて、ソファの背もたれに背中を預けた。
「んーん……」

「あったのね」
「うーん……まあ、確かにそうだね」
「何があったの?」
言いたくはなかった。けれど、励ますように美裕がトントンと肩口を叩いた。

「もう、過ぎたことでしょ」
「うん」僕は美裕の言葉に頷いた。
母と祖母を交互に見た。そして口を開いた。なんでもないことを話すように。

「いじめにあってた。うん……とてもひどかったな」


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ためらいがちにテーブルに置いた母を励ますかのように、祖母がそれをグッとこちらに押した。

それを手に取り、ページをめくった。それは、1ページに写真が3枚入る小さなアルバムだった。

「どう?」

質問が速すぎる。
それはいくつかの商品をレジ台に乗せたとたんに、いくら? と訊く老人の性急さを思わせた。

そこに写っている写真たちは僕が見たことのないものだった。だから、懐かしいというのとはもちろん違うのだけれど、僕や母や父が映るフレームの中に、常に女の子がいる。

「これ……美裕だ。ほら、見てごらん。これ、美裕だよね」
手にした美裕はゆっくりとページをめくり、「懐かしい」と呟いた。

「でも、なんで美裕が写ってるの」
「それは、お母さんに教えてもらった方がいいわ」
美裕は、ちょっと困ったように薄く笑った。


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美佐枝は小さなアルバムをリビングのテーブルに置いた。

「さ、見るのよ」背中を押すように、母がそれを裕史へと押し出す。
手に取り開いた裕史の頭がゆっくりと動いていく。

「どう?」
自ら発した掠れた声に、美佐枝はひとつ咳払いをした。

「これ、美裕だ」眉間を険しくした裕史の声。
美佐枝の肌を刺激が走り抜け、思わず腕をさすった。

裕史がアルバムを隣に渡すしぐさをした。

「ほら! いるのよ美裕が!」
母に言われるまでもなく、そのアルバムが裕史の隣で宙に浮いたのを美佐枝は見た。



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