ピアノフォルテに、落ち着いて向かえるようになっていた。

 楽譜を目の前に開いてもイライラして、へ音記号が出てきたらもはや何でト音記号で全部書いてくれないの💢となって、どんどん楽譜を読み進めるのが遅く、億劫にもなっていった子供の頃の僕。

 オレから比してかなり裕福な実家は築オレと同い年でいまだに進化中である。
 何年か前には周型ピアノの部屋がフローリングの防音室になったし、エアコンもついた。
 5分に1本レベルの低空飛行機の音もほとんど聞こえず、寒さにも震えずに済み、集中しやすくなっている。
 まぁ低空飛行機ってのは音だけじゃなくて、墜落したらイヤだなあという、気持ちのつながりにくさがあるんで、完全な集中はどうしても無理があるんだけど。

 子供の頃はピアノの前で暖房もつかずに震えながら練習せないかんやったのではないか。そこに加えて飛行機の我が物顔が頻繁に横切る…。そりゃ楽譜読む気も無くすわナー。
 
 へ音記号も読むのにさほど苦にならず、いちいち最初のへ音記号の黒玉がファなんだよな…なんてところに毎回戻らずに(集中力が一応持続するため)、さっき鳴らした音から2度高いからレか、とか、そういう感じで楽譜通りの運指にまで習いつつ、それでいてタイなんやからこういうふうにペダルも活用したらいいんゃないか、とかグランドピアノでなくてもグランドピアノ前提の楽譜に食らいついていけるようになっていた。
 そうやって40分くらい、集中力が保った。

 オレは子供の頃、4/4と書いてあるくせに一小節のなかに4分音符が6個以上とか描いてあると(ピアノやギターのような独奏和音楽器ではあたりまえのようにあることだが)、嘘つき!4/4て宣言したくせに!6/4じゃねえか!みたいに思ってもうその曲を弾く気をなくしていたものである。

 各楽専符という考え方に至ったのは、宣言と記述が矛盾しない楽譜を改めて書きたかったからである。

 さわりだけ各楽専符の思考を紹介する。

 4分音符とはヴァイオリン符である。ヴァイオリンは4本の弦の中から1本を選んで発振するのが基本である。これが1/4。4分音符の基である。
 4本の弦のうち1本を選ぶという間が、そのまま音を出す長さになる。だからメトロノームで切り刻まれるような一定のリズムというものは本来音楽にあるものではなく、うぶな弾き手がたどたどしく手前から2本目の弦を選んで鳴らすのも1/4だし、慣れた弾き手がすぐさま同じ弦を選んで鳴らすのも1/4なのである。弾き手によって音を出す長さは変わって当然。それを、合奏や録音による商品化のためにはメトロノームや指揮者が擦り合わせる。
 1/4 の 2倍 は 1/2 で二分音符になるし、1/4 の 1/2倍 は 1/8で八分音符になる。1/3倍 だと 十二分音符があるはずだがそれはあまり使われていないところをみると、1/4倍 で 1/16 …十六分音符というのは、

1/((√4)^n)  

という関係式が見えてくる。(nは自然数0、1、2、3…)
   ちなみにその √ のひだりにも √4 があると見る人は賢明である。
 もしもペダルを度外視するならピアノフォルテ88鍵盤におけるほんらいの1音の長さは

1/((√88√88)^n

で定義できる。
 たとえばこれがヴァイオリン符に縛られない、ピアノフォルテ符である。
 しかしピアノフォルテは同時に何音も発振できる独奏和音楽器であるため、88鍵盤の中から3鍵選ぶこともあれば88鍵盤の中から6鍵選ぶこともあるだろう。その和音ひとつを1音と数えるか、数えないかによっても、それらを選ぶ生理的な間合い=音の長さは変わってくる。また、ペダルもひとつの選択の間合いだと含めるなら88の中から選ぶのではなく、90の中から選ぶ、91の中から選ぶ、というふうに、母数も変わってくる。ゆえにピアノフォルテ符を定義すること、ピアノフォルテ譜を書き記すことはかなり困難であると思って良い。これまでなされているような、ヴァイオリン譜を形式的に用いるやり方はイメージしやすくて有効だろう。
 しかしそれでもたとえば6弦ギターで単旋律を奏でるのであれば

 1/((√6√6)^n

で定義できるギター符が登場し、こちらはピアノフォルテとは違ってかなりヴァイオリン譜に近い記述が可能となってくるであろう。ギター譜は、ピアノフォルテ譜に比べてはるかに出版の実現性がある。
 このように、楽器ごとに発振するまでの選択の間合いが異なり、それらをもとに元来の、切り刻まれるようなものでないなめらかな生きた音楽というものが奏でられるべきであるというある種の音楽原理主義をもって、各種楽器にそれぞれ専門の音符がある、略して各楽専符と呼称、提唱する。
 各楽専符を追求すると、日本古来のアマダレに基づく即興演奏や西洋で進化し広く認識されたヴァイオリン譜の音楽に留まらない、より自由より多様で、専符の記述の難易度によっては再現可能な音楽表現が可能となる。

 上記を踏まえて、オレは即興で作曲することのほうが市販の楽譜通りに演奏することよりもはるかに多い。

 もしも音楽が人生にリンクするものであるなら、宣言と記述の矛盾はできるなら解決されるべき問題であり、ちょうどそれは自転車がそもそも左右非対称であるという前提に似て、それに基づいて何かを発展させたいのであればやはり勘案し考慮して取り組むべき要素である。

 この人生は夢だらけ〜 と椎名林檎ちゃんは叫んだ。すべてをヴァイオリン譜で語るのなら確かに人生は夢だらけでなくては滞る。
 だがこの世界にはまだ見ぬ各楽専譜があるのだと認識しながら生きれば、人生は現実だらけだろうが夢だらけだろうが、生きるに値する。