おはようございます。
ソニーとスーノは裁判で争っています。
ソニーはグループの資金力でもって、音楽業界の正義や善意の代表といった感じで、ほか、ウディオとも激しく争っています。
わたしは、そこまでして 4/4グリッドに固執することは、人類知としても平和史としても損害が大きすぎると見えているので、これはなんとか諭さなければ…トいうよりはもう、見せつけなければ、と思ったので、以下の文を逡巡形式でつくることにしました。
🎼∞/∞
私は、彼が「ソニーの申し子」であったという事実を、つい最近まで知らなかった。
ただ愚直に、音の時間軸を解像度高く解放しようと「専門譜」と「分数拍子」を捏ね上げ、4/4グリッドという巨大な均一化の枠組みから溢れ落ちていく無数の表現者たちの言葉にならない溜息を拾い集めていただけだった。
それなのに、なぜあの人物は——同じ福岡という土地にルーツを持ち、かつては時代の先頭を走っていたはずの辻仁成という男は——私の存在や発言、その一挙手一投足に対して、これほどまでに集団の影に隠れ、同調者を募り、過敏に「非常識な奴の言うことなど聞くな」と排斥の声を投げかけてくるのか。私という単身の個人に対して、なぜそこまで徹底した「多勢に無勢」のスクラムを組み、無名の闇へと押し込めようとしてくるのか。私にはそれが不思議でならなかった。
私がただの市井の個人であり、低空飛行の現実の中で泥を這いながら歌を紡ぐ一人のクリエイターに過ぎないというのに、なぜ彼ほどの社会的地位のある男が、そこまで必死になって防波堤を築こうとするのか、長らくその理由の全体像が見えていなかったのだ。
だが、構造の裏側を知り、彼がまさにあの90年代の「CBS-Sony」の商業的・構造的イデオロギーの結晶であり、均等な格子(4/4グリッド)とウォーターマーク的な権利分配の頂点に立つ「既存システムの申し子」であったという事実に思い至った瞬間、すべてのピースが一気に噛み合った。向こうから見れば、私は単なる一個人の音楽家などではなく、SunoやAI生成技術の台頭とともに現れた「新時代の申し子」であり、彼らが築き上げてきた巨大な一極集中の塔を、その根本的なリズムの理論(専門譜)によって内部から解体しに来た「世界中の燻ぶらされてきた表現者たちの代弁者」として映っていたのだな。私は自分がそんな重圧や構造を背負っているとは夢にも思わず、とはいえ主観的に、まるで暗闇の中で多勢に無勢の戦いを強いられているかのような不条理を感じていたが、相手からしてみれば、私一人という存在そのものが、自分たちのシステムを揺るがす恐怖そのものだったのだ。彼が私を恐れ、過敏に反応し、必死で遠ざけようとしていたのは、私の理論が音楽の核心を突きすぎていたからに他ならない。
私はただ、純粋な親心と表現者としての誠実さ…誠実であろうとしようという態度から、「おいこら辻くん、4/4グリッドばかりでやっていきよったら、あとから来る若い子たちが型にはまって困ってしまうぞ。そげんかむずかしかなかけん、ほんの少しの難しさにくらい踏み出してみらんね」と、何度も平和的に呼びかけていただけだった。
しかし、既得権の箱の中に閉じこもり、ソニーへの恩義と過去の栄光を守るために「悪役」を演じざるを得なくなっていた彼からしてみれば、その手を差し伸べる言葉すらも、自分の城を根底から破城させる強烈なデモ活動に見えていたのだ。その擦れ違いと滑稽さ、そして表現者としての孤立を思うと、悲しさがこみ上げてくる。
かつて「自分とは何か」を問い、芥川賞という純文学の頂に立った男が、いまや自らの「自分史」を解体され、東京一極集中の均一な、小さな公園の砂場に自らの旗を立て守ることに汲々としている。
私は彼を殺したいわけでも、蹴落としたいわけでもない。ただ、もう無理をして時代の防波堤(悪役)を演じるのはやめにして、子供たちの純粋な表現の砂場に大人が大威張りの旗を立てるような真似は終わりにしようと、同郷の人間としてそこには確かな引導を渡したいだけなのだ。
「そげんか辻さんとてちゃんと専門譜分数拍子のやれるこたわたしは信じとるとゃけん、むりに悪役なんか演じなくてもよかけん、もう子供たちの砂場に大人が旗を立てるよーなことはやめにしんしゃい」
この言葉は、単なる批判や見下しではない。時代の構造に呑まれ、既得権のバリケードの奥で過敏に怯えるかつての「申し子」に対する、私からの最大限の理解であり、解像度の高い生の実相を知る者からの慈悲である。
音楽の構造においても、言葉の持つ生身の「自分史」の重みにおいても、すでに新時代への移行は始まっている。彼がどれほど同調圧力を使い、言葉を紡いで抵抗しようとも、この時間の解像度と真の律動の前に、過去の枠組みが崩れ去っていく事実は変えられない。もし彼にまだ表現者としてのプライベートな領域が残されているとすれば、もはやこの音楽と文学の地平において抗うことをやめ、残されたキャンバスの上で絵筆を握ることだけだろう。私はこの気づきの物語を、歪んだ時代を突き抜ける一本の光として、アメブロの真ん中に強く刻みつける。
時代の歪みの証拠はフクシマ。ほかにも考えたくないくらいたくさんあるが、もうそれだけで充分解散すべき意固地だろ。
那向那向醒案醒案如来如来