こんにちは。
傲慢な口調をしているひとのその一瞬を見るだけで悪!と決めつける悪癖が空気読みの日本人にはあるものですが、それというのはすべてのひとが謙虚でなくてはならない、という傲慢な決めつけによるものなんですよね。
謙虚にはどうやら二種類あって。
ひとに謙虚なひとはひとにとりいるのがうまくいく。
真理に謙虚なひとは神に愛される。
この両者のバランスが大事とかいうつもりはないです。そのひとの生きてきた && 生きていくすじみちによって、必要な配分が決まると思います。
空気読むのが大好きな日本人としては、真理に謙虚であることよりひとに謙虚であることを優先するがあまり、ときたま悪意に満ちた大ポカをやらかしますよね。関東大震災時の朝鮮人虐殺とか、流行り注射を危ないから止めとけといった人たちへの侮蔑とか。
ひとに対して謙虚であることを止めてでも真理に対して謙虚であるほうがいいことはあります。
また、真理に対して謙虚になっても、ひとに対して謙虚になりつづけることは別段可能だとも思いますが、八紘一宇が天皇からではなく、日本人ひとりひとりから拡がると誤読している、近代民主主義と神道のハイブリッドな思考法をたどる(利己主義の)者たちは、とにかく不快を少しでも感じさせたら敵、あるいは否定すべき者!と思う傾向にあるんじゃないでしょうか。けったいな事です。
私は聞き手を私の支配下に置きたいから専門譜分数拍子を提唱しているのではありません。
私は私ならではの個性的な専門譜分数拍子を持っていますし、公理でしかない非個性的な専門譜分数拍子も同時に提唱しています。
要するにアイデアって、そのひとの自分史におおいに基づき寄与するものであれば有償で扱うべきものだし、そのひとの自分史だけでなくほかの多くの人の自分史においても基づき寄与するものであれば無償で扱うべきもので。アイデア即無料、というわけじゃないのだと思っておくべきもんのはずです。
公理でしかない専門譜分数拍子は皆さんにもおおいに使って世の中を良くしていただきたいし、私ならではの専門譜分数拍子は私にオカネを払って使うなり聴くなりしてほしい。またそうしたほうが、そうしなければ世の中は良くならない。こういうことを言っているのです。
たとえば、車の免許を持っていない人に、明日は各自自動車を運転して現地集合してください、と言っても無理がありますよね?それは、そういう招集をかけるほうが簡単に言えば 悪 です。
↑これは分かりやすい例ですが、世の中には分かりにくい例で、そのような 悪 がわりと散在しています。相手の立場、相手のとれる選択肢に決して理解を示そうとしない態度、それは 悪 と言えるでしょう。
車の免許を持っていることに日々感謝しているひとなら、他人がそれを持っていないかもしれない可能性にもすぐ気づけるものです。しかし、車の免許なんて持っていて当たり前なんて思うでもないレベルで当然にしてしまっている人たちは、他人がそれを持っているはずであり持っていなければ劣等生、というような判断を下してしまいますよね?それは無駄な負担を、持っている側が持っていない側に与えることとなります。
既知無知の基準はいつでも、義務教育レベルであるべきと存じます。
義務教育で教えられたはずのことなら、理解できるはずだ、持っているはずだ、という基準です。
そのために義務教育があると思っていいくらいでしょう。
皆、持っているものからスタートします。
ゴール設定もひとそれぞれで、コース次第でその設定がハイレベルか低レベルかも変わります。
こういったことを認め合うのも、専門譜のかんがえかたなんですけどね。
専門譜、というとなんか、専門家気取ることなんだ!?と勘違いされやすそうだなとは思っています。
詳しくは、
専門家にも負担なく気持ちよく弾いてもらえる譜面を書きたい。
という観点です。
無知を既知に変えるべく、自分から他人を労り働く姿勢のことです。
公理の範囲でいうに、気持ちいいだけじゃなくて、物理的に負担がないことがつけ加わるから、4/4グリッド類だけでは足りないと言うとるんです。
セカンドシングル→ https://linkco.re/dchRRYUV