2022年の秋に父が亡くなり、思った事です。


今回、NHKあさイチの『家で看取る』の特集をみて父の事を書こうと思いました。


  父の希望

父が元気だった頃に、もしも自分が植物状態になったら、延命治療はしないで欲しいと言われた事があります。

白血病が疑われた時も、長く辛い治療をするくらいなら命を絶ちたいと母に言っていた様ですガーン


と言いながら、いざ苦しくなると入院を希望して前向きに治療していたのだから、わかりませんが。


ただ、妻や子に迷惑をかけたくないと言う気持ちは強かったのではないかと思います。


最後の場所をどこにしたいか、と言う事になると、具体的には話していませんでした。


本人に余命の告知をしていたら、話する機会もできていたかもしれませんが、告知しなかった事への後悔はありません。


たぶん、病院にしても介護施設にしても、自宅でも、最後の時は家族に囲まれて、とは思っていたと思います。

コロナ禍でなかったら難しい事では無かったのにね。


  自宅で看とる事

自宅で看取る、と言う事が最後の瞬間を自宅で過ごすと言うなら、

私たち家族が父を自宅に帰らせたい、と言うのは、

看取りとは少し違うかもしれません。


私たちが望んだのは、お別れが近い父と一緒に日々を過ごす事。


容態が急変した後に瞬間を迎える場所についてのこだわりがあったわけではありません。


ただ、末期を自宅で過ごす事と自宅で看取る事はセットになっていると言うか。


父が、家に帰りたい、と強く望んだわけではなく、


自宅で一緒に過ごしたいと言うのも、私たち子どもが勝手に望んだ事です。


父が孤独で可哀想だった、と思っていますが、患者さん同士のコミュニケーションは無くても、主治医や看護師さん達とは良い関係だったのかもしれません。

実際、私たちがお会いした時、皆さんとても心がこもった対応をしてくださいました。


もしかしたら、自宅で母の手を煩わせる事こそ父の望まない事だったかもしれません。


母は、父と一緒にいたかったとは思いますが、死の瞬間を自宅で看取りたいと言う強い希望はなかったと思います。


病院にまかせることになって、結局は良かったのかもしれません。


最後に顔を見た後に旅立った事といい、

自宅に連れて帰る決心をしたとたんに急変した事といい、

何だか父の思惑?を感じてしまいます悲しい


でも、6月に、最後の退院の機会を本人が家族に遠慮して帰らなかったのは残念だったなあ。

まさか最後になると思わなくて

私たちが、父が遠慮したくなる雰囲気を出しちゃってたのかな、と思うと胸が痛みます。


結局のところ本人の気持ちはわかりません。


あさイチの番組中でも言われていましたが、やらなくてはいけないではなくて、看取る側がやりたいか、が全てだと思います。


やってみて途中でしんどくなったら、また違う方法も探したら良いと思います。


退院させるかどうかを悩んでいた時にあれこれ考えましたが、


知識が全く無いのですから、

まずは包括センターに相談に行けば良かったです。


そして、家で介護することと、最後の最後を看取る事、をいったん別の事として考えれば良かったのかも、とも思います。


  2030年の看取り難民

あさイチによると、

厚生労働省の発表で2030年には40万人が末期の受け入れ先に困る事態になるかもしれないとのこと。


わたし、2030年と書きながら2040年のつもりで最初書いていて、まだ先のつもりでしたが、すぐすぐ来ますね。

訂正いたします。申し訳ありません。


選択肢がなく家で看取るしかないとなると、

食事、排泄、入浴の介助の他に、

死にともなう苦痛との付き合い方が大事ですよね。


母の時、どうするのかはまだわかりません。


私が看取られる頃、今よりもっと訪問介護や訪問看護や訪問医療が充実して、どの様にすれば良いかの情報がたくさん広がっているでしょうか。


今の訪問介護の事、全然わからないので、十分なのか足りてないのも、問題点もわかりませんが。


自分にできる事は、どうして欲しいのか家族に伝えておく事と、いざという時には地域包括支援センターに行きなさい、と言うことくらいかな。


長くなりましたが、読んでくださった方、ありがとうございましたニコニコ

これにて終了です。


↓↓↓これまでの経過