2022年の秋に白血病で父が亡くなりました。
自宅で介護する事を決めた矢先に誤嚥性肺炎になり、退院の見込みは無くなりました。
意識がない父と久しぶりに会えました
この辺りの事をなぜかあまり覚えていないのです。
父は、意識はない状態で、鎖骨下からの高濃度栄養輸液と点滴と輸血で生きながらえているようでした。
治療の変化があっても病院から連絡があるわけではないので、たぶん、の話です。
この頃、病院の別室からタブレット面会ができる事を知り、何回かしましたが、呼びかけに反応はありませんでした。
こちらの願望なのか、何か言いたそうにしている、とか反応があったかも?
とかには思えない事はないのですが。
そして、8月、母と姉弟のみ1人づつ直接に会う機会をいただきました。
目を見開いたままの父、声をかけたら何となく聞こえている様な。
手足は冷たく、刺激しても反応は無く。
でも、呼吸状態は良く、尿は管を入れているのですが、十分にでているのでまだまだ大丈夫な感じでした。
このままの状態がいつまで続くのだろう。
状態が落ち着いたら、緩和病棟に移動して治療を全部止めると言う選択も言われた様に思います。
その辺りがどう言う風に提案されたのか覚えていないのです。
いざと言う時に家族が揃うまで心臓マッサージをするか、自然に逝かせるか、と言う選択は聞かれましたが、自然に逝かせてもらう事にしました。
昔、私が勤めていた病棟は、年間に60人くらい亡くなる所で、私も何度も心マッサージしながら医師とご家族の到着を待ちましたが、マッサージをやめたら心電図はゼロになる。
本人にとってつらいばかりなんじゃないかな、と思っていたからです。
その日がきました
父と会えない事が日常になり、何もできる事も無く、ただ時間が過ぎて行ったある日、今週中に面会に来て欲しいと病院から連絡があり、家族が会いに行った日の夜中に父が亡くなりました。
面会の時の様子も前回とあまり変わりなく、
「まだ大丈夫かも。このまま年を越すかもね」などと言っていたので
信じがたかったです。
お願いしていた通り、マッサージをしなかったので
誰も間に合う事ができず、父は1人で旅立ちました。
にぎやかなお葬式
一応、コロナ禍と言う事で、家族葬にはしていたのですが、我も我もと皆様が来てくださったので、大変賑やかなお葬式になり父も喜んでくれていたと思います。
人に親切にし、一所懸命生きてきた父の人生の終わりがどうしてあんなに寂しい生活になったんだろう?
どうして死なないといけなかったんだろう?
とずっと考えていました。
続きます。次で最後にしますね。
↓↓↓これまでの経過です