2022年の秋に白血病で亡くなった父の話です。
治ったから退院ではなく、残りの日々を家族で過ごすための退院でした
退院しても1週間もしないうちに再入院、という事を何度か繰り返しました。
その間も病院まで血液検査や輸血に通います。
これがなかなか大変で。
近くに白血病に対応できる病院がなく、遠方の病院で治療していたので、
実家から病院まで車で1時間はかからないくらい。
我が家から病院までは、高速道路を使って1時間ちょっと。実家までは高速使って1時間15分くらい。
弟の自宅は病院の近くなのですが、逆に親を実家まで迎えに行って病院に連れて行くと2時間近くかかります。
弟と義兄(姉の夫)と私と、皆で交代して送迎していたのですが、都合が合わない時はタクシーを使ってもらっていました。
退院の日程もですが、再入院の日は突然決まるんですね。
都合をつけるのも大変で、振り回されてしまいました。
退院して嬉しい気持ち、そしてすぐに再入院してがっかりする気持ち、
送迎の大変さ。
そして、母は父が食事を少ししか食べない事に不安になり、イライラしてきます
もう少ししっかり良くなってから退院できないのかな?という気持ちがあり主治医に聞いて、昨日の記事に書いた説明を受けたのですが、
はっきりとは言われませんでしたが、
抗がん剤の効果で退院ではなくて、残り少ない日々を自宅ですごさせるための退院。だったのでしょう。
食事はあまりとれないものの、物につかまりながらなら歩行も出来ていて、初回の入院時には考えられないくらい、見た感じは元気だったので、
まだまだ死はずっと先にあるって信じていました。
6月、そろそろまた退院かな、と思っていましたが帰るという連絡はありませんでした。
梅雨で移動も大変で、みんなに迷惑かけるだろうと父が遠慮した様でした
父の変化
うちの父はコミュニケーション能力抜群なので、無菌室から出たら他の患者さんとも仲良くしてそれなりに楽しく過ごすのではないかと思っていました。
甘かったです。
コロナ禍で4人部屋のカーテンは閉じられ、看護師さんや主治医以外とは話をしない生活だった様です。
その頃、父のガールフレンドの1人からお手紙をいただいたので届けたのですが、内容を確かめずに届けたのが失敗でした。
父の病状を気遣う言葉とともに、
「同世代の私の父も、同じ病気でなくなりました。どうぞお大事に。」と書かれていたのです。
ご自分のお父様と重ね合わせたのでしょう。
が、希望を持ってつらい治療に耐えていた父には酷な言葉でした。
白血病でなくなる人は多い事は、もちろん父も知ってはいたけれど、それでも希望を持っていたのです。
わざわざ言う必要あるかな?
今でも彼女の無神経さには怒りを覚えます。
このブログも同じ病気の誰かを傷つけているかもしれません。
(あくまでも、うちの父のケースです。
同じではありません!!)
父は、その頃から塞ぎ込んだ様子で日中も寝ている事が増えた様でした。
続きます