減量すべし!
記録が伸びないなあ~。と思っていたが、その根本原因は何なのか・・・考えてみたが、結論は単純だが「体重」にあるように思った。また体重が重いと、膝や脚にも負担が大きいから、やはりまずは体重の調整が第一なんではないか?
ちなみにJogNoteに書いてあった体重の話でいうと、自分の場合、肥満度は現在9%。BMIが24.2。やっぱりこれはダメだ。
ベスト更新した時期でいうと、肥満度は5.5%。BMIは23.4。
これだけ見ただけでも、まずは減量が不可欠であることは歴然としている。
ということで目標設定。
現在の体重から目標10kgダウン↓。まあ、そこまでできなくてもまずは5kgダウンを目指したいと思う。
で、そのために・・・
まずは、カロリー混入低減活動
・デスクワークが中心の業務だが、菓子類禁止!
・ドリンクは、無糖のお茶等に!
・朝食は、以前のシリアル系+バナナ+ヨーグルトに戻す!
・お昼はできるだけ妻の手製の弁当か、そば、うどん類!
・夜はビール厳禁(ベジー!の飲み会のときと休みの日だけ)!
・禁3A厳守(甘いもん、揚げもん、アルコール)!
そして、カロリー削減活動
・練習はまずは体脂肪燃焼効率の良いLSD中心にいったん戻す!
・平日は週2回以上、早朝ランを行う!(30分でもいい)
・ジムにおける筋トレ再開!
などなど。
で、泉州国際は2月の中旬だが、2月のアタマまでにベスト体重に持っていく!
しかし・・・だ。
ま、今週末は「つくば」もあるから、カーボローディングしないといけないし、
来週も、「NAHA」があるから、せっかく沖縄に行って、それなりに楽しまないとつまんないし、
ということで、この計画のスタートは、「NAHA」後の12月8日以降からやな!
ということで、もろくも計画は一瞬で崩れるのであった・・・
でも、少しはがんばります・・・![]()
ウルトラの妄想
世の中には、まったく同じような状況になってしまう場合があるんだね~。
ブログで知り合った大阪の猛烈トラキチのtacocoさん。
今年の春まで果敢にサブ3.5を目標にがんばり、そして自己ベスト更新。
また、この秋の四万十川ウルトラに参戦し、そしてしっかり100km完走!
さらに、さらに、悔しいかな、今年の東京マラソンに見事当選し完走!さらにまたまた来年の東京マラソンにも見事二年連続当選し、たぶん、すばらしい記録で完走するではないか?と予想されるのである。
(よく六甲も走っていたようだしトレイルも大好きなようで。またまた大阪城公園でもよく走られていたらしいのだが、なんと、一度も遭遇することのなかったことが、今になって悔やまれる・・・。いや、たぶん、遭遇することがなかったがために、きっと「東京マラソン2年連続当選!」という、泣く子もうらやむようなくじ運を伝授いただけなかったのかもしれない。まったく、尊敬すべきくじ運バツグンのお姉さんなのである)
そのtacoco嬢が、昨日の福知山マラソンに参戦された。
そして、その結果・・・まったく自分と同じようなレース展開をしてしまったらしい。
というよちも、まさに、心情的に同じ思うをもって走っていたようで、さらに同じような結果になり、驚くほど酷似しているので、笑えないくらいおかしな話なのである。
まあ、その内容は、直接リンクしてあるブログ を読んでいただければお分かりになるはずだが、ネタとしても非常に面白いので、ちょっと、抜粋させていただき自分のブログでも書いてみたいと思う。(tacocoさまご了承お願いします)
前半突っ込みすぎても、今回はきっと潰れない!きっと粘れるはず!
このとんでも自信はこんな妄信的観点からきていた ↓ 。
なんつ~たかて100キロを走り切った脚なんやから!
あの苦しいラスト10キロを耐えたのだからフルのラスト10キロ
くらいなんちゃないさ~。
と。
魔の30キロ地点を颯爽と駆け抜ける自分を想像して、
「あ~、早く来い来い、30キロ地点♪」
と鼻歌交じりに前半を走る傲慢ランナーひとり。
追い抜いていくラン仲間は皆こう言って通り過ぎていった。
「ちょっとペース速過ぎるよ~。」
「tacocoさん、自己新狙いならもう少しペース落として!」
「いいんです!これが今回の作戦ですからっ!」
と傲慢に答えるわたくし。
25キロ過ぎ。
定番通りの脚の疲労感が現れる。
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━.
さぁ、こっから粘るのがウルトラランナーさ~。
と、意気盛んだったのも32キロ地点まで。
あっれ~。脚が進まん。苦しい、しんどい。
けど、頑張れるよね。粘れるよね。あとたった10キロやん。
君はあの地獄のラスト10キロを走り切ったんやろ。
それに比べればど~って事ないっしょ?
と宥めすかしても脚は運ばない。
ごぼう抜きでヒーローになるはずのイメージトレーニングは何処へ?
100キロのラストに勝るとも劣らないほどの苦しさ。
時計を見て記録更新が無理だと悟った時、あまりの不甲斐なさに、
様々なマイナス感情が脳裏をよぎった。
「もう記録狙いは終戦宣言かなぁ~。」etc。
↑これ、この前の自分の湘南国際とまったく同じ展開なのである。寸分ちがいがないとさえいえる内容なのである。「tacocoさん」を、自分の「runningさん」に置き換えて、湘南国際の完走記としてアップしてしまえばわからないくらいなのである。
妙に自信があったのだ。
そう、「100kmを、完走しちゃったんだから、そんなの『おなら プーだ!』」なんて感じで。
30km以降の壁というものが、100kmを完走したおかげで崩れているはず と、勝手に「妄想」しちまったわけだ。
しかしだ、やっぱり、100kmと42kmは違うんや。
ウルトラとフルはまったく違うもんなんや。
よく、ウルトラを走ると、フルでスピードが出なくなる なんちゅう話を聞くが、正確にはそうではなくて、この二つの競技の違いをわからず、どちらかの延長で考えて走るからおかしくなるんやね~。
それが、ようやく気がついた。
結局、フルマラソンの30km以降の壁は、フルマラソンのレース展開では崩れません!ってこと。
確かに、「あると思います!」ってこと。
今後は、心して取り組もう!
そしてtacoco嬢の素晴らしき 一句。
前半ぶっ飛ばし、後半貯金使い果たしの大減速ゴール。
by tacocoさん
ほんま、おつかれさまでした~。
それにしても、最大の課題・・・。
やっぱ、デブやな~。だって、今日千葉駅伝見てたら、アスリートたちとは10kg以上違う。
この時点で10分以上は違うなあ・・・まったく・・・痩せることから始めなアカンね。
走ることそのもの
このところ、自分自身「サブ3.5!」など記録更新にやっきになり、走るたびに、次回こそ!なんてことに夢中になっていた。
しかし、RUNNERS1月号の「丹野隆明先生闘病記」を読んで、もう一度走ることそのものの楽しみを十分かみしめるようにしなければ・・・と反省させられた。
「丹野隆明先生闘病記」は、前月号と今回の号と前編後編で書かれていた。
病に倒れ、なんとかリハビリをして歩けるようになった丹野先生。たった、1kmでもとんでもない努力なしには歩きとおすことができない。しかし、かつての自分の姿を思い出し、必死に歩く丹野先生の姿を想像し、電車の中でも涙がこぼれてしまった。
長い距離を走れるようになるまでは、そんなに気にならなくても、走れるようになってどんどん人間は(いや、自分は)横柄になるようだ。
最初はたった2,3kmを走るだけで、ふうふう言っていたのが、5km、10km、20km、30kmと・・・そして、42km。
走らない人から尋ねられれば、
「いやあ、ハーフの距離なんてたいしたこたあないっすよ!」とか
「フルは、まあ確かにきついっすけど、半年も練習すればなんとかなるっすよ!」
など、まあ、いいかげんに答えていたりする自分がいた。
さらに、
100kmを走っちゃったものだから、「いやあ、42kmなんて、『屁のツッパリにもなりませんよ!』」などと、どこかで聞いたことのあるような気持ちになっちまって、それで、42kmのレースを最初からぶっ飛ばすという、いかにも、ちょっとうまくなったゴルファーやスキーヤーのような振る舞いになってしまった。
その結果・・・100kmを走ったときよりも筋肉痛になっていたり、ダメージも大きかった。ほんと情けない。
丹野先生の記事をよみ、あらためて、走ることの凄さというものを認識することになった。
走れることが、どんどん、自信につながっていったのは良いが、しかし、「走ることへの真摯さ」を失っていったようにも感じている。
10km程度しか走れなかった自分を思い返してみろ!
初めて20kmを走りとおせたときの喜びを思い出してみろよ!
30kmを走って、脚が痛くてよく寝付けなかったときを思い出してみろ!
フルマラソン初挑戦で、32km地点でリタイアし、バスに収容されて走っているランナーを見たときの気持ちを思いかえすべきだ!
病にたおれ、一人で歩くことさえも大変になってしまったというのに、必死に歩こうとする丹野先生の姿を想像して、もういちど走れる喜びを感じるべきだ。
確かに、自分の記録更新を目指すのは大切だ。それで自己満足度も高まるのだから。
でも、そろそのものを目標にしてしまったら、苦しくないかい?
楽しくない ってことにならないかい?
「走った距離は裏切らない」・・・これはいつも自分のこころにあるテーマであるが、これに付け加えて、
「走れる自分を大切にしたい」
走れる喜びを大切にしていきたいと思う。
高橋尚子がランニング界に残したもの
ランナーズ2009年1月号が自宅にとどいた。(今回は年間契約のおまけのカレンダーもいっしょ!)
そして、ページを早速めくってみる。
4ページめに、高橋尚子選手引退のトピックス記事が掲載されていた。
この記事の中で、高橋選手の功績として、いくつか指摘されている。
ひとつは、「マラソンランナーはなぜか悲しく見える」という沢木耕太郎の著書に対し、高橋選手の場合は暗いイメージがまったくないということ。自らの意志で走るのがすきだから走っているという強いメッセージを感じるということ。
ふたつめには、最も自分が高いパフォーマンスを発揮できる種目がマラソンであったのでマラソンに取り組んでいるアスリートは、走ることが好きだったり、楽しいからランナーになったのではなく、走るのが得意だから実業団に進んで勝つために苦しいトレーニングを行っている。そこには、市民ランナーなどとは見えない壁のようなものが存在した。しかし、高橋選手はその壁を一気に壊してしまった。
「とっても楽しい42.195kmでした!」というコメントはまったくもって市民ランナーの同じ気持ちを代表したものであった。そして、自分も高橋選手の応援を頂戴したが、一流アスリートであるはずの高橋選手が、自分が走り終わってから市民ランナーを迎えに走りだして応援してくれた。まったく高橋選手は市民ランナーの仲間であったように感じたのだ。
高橋選手は「50歳になっても、60歳になっても走っていたい」と、話したそうだ。
この思いは、普通の市民ランナーとまったく同じ思いである。
(まあ、まったくレベルは違う話ではあるが)自分が、初めてフルマラソンに挑戦し、そして途中でリタイアしたとき・・・。
このまま、無理して走っていれば、二度とマラソンなんて走りたくなくなる と思ってリタイアしたわけだが、もしかすると、高橋選手も今の自分の状態で、常にトップを目指して走り続けることに対して、疑問に感じたのかもしれない。それが、それだけが、自分の姿ではないと感じたのかもしれない。
「とっても楽しい42.195kmでした!」
そう思っていつまでも走っていきたい。
第一回湘南国際マラソンのときに、江の島の橋のうえで、高橋選手にハイタッチしていただいたことは忘れられない大切な思い出である。
走れる喜び
この前の週末は、東京国際女子マラソンや湘南国際マラソンなど、マンモス大会やメモリアル的な大会もあり、いろんな人がいろんな気持ちをもってはしっていたようだ。
自分も、今年のシーズンスタート時ではあるが、もし、昨年の自己ベスト更新をここでできればさらに弾みがついていいなあ・・・とは思っていたが、なかなかそうはならなかった。
また、今年のこの11月中旬までの年間走行距離も、すでに3000kmを超過して、またこれまで、一日10kmの目標や、ウルトラ100kmの目標達成。そして、そのためのロング走(京都~大阪、京都~奈良、三崎口~江の島など)などもいろいろ実施してきたことで、自分自身にも自信がついてきたと思っていた。
しかし、実際に、フルの大会が近づくに従い、不安が増してくる。
「本当に、走りきれるだろうか?満足な走りができるかな?」など。
また、来年もウルトラを走りたいと思うは、それを考えるたびに、
「来年、100kmを走れるようなからだでkられるだろうか?故障だけでなくとんでもない病気になったりしないだろうか?」
など、不安を感じてしまう。
そして、今日。
久々の最高の快晴!
冷たい風を感じながら、秋のやわらかい陽を感じながら、そして、枯れ草の匂いを感じて走っていると、こうして走っていることそのものがとっても嬉しく感じてしまうのだ。
こんなことになっているなんて、5年前は想像していなかった。
最後の東京国際女子マラソンに参加した方々も、同じように、走れる喜びというものを本当に感じていたようだ。
走ることを始めなかったら、
走ることを続けなかったら、
湘南国際マラソンで、素晴らしい富士山を眺めながら西湘バイパスを走りぬけることはなかったわけだ。
オリンピック選手が走ったあとでも、同じコースを走ることはなかったわけだ。
大会に参加して、沿道の多くの方から「応援」を頂戴することなんてなかったわけだ。
記録を更新することも確かに向上心を持って進むために必要だし、長い距離を走る目標も重要だ。
でも、もういちど、「走れる喜び」そのものを、忘れないようにしたいと思っている。
あと、何年走れるかわかりませんが、どれだけ歳を老いても、きっとそのとき感じるのは、記録ではなく「走れる喜び」そのものではないか?
この大切なものを失わず、いつまでも、大事にしていきたいと思う。
フルマラソンの難しさを改めて実感~湘南国際マラソン(運営編)
さて、この記事で、「第三回湘南国際マラソン」のコメントを終えようと思う。
今回、初めて参加した人も、3回連続で参加した人も、2回ほど参加した人も、きっと同じく感じたことをまとめとして記録しておこうと思う。
「第一回湘南国際マラソン」は「第一回東京マラソン」が開催された2年前の3月に開催された。
「東京マラソン」は2月開催であったが、「湘南マラソン」は、春の気配もただよう3月に開催された。
それも、スタート~ゴールともに、神奈川県のまさに湘南のメインスポット「江の島」であった。
「江の島」をスタートし、国道134号線を小田原方面に向かって走る。いつかは走ってみたかった「箱根駅伝コース」を走ることになり、そして、まずは人が走ることなんてできなかった自動車専用道路の「西湘バイパス」を、富士山を眺めつつ走り、そして大磯で折り返して、今度は江の島をめがけて走る。最後は、なんと、江の島の橋を渡ってゴールという、今から思えば夢のようなコースであった。
(さらに、自分の場合は、ゴール直前に、あの、高橋尚子さんにハイタッチを頂戴して走ったもんだから最高の気分だったのだ)
江の島のスタートは決して環境的に悪くはなく、前日受付も面倒ではあったものの、小田急の江の島の駅から徒歩でのんびり歩いて疲れもしない距離であったから、全く不快な気持ちにはならず、むしろ最高に楽しかったのだ。
スタート当日も、江の島のハーバー付近にたくさんの仮設トイレもあり、着替えもそう困らず、なんといっても交通の便は良いから、スタートの準備もしっかりできたのだ。
しかし・・・
その後、台風の影響や、江の島の地元の商店街などの問題もあり、今年3月は今回同様大磯をスタート~ゴールとする逆コースを走ることになってしまった。
その結果、数多くの問題が発生した。
(1)会場のアクセスが悪い
大磯プリンスをスタート~ゴールとするものの、会場までのアクセスは、大磯駅から約3.5km。二宮駅からも約3kmという徒歩で向かうにはあまりにも遠い距離。それを前日受付を条件とすることをそのまま続けてしまった。
(2)会場がヨコに広い
大磯プリンスは約2万人を収容するためには、ここしかないとは思うが、あまりにも奥行きがなく、また途中の逃げ道もない横に長い施設。したがって、荷物置き場からスタート一までがぐるっと施設を半周以上しなくてはならず遠い。
(3)仮設トイレの問題
大磯プリンスの近くにはトイレを設置できる場所は少なくない。しかし、スタート付近は住宅街、国道沿いなのでさすが仮設トイレが置けない。結局、多くのランナーがとても困った。
(4)無理な運営時間
フルマラソンの制限時間を6時間としたことは、初心者を受け入れるためには必要だったと思う。しかし、その結果、朝早くにスタートせねばならず、結果、朝6時には会場入りする必要があった。
もし、制限時間をあと1時間狭めるか?または、江の島付近からのスタートにすれば、結局ゴールは西湘バイパス付近にならなかったわけで、ゼッケンを外して走ってよいという第一回大会同様のルールにすることにして、スタート時間を1時間はずらせ、ランナーは前泊したり、早朝に駆けつける必要はなかった。
(5)慣れない運営
スタートに並ばせる時間があまりにも早かった。1時間も雨・風の中を待たせるのは非情ともいえる行為だ。係員が問題ではない。もし、ランナーのことを理解していたら、1時間の待ちは考えなかったはずだ。
というように、さっと思いついただけでも、5点は指摘できる。
第一回の大会から感じるが、あまりにも素晴らしいコースなだけに、運営方法についてもっとしっかりやれれば最高の大会になるのに。そう感じずには居られない。
なお、今回も、遠い会場までの誘導を朝早くから夜遅くまで地元のボランティアの方々が丁寧に接してくれたことには深く感謝しています。本当にありがとうございました。
また、結果的には大会当日も朝早く家を出て、大磯駅から会場まで向かう約3.5kmの距離の間に、おなかの調子が活発になってくれたおかげで、途中のトイレでしっかり用をたすことができたことはある意味よかった。
最後に、やはり「第一回湘南国際マラソン」の開催は歴史に名を残す最高の大会運営とコースであったと思う。
往路は青空に輝く富士山を眺め、復路は、江の島に向かってひた走る!この大会を経験できて本当によかった。
確かに、東京マラソンには一度も参加できていないが、たった一回の「幻の湘南マラソン」に参加できたことを喜びに思う。(と、東京マラソン3回も落選したからだけど・・ね)
フルマラソンの難しさを改めて実感~湘南国際マラソン(後編)
LAP
S~5km 22:42
5~10km 23:21
10~15km 24:08
15~
~25km 49:42
25~30km 27:19
30~35km 28:25
35~40km 30:35
40~42km 12:17
折り返しを過ぎて、ユンケルも飲んで、20km以降・・・ひたすらもくもくと走った。
自分にとって、やはり、最初の5kmが22分台というのは完全にオーバーペースであった。
それに加え、体重も、ベストを出した泉州のときよりも4いg近く超過している。これはキツかった。
それでも懸命に腕を振ったり、腕を下ろしてリラックスしたりしてなんとか持ちこたえたかった。
そして、25km地点で時計を見ると、約50分。
ということは、このペースを維持できれば、サブ3.5も可能性ある。
まだ、この時点ではなんとかなると思っていた。
しかし、ここから脚がだんだん重たくなってきた。
途中までは、あまり抜かれることがなかったが、徐々に抜かれることが増えた。
当然、先に自分よりも飛ばしていたランナーが足を止めているのもいた。
しかし、100kmウルトラを走ったこの自分が、フルごときで、脚を止めるというのは許せなかった。
屈伸運動でもすればラクになるかもしれないが、ヘンなプライドがそれを許さなかった。
そして、30km地点。
時計を見た瞬間。「くっそ~!ダメだ!」と叫んでいた。
2時間27分。30km地点で、なんとか2時間25分をきっていればなんとかなるかと思っていた。
しかし、ここからあと12km。12kmが普通であれば、1時間で走れるからなんとか間に合う。
しかし、今の状態では非常に厳しくなっていた。
でも、なんとかキロ5分に回復できれば・・・とかすかに期待はしたものの、ダメだ。
まったく、脚は重くなる一方。
途中、沿道の応援のおじさんが、
「がんばれ、マラソンはこれからだ!」と・・・そうなんすよ。これからだって、いつもわかってるんすよ。
でも、これからってときに、もはやエネルギーがない・・・こんな失敗何度しているのか?
脚は重たい。
引きずるようなかんじ。それでも、なんとか前に進む。
給水所で水をもらい脚にかける。しかし、まったく回復しない。
そのうえ、ここに来て太陽がちょと顔を出して顔が熱くなった。そしてしばらくして今度は雨。
もう、なんだか、泣きたくなった。
もし、あと12kmではなくて10kmだったら、もう少しなんとかなったのかもしれないが、30km地点で完全にマイナーモードに堕ちてしまったのだ。
たくさんのランナーに抜かれていく。
女性ランナーは、軽々と走っていく。
なんとしても腕をふっても、前にいくスピードがでない。
そして、35kmも過ぎて、西湘バイパスにはいっていく。
これは、以前は知ったときは、富士山も見えて最高のお天気だったのに・・・
いちばんつらいところだった。
道路のつなぎ目に脚をひっかけないよう、それだけを注意して走った。
しばらくすると大磯が見えてきた。
このころはもうウルトラの後半のような走りに感じた。
ずるずるという表現がまさにあてはまった。
でも、やっぱり、走りこんでいたおかげかそれでも、なんとかキロ6分は保っていたのだろう・・・。
ようやく、ああ、大磯プリンスホテルだ。もうすぐだ!
完全にそう思い込んだ・・・しかし、今回のコースは、大磯プリンスに抜ける道路には入らず、そのまま小田原方面に走る。そしてその先で折り返すのだった。
それでも、きっとたいした距離はないと思っていた。
ところが、なかなか折り返し地点が見えてこない。
まだか、まだか、・・・本当にこの時点では泣きたくなったし、脚を止めたくなった。
ただ、絶対に脚を止めたり、歩いたら恥だ!と自分で思い込んでいたおかげで、まだ脚を動かしていた。
まだ、折り返しは見えない。
少しずつ左にカーブしている・・・あれ、あれが折り返し・・・ああ、あそこだ。
そう思ってからがまだたどり着かない。
そしてようやく折り返し。
それからすぐに給水所。
あと2km程度だ。
ここから、少し気持ちも建て直し始めた。
なんとか、3時間30分台の前半で終えたい。
しかし、もはや遅かった。
あと1km程度だろうか、時計は3時間32分を過ぎていたと思う。
あと3分で1kmは知れるか?
んなわけねーだろ!自分のバカな発想にあきれた。
しかし、ここから、足取りはようやくしっかりしはじめた。
道路をしっかり踏みしめている感覚があった。
そして、ようやく、左に折れ、ゴール手前の坂道。
これは急勾配。しかし、この程度はまだ大丈夫。ここで、5,6人を一気に抜いた。
そしてようやくゴール!
その時計を見てがっくり!
なんてこった。3時間40分をなんとか切れた程度か・・・。
それからは、トルソータグをはずして、ドリンクを一気に飲み干し、荷物を受け取りにいった。
そして着替えて、帰宅にむかった。
悔しくて自分では怒っていた。
さまりすさんとしばぽちさんに挨拶し、そして大磯港行きバスに乗り駅まで歩いて帰った。
終始、何も声が出なかった。
とにかく、ペースマネジメントの大きなミス。寒さゆえ早く暖かくなろうとしたせいか、それで完全に狂った。
さらに自分の体重の重さ。これはなんともしようがない。
つくばでどう走るか・・・湘南が終わった瞬間、実はつくばは走るのはやめようかなとまで思った。
しかし、この悔しさをバネに、何か改善点を見つけたい。
体重は間に合わないだろう。すくなくとも、ペースマネジメントをしっかりして、後半走りきるレースにしたい。
本当に悔しい大会であった。



