走ることそのもの
このところ、自分自身「サブ3.5!」など記録更新にやっきになり、走るたびに、次回こそ!なんてことに夢中になっていた。
しかし、RUNNERS1月号の「丹野隆明先生闘病記」を読んで、もう一度走ることそのものの楽しみを十分かみしめるようにしなければ・・・と反省させられた。
「丹野隆明先生闘病記」は、前月号と今回の号と前編後編で書かれていた。
病に倒れ、なんとかリハビリをして歩けるようになった丹野先生。たった、1kmでもとんでもない努力なしには歩きとおすことができない。しかし、かつての自分の姿を思い出し、必死に歩く丹野先生の姿を想像し、電車の中でも涙がこぼれてしまった。
長い距離を走れるようになるまでは、そんなに気にならなくても、走れるようになってどんどん人間は(いや、自分は)横柄になるようだ。
最初はたった2,3kmを走るだけで、ふうふう言っていたのが、5km、10km、20km、30kmと・・・そして、42km。
走らない人から尋ねられれば、
「いやあ、ハーフの距離なんてたいしたこたあないっすよ!」とか
「フルは、まあ確かにきついっすけど、半年も練習すればなんとかなるっすよ!」
など、まあ、いいかげんに答えていたりする自分がいた。
さらに、
100kmを走っちゃったものだから、「いやあ、42kmなんて、『屁のツッパリにもなりませんよ!』」などと、どこかで聞いたことのあるような気持ちになっちまって、それで、42kmのレースを最初からぶっ飛ばすという、いかにも、ちょっとうまくなったゴルファーやスキーヤーのような振る舞いになってしまった。
その結果・・・100kmを走ったときよりも筋肉痛になっていたり、ダメージも大きかった。ほんと情けない。
丹野先生の記事をよみ、あらためて、走ることの凄さというものを認識することになった。
走れることが、どんどん、自信につながっていったのは良いが、しかし、「走ることへの真摯さ」を失っていったようにも感じている。
10km程度しか走れなかった自分を思い返してみろ!
初めて20kmを走りとおせたときの喜びを思い出してみろよ!
30kmを走って、脚が痛くてよく寝付けなかったときを思い出してみろ!
フルマラソン初挑戦で、32km地点でリタイアし、バスに収容されて走っているランナーを見たときの気持ちを思いかえすべきだ!
病にたおれ、一人で歩くことさえも大変になってしまったというのに、必死に歩こうとする丹野先生の姿を想像して、もういちど走れる喜びを感じるべきだ。
確かに、自分の記録更新を目指すのは大切だ。それで自己満足度も高まるのだから。
でも、そろそのものを目標にしてしまったら、苦しくないかい?
楽しくない ってことにならないかい?
「走った距離は裏切らない」・・・これはいつも自分のこころにあるテーマであるが、これに付け加えて、
「走れる自分を大切にしたい」
走れる喜びを大切にしていきたいと思う。