この日も始発スタートで、多度駅に降り立ちました。
駅前に面した名産商五月屋さんが渋い。
駅前通りを進み振り返ると駅の向こうに大鳥居が見えました。
後ほど近くを通る予定です。
青空に多度山。
駅からの道を銀行のところで右折、さあここから街道復帰です。
養老鉄道線の下をくぐります。
相変わらず大正時代の橋台は見事なレンガ造りなのです。
この後もいくつものレンガ橋台を見ました。
線路を越えてからすぐの小山小津神社がある角は、街道は右ですがまずは寄り道、香取という町に立ち寄ります。
国土交通省中部地方整備局木曽川下流河川事務所HPで「KISSO」という情報誌を読むことができます、なかなかこれが歴史がらみの記事もあって面白いのです、多すぎて全部読めませんが笑。
ググって引っ掛かったVOL70の記事によると、香取は多度の川湊として栄えた町ということです。
これは訪問しなけりゃ、なのでここは真っすぐに。
その前に角にある小山小津神社にお参りします。
また横っちょから入ってしまった・・・。
なんだか石碑があります、読めませんがよく見ると左の草むらの中に解説板が・・・よく見えない。
どんどん蚊が襲ってくるんです。
どうやら西南戦争に参加した人の記念碑のようですね。
西郷隆盛挙兵、田原坂とかの文字が見えます。
香取への道、何気に街道感ありですね。
尾津神社前を通ります。
こちらもヤマトタケルさんが祀られてます、このあたりはヤマトタケルさんにホント縁が深いようです。
ここも先ほどの小津神社もヤマトタケルさんの伝説にでてくる場所にあたるのではとのこと。
国道を越えるために狭くなってしまった道を抜けます。
呉服屋さんがあるのは宿場町的に栄えていた町っぽいよね。
突き当りを右に曲がると目の前のこの道がこの香取の町のメインストリート。
このサイトとても情報あります、これによれば・・・。
「香取の町は江戸時代から戦前にかけて港町(川港)として繁栄した。香取市と呼ばれる朝市は江戸時代中期から行なわれており、後に四と九の日に開かれる「四九市」(しくのいち)と呼ばれた。 」
いきなり袖壁のある建物があっていいねー。
味噌醤油等の商いをされているお店のようでした。
これは来た甲斐があったですよ、いい雰囲気の町です。
時代を問わずお店や商いをしていたらしい建物が多いのも賑やかな湊町だった名残です。
この一角は立派な家が固まってて素晴らしいなぁ。
ただでさえ堂々とした建屋なのに石垣に建つと風格倍増です。
お向かいのこちらは・・・。
これは京都にでも行かないと見られなさそうな竹矢来!
奥まった場所にお寺の門がみえます、法泉寺、ちょっとこれずいぶん立派な門です。
お寺ではまず見ないような重厚な唐破風の屋根、これはすごいな。
ん、よく見ると葵の紋があるではありませんか!!
徳川家もしくは桑名藩の松平家ゆかりのお寺なのでしょうか?
本堂もとても立派で、やはり葵の紋がちりばめられてました。
屋根にも金色に光る三つ葉葵。
記念に置いてあるような瓦にも三つ葉葵。
そういえばお寺ってこうしてでっかい瓦がよく置いてありますね。
これほど三つ葉葵が、しかし解説板等は全く無くて、ググってもそれほど情報がありません。
唯一先ほどの三重の歴史・文化散策マップに、
「真宗大谷派。親鸞聖人の弟子信慶が開基。その後、長島の杉江、桑名の三崎、多度の香取の三箇所で法泉寺が建立されたが、1600年前後に三崎法泉寺を本山に寄付し、杉江法泉寺を香取法泉寺に統合した。江戸時代には幕府より朱印地100石が認められていた。桑名藩主からも庇護をうけ御衣野山を黒印地として拝領した。 」
・・・とありました。
さらに先に進みます。
労働省の旧字がまたいい味出してます。
こちらもまた随分と構えが大きいなぁ。
石垣に乗った蔵?、母屋、塀が連続しててそれがまた独特。
宿場町にはない建物ですね。
黒壁に映えるこの看板がこれまた素敵としか言いようがありません。
阿部甚兵衛太鼓店さん、桑名市で2軒だけの伝統の太鼓屋さんとして今でも営業中です。
香取の町の端っこまで来ました、川側の道に回り込んで戻りましょう。
この二枚の看板よく見かけます、とくに「結納 宝石 羽田」看板はこれまでそしてこの後いったい何枚見たことか。
倉庫な古民家があります、多度川に面したこのあたりが湊で荷を積んだり揚げたりしてたんだろな。
ここが川湊だったはずです、名残は見えませんが。
戻る途中に八幡社と書かれた看板があるので参拝しておきます。
ホントにここでいいのかという狭い路地を通って。
小さなお堂の八幡さんでしたが鳥居が真新しい木製でした。
大満足の香取散策でした、尾津神社前の分岐に戻ります。
一路南へ桑名へ。
ようやく養老道再開です、続きます。