早目の更新。偉いね♪やれば出来る子だね♪ はるおです。
こちらの書庫も久々の更新になりました。
2021年 夏過ぎに認知症と診断され、年末前には要介護1の認定を受けた父。
父はこの時76歳。 まだ若いよね・・
要介護って言われても家にいることは変わらず。週に1度の実家への泊りと、数回の実家の掃除。
年も明け、元旦はお節を持って、家で食べ。3日は妻と3人で居酒屋へ行くくらい元気。 動きは遅いし、薬は相変わらず飲めないけれど。
会社に来る回数も減って、連絡もなく来ないことも多々。電話をしても携帯はまず出ない。 使い方もおぼつかなくなってきていました。 それでも家の電話は3,4分鳴らしているとやっと出れるくらいの状態で。
2月に入るとコタツから出ない。動かない。泊まる日はどうにか布団に移動させるも、普段の日は確実にコタツで過ごしている模様。
夜は配達のお弁当を頼んでいたのだけれど、食べずに床においたままになっていることがほとんどになっていました。
一日一回、コンビニに自分で買い物にいって朝はサンドイッチ。それもほぼ手付かず。
どうしてよいか僕自身もわからないくらいヤバい感じでした。
月に一度の認知症の病院の通院日。この日は朝迎えに行ったのだけれど、コタツに座ったままの父。
(明日のジョーで、コーナーでジョーが死んでいるイメージ。)
生きているのだけれど生気が感じられず。
病院行くよ! 生返事。
座ったまま、ウンチもしてしまっていて。 どうにか パンツを履き替え、綺麗にして病院へ。
地獄だった。でもその時は必至。
どうにかこの日をやり過ごすことに必死でした。
この日の血液検査の数値が以上に悪く、そのまま大きな病院で精密検査になり、そのまま入院。
誤嚥性肺炎でした。
動けなかったり、動きが遅かったのは、この影響も多々あったのだと思います。一緒に住んでいたら防げることだったのかもしれません。
そこからは入院の準備。荷物の届け。
まだコロナ真っ盛りだったので、面会も出来ず。
看護師さんに預けるだけ。 一応電話も持たす。
約3週間。ここの病院に入院。 その間、病院からは退院の目途が付いたときにきた電話が一回だけ。こちらから電話をしても先生から連絡させると言われてもかかってこず。。
ここからリハビリ専門の病院へ転院。 持たせた携帯電話は無くなっていました。(結局出てこず)
リハビリの病院で言われたのは、この後、自宅へ戻るか、施設に入るのかの選択をしなくてはいけない。 という事。
久々あった父は意外と元気。 最後にあったときの父が嘘のようでした。 言ってることはよくわからないのだけど(笑)
この病院のカウンセラーさんがとても良い方で、今後の施設のこと、今の悪い状態のうちに介護認定のやり直ししてみた方が良いこと。いろいろ提案を頂きました。
4月の頭には介護の認定替えの面談。
結果は少し先になったのですが、結果、父の介護度は要介護4へ変更になりました。
要介護4は高齢者にとってかなり大きな介護負担が伴う状態となります。基本的な動作、例えば立つ・歩くことが困難であり、座位の維持も困難です。
また、認知機能の低下や理解力の喪失が見られ、問題行動が起こることがあります。これにより、周囲の人々とのコミュニケーションも著しく困難になり、より緻密な介護が必要とされます。
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ネットから抜粋。
併せて紹介してもらった 介護施設のコーディネーターさんと面会。
僕らの予算。希望の場所等伝え、いくつかピックアップ。
施設に見学、面談
入所へ
僕らの仕事(不動産仲介)と、とてもよく似ている仕事があることをこの時初めて閉まりました。
大急ぎでハル子といくつかの施設を見学し、自宅からも会社からも近く、出来たばかりの綺麗な施設を申込みました。
費用は月額二十数万円。 実際、入所してみると25万は超えるくらいの費用です。
この時の父を自分たちが一緒に住んで介護をしながら仕事を続けていくという選択肢はありませんでした。
ほんとうに駆け足で、実際駆け抜けるようなあわただしさで、昨年のゴールデンウイーク前には今の施設に入所した父。
転院する際は車いすだったけれど、よくしゃべるし、見た目は元気。
今まで毎晩、数時間の睡眠時間でテレビを見続け、一日2箱以上のタバコを吸い。酒も飲む。
2か月そんな生活から離れていたからか、すっかりその習慣は忘れてしまった模様。 これはとても良かった☆
入所当日は介護タクシーで移動。 新しい所は綺麗だよ。飯もうまいよ。風呂もでかいよ。
事前に色々、情報は伝えていたつもりだけれど、どこまで理解できていたのか。。
いつ帰れるんだ?
家の風呂は?
とにかく、今日はこっちで・・みたいな。
父を新しい部屋に通し、スタッフさんに任せ、僕とハル子は最後の契約手続きで1時間ほど離れて、部屋に戻ると
顔を真っ赤にして怒っている父。
お前は俺をこんなところに閉じ込めるのか!!
お前なんて勘当だ! 二度と来るな!
入所の最後の別れの言葉でした。
入所してからも本当に色々な事があり、結局気のやすまる暇はないまま今にいたっている感じです。
続きはまた改めて。。 電話地獄の話から(笑)
2022年 年末
とりあえず父からの勘当は許されたようですw