多度の川湊、香取を散策を終えて養老道再開です。
国道258号から多度大社に入る現代の参拝道、県道26号にそびえる大鳥居が見えてきました。
最後に上げるGPSのログでは多度の町中を右往左往してますが、ふたつのルート候補(明治地図とGooglemap先生)どちらを選択するか迷い両方覗き込みながらウロウロしてました。
そしてここでどちらの道を進むか選択を迫られますが、明治の古地図の伊勢街道を選択。
するとすぐにこんなのが。
多度大社御旅所駐〇所?
〇の文字が読めなかったのでググります。
ググりかたは「夫二つに車」笑。
書いたままの文字の意味でした、
輦、テン、人が引く車・・・とのことです、漢字ってすごい。
道路に並行して競馬場直線芝コースのようなスペースがあるのは、
150メートルほど先に神社があり馬場はここまで続いています。
ここが多度大社の御旅所なのでした。
舟着社、なんだか意味がありそうな名前です。
このあたりに舟が着く頃があったのでしょうか?
このあたりでもサイクリストが多い。
そうか、養老鉄道のサイクルトレインを使うと駅に車を置いて行きはサイクリングして帰りは電車なんて楽しみ方ができるよね。
振り返り多度山。
養老山系の特徴、東の濃尾平野側(向かって右)が急斜面で西の三重県側がなだらかなのがよくわかります、養老山系も同じ感じですよね。
どんどん多度山から離れていきます。
肱江とかいて「ひじえ」と読むようです、肱江橋老朽化ってどんな橋?
この橋か~、古い橋特有の凝ったデザインのコンクリート橋でした、欄干の低さがいいですね。
いつ頃の橋だろと親柱をみますが手前の親柱はどちらも「肱江橋」と「蛇の目傘」
なんでしょ?
それではと渡ってみて・・・。
反対側の親柱はどちらも「肱江橋」と「鯰」。
なんだこれ?
調べてもわかりませんでした、なんだろ?
結局いつ架橋されたのか分からず。
首を傾げつつ進みます、蛇の目傘と鯰、なんだろ?
相変わらず見事な養老鉄道のレンガ橋台。
後ろは御在所岳の勇姿。
そして木々に囲まれた立派な神社があります。
天照大神御旧跡式内野志里神社の立派な標柱。
ああここもまた倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が天照大神を祀る場所を探して、最終的に伊勢に祀る前に立ち寄ってしばらく滞在した場所、いわゆる元伊勢なのでした。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は倭姫命の甥っ子です。
こういった伝説が残るのはこのあたりが歴史がある地の証でしょうね。
社殿前に千人塚というのもありました。
信長の長島攻めの犠牲者と関ケ原の西軍の一部がここを通った時の戦死者を葬ったそうです。
神社に多い持ち上げる石系、奉力石。
次に現れたのが前野先生彰徳碑という石碑なのですが、解説もなく裏面の文字も読めなかったので前野先生の功績はわかりませんでした。
でもその前にひっそりと道標が建ってるではありませんか。
御衣野員弁道、
御衣野はここから西の山側に行ったすぐの集落で員弁は三重県側の町です。
御大典記念、天皇陛下即位を祝ったものですがいつの物かは日付がないのでわかりませんでした。
養老山脈は一応は多度山までですがその後も小高い丘陵地が続いていて、街道はそれに沿っていきます。
線路の向こうにお寺の階段があるようです。
徳蓮寺、階段があるのでスルーしようと思いましたが解説板があり石階段に文字が彫られているらしいので参拝してくことにします。
この建物の素性が気になります、昔の村の集会所?
お寺の参道の階段はこのような感じで文字が刻まれてました。
各家でナントカ屋だれそれとか屋号を使ってたのでしょうか、それともお店の名前なのかな?
そしてここにも施主某さんがいます、あちこちの寺社でもどこそこの「某」というのを見ますが、
現代では寄進したけど名前は出さないで匿名希望でなんて徳の高い?人まずいないよね。
昔はどういう理由で名前を出さないパターンの寄進者名が刻まれてたんだろうか気になります。
最上段まで登りました、「夜念仏」とか刻まれた物も多かったです。
本堂前でオニヤンマがグルグルと飛び回っていたのでしばらく戯れてましたが写真には納まってくれませんでした・・・。
階段上り下り運動後に見つけたのはこのカーブミラー。
今まで2面しか見たことなかったのですが、まさかの4面ミラーです、こんなん初めて見たよ。
もうかなり桑名市街にに近づいてきているはずですがまだまだこんなのんびりとした道です。
道端のお堂を覗いてみればお地蔵さまかなと思いきや如来さまではないですか。
しっかり手を合わせます。
宝石結納羽田看板、大杉。
線路とずっと並行してます。
これがバッチリ電車を写したと思ってよく見ると電車の顔にケーブルがモロかぶってた笑。
電車からもよく見えるしここの◇は元金鳥貼ってあったくさいですね。
線路の向こうに神社への階段が見えるけどそろそろ疲れてきたし・・・スルーで、ここで礼をしておきました。
街道もかなり地味になってきましたがもう一度ほど続きます。