先日、久しぶりに熊野古道を歩いてみました。

 

 

 出発点は、JR紀勢本線の那智駅。

 

 2面2線で、2番ホームは紀伊勝浦・紀伊田辺方面行き。

 

 井上靖が「南紀の海に魅せられて」*で、

 

 南紀の駅では、那智が好きである。そこぬけに明るい感じの駅である。列車が停車した時、車窓から見る海の美しさは格別である。

 

と書いているように、確かに明るい感じの駅。この日も車窓から海が美しく見えていました。

 

 一方、地下道を渡った駅舎側、1番線は新宮行き。 

 

 

 那智駅は、1912年12月4日新宮鐵道株式會社が三輪崎勝浦間の運輸営業を開始した際に開業**。

 1934年7月1日、新宮鐵道が鐵道省に買収された際に、紀勢中線の駅になりました***。

 所在地は、和歌山県東牟婁郡那智村大字濱ノ宮***(現:那智勝浦町大字浜ノ宮)。

 

 朱塗りの柱が印象的な社殿風の駅舎は、1937年の建築だそうです。

 

 

 ところで地名の「濱(浜)ノ宮」は、熊野古道「九十九王子」の一つ。

 

 

 現地には「浜の宮王子社跡」という那智勝浦町教育委員会の案内板が立ち、樹齢約800年という「浜ノ宮の大楠」が残ります。

 

 藤原宗忠の日記『中右記』の天仁二年十月二十七日条****に、

 

 越大久之并小久之山行補陀落濱、白砂之平不似他所、參濱宮王子

 

 天仁二(1109)年には既に「濱宮王子」として存在していた、ということになるでしょうか。

 

 

明治の神仏分離に際し、

 

 

「熊野三所大神社」となりました。

 

 

また、同神社の境内には、上画像の「振分石」も。

 

 

 熊野古道の「大辺路」と「中辺路」がここで「振り分け」、分岐していました。

 

 

 さらに、熊野三所大神社に隣接して、補陀落山寺も。

 

 

 小山靖憲『熊野古道』(岩波新書、2000年)によれば、

 
 中世には王子のそばまで海がせまっていて、風光明媚なところであった。補陀落山寺には平安後期の作といわれる千手観音像が祀られており、裏山には補陀落渡海をした僧侶の墓がある。
 
 また、五来重『熊野詣ー三山信仰と文化ー』(講談社学術文庫、2004年)p.64によれば、
 
 補陀落渡海の真相はまったく謎である。
 
とのことで真相は謎なのですが、有名なのは『平家物語』巻十の「維盛入水」*****でしょうか。
 

 三の山の参詣事ゆゑなくとげ給ひしかば、浜の宮と申す王子の御まへより一葉の船に棹さして、万里の蒼海にうかび給ふ。

 

 

 

 補陀落山寺の境内には、渡船が復元展示されていました。

 

*井上靖『日本紀行』(同時代ライブラリー169、岩波書店、1993年)

 

**『官報』第109號(1912年12月10日)

 

***『官報』第2244號(1934年6月26日)

 

****『史料大成10 中右記三』(内外図書、1934年)

 

*****『平家物語(四)』(岩波文庫、1999年)