道明寺を出て、安堂に向かいます。

 

 

 近鉄道明寺線の踏切を渡ると、支流の石川、次いで本流の大和川の堤防上を歩くことになります。

 

 貝原益軒『南遊紀行』によれば、

 

○石河川は、金剛山の下より流出、石川郡を経て、道明寺の北國府の下にて、大和川と一になる。

○大和川は大和の長谷より出づ。 國中の數郡の小川皆此川に入、龍田川も一になり、龍田の南、両山の間を流れ、國府へ出、國府の中にて石河川と一に合へり。

 

 

 

  その大和川を、歩行者・自転車専用橋となっている「新大和橋」で渡ります。

 

 

 すぐ下流に架かる近鉄道明寺線の大和川橋梁は、1898(明治31年)の開業時に築造されたもので、「土木学会選奨土木遺産」です。

 

 

 

渡り切った、大和川右岸の堤防上からは、正面に二上山、

 

 

その右手には遠く葛城山を望むことができました。

 

 

また大和右岸の堤防上には、大和川治水記念公園があり、

 

 

大和川の付け替えに功績のあった中甚兵衛の説明板や、

 

 

「中甚兵衛翁」像、

 

 

「西暦1703年代大和川流域の図」、

 

 

そして、高橋虫麻呂の万葉歌碑も。

 

 河内の大橋を独り行く娘子を見る歌一首并せて短歌

 

 しなてる 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただひとり い渡らす児は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の ひとりか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく

 

  反歌

 

大橋の頭に家あらばまかなしくひとり行く児に宿貸さましを

 出典は、『万葉集』巻第九ー1742及び1743*。

 

 さて、この「河内の大橋」はどこに架かる橋だったのか。 大和川、もしかしたら、その支流石川だったでしょうか。 

 

 上画像は、安堂駅近くの「リビエールホール」の壁面にあった「かしわら ゆうゆうマップ」。

 

 このあとは、大和川右岸を高井田駅に向かいました。

 

*『万葉集(三)』(岩波文庫、2014年)