(前回「竹内街道:竹内峠から竹内の集落へ」より続く)

 

 「野ざらし紀行」*によれば、芭蕉は、貞享元(1684)年九月、大和國竹内村に門人千里を訪ね、 

 

 大和の國に行脚して、葛下の郡竹の内と云處(に)は、彼ちりが旧里なれば、日ごろとゞまりて足を休む。

 

  わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく

 

 また、真蹟懐紙*によれば、

 

 大和国竹内と云処に日比とゞまり侍るに、其里の長也ける人、朝夕問来て、旅の愁を慰けらし。(中略)

 

  綿弓や琵琶に慰む竹のおく

 

 

  上画像は「綿弓塚」。

 

 文化六(1809)年、千里の庵跡に建てられ→村内の法善寺に移され→大正13(1924)年に竹内村の庄屋油屋喜右衛門宅に移転

 

という経緯を辿り、

 

 

 

1993(平成四)年、造り酒屋だったという古民家を休憩所に改装した際、さらに移設され、現在地に。

 

 

 なお、休憩所の庭には、千里の句碑も。

 

 

深川や芭蕉を富士に預け行く 

 

 

 さて、地蔵堂と「大峯山上夜燈」に頭を下げ、

 

 

集落内の竹内街道をゆるやかに下っていくと、

 

 

長尾街道との交差点に、

 

 

上画像の道標がありました。

 

 道標の文字は、しばしば達筆過ぎるので、あまり得意ではないのですが、

 

右 よしの つぼ坂 かうや

左 はせ いせ道

 

でしょうか。

 

 

 ここを右折し、長尾街道に入れば0.7kmで、芭蕉が、

 

 大和国長尾の里と云処ハ、さすがに都遠きにあらず、山里ながら山里に似ず。あるじ心有さまにて、老たる母のおハしけるを、(略)と老母につかへ、慰めなんどせし実有けり。

 

と俳文*に書いた「孝女伊麻」の石碑があるらしいのですが、

 

 

私は竹内街道を直進し、

 

 

長尾神社へ。

 

 

 秋里籬島『大和名所圖會』(1791年)によれば、

 

 長尾神社 長尾村にあり。〔神名帳〕〔三代實録〕に出づ。

 

 『日本三代実録』**の貞観元(859)年正月廿七 日條を見ると、大和國の従五位下に、

 

 長尾神

 

があるので、大和国葛下郡では古社ということになるでしょうか。

 

 

 同社を参拝した後は、磐城駅に向かい、帰途に就きました。

 

 

*『芭蕉紀行文集』(岩波文庫、1971年)

 

**『國史大系第4巻』(経済雑誌社、1897年)