(前回「京街道(東海道):枚方宿(中)」より続く)
シーボルト『江戸参府紀行」(呉秀三訳)*によれば、
枚方の位置は極めて美しく、淀川の地方は所々余をして我故郷なるマインの渓谷を想起さしめたり
シーボルトは、マイン渓谷の中流域に位置しているヴュルツブルクの出身。
当時の淀川流域は、彼の故郷を想起させる美しさだったでしょうか。
また、ツンベルク『日本紀行』(山田珠樹訳注)**を見ると、
大阪から二哩の守口(Morikuts)と云ふ村に着いて、輿夫は一時休んだ。それから、これより大きな今一つの村の枚方(Firakata)まで一息に行った。これは三哩先にあった。我々はこゝで茶菓をとった。次には淀で休んだ。
当時の枚方(Firakata)を偲ばせる、古い町家が残る、京街道を歩いて行くと、
市立枚方鍵屋資料館の建物が見えてきました。
京街道に面していた「鍵屋」は、江戸時代には船宿、明治以降は、料亭・料理旅館だったとか。
「主屋」は「枚方市指定の有形文化財」です。
そして、そこからしばらく歩くと「西見附」に出ました。
枚方宿は、東見附から西見附までの797間。
ツンベルクらは、枚方で茶菓をとったようですが、私もここで休憩。
「三哩先」という守口(Morikuts) に向かいました。
*『異国叢書第二 シーボルト江戸参府紀行』(駿南社、1928年)
**『ツンベルク日本紀行』(奥川書房、1941年)





