誉田中学校横のY字路まで戻り、次の目的地道明寺に向かいました。
左の道標の文字は「左 八尾久宝じ」「右 道明寺」。
新しい右手の道標は「←応神陵古墳0.1km」「→道明寺0.7km」です。
秋里籬島『河内名所図会』(1801年)巻之四「志紀郡」を見ると、
道明尼寺 土師里にあり土俗道明寺村といふ真言律宗女僧寺職
道明寺は尼寺で、『河内名所圖會』によれば、
菅神御自作長三尺許
ご本尊の十一面観音立像は国宝仏で高さ約三尺、宗旨は古義真言宗です。
現地に立つ藤井寺市・藤井寺市教育委員会の案内板によれば、元は土師氏の氏寺であり、土師氏の後裔菅原道真ゆかりの寺。
明治の神仏分離により、天満宮と分離され、現在地に移転したようです。
謡曲の「道明寺」*に、
これより河内の国土師寺へ参らばやと思ひ候(略)流れもこれやかはちなる 土師の里にも着きにけり
道明寺は旧称土師寺で、この辺り一帯は土師の里。
これに出てたる老人は この里の名も土師寺の 仏神に仕へ申す者なり(略)天満つ神の宮寺に 歩みを運ぶおん値遇 げに身を知れば心なき われらがためは頼もしや
天神は仏神で、
しからば五畿内河内の国土師寺は 天神のご在所なり。(略)今に始めぬ天神の 弥陀一帯のおん値遇 天神と申すにその御本地 救世観音にてましまさすや
天神の本地仏は一般的には十一面観音なのでしょうが、ここでは救世観音。
神仏一如なる寺の名の 道明らかに曇らぬ 神の宮寺ぞ尊き ありがたしありがたし
道明寺は、神仏一如の時代には、神の宮寺でした。
さて、道明寺を出て、
この日の次の目的地、大和川を渡る新大和橋に向かいます。
市ノ山古墳(允恭天皇陵)の培塚と考えられる
宮の南塚古墳を見たのち、
近鉄道明寺線の踏切を渡ると、
対岸に大きな二上山が見えてきました。
*『新潮日本古典集成 謡曲集 中』(新潮社、1986年)












