先日、東高野街道を少し歩いてみました。

 

 

 この日のスタートは、近鉄南大阪線の古市駅。

 

 

 東出口から橋上駅舎を下ると、

 

 

東広場に、古市古墳群の地図とモニュメントがありました。

 

 

 古市の「蓑の辻」は、竹内街道と東高野街道が交わるところ。

 

 

東西に走るのが竹内街道で、南北が東高野街道です。

 

 3月末は、ここから竹内街道を大和に向かったので、今回は左折し、東高野街道へ。

 

 

 同街道は本来、高野山への参詣道なのでしょうが、

 

 

 今回の最初の目的地は、上画像にある「誉田八幡宮」。

 

 

 同街道を北上していくと、路傍に、幾つかの道標があり、

 

 

「藤井寺・大阪方面」(左)に「右 大峯山 つぼさか たゐま」(右)、

 

 

 「右 ふぢ井寺 大坂」「左 いせみち」。

 

 

 そして、「誉田八幡宮」が見えてきました。

 

 

 現地に立つ、羽曳野市の案内板によれば、応神天皇陵の前に営まれた社殿を、後冷泉天皇の頃、現在地に造り替えた。

 

 

 ただ、戦乱で焼失し、現在の本殿や拝殿、中門は豊臣秀頼公の再建で、

 

 

南大門は、かつての神宮寺、長野山護国寺のもの。

 

 

 秋里籬島『河内名所圖會』巻之三(1801年)で「長野山誉田八幡宮」を見ると、

 

本社 祭神中央應神天皇 左仲哀天皇住吉大神 右神功皇后

 

 

 応神天皇陵の陪塚丸山古墳から出土したという国宝の「金銅透彫鞍金具 2具分」や、鎌倉時代のものという「塵地螺鈿金銅装神輿」が、「国宝」です。

 

 

 さて、東高野街道に戻り、次の目的地応神天皇陵へ。 

 

 

 宮内庁により「応神天皇陵」と治定された古市古墳群の「誉田御陵山古墳」は、墳丘長425mで、

 

 

百舌古墳群の「大仙陵古墳」(仁徳天皇陵)に次ぐ、全国第二位の巨大古墳。

 

 

 上画像は、秋里籬島『河内名所圖會』(1801年)より、「應神天皇陵」。

 

 

 続けては、培塚とされる「栗塚古墳」。

 

 「大仙陵古墳」や「誉田御陵山古墳」、培塚を含む45件49基が「百舌・古市古墳群」として、UNESCOの世界文化遺産です。