(前回「京街道(東海道五十七次);石清水から枚方へ(後)」より続く)

 

 

 上図は、秋里籬島『河内名所圖會』(1801年)巻六の挿圖「天川(あまのかわ)」。

 

 枚方宿からは大名行列が京方向に向かっており、その先の天川には長い橋が架かっています。

 

 左上には、『新古今和歌集』*巻六「冬歌」より、左近(衛)中将公衡の和歌、

 

  鷹狩のこころをよみ侍りける

狩りくらし交野の眞柴折りしきて淀の川瀬の月を見るかな

 

 この辺りは当時、狩場だったようで、『伊勢物語』**八十二段にも、次のような記述。

 

よき所を求めゆくに、天の河といふ所にいたりぬ。親王に馬の頭、大御酒まゐる。親王ののたまひける。「交野を狩りて、天の河のほとりに至るを題にて、歌よみて杯はさせ」とのたもうければ、かの馬の頭よみて奉りける。

 狩り暮らしたなばたつめに宿からむ天の河原に我は來にけり

 

 ところで、この歌を詠んだ「馬の頭」は、『古今和歌集』***巻第九羈旅歌によれば、「在原業平」で、

 

これたかのみこのともに、かりにまかりける時に、天の川といふ所の川のほとりにおりゐて、酒などのみけるついでに、みこのいひけらく、「かりして、あまのかはらにいたるといこゝろをよみて盃はさせ」といひければよめる。

                在原なりひらの朝臣

かりくらし織女にやどからん あまのかはらに我はきにけり

 

 天の川のほとりなので、七夕の「織女」にかけたということになるでしょうか。 

 

 

 さらに「天の川」や「織女」と言えば、「鵲(かささぎ)の渡せる橋」も連想されるところ。

 当時の橋からはやや下流ということになるでしょうが、現在の天野川に架かる橋の名は、「鵲橋」です。

 

 

 さて、その鵲橋の南詰から堤防を下ると、

 

 

 

 「枚方宿東見附跡」「→天の川」の標石と、

 

 

「東見附」の案内板。

 

 ここが、枚方宿の東端で、

 

 

街道筋には国登録有形文化財の「小野家住宅」。

 

 

木造つし2階、江戸末期の建築だそうです。

 

 

 枚方は、東海道(京街道)の宿場町で、

 

 

旧岡新町村、岡村、三矢村、泥町村の4ヶ村からなり、

 

 

旧岡新町村と岡村との村界は、安居川枚方橋跡。

 

 

 

 安居川(中川)は現在は暗渠となっていますが、

 

 

現在も、枚方橋の親柱(一部)が残ります。

 

 

 枚方駅の南西には「宗左の辻」。

 

 

現地に残る古い道標を見ると、

 

 

 大阪の商人4人により、「文政九丙戌年十一月建之」。

 

 ここは京街道(東海道)と磐船街道との分岐点で、

 

 

「右大坂みち」

「左京六り やわた二り」「右くらじたき 是?四十三丁」道

 

 この辻を右折し、「大坂」に向かいます。(次回に続く)

 

*『新訂 新古今和歌集』(岩波文庫、1959年改版)

 

**『伊勢物語』(岩波文庫、1964年)

 

***『古今和歌集』(岩波文庫、1981年)