Ready Steady Go! -23ページ目

Ready Steady Go!

Season Concept
   ~ London Eye ~


アルゼンチンといえば、まず思い浮かべるのは男女がペアを組む踊りタンゴの舞。

タンゴの歴史を簡単に見ると、発祥の地と呼ばれるボカ地区は貧しい移民が暮らしていた一角だが、港町の酒場や賭博場などが軒を連ねていた殺伐とした街角でタンゴが誕生してから150年の時が流れる、とある。

ステージの灯りとギターの音色、そして男女ペアの踊りには、独特な情熱と哀愁が漂う、とある。



3日目の夜、出掛けた場所はブエノスアイレスの老舗シアターレストラン『 La Casa de Anibal Troilo 』



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http://lacasadeanibaltroilo.com/home.html



季節は夏とはいえ、十分に夜のとばりが下りた22時30分から開演で、満席の200名ほどの観客の中に当然日本人は私ひとり、独特な灯りとムードが漂っている空間に期待を込めてこれから酔いしれていく。



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ステージに最初に登場した彼女の名前は 『 YASMIN VENTURA / ヤスミン・ヴェンチュラ 』で、ここ地元アルゼンチンでは大御所として有名なタンゴ歌手。



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http://www.yasminventura.com/



ステージではいよいよ華麗なタンゴの舞が披露される。



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男女の舞は妖艶だが、ステージの照明の色、室内に響き渡る手拍子と掛け声、ギターとアコーディオンの音色がどこか切なさも感じさせる。



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当然、宴は深夜まで続くが、周りのアルゼンチン人の飲むペースに合わせ過ぎ、レッドワインの酔いとまだ残る時差ボケの体調ゆえ、途中から目を開けていることも困難なほどお疲れモードにおちいる。



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眠気に襲われている中、男性ふたりの胃袋に染み渡るほどの深みある声量は、訴えかける積み重ねてきた人間の熱い思いを感じさせてくれる。



Ready Steady Go!



Tango Bravo




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誰を恨むことも出来ず、自然の脅威の前にはなす術もなく、哀しいけれど現実は苛烈な日々を送られている被災者の方々へ、月並みな頑張ってなんて、簡単には慰めの送る言葉も見当たらない。


今日4月1日、少しづつ陽射しが暖かく感じられる東京の空、春の芽吹く卯月を迎え、せめて表向きだけでも気分新たに再出発に向かいたい和が愛する日本国。


されど、被災地の現状を見れば、どれだけ復興への祈りを上げても、そのひとたちの日常生活は過酷な毎日であることに変わりはない。


青空と暖かな陽射しは沈みがちな気持ちを、下を向きがちな気持ちを、少しだけ明るくしてくれる特効薬です。


そして、世界中から賞賛される日本人のモラル、誇り高き国民性を胸に刻み、ひとりひとりが気持ちの共有を心がけ、必ず復興出来ると信じて、最後まで諦めないで頑張るしかありません。



♡ Peace be with you ♥




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ここブエノス アイレスの街を散策中、市内を南北に貫く道幅120メートルの7月9日大通りの存在を目の当たりにし、その巨大さに驚く。


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当然一回目の青信号で渡りきれることはなく、世界一の道幅であることを実感する。

中央にそびえ立つオベリスクも圧巻だが、ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座に並ぶ世界三大劇場のひとつであるブエノスアイレスのコロン劇場は、1908年に創設されて1世紀が過ぎた為に老朽化が進み、2006年に全面改修行われたとあるが、南米の巴里と呼ばれるブエノスアイレスの中でもひと際輝いている。


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そして、アルゼンチン食文化を覗けば、そこは世界一旨いといわれるほどのビーフステーキが楽しみだ。


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現地のポルテーニョ ( ブエノスアイレスっ子 ) に聞けば、次々とローカルなお気に入りのステーキハウスの名前があがる。


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2日目の夜、タクシーに乗り、駆けつけたステーキレストランは、まだ21時と時間が早いせいかテーブルは埋まっていない。


ブラジルでもそうだったが、南米の人たちのディナータイムは早くて22時頃からと、お酒と語りと合わせて延々と深夜まで続く。



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テーブルの上に置かれた、軽く600gから800g はありそうな一人前のステーキのボリュームに驚かされる。


ふたりでシェアしてもいいくらいで、アルゼンチン人の胃袋の豪快さに二度驚かされる。

そしてこの噛みごたえ十分な肉厚なステーキには、やはりアルゼンチン産の赤ワインが相性がいい。

以前サンパウロで出逢ったアルゼンチン人のクラウディアから教えてもらった、彼女の生まれ故郷であるチリ国境に近いワインの産地メンドーサ地方の赤ワインは芳醇な香りで人気がある。


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広大な草原で育った素朴な大地の味とメンドーサの芳醇な香りを堪能して、ブエノスアイレス、2日目の夜が静かに過ぎて行く。


cheers


3月8日の続きとなるが、小さなギャラリーのウインドウ・ディスプレイが気になり中に入ったわけだが、そこで出逢ったアルゼンチン人の画家< Miguel Biazzi > との20分ほどの時間の共有は、貴重な想い出となった。



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通りに面しているギャラリーの奥が彼のアトリエらしく、親切に対応してくれた息子さんが彼を紹介してくれた。


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まずは彼の作品本を購入したわけだが、日本からやって来たことを伝えると、表紙を開いた次のページの余白に数分でオリジナルの絵を書いてくれて、更にスペイン語でネームサインまで添えてくれた。


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言葉は通じないが、アーティストらしい風貌と紳士的なスマイルで雰囲気は盛り上がり、厚かましくもう一枚写真を撮らせてもらう。


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初めて会ったにも関わらず次から次へとリクエストをしてしまい、雰囲気的に少々このままでは帰りづらくなったので、ギャラリーにある多くの作品の中から1枚を購入。


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日本人以上に、長年通い培った海外での経験から外国人とのコミュニケーションはお手のもの、厚かましいにもほどがあるとお叱りを受けるほどかも知れないが、早々地球の真裏の南米に頻繁に来れる機会があるわけではなく、再度再度お願いして購入した作品を彼に直接持ってもらって、購入した作品の付加価値が上がるように祈願?????する図々しさ。


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最後となりますが、本来であれば南からそろそろ桜の便りも気になる待ち遠しい春を迎えるはずでしたが、厳しい現実が我が国日本に起こっております。

東北地方太平洋沖地震につきまして、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、救助&救援に全力で取り組んでいる方々のご苦労に感謝致します。

今晩の冷え込みを考えると、被災地の過酷さは想像を超えているかと思います。

重苦しい空気感が続いているが、ブログを書き綴るべきかどうかも悩みはする今日この頃です。

Take care of yourself & all the very best



どう表現すればいいのか、それほど非現実的な出来事だったような気がする。

数日が過ぎた現在でも夢であればと思いはしても、東日本大陸に起こった巨大地震の現実はあまりに悲惨過ぎて哀しい気持ちを通り越してしまう。

東京でも経験したことがないほど大きく揺れて驚きはしたが、今となれば東北地方の被災地の悲惨な惨状をニュースで目にすれば、言葉を失う。

地震の揺れはもちろんだが、画像で見た家を車を人をさらって行く津波の脅威は計り知れないほどで、街全体が一瞬にして消滅してしまった。

海外から安否を心配するメールを数多くいただき、私はとりあえず無事であった事は伝えたが、ニュースから得る情報からは厳しい日本の現状を再確認せざるを得ない。

大した事ではないが、震災の余波は私にもじんわりと忍び寄って来ている。

仕事上、輸入ファッションであるがゆえ、3月に入荷してくる海外からの貨物がフライトが取れず予定より遅れて日本に到着しなかったり、到着してはいるが成田の倉庫で建物が被害にあって安全面から立ち入り禁止とのことで閉鎖せざるを得ず、我が社に届くのはいつになることやら、お店は開けてもファッションなど二の次で、私も含めて日用品が優先されとてもファッション関連商品などを買い物をする気分などになれずはずもなく、などなどと難題は次から次へと起こってくる。

が、被災地の人たちのことを思えば、小さなことでグダグダ言わず耐え忍ぶべきだと自分に言い聞かせる。

インド系イギリス人の彼女が持つこのイギリスの新聞 が一面でうたっているように、がんばれ、日本。がんばれ、東北。< Don`t give up Japan , Don`t give up Tohoku > の気持ちの大切さを痛感する。


Ready Steady Go!


されど自然の驚異に愕然として、涙が頬を伝わる。


合掌



2月16日にアップしたタイトル <<sunday in Buenos Aires >>を最後に随分とご無沙汰してしまった。

また、明日と最後に書いた時の心境では、間違いなく翌日に書き綴る気持ちではあったのだが、、、、

代々木体育館で行われていた 合同展示会 rooms22にmelissa / メリッサが出展していて、猫の手に限らず借りられるものなら何でも借りたいくらいの多忙さで、今もその状況は更に多忙さを極めている。

1日は24時間であることは間違いないが、そこは知恵を出し、創意工夫するしかない。

手っ取り早く出来ることは睡眠時間を削ることだが、体力的に限界もあり、能率も低下する。

考え方として1日36時間を可能にする為には、1分間を45秒?として計算して行動すれば、不可能も可能になりそうな気はする。

とにかく思考回路は常に全開で、一度に2つ、3つのことをほぼ同時に考えていく方法だが、すべてひとりで出来る技ではなく、会社ではスタッフと仕事を共有せざるを得ず、私のスピードにまったく付いて来れず、気持ち的には可能でも現実的には哀しいかな 答えは、NO/ノーである。

先日の東京シティマラソンで例えれば、優勝を目指す2時間10分以内のトップランナーと、参加することを最大の喜びとし、手を振りながら、パフォーマンスしながら、バナナを食べながら、ゴールを目指す一般参加の人たちくらい差は大きい。

資質も含めて、日々の意識が全く違い、トップアスリートたちは目標に向けてメンタル面も含めてどれくらい過酷な練習を繰り返しているか、あまりに非現実的で未知との遭遇とばかし、見えていない影の努力に目が向かず、当然そこへ意識を向けようともせず、理由にならない自己保身の言い訳ばかりを優先させ、現実逃避が身体に染み付いしまっている。

親の気持ち子知らずとはよく言ったもので、ナンセンスでどうしようもないくらの要らないフラストレーションを毎日これでもかというくらいプレゼントされるが、これも立場的には受け入れざるを得ず、本人たちの気楽さ?を横目に、ネバーギブアップ、私の座右の銘『 日はまた昇る』を己に言い聞かせている毎日?


余談&愚痴?が長くなってしまったが、話は1月のブエノスアイレス。


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目覚めた初日の日曜日、南米特有の陽射しを浴びながらマーケットを散策して回る。


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期待したほどの物に出逢うことなく時間が過ぎて行くが、ストールを覗いて回るのは随分と久しぶりで
街の雰囲気と合わせて、空気感は悪くない。


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30時間を越すフライトの後だけに、強烈な時差ボケ解消と体内時計の調整のためには、良い気分転換となった。


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見上げた空の蒼さと白い雲は、遠い異国にいることを実感させてくれる。


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仕方なく南米らしいポスターと万国共通の壁の落書きにシャッターを切る。


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これといった収穫もなく正午となり、そろそろホテルに戻ろうとしたその時、目に入った小さなギャラリーのウインドウが気になり中に入る。


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この続きは、????????????

cheers


到着した翌日は日曜日だというのに午後からは早速仕事のアポイントがあり、大急ぎでタクシーに乗り、ホテルで入手した蚤の市の住所を目指す。

ほとんど交通量がなく閑散とした町並みを眺めながら、15分ほどで目的地?に到着。


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降り立った場所は間違いなくマーケットの様相で道ばたにストールが並び立ち、心地いい朝日を浴びながら、まずは朝礼拝が行われていた教会に足を踏み入れる。


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遠くに見える牧師の言葉が何を言っているか、残念ながらその意味はまったく分からなかったが、邪魔にならないように、1週間の滞在が充実することを祈願して遠慮がちに静かに手を合わせ、教会を後にする。


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ストリートの建物の個性的な看板は50年代を彷彿させる


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アルゼンチンといえば、もちろんこれ『 TANGO BUENOS AIRES 』のサイン。


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建物のテラスに掲げられ、風になびいている少し色あせた感は否めないアルゼンチン国旗


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こちらのおふたり、断りなく勝手に撮らせていただいたが、これこそまさにTHIS IS Argentina を彷彿させる雰囲気100パーセント


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石畳のスロープから更に向こうに見える景色は、パリの町並みと瓜ふたつかも?


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CAFE / DELUCAの年代を感じさせる木製のウインドウに写った自分の姿にうっとり?と見とれたところで、ひとまずブエノスアイレス日曜日の町並み編第一弾は The end


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この続きは、また明日。


cheers


ロビーのソファーでの長い待ち時間もやっと終わり、ホテルフロントのスタッフから部屋のカードキーをもらい、そのままエレベーターで部屋に直行して、手荷物の整理をした後、まずはゆっくりとお風呂に浸かり長旅の疲れを癒す。

必ず海外出張時に持参するのが入浴剤で、ヒノキやラベンダーの香りが心身の疲れを和らげてくれる。

入浴後さっぱりとした後、体内時計はどうなっているか自覚すら出来ないほど疲れているが、ひとまずベッドに潜り込み眠ることにする。

アルゼンチン現地時間は日付が変わった8日の午後2時45分、東京の自宅を出発してからすでに36時間が経過しているわけだが、晩ご飯まで3、4時間ほどの熟睡感の乏しいベッドタイム。

どれくらい眠ったのかは定かではないが、目覚めた後身体が証明してくれるように疲労は取れてなく、頭もボンヤリとして気だるい感じは否めない。

が、お腹は空いていてこのまま朝まで我慢出来そうもなく、仕方なくベッドから抜け出し、着替えて外に出てみるが、土曜日の夜8時頃、散策する気力もなく、近所のカフェ・レストランで簡単に済ませてしまう。

再度ベッドに入り微睡んでいるうちに飲んだビールのお陰か、運良く翌朝6時頃目覚めるまで眠れた。

それでも正直飛び起きるほどのエネルギーには回復しておらず、ダラダラと1時間ほどベッドの中で過ごし、そこから気合いを入れ直し朝風呂に浸かりリフレッシュを試みる。

すっきり感を得た後1階に降りて行き、ビュフェ式のサンデー・ブレックファーストをいただき、若干時差ボケを感じる体調ながら、ここからブエノスアイレス初日の行動のエンジンキーをオンに入れる。

ホテルで得た情報を頼りに、まずは南米のパリと言われるブエノスアイレスの日曜朝市/ アンティック・マーケットに出掛けることに決定。

過去、早朝にロンドンやパリの蚤の市/マーケットに出掛けていた昔の杵柄?を取り出す心境で、初体験となるブエノスアイレスのマーケットに、久しぶりに新鮮なワクワク感を感じている。

cheers


2シートを独占出来たおかげでスペース的にはもちろんだが、疲れきっている身体には随分と有り難い。

ブエノスアイレス行きのフライト機内食後は、何を差し置いても当然睡眠優先を試みる。

が、疲れきっているはずの身体で眠っているはずだが、大きく揺れるたびに一瞬意識が戻る繰り返し。

毎回そうだが、気流が悪いのか南米大陸上空は思いのほか揺れが激しい。

その度にシートベルト着用のチャイムがなり、飛行機嫌いの私には揺れのたびに緊張してしまっている。

そのおかげで中途半端な眠りとなりはしたが、搭乗前には気が遠くなるほど長いと思っていた13時間のフライトもほぼ終盤戦となり、到着までの2時間ほど前からはアドレナリンのボルテージが上がり、妙に騒ぎ始める。

初上陸となるブエノスアイレス・エセイサ国際空港に到着、いよいよここからアルゼンチン初体験となるわけだが、イミグレーションで入国スタンプをもらうのにロスでアメリカ式の入国審査に続き、またしても大行列で想定外の状況に一瞬興奮していた気分が萎んでしまう。

成田を出発してからすでに31時間が経過して肉体的には忍耐の限界ではあるが、入国スタンプをもらい、預けていた2つのスーツケースにも無事に再会出来て、ふたたび気分の高揚を感じる。

外に出て久しぶりに太陽の光を浴びて背伸びをすると身体は正直に反応してアクビの連発だが、まぶしすぎる夏の陽射しが心地いい。

タクシーに乗り、予約していたホテルに向かう。

午後12時過ぎにホテルに到着したが、残念ながら部屋の準備が出来てなく、仕方なく更に我慢の1時間半ほどをロビーのソファーで過ごす。

南米のパリの名で親しまれ、南米の中で最も美しい町の一つとして言われる理由が、空港からホテルまでの移動中のタクシーの車窓から見たその町並みで十分に納得出来た。


cheers


待ちくたびれたうえに、更にここから始まるロングフライトは気が遠くなるほど長い。

が、この行程に堪えなければ南米の地を踏むことは許されない。

まずはロスからヒューストンまでの3時間10分のフライトだが、このフライト時間は疲労しているとはいえ経験からくる免疫力で問題なさそうだが、ヒューストンでの乗り換え時間が1時間15分しかないのが若干気になる。

過去ヨーロッパで同じエアラインで乗り継ぎ便に搭乗予定だったが、日本人の私ひとりなどどっちでも良かったのだろうか、最初のフライトが遅れてゲート移動に時間が掛かり、汗をかきかき急ぎはしたが、すでに飛行機はドアを閉め、滑走路に向かおうとしていた。

午前中の最後の便で、その後は何と夕方までフライトがなく、街中に行くにはバスで1時間もかかり、空港で5時間ほど当時のヨーロッパの航空会社の対応に激怒しながら、仕方なく待ち続けていたことが思い出される。

サービスの悪さが当たり前のようだった海外エアラインに文句を言ってもラチがあかないとは知りつつも、若いがゆえに呪いたくなった気持ちも正直あった気がする。

万が一、今回のトランジットで乗り遅れてしまえばと、過去の数回の悪夢の経験から初めてのヒューストン空港の施設環境も分からず気が気でない。

もちろん集中力も激減し、思考回路もほぼ作動しないほど疲労している体調では、間違いが発生しやすい。

ましてや不慣れで苦手なアメリカも不安をつのらす大きな理由。

ここまで大げさに書きはしたが、ヒューストン到着後はゲート移動もスムーズに進行して、10分ほどラウンジに寄り道する余裕もあり。

エコノミー席ではあるが、スターアライアンス・ブラック会員カードを片手に早めに搭乗して、手荷物のスペースを確保する。

後は満席でないことを祈り、シート移動を試みるタイミングを計るのみ。

日本からすでに18時間ほどが経過してお疲れだと伝えると、黒人の女性のクルーの人が私の意図を汲んくれて親切に空席状況を教えてくれる。

全員の搭乗アナウンス後、運良く窓際の2席を使用することが出来るシートに座ることが出来て、ひとまず一息つく。

ここから中米大陸上空から南米大陸をほぼ北から南までを飛んで行く。

今回の目的地はこれまでに10回訪れたブラジルではなく、初体験のアルゼンチン・ブエノスアイレスで、13時間のフライトとなる。

常に世界に目を向け、新たな取り組みを計画して、誰にもまね出来ないファッションを先駆けることへのチャレンジは、2011年も継続です。

もちろん苦労は多いが、ファッション人間としてのプロ意識と自負心とが重なり、現実的な夢を求めて、先駆けることへのこだわりは言葉では言い表わせないほど魅力的でやりがいを感じる。

あえて選んだ今年最初の海外出張も、言葉も含めておそらく想像以上の困難が伴う未経験の地からの出発となったが、負けず嫌いの性格が後押しする。

ロングフライトにグチグチと文句を言ってきたが、日本人がいない機内は己の気持ちを確認して気合いを入れるには最適な場所かもしれない。

ひとまず、ここから無理してでも到着まで眠りにつきます。


cheers