3つめに受けた大学は,1次試験である筆記試験と2次試験である口頭試問まで2週間あった。
2次試験は,日帰りが可能であったため,朝早く試験会場に向かった。
口頭試問の待合室には,明石の学校が通信と電子で2名,久留米の学校が電気と建築で2名,鹿児島の学校が機械で1名,和歌山の学校が応用物理で1名,大阪の学校が材料で1名,神戸の学校が材料で1名と合計8名の男の受験生がいた。
大阪と神戸の学校の2人が,第1志望の電気工学科には受からなかったと言っていた。
面接室に入ると,10人ほどの教授とおぼしき面接官がいた。
面接を受ける側は,着席せず,発表者のように机にマイクが備えられている前に立った。
口頭試問ということで,受験する学科の学問的内容が尋ねられるとか身構えていた。
しかし,質問内容はいたって普通であった。
面接官から志望動機を尋ねられ,
「量子力学の理論の勉強をしたいためです」
と答えた。すると,
「量子力学以外の分野で興味があるものは?」
と聞かれた。
「いまは,量子力学の理論を勉強すること以外あまり考えていません」
と答えた。
大学院への進学希望を尋ねられ,
「進学したいです」
と答えた。
受験者8名の面接が終わると,全員解散となった。
鹿児島から来ていた機械工学科のヤツは,1次試験のときに僕の真横に座っていた男だった。
隣のヤツがシャーペンを右手の親指の付け根の上で回す音が,うるさくて,よく覚えていたのだ。
そのことを彼に告げると,
「ああ,それオレだ。すまん,すまん」
と認めた。
2次試験の合格発表は,夏休みが終わって,2学期が始まる頃だった。
学校に戻ると,ムラタが吹田の大学に受かったそうだと大阪の連中が騒いでいた。
ドイという助手が,自分の母校である吹田の大学に電話で問い合わせて合格者の名前を聞いたという話だった。
僕は2次試験の面接会場にムラタがいないかったこと,つまり1次試験で不合格であったことを知っていた。
しかし,大阪の連中と断絶していた僕はそのことについてあえて何も言わなかった。
僕らの寮の郵便物は,寮の事務室の自分の学年の学科のロッカーに入れてくれることになっていた。
合格発表の日の翌日,昼休みにロッカーを見に行ったが,僕への郵便物がなかった。
僕が寮の事務室を立ち去ろうとするとき,事務の栄養士をしているお姉さんに呼び止められた。
「大学から郵便物が来てますよ」
お姉さんがいる事務室に入って,郵便物を見ると分厚いA4の封筒があった。
僕はお姉さんからハサミを借りて,封筒を開封した。
取り出した封書の中身を見ると,入学金免除や授業料免除,バイクや車の駐車場の申請などの書類が大量に入っていた。
「合否の発表の瞬間を見るなんてものすごい,ドキドキしたよ」
とお姉さんが言っていたことを憶えている。
この日をもって,僕の大学編入の受験はすべて終わった。