僕の高校は5年制の学校であった。
ほとんどの人が就職するが,一部,進学する人もいる。
その場合,大学3年生に編入学することになる。
次の受験は東京都の武蔵小金井にある工科大学であった。
この大学は多くの編入者を受け入れることで有名な大学である。
僕の高校のクラスの二人だけいた女子の一人が,この工科大学の推薦入試を受験した。
彼女はクラスのテストの総合得点が,たいがい,1番か2番であったため,推薦入試の受験資格を得ていた。
彼女は牛乳瓶の底のような分厚いメガネをした見た目は大人しい女子であったが,実はカンニング魔であった。
そのやり口が,テスト前に机に書き込みをするというかなり古典的な手法であった。
ほとんどの同級生にカンニングがばれているのに,必死に書き込みをしている彼女を見ると哀れであった。
でも,そうやって推薦入試の資格を取ったのだから,それはそれで立派なのかもしれない。
僕は最初から,推薦入試で入れる大学など最初から度外視だった。
東京の大学なので,宿泊先を決めないといけなかったが,先の山口の受験のこともあり,今回も宿泊先を決めずに前日に受験会場に向かった。
夏場であったたので,最悪,公園のベンチで夜を過ごそうと思っていた。
武蔵小金井の駅は,宇部の駅とは違い,駅周辺にホテルは全くなかった。
それで,大学の教務係を訪ねた。
教務係のお姉さんに,受験に来た者だが,この辺で泊まれる所がないか尋ねた。
すると,
「この辺は,ホテルがなく,数駅行ったところにあるけど・・・どれくらいの予算を考えているの?」
と聞かれた。
僕は,
「できれば1泊5千円以内くらいで・・・」
と答えると,なかなかその値段ではホテルはないと言われた。
「先輩とか知り合いはいないの?」
と聞かれたので,
「先輩はいると思いますがが,よくはわかりません」
と答えた。
しばらくして,彼女は上司らしき人と相談し始め,電話をかけた。
そして,
「いま,あなたの先輩に電話して,泊めてもらえるように頼んだから,もう少しここで待っていて」
と言われた。
しばらくすると,少しやせて大人しい男性が現れた。
高校の先輩は,3年前にこの大学に編入しており,いまは大学院に進学して,近くに下宿している人だった。
初対面の人に悪いなとは思いつつ,先輩の下宿に2泊させてもらうことになった。
下宿にはお風呂がなく,先輩が大学院の研究室に行っている間に,彼の風呂桶を持って銭湯に行った。
風呂から帰って,下宿で待っていると彼が帰ってきた。
先輩が僕に1枚の紙を差し出した。
「これ,教授の部屋にあった試験問題,1問だけだけど参考に見て置いたら」
と言われた。
僕はその問題を見て,出題内容に関する教科書を彼から借りて眺めた。
試験は,数学,物理,化学,専門科目の4科目だった。
僕の受験する応用分子化学科の受験生はどれくらいなのか,わからなかった。
物理で,抵抗とコンデンサで作られたRC回路の微分方程式を解く問題で,初期条件がないことに気づいた。
僕は試験中に手を挙げ,
「あの,この問題,初期条件がないと思うんですけど・・・この手の問題は,たいがいQ(0)=Q0とI(0)=0という初期条件で解く問題が多いですが,それでいいですか?」
と質問した。
試験官は僕の指摘に大慌てで,出題者に問いあわせに行った。
戻ってきた試験官は,僕の言う初期条件が抜けていること,僕の言った初期条件で解くことを全員に告げた。
試験が終わると,同じ高校から受験に来ていたムラタと会った。
ムラタは成績がよく,社交的な男で,例のカンニング女子と1番を取り合ってた。
ムラタは関西から来ていた他校の生徒と仲良くなったらしく,いっしょに晩御飯を食べに行かないかと誘われた。
結局,4人でイトーヨーカドーのレストランで晩ご飯を食べた。
何を話したか記憶にないが,おそらく試験問題のことを話したのだと思う。
その後,僕はまた高校の先輩の下宿に泊めさせてもらった。
東京の深夜番組は関西と全く違って,華やかでおもしろい番組が多かった。
漠然と,東京っていいなと感じた。
翌朝,高校の先輩に礼を言って,面接試験に向かった。
面接試験は,教授らしき面接官が4人くらいいた。
面接官が,
「大学に入ったら何を勉強したいか?」
と尋ねた。僕は,
「量子化学を勉強したいです」
と答えた。
「大学院への進学は?」
と言われたので,間髪入れず,
「進学したいです」
と答えた。
次に,僕は予想だにしなかった質問をたたみかけられた。
「進学するにあたって,ご両親のサポートはもらえますか?」
「東京は物価が高いが,大丈夫ですか?」
「1か月の生活費とかどれくらいかご存じですか?」
おそらく,僕がホテルも取らずに教務係に泣きついてきたことが,面接官の教授連中に知れ渡っていたのだろう。
おまけに,身なりをも,よれよれのTシャツでみすぼらしかった。
「僕は,何とかいけると思います」
という言葉を繰り返すしかなかった。
ただ,こういう質問をされるということは,試験の点数では受かっているのだなと内心思った。
1週間後,ちょうど実家に帰省していた僕のもとに電話が鳴った。
下宿に泊めさせてもらった先輩からであった。
彼はわざわざ教務係の合格発表の掲示板を見てに行ってくれて,結果を連絡してくれたのだった。
数日後,大学からA4サイズのぶ厚い封筒が届いた。
高校に戻ると,一緒に受験したムラタが合格したということで,大阪の連中が騒いでいた。