僕の高校は英語が3種類の授業があった。
1つはリーダーと呼ばれる文部省検定の教科書を使った授業で,1つは文法だけの授業,最後がエルエルといって,カセットテープが聞けるエルエル教室でおこなわれるヒアリングの授業だった。
文法を担当している先生は,京都の大学を出たばかりの27歳の若い男のシモタオ先生だった。
シモタオ先生はいつも薄黄色か薄ピンクのシャツを着て,おしゃれなスーツを着こなしていた。
メガネをかけて,色白であり,日本人離れした顔立ちであった。
高校の若い教師は,当番制で寮の宿直をやらされていた。
夜8時くらいになると,宿直の先生が寮の部屋を見回る規則であった。
その時間になると,将棋やコンピュータ部などの文科系のクラブに入っている者も寮の部屋に戻ってきていた。
僕はクラブに入っていなかったので,勉強部屋で数学の問題を解いていた。
「お~い!なにやってるんだ」
とシモタオ先生が勉強部屋のドアを開けた。
「勉強なんて明日でいいから,こっちに来い!」
と言われた。
寝室にいくと,シモタオ先生が一番窓際の畳ベッドにあぐらをかいて座って,周りに数人の生徒が囲んでいた。
「これで,パンとジュースを買ってこい」
と言って,シモタオ先生は2千円を出してくれて,数人が買い出しに行った。
そこから,シモタオ先生の学生時代のバカ話などを聞いて,僕らは1時間ほど談笑した。
「それじゃ,そろそろ寮の管理棟に戻らないといけねえから」
と言って,シモタオ先生は立ち去って行った。
僕は何となく,シモタオ先生に気にいられているようであった。
というのも,シモタオ先生がプロレスや相撲が好きで,当時,格闘技に凝っていた僕は,梶原一騎の漫画で仕入れた知識をシモタオ先生に話していたからだ。
あるとき,市内の体育館に全日本プロレスが来た。
僕はテスト期間中であり,プロレスに行くかどうか迷っていると言うと,シモタオ先生から
「バカ野郎,テストはダメだったらまた来年受ければいいじゃねえか。」
「馬場のプロレスは来年は来ねえぞ」
と諭された。
「たしかに・・・」
とプロレスを見に行くことを決めた。
シモタオ先生も,当日は教員の連絡会があったが,その会を抜け出すとのことだった。
シモタオ先生の車で会場に向かうのであるが,駐車場が連絡会の会議室からまる見えであるため,二人で腰をかがめて,見つからないように先生の車に乗り込んだ。
「もっと,もっと腰を低く,低く。見つかったらやべえからな」
プロレスは,テレビ中継がないためか,かなり薄暗かった。
ただ,馬場が登場する6人タッグの試合だけは明るいライトが照らされていた。
僕は初めて見るプロレスラーの大きさに驚いた。
7月のある土曜日に寮で一人でいると,また宿直ということでシモタオ先生が午前中,寮に遊びにきた。
シモタオ先生が,
「白浜に行ったことがあるか?」
と言ったので,
「いえ,ないです」
と僕らは答えた。すると,
「これから白浜に泳ぎに行くか?この前,給料も入ったしな」
と,僕ともう一人,オオボは急遽,シモタオ先生の車で白浜まで行くことになった。
白浜は寮からかなり遠かった。
海をのぞむ公共の露天風呂があり,僕らは入ることにした。
しかし,公共の場所なので,かなりお風呂は汚く,たこ焼きの舟も浮いていた。
僕らは早々に湯船からあがり,海水浴場に向かった。
海水浴場に着くと,水着の女性がたくさんいた。
そこに,妙な男がいることに僕らは気が付いた。
彼は海水浴場でトレンチコートを着て,カメラを女の子に向けていた。
あきらかに無断で女性の写真を撮っているようであった。
顔をみると,なんと,同じ工業化学科の同級生のゴトウであった。
オオボが,
「ゴトウ!おまえ,こんなところで何しとんじゃ!」
と叫んだ。
驚いたゴトウは逃げるようにその場から立ち去った。
僕らは海で泳ぐでもなく,水着の女性を見て,陽が暮れる前に帰ることにした。
帰りにシモタオ先生が,
「ここでも寄っていくか」
と言って,ファミレスに車を止めた。
そして,給料が入ったばかりということでステーキをご馳走してくれた。
僕らは一気にそれを平らげた。
そして,寮まで送ってもらった。
シモタオ先生の官舎に泊めてもらったこともあった。
天井に蛍光の紙で,星座を作っていたのをよく覚えている。
真っ暗な中,布団に入りながら,星空を眺めるといった趣向だ。
シモタオ先生とは数えきれないくらい思い出があった。
先生というより,少し上の兄貴のような存在だった。
シモタオ先生は僕らが3年生のときに学校を去って行った。
残念ながら僕はシモタオ先生に別れのあいさつをすることができなかった。
数年前,インターネットでシモタオ先生の名前を検索すると,群馬県のある学校にいることがわかった。
いまも,あの頃と変わらないままであった。