僕は高校の寮に入った。
1,2年生は4人部屋で,学年が上がるにつれて部屋の人数が減っていくという部屋割りであった。
僕らの学校は,機械工学科,電気工学科,工業化学科,土木工学科と4学科があったから,1つの棟の各階を各学科で割り振られていた。
そして,半年に1回,階の入れ替えと部屋替えがあった。
1年生の最初は,姓のあいうえお順で部屋が割り当てられたが,次からはくじで部屋のメンバーを決め,承認印を押した名簿を寮の管理課に提出するという制度だった。
しかし,実態は好きな者同士が同じ部屋になるようにくじを書き換え,承認印を押すというねつ造がおこなわれていた。
クラスの半数が大阪から来ていた者であり,残りの半数の半分が県庁のある市内出身者で占められていた。
したがって,最大派閥が大阪出身者のグループであり,いつもどこかの部屋に集まってはダベっているという感じだった。
県庁のある市内出身者は,派閥を作ることはなく,どちらかというと大阪の派閥に身をゆだねる者が多かった。
僕はくじのねつ造のせいで,特に親しくもない相手とばかり相部屋になった。
したがって,部屋でいっしょにいても冷戦状態であった。
大阪の連中の大半が少林寺拳法部に所属していた。
少林寺拳法部では,先輩が過去のテスト問題を後輩に渡したり,就職などの情報を後輩に教えたりすることで統制を図っているようであった。
過去のテスト問題をいち早く入手した大阪の連中は,寮の自分たちのグループで共有することにより一体感を醸成していた。
僕はと言うと,中学の頃,家庭教師のスパルタ教育のおかげで,高校に入る頃には高校2年生の数学まで終えていた。
したがって,数学に関しては授業を聞かずとも,ほぼテストで満点を取っていた。
もちろん,大阪の連中なんかにへりくだって過去のテスト問題を見せてもらう必要などなかった。
そういうわけで,僕は大阪の連中と対立するようになった。
といっても,寮で大阪の連中が僕の悪口を言い合って発散するという程度であった。
よく聞こえてきた言葉は,
「あんな協調性がない者はどの会社も取らないって」
「会社は協調性が一番大事なんだから」
といったものであった。
しかし,大阪の下等動物を見下していた僕は気にも留めなかった。
土日ともなると,大阪や県庁所在地の市内出身の者は,寮にタクシーを呼びつけ,相乗りしてこぞって帰省していた。
僕は実家が寮から遠いこともあり,ほとんど帰省しなかった。
僕はいつもは人でごった返しているテレビ室で一人,テレビを眺めるか,数学の問題をひたすら解いて過ごした。
夕暮れ時のがらんとした寮の食堂で晩ご飯を食べていると,大阪グループの中で,たまたま帰省しなかった者が,話しかけてくることがあった。
いつもはあちらのグループにいるが,一人になると僕の方に寄ってくるのである。
1対1で話すと,当たり前だが僕の悪口を言うでもなく,勉強のことや将来のことについて聞いてきた。
僕は,
「どうなるかわかんないけど,進学するつもりだ」
「入試には協調性なんか関係ないからね」
と言った。
若干名だが,就職せずに大学に編入学をする者がいることを知っていた。
僕は親の期待するような一流企業に入る気など毛頭なく,何が何でも進学することを決めていた。
そこには,大企業への就職を希望する大阪グループのやつらに圧倒的な違いを見せつけてやると言う思いもあった。