ダイヤの涙の海 -5ページ目

I pray ''stay''

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仕事終わり、かーらーの、プチ遠征一人旅。
手慣れたはずの一人旅は思っていたよりも時間がかかりまして、
着いたら整列始まってた。てか窓枠ってクローク三階なんだったっけ。
久々過ぎてすっかり忘れてて、しばらくウロウロしちまった。

相変わらずライブハウスっぽくない窓枠の外見。
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学習塾ですか・・・?
でもスタッフの対応はなかなかいい。

今日は絶対押すだろ→え、意外とはじまる?→もう始まる?→・・・やっぱはじまんないのね
→これもしかしてやっぱり一時間押しなn→始まったァァァァァ

窓枠、狭い。近い。こんなに近いんだっけ?
一段上の後方だけどよく見える。よく目が合う、ように感じる。
ソロパフォーマンスよりも格段にフェティッシュなお衣裳に、
自然と「キャーッ」てゆう黄色い声が漏れる。
日常生活にないでしょ、かっこいい人みて「キャー」って自然と声が出るって。
ありえないでしょ。もう三十路越えてるのに容易に出ちゃうからね、乙女の声。

何度か衣裳替えがあったけど、そのたび黄色い声が漏れる。
舌べろべろしたり指ちゅぱちゅぱしたりする。
激しい色気。振り撒かれて倒れそうになる三十路のあだ花(オレ)。

ひたすら楽しい。オーディエンスの動きも気持ちいい。
清春さんのパフォーマンスもこころなしかスムーズ。
演奏のミスは多少あったけどイラつくほどではなかったようで。
浜松気持ちいい。浜松、いいね。静岡ー!静岡―!
と、清春さんも大変お気に召した様子。
何度か口角を上げて笑う。この美しい人の下で踊っていられる幸せ。

将来や健康の不安、砂のような異物感のある
現実問題もろもろを、この時ばかりは少し、忘れることにする。
どう生きる?どう死ぬ?何に縋って生きて死ぬ、みたいな
全て忘れて笑顔で踊れるのに、そのドラスティックな思想に対峙しているかのようにも感じる。
背徳、退廃、儚く美しい終わってしまう物語を見せられている感覚。
忘れているようで、忘れてない。
でも思い悩むとは違う。病的でもない。
少しだけ忘れて、少しだけ思い知らされる感じ。
それがこんなに気持ちいいなんて、誰が知ってるんだろう。
マウントレーニアでの演奏って、そういう感覚を
抽出して拡大した感じ。だからみんな泣くし何度も通うし。わかるよ。すごくわかるよ。
ファンの皆は知っているんだろうなぁ、これの気持ちよさを。


新曲めっちゃかっこいい!!
レスキューが好きな私としてはドストライク。
あとでDVDを見たけど、ドストライクを作ろうとして作った感じなんだね。
黒夢のゲルニカとかKINGDOMにも通じる壮大な。
歌詞がいい。
ポール・オースターの詩を読んでいるみたいだ。

清春さんもかっこいいよね、と言ってました。
売れてもない・・・流行ってもない・・・
でもおそらく誰よりもかっこいい。
そんな表現されてました。わかるわかるー!
なんで世間のみんなはこんなにかっこいい曲を知らずに生きていけるのか?(笑)

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NEWSPAPERはちょっとしたパンフレットのようでした。
あれ。今年コート安くない・・・?
って毎年コート買っちゃだめだけど。。。。。。。
サイズが合わないしねー(合えば買うんかい。)。

さて、狭い箱から熱気と黒いTシャツのみなさんが吐き出されて、
しばし喧噪と煙のなか。
友達のカワイイ車(ヴィンテージ!)で迎えに来てもらいました。
汗だくで絶対クサかったはずごめんなさい。

元プロの方に朝フランスパンを焼いてもらう贅沢。
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湖畔に立つ山小屋風のカフェでめちゃくちゃ美味しいカレーを食べたり。
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欧風ではなくインドカレーなんだけどちゃんと日本人好みにもしていて、
トマトベースでカルダモンが香る美味しいカレー。
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クリームベースの海老カレーもくっそうまい。ターメリックやクミンをあまり使ってなくて、
バジルのような爽やかな味。何のスパイスかな。
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浜松駅では二言交わせた言葉が暖かくて、
終わってしまった寂しさが際立つ。
お祭りは終わってしまう。
いつも夢のように。また必ず行けることを祈るばかりです。

We dreamed ...

この3日間は夢のようでした。

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久々に会う友達、きゃいきゃいとはしゃぎながらライブ会場へ向かう足取り。

珈琲を飲みながら、開場を待つこの何とも言えない時間。

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開場が早く始まってほしいような、
始まってしまえば終わってしまうから始まらないでほしいような。
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色んな土地から、バラバラの仕事をしている皆が
こうして同じ場所・同じ時間に集まって
今こうして同じわくわくを共有していること。
皆がいて、楽しすぎて苦しいぐらい笑って、
「ツアーファイナル」が実感として湧き上がってきて。
またこれが終われば、バラバラになって
それぞれの生活が始まって。それぞれの人生があって。
また一緒に見られるかな。願ってもいいかな。

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1日目の岐阜は泣きっぱなしだったけれど、
ファイナルはどちらかといえば笑っていられた気がする。

黒夢が再始動したときには考えられないぐらい、
黒夢に新しい曲が生まれ、それを愛することができたという事実。
私の人生のいろんなシーンに、黒夢の曲があった、という美しい記憶。
仕事へ向かう通勤路で、繰り返し聴いた曲。
ワンルームのお部屋で一人聴いた曲。
あの時のライブで聴いた曲。あのイベント。あの街。季節や空気。
あの子の笑顔。泣き顔も。つないだ手が冷たかったとかそういうすべて。

**

清春さんに出会えて、本当に良かったです。
東京で、クソみたいにサイテーな出来事があったときも。
恋をしたときも、失恋したときも。
自分がこのままでいいのか迷って苦しかったときも、
プレッシャーで押しつぶされそうなときも、
どうしてかライブには行きつづけてた。
きっといつも救われてた。

でも実はそれだけじゃなくて、なかなか会いに行けなくなった悲しみとか、
いっそ離れられたらいいのにと思う迷いもたくさんあった。

「迷うように歩いた君の側 離れられないでいるよ」

「DAY1」が、こんなに明るい曲で
それにもまた私は救われてる気がするの。

**

岐阜の1日目、「reverb」を聴きながら、
「覚えていて、刃」が清春さんの心からのメッセージなんだって
突然わかった気がしたのです。
刃は清春さんの音楽と、こうしてライブ会場で過ごした数多の時間、
時々訪れるドラマチックな感動、それらが「刃」なんだって。
「詠う僕の影を忘れながら浮かべて、
ある未来の果てに 覚えていて刃」。
この先の未来、この刃で受けた傷は消えずに残るんだろうな。美しくて切なくて消えない傷跡なんだろうな。
忘れたくない楽しかった時間も、少しづつ忘れていくのかも。
清春さんの影を背負ったまま、色んな細かい記憶は風化していって、
残るのはなんだろう。
清春さんと一緒に、みんなと一緒に、
過ごしたこの数年間に積もった、きらきらした美しい感情だけ残るのかな。


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kuroyume★FConly★

清春さんに会いたい病気

今日は久々に雨です。
傘を持つ手は濡れて。

仕事帰りにやっぱりMELODIESを聴きながら
わたしはこの町を歩くのです。
何度、傘越しに雨の景色を眺めながらこの曲を聴いたかなぁ。
そのたびに景色もたくさん変わったけれど、
どうしてかこの強烈な感傷だけは変わらない。

この先の人生でも、こうやって清春さんの曲を聴くのだろうか。
と、よく思います。
ライブに行けなくなって、リアルタイムで清春さんを追いかけられなくなって、
会えなくなって それでも興味を失えなくて
悲しいけど好きで 大好きで

いっそ興味がなくなってしまえば楽なのにとか、まるで現実味もなく
「あー明日世界が終わればいいのに」みたいなテンションで呟いてみるわけで・・・

みんなはどうだったんだろう?
あの頃一緒にライブを見てたあのひとや、
よくコメントをくれていたあのひとや、
あの頃ライブでよく会ったあのひとこのひと、
気付いたらいなくなってしまったけれど
清春さんから離れられたんだろうか?
何事もなく、気にすることももうなく、
それぞれの生活に忙しくすることができているんだろうか。
行けないライブ、会えないイベントに
悲しくなったりせずに
ただ・・・

痛くもなく苦しまずに離れられる、
その方法があるなら教えて欲しい。

とりあえずMERODIESは当たり前のように名曲で、
清春さんの声は私用に誂えたかのようにすんなりと
胸に落ちてきて、
いつもの景色がどこか美しく見えるほどでした。
清春が好きです。
私がネットやSNSで清春さんのことを呟かなくなっても、
きっとどこかでいつも想っているんだろうし。恋なのか棘なのか。その両方か、あ、毒と華か…
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マウントレーニアの追憶

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嬉しいクリスマス・プレゼントがありましたね 皆様

幾度となく通った渋谷のあの坂。
マウントレーニアホール

かわいい子たちがはしゃいでいるのを
ちょっとだけ離れたところで私は見ているけど
私もいつかもう一度
あの席に深く座って 暗闇の中で
清春さんの声に包まれたいなー

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何気ない穏やかな日常とはじけるような非日常の
どちらでもなく静かで 暗くて それでいて美しい
不思議な舞台ですよね。

今の私は何が聴きたいだろう。
何が心に沁みるだろう?


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「なくした心のカギを拾えるように
 あかりを照らしてくれる 奇跡のような」