本中毒、映画中毒、仕事中毒、そして...恋愛中毒
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多くの人に読んで貰ったから、具体的にどう、と言う事はないのだけど…

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混沌とした蓮舫さんの都知事選 選挙活動に関して

この7月に東京都知事選が行われる。

公示前なのに多くの方、NHK党の方とか、ネットを騒がせている広島県安芸高田市の市長さんとか、元自衛隊の幕僚長だった方とか、が立候補を表明しておられて、それなりの盛り上がりだ。

 

僕は東京都民ではないので直接の関係はないが、どの方も、ちょっとイロモノ感があるなぁ…などと高みの見物をしていた…

ら、立憲民主党の蓮舫さんが出馬を表明した。

自民政治をリセットするとか発言し、派手に街頭演説で都知事選での支持を聴衆に呼びかけて、他の立候補表明者を押しのけて話題独占の状態。
 

選挙公示前に選挙の支持を求める街頭演説したのは公職選挙法違反に当たるのではないか?

出馬表明して、自民政治をリセットとか言いながら、自らの政策を提示しないのは如何なものか?

などとネットでは話題となっていた。

 

政策がなくて、いつも批判しているという世間の指摘に対し、ご本人は

「批判ばかりしていると言われますが、批判じゃなくてファクトです。」

などと、ドヤ顔で反論にも言い訳にもならない発言をして、

わざわざ自らの弱点である 批判体質を上塗りし、晒してる。

 

混沌だ。

掴みにはなるけれど、本当に選挙に勝つ気あるのかなぁ…

そう思っていたら、更に日本共産党が勝手に具体的な政策を書いた蓮舫さんの応援ビラ作成、各戸に配布する謎の行動。

日本共産党は蓮舫さんを公職選挙法違反にして、都知事にしたくないのかしら…

 

都知事選に関して選挙協力をする事にした立憲民主党と日本共産党。

他の候補が出てくる前に、もう既にやり過ぎで勝手にイメージダウンして、ぐちゃぐちゃの泥仕合に落ちて行ってる印象。

 

正直に言うと、僕は蓮舫さんを嫌いなのだが、

これはいくら何でもダメすぎるのではないかと、ちょっと可哀そうな何かを見ている様な気持ちになったりしている。

■映画 『秋日和』1960 日本

昨年秋から、BS260 松竹東急 で小津安二郎監督の映画を時々まとめて放送しているので、機会があれば観ている。

これまで視聴したのは以下の戦後の後期の作品

  • 晩春 1949
  • お茶漬けの味 1952
  • 東京物語 1953
  • 早春 1956
  • 彼岸花 1958
  • お早よう 1959
  • 浮草 1959
  • 秋日和 1960
  • 秋刀魚の味 1962

僕が生まれる前の作品ばかりなのだが、子供時代の様々な風景を思い出して妙に懐かしい。

 

閑話休題

その中で『秋日和』。

この作品、オヤジの「セクハラ」がなかなかに酷い。

 

この作品は1958年『彼岸花』と同じ里見弴 原作で、登場人物も共通点が多い。

佐分利信と中村伸郎と北竜二の三人組が主要な登場人物として出て来て、料亭「若松の女将」の高橋とよに、気づかれない様にいつも性的な意地悪を言ってからかう。

今日的な視点だとこれだけでかなりの酷いセクハラなのだが、この作品ではそれだけに留まらない。

彼らは原節子、司葉子、岡田茉莉子をネタにセクハラ放談をしまくりだ。

 

 

「綺麗だな、やっぱり」 (オイ!)

「いやぁ、娘も娘だけどさぁ…」

「おふくろの方だろ」 (オイオイ!)

 

特に佐分利信のスケベっぽい表情と中村伸郎の妙に上から目線の態度がはまっていて、東大教授役の北竜二が同様にセクハラ発言をするのが可愛く見えてしまう。

もしかしたら、事務員として多くの女性を雇用し使い捨てにしていた当時の企業の性的モラルがこういう風に低くて、大学はそうでは無かったのが、実際の映像として表現されているかも知れない。

 

いま、職場やその飲み会でこうした話題を振られたら、ちょっと対応に窮する。

男の目線でそう感じるのだから、現代の若い女性がこの映画観たらすごく気持ち悪いだろう…

 

 

里見弴 小津映画原作集-彼岸花/秋日和 (中公文庫 さ 55-2)

 

 

気になったので、少し前に中公文庫で再刊された原作(?)を読んでみる。

(原作と言いながら、映画製作と同時に執筆されたので、実際は原作ではなくメディアミックスみたいなモノと考えた方が良いだろう。)

 

小説と映画の違いのせいなのか、それとも里見弴の文章がそもそもあっさりしているせいか、三人組のおせっかいに対する否定的な表現は出て来るが、セクハラ的な色合いはあまりない。

当たり前なのだが、書き手が意志を以てそういう風に組み立てない限り、文章にはその内容は表れない。

里見弴にはそうした意志・課題認識はない。

女性の社会的な地位に対しての、当時の一般的な男性が当たり前と考えている認識が見えるだけだ。

 

ならば、小説に対しよりビビッドな表現形式である映画が、その表現能力故に図らずも女性蔑視的な内容を意図せずして活写してしまったのだろうか…

 

どうもそうでもない。

小津監督はここら辺の課題は自覚していて、司葉子や岡田茉莉子の相手になる若い男性役の佐多啓二や渡辺文雄は、紳士的に描いておりセクハラ的な発言をさせていない。

彼らは気持ちの良い好青年だ。

そして原節子の亡夫の兄役 笠智衆の素朴なニコニコした棒演技の枯れ具合も、また油ギッシュな三人組との対比で際立つ。

 

映画の作り手たちは三人組のセクハラを意識していながら、それも当時の社会の在り様の一部として受け入れている様に感じる。

まさかリアリティの追及ではないだろうが…、そんな事に目の色を変えポリティカルコレクトネスに汲汲とする程の事もあるまい…彼らはしっかりした仮想現実作りを追及した結果として当時普通に在ったセクハラが映画に入り込んだ様な気がする。

 

まぁ僕は、この映画を観て怒ったりはしないけれど、怒っちゃう人もいるのだろうなぁ…

既にディスクメディアはオワコンな件

ちょっと近所に出かけたついでに、BDのディスクを買おうとコンビニに寄った。
しかし、電池やUSBメモリや各種のコードを置いてあるコーナーにディスクメディアは陳列されてない。
昨年くらいまでは置いてあったと思うのだが、いつの間にか無くなっている。

コンビニでは商品毎の売り上げを細かくモニタリングし、売り上げが少ない商品はすぐに置かなくなる。

様々な商品の流行り廃りが良くわかる。
という事は…

映像記録用ディスクの需要は、一般家庭に於いてはもうあまりないと言う事だ。
TV番組はレコーダーのHDに録画し、映画やドラマ番組はオンデマンドで観る様になり、放送をわざわざ光学ディスクに記録し観る様な事はしないのだろう。
僕みたいに、放送される番組を録画し、気に入った作品はこまめに光学ディスクに落として保存している様な物好きはいつの間にか絶滅危惧種になっている様だ。

所有している安心感から実際は1回も観返さなかったりするから、そうしたトレンドはある意味では正しい。

 

若者に

「そんな事するのはお年寄りだけだよ。」
と言われちゃっているんだろうなぁ…いやはや

よく見ると10年くらい前にはコンビニに必ず置いてあった蛍光灯も無くなっている。
あぁ、蛍光灯も照明用LEDが普及しオワコン化しつつあるのだろう…

どちらもまだまだ流通していて、電器量販店に行けば手に入るのだが…
コンビニの店頭からなくなったというのは、ある種の死刑宣告を受けた様なモノだ、
案外、蛍光灯よりも光学ディスクの方が早く量販店から無くなるのかもしれない。
蛍光灯は消耗品で、本体の照明器具が残っている限りは需要がある。
そして一般家庭ではそれほど積極的にLEDに置き換えようというモチベーションは働かない。
しかし、記憶媒体はHDやSSD、そしてネットとかに取って代わられてしまえば需要はなくなる。
利便性も高くなるので、置き換えようとするモチベーションも高いだろう。

しかし…困った事に昭和生まれのオヤジは違う。
記憶媒体としての実態が見えないと落ちつかないし、そして所有欲が満たされないのだ。
紙の書籍を購入するのをやめられないのも、根は同じ心理。

追記
そんな事を言いながら…
英語の分厚い専門書を何冊か買って、あ、これはKindleとかの電子書籍にしないと駄目だ。と感じた。
なんせ重くて扱いに困る。
連中は何で分冊にするとか考えなかったのだろうか?
必要な時に仕事に持って行く事もできない。
判らない単語を辞書で引いたりするのも億劫だし、どうしても辞書も一緒に持ち歩かないといけない。

面倒くさい事この上ない。

 

追記2

10/21に、政府が家庭用のBDの機器・媒体に、著作権者らへの補償金を上乗せする「私的録音録画補償金制度」 を適用する事を決めたという報道があった。

つまり、BDの機器・媒体の価格に、その補償金制度のお金を上乗せして販売しなければならなくなるという事である。

いやはやなんとも…40年くらい前のVTRテープの時に同じ様な話があったけれど、あの時は電機メーカー側の発言力が強く、そんな機器やメディアの販売を抑制しかねない制度は潰された。

今回はそれが通ってしまった。

ますますディスクメディアはオワコンになってしまうなぁ…

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