■映画 『秋日和』1960 日本 | 本中毒、映画中毒、仕事中毒、そして...恋愛中毒

■映画 『秋日和』1960 日本

昨年秋から、BS260 松竹東急 で小津安二郎監督の映画を時々まとめて放送しているので、機会があれば観ている。

これまで視聴したのは以下の戦後の後期の作品

  • 晩春 1949
  • お茶漬けの味 1952
  • 東京物語 1953
  • 早春 1956
  • 彼岸花 1958
  • お早よう 1959
  • 浮草 1959
  • 秋日和 1960
  • 秋刀魚の味 1962

僕が生まれる前の作品ばかりなのだが、子供時代の様々な風景を思い出して妙に懐かしい。

 

閑話休題

その中で『秋日和』。

この作品、オヤジの「セクハラ」がなかなかに酷い。

 

この作品は1958年『彼岸花』と同じ里見弴 原作で、登場人物も共通点が多い。

佐分利信と中村伸郎と北竜二の三人組が主要な登場人物として出て来て、料亭「若松の女将」の高橋とよに、気づかれない様にいつも性的な意地悪を言ってからかう。

今日的な視点だとこれだけでかなりの酷いセクハラなのだが、この作品ではそれだけに留まらない。

彼らは原節子、司葉子、岡田茉莉子をネタにセクハラ放談をしまくりだ。

 

 

「綺麗だな、やっぱり」 (オイ!)

「いやぁ、娘も娘だけどさぁ…」

「おふくろの方だろ」 (オイオイ!)

 

特に佐分利信のスケベっぽい表情と中村伸郎の妙に上から目線の態度がはまっていて、東大教授役の北竜二が同様にセクハラ発言をするのが可愛く見えてしまう。

もしかしたら、事務員として多くの女性を雇用し使い捨てにしていた当時の企業の性的モラルがこういう風に低くて、大学はそうでは無かったのが、実際の映像として表現されているかも知れない。

 

いま、職場やその飲み会でこうした話題を振られたら、ちょっと対応に窮する。

男の目線でそう感じるのだから、現代の若い女性がこの映画観たらすごく気持ち悪いだろう…

 

 

里見弴 小津映画原作集-彼岸花/秋日和 (中公文庫 さ 55-2)

 

 

気になったので、少し前に中公文庫で再刊された原作(?)を読んでみる。

(原作と言いながら、映画製作と同時に執筆されたので、実際は原作ではなくメディアミックスみたいなモノと考えた方が良いだろう。)

 

小説と映画の違いのせいなのか、それとも里見弴の文章がそもそもあっさりしているせいか、三人組のおせっかいに対する否定的な表現は出て来るが、セクハラ的な色合いはあまりない。

当たり前なのだが、書き手が意志を以てそういう風に組み立てない限り、文章にはその内容は表れない。

里見弴にはそうした意志・課題認識はない。

女性の社会的な地位に対しての、当時の一般的な男性が当たり前と考えている認識が見えるだけだ。

 

ならば、小説に対しよりビビッドな表現形式である映画が、その表現能力故に図らずも女性蔑視的な内容を意図せずして活写してしまったのだろうか…

 

どうもそうでもない。

小津監督はここら辺の課題は自覚していて、司葉子や岡田茉莉子の相手になる若い男性役の佐多啓二や渡辺文雄は、紳士的に描いておりセクハラ的な発言をさせていない。

彼らは気持ちの良い好青年だ。

そして原節子の亡夫の兄役 笠智衆の素朴なニコニコした棒演技の枯れ具合も、また油ギッシュな三人組との対比で際立つ。

 

映画の作り手たちは三人組のセクハラを意識していながら、それも当時の社会の在り様の一部として受け入れている様に感じる。

まさかリアリティの追及ではないだろうが…、そんな事に目の色を変えポリティカルコレクトネスに汲汲とする程の事もあるまい…彼らはしっかりした仮想現実作りを追及した結果として当時普通に在ったセクハラが映画に入り込んだ様な気がする。

 

まぁ僕は、この映画を観て怒ったりはしないけれど、怒っちゃう人もいるのだろうなぁ…