間もなく防災の日。関東大震災から97年目でもある。1923年9月1日の午前11時58分、相模トラフを震源に首都圏(南関東)は未曾有の大地震に襲われた。
この大地震には予兆があった。1921年の12月8日には茨城県南西部を震源にM7.0の地震が発生した。翌1922年4月26日には浦賀水道付近でM6.8の地震があり、5月9日にも茨城県南西部でM6.1、さらに1923年1月14日にM6.1と大きな地震が相次いでいた。5月下旬になると房総半島沖から鹿島灘にかけて群発地震があり、6月2日にはM7.3と6.9の大地震が連続して津波まで引き起こしている。
地震だけではない。暴れ馬でケガ人や、夫婦喧嘩、子供の夜泣きといった当時では珍しい話題が連日、新聞紙上を賑わせていた。軍事優先の世相にあっては異例と言えよう。それも後出しではない。ほんの数日前の出来事である。
そして9月1日、西日本(九州地方南部)に上陸した台風が日本海へ抜けて新潟沖を通過した。朝から蒸し暑い。南関東各地は異様な積乱雲に覆われ至る所で雷鳴が轟いていた。
雲が切れた。初秋らしからぬ真夏の日射しが戻った。昼食の支度に合わせて火を炊かねばならない。阿鼻叫喚に至る轟音は釜戸に薪をくべるべく最悪の時間帯を襲った。火を消す余裕など全くない。被害は有史以来最大となった。
東日本大震災から9年半。まだ歪みは抜けきっていない。地震も火山噴火も引き続き活発な状況にある。日本列島に安全な場所など一つもない。それも、一番心配なのは、やはり首都・東京ではなかろうか。
日本では、人、物、金が東京一極に集中する。首都圏には全人口の3分1が集積し経済規模たるやGDP比で200兆円を超える。しかも東京だけで94兆円に達し、これは総人口の1割で日本のGDP(約500兆円)の2割を稼ぎ出していることになる。首都圏なら4割にも達っする。1923年とは次元が違う。東京の崩壊イコール日本の終焉に繋がってしまうのだ。
回避策は只ひとつ。脱出以外にはあるまい。それも地方移住などではない。あくまで遷都である。政府省庁が動けば企業も動く。職場が移れば人も移る。人が移れば地方は活性化する。地方が豊かになれば、もう怖いものは何もない。東京なんてただの田舎に過ぎない。大地震の一つや二つではびくともしないだろう。
かつて福島県の阿武隈地方は首都機能移転の最有力候補地だった。花崗岩に覆われた地形は頑強で、歴史的にも大地震で被災した形跡すらない。あいにく東日本大震災による原発事故で立ち消えにはなったものの、もし311さえなければ日本の首都(移転先)として決定していた可能性が極めて高いのだ。
ならば、もう一度、原点に帰って検討してみては如何だろうか。国会議事堂(首都機能)の移転は窮極の公共事業でもある。結果として、人、物、金の回帰に加えて除染も進む。なにより国会議員が住むなら、そこはもう安全なのだから。
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因みに、砂礫層に覆われた首都圏の地盤は弱い。埋め立てで造成された湾岸地域は更に弱い。1923年には湿地帯や海底だった部分だけでも約300万人が居住している。東日本大震災では湾岸地域に深刻な液状化被害があった。
《東日本大震災に於ける各地の震度》
(南関東は、おおよそ震度4から5強であった)
ことに深刻な被害を受けたのは浦安市といった新興住宅地であり大半が海浜部の埋め立てによって造成された地域ばかりだ。
《浦安市の被害》
(撮影は一昨年4月)
(液状化で浮かび上がったマンホール↑)(千葉県北西部の揺れは震度5だった↑)
一昨年(2018年6月18日)の大阪北部地震は震度5から6弱だったものの、ブロック塀の倒壊を除けば、大きな人的被害は免れた。だが首都圏はそうもいかない。上記の通り砂礫層で覆われた土壌と埋め立て地にある。もし直下型での震度5強ならどうなってしまうのだろうか。
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今年は草木の開花が早い。気が付けば、もうススキの穂が満開になっている。平年なら9月上旬から中旬のことだ。本当に猛暑だったのだろうか。1923年夏は、永井荷風(断腸亭日乗)や多くの文豪が日記の中で、こうした夏の異変を書き残している。そして関東大震災に至った。
(関東大震災直前の天気図)
(1923年8月30~31日)〈九州には強い台風が上陸していた〉