関東地方は梅雨の季節。何やら今夏も天候不順の兆しが出てきた。ことに、この6日などは最高気温が15℃にも届かず、あたかも晩秋のような寒さであった。これは、6月の最高気温としては今世紀に入ってから最も低い気温である。気象庁は、今年の夏は『平年並みか、やや暑い』と予測するが、どうなることやら。天候不順の年には自然災害も多い。台風だけではない。地震や火山までが多い。気象と気象は繋がって以上、当然とはいえ、この先は大丈夫だろうか。

 東日本大震災によって忘れられているが、44年前の今日(1978年6月12日)、M7.4の大地震が東北地方を襲った。これは、50万人超の近代都市が受けた初めての震災とされ、宮城県を中心に甚大な被害を生じている。宮城県では震度5だったが、東京など首都圏各地でも震度4を観測していることからも、震度では推し量れない極めて規模の大きな地震だったようだ。

〈この地震ではブロック塀の倒壊で多数が犠牲に〉
(画像はネットから借用)

 宮城県沖では、こうした地震が平均37.1年の間隔で起きている。この地震では、死者28名の他、負傷者は1万人を超え、建物の全半壊は7400戸にも達した。被害の多くは、ブロック塀の倒壊、新興住宅地の地盤崩壊、水田地帯の宅地開発による液状化現象だったことから、建築基準法は1981年を以て厳しく改正された。

〈宮城沖&周辺の地震〉
(画像はwikiから借用)

 1978年に37.1を加えてみて頂きたい。2015から2016年となる。あくまで平均であり、この通りになるとは限らないものの、いつ起きても不思議でない状況にあることだけは確かだ。東日本大震災の2日前(3月9日、三陸沖/M7.3)にもあったが場所もメカニズムも違う。そろそろ要注意ではなかろうか。

 宮城県沖地震では、それまで静かだった伊豆周辺が慌ただしくなっていた。同年1月には伊豆大島近海にM7.0の大地震が発生、横浜でも震度5を観測するなど、死者25名、家屋損壊3200棟に及ぶ大きな被害を出した。その後も伊豆半島では鳴動が止まず、1980年の6月からは東方沖で群発化し、最大でM6.7の地震を発生させている。

 現在、伊豆(諸島)地方は異様な静けさの中にある。日本列島屈指の多発地帯に有感地震すらない。これは1978年に酷似する。伊豆周辺の鳴動は首都圏の地震に直結する場合が多い。1980年には千葉県北西部でM6.1の直下地震が、1982年には茨城県沖を震源にM7.0の地震が発生している。

 1978年6月12日の宮城県地方は、曇りのち晴れ、最高気温25.9度、最低気温17.5度の穏やか日和であった。地震も大きくなるにつれ、こうした只中に多い。荒天明けなら更に多い。阪神淡路は強い季節風の吹き止んだ頃合いであり、東日本大震災は湾岸低気圧の過ぎ去った直後だった。直前に大型台風が新潟沖を通過していた関東大震災はいうまでもない。

 因みに、今年は毛虫や青虫といった幼虫をあまり目にしない。よって蝶や蛾も少ない。例年なら、街路樹に群がり、落ちて路面を這いつくばっているはずのアメリカシロヒトリさえいない。小動物ほど自然界の異変に敏感というが、この夏が猛暑、冷夏、干魃なのか、それとも長雨や暴風雨に備えた種の守護本能なのか・・。何れにせよ大地鳴動の前触れでないことを願うばかりだ。

《《参考》》

【昭和52年豪雪と有珠山の噴火】

 昭和51年(1976年)12月~昭和52年(1977年)2月 にかけては列島各地で大雪。 低温傾向も顕著で、平均気温は全国的に平年より2~3℃低く、東北地方や北陸地方では30cmから100cmの日降雪量を観測する。 ことに青森の最深積雪は195cmに達した。2月中旬には鹿児島で20cm、八丈島で2cmの積雪があり、青ヶ島でも40年ぶりの積雪を観測している。また翌年(1977年8月6日)には北海道有珠山で噴火があった。

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《余談》

【プロボクシング/バンタム級・最強伝説】

 この7日、プロボクシングのWBAスーパー&IBF世界バンタム級王者の井上尚弥とWBC世界同級王者、ノニト・ドネア(39)の3団体統一戦がさいたまスーパーアリーナで行われた。結果は大方の予想通り井上の圧勝に終えた。これで井上は23戦全勝(20KO)。

〈井上尚弥の2回KOで決着した因縁のドネア戦〉
(画像は日刊スポーツより借用)

 軽量級とはいえ、たかがバンタム、されどバンタムである。ボクシング好きなら覚えているのではなかろうか。このクラスにはかつて、とんでもないハードパンチャーが存在していた。ルーベン・オリバレスとカルロス・サラテ(共にメキシコ)のことだが、その戦績が凄い。

〈オリバレス(左)とサラテ(右)〉
(画像はネットから)

 ルーベン・オリバレス(1947年生まれ)は、1965年プロデビューするや破竹の勢いで連勝を続け、それも26戦全てがKOであった。 1967年は、ファイティング原田の実弟である牛若丸原田、1969年には(1964年)東京オリンピック金メダリストの桜井孝雄と対戦して共にKO勝ち。同年、51勝49KO(1分)といった驚異の戦績を引っ提げ、ライオネル・ローズが持つWBA・WBC世界バンタム級王座に挑戦し、5回KOで勝利する。その後も防衛2回を果たすものの、1970年、チューチョ・カスティーヨに14RKOでプロ初の敗北を喫して王座から陥落した。通算戦績は104戦88勝78KO13敗3分。

 一方、カルロス・サラテ(1951年生まれ)も1970年、プロデビュー戦を3RKOで飾って以降、23戦目まで全てKO勝利。24戦目で初めて判定決着になるも、次の試合から39戦目までは連続してKO勝ちを収めた。 1976年、40戦目にして世界初挑戦。WBC世界バンタム級王者ロドルフォ・マルチネスに挑み、9RKOで勝利する。その後、この王座は9度防衛するが、その全てがKO勝である。 晩年は衰えが見られたものの生涯戦績は70戦66勝(63KO)4敗と、そのKO率たるや90%を超える、こちらも驚異的なものであった。

(戦績はwikiから引用)

 残念なのは、この二人が拳を交えることなく終えたことだ。もし井上が戦ったなら、どんな結末を迎えるだろうか。井上尚弥29歳。4団体統一に成功したなら、スーパーバンタム級にクラスを上げて、ステファン・フルトン(米)と戦って欲しい。バッキャオ(比国)は小さな体ながら、フライ級(50.80kg)からスーパーウェルター級(69.85kg)まで制覇している。その差約20kg。1階級(約2kg)上げるだけでも難しいとされる競技だけに正に超人である。井上はまだ若い。

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《折り紙》

【幻の右ストレート】

「・・・・・・🤕」