『ロッキーVSドラゴ ROCKY IV』 「大ヒット上映中」 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ロッキーVSドラゴ ROCKY IV』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2021年/アメリカ映画/94分
監督:シルベスター・スタローン
出演:シルベスター・スタローン/タリア・シャイア/バート・ヤング/ドルフ・ラングレン/カール・ウェザース/ブリジット・ニールセン/マイケル・パタキ/トニー・バートン/ロッキー・クラコフ/シルヴィア・ミールズ/R・J・アダムス/アル・バンデイエロ/ドミニク・バルト/ダニアル・ブラウン/ジェームズ・ブラウン


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:シルベスター・スタローン


やりすぎ限界男優賞:カール・ウェザース


やりすぎ限界男優賞:ドルフ・ラングレン


やりすぎ限界女優賞:タリア・シャイア


やりすぎ限界男優賞:トニー・バートン


やりすぎ限界男優賞:バート・ヤング


やりすぎ限界女優賞:ブリジット・ニールセン


やりすぎ限界男優賞:ジェームズ・ブラウン


[「神になった」『淀川長治 映画の部屋』]



■『ロッキー3』より

昔『淀川長治 シネマパラダイス』に書かれた「岡田喜一郎」の「第九章 淀川長治・名語録」、

■「ビム・ベンダース監督の『夢の果てまでも』を見たとき。あまりのひどさに体がふるえ、食欲はゼロ。ひとりでホテルに戻って、もしも、これで死んでしまったら、自分の映画人生は一体なんだったのかと思ってしまった。
 ざるそばが食べられるようになったのは、次の日の夕方であった」


を読んだ「鶏」は、「震撼」「驚愕」「絶句」で「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。





■『ロッキー3』より

だが「1995年」『リスボン物語』公開時の『淀川長治 映画の部屋』を見た「鶏」と「幼馴染のT」は、「さらに」「もっと」、「震撼」「驚愕」「絶句」で「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。記録が確認できないため僕の記憶に頼るしかないが、

■「べンダースが懺悔した」

と「連呼」し、TVで何十回も繰り返し叫んだ。





■『ロッキー3』より

「べンダースが懺悔した」と、TVで何十回も繰り返して叫ぶ淀川長治先生を見た「幼馴染のT」は、「極限上から目線」な発言を「砂粒ほど」も気にせず「当然」の様子に、「……きっともう神になったんだ」と呟いた。「鶏」もその言葉を疑うことなく「神になった」ことを「確信」した。

[「こんなこと絶対起きる訳がない」「絶対ありえない」「妄想」「幻覚」「白昼夢」「超バカバカしい」「クソして寝ろ」か? 「鶏の祈り」が「スタローンに届いた」]



1位『ロッキー・ザ・ファイナル』(または『ロッキー2』)
2位『ロッキー2』(または『ロッキー・ザ・ファイナル』)
3位『ロッキー3』
4位『クリード チャンプを継ぐ男』
5位『ロッキー』
6位『クリード 炎の宿敵』
7位『ロッキー5 最後のドラマ』
8位『ロッキー4 炎の友情』

「回顧録」で『ロッキー』8部作の順位を「恐るべき極限のくそリアリズムがある順番」として『ロッキー4 炎の友情』を「最下位」にした。だが『ロッキーVSドラゴ ROCKY IV』が「4作目」となるなら「順位を変えねばならなくなった」。まだ「1回」しか見てないから何位にランキングか「ちゃんと」「判断」はまだ難しい。だが「最下位じゃなくなった」。



■『ロッキー4 炎の友情』より

今「SNS時代」。外国語は「ざっくり」でも簡単に翻訳して読める。「こんなこと絶対起きる訳がない」「絶対ありえない」「妄想」「幻覚」「白昼夢」「超バカバカしい」「クソして寝ろ」か? 『ロッキーVSドラゴ ROCKY IV』で僕が書いた「悪口部分」が「極限領域」まで「修正」された。

■「スタローンが懺悔した」

「鶏の祈り」が「スタローンに届いた」と、「神になった」「思い上がり」でビールにベロンベロンに酔っ払い「泣きながら」「極限領域勘違い」。

だが「やっぱり」「妄想」「幻覚」「白昼夢」「クソして寝ろ」。単に僕と同じこと思ってた人が「全世界規模」で「何十万人」も「いた」というのが「真実」「現実」。誰よりも「シルベスター・スタローン」「本人自身」が、実はずっと「間違い」だと思ってたことを「確信」した。

[「CG」に「絶対頼らない」「編集」]



■『ロッキー4 炎の友情』より

「「全世界の英雄」アポロの「死」の「理由」が、映画史に「栄光」を残した『ロッキー』シリーズを、「子供マンガ」級「ファンタジー映画」に墜としてしまった」と書いた。





■『ロッキー4 炎の友情』より

「CG」を使えば「アポロを殺さない話」も現代なら撮り直せるかもしれない。だがスタローンは「CG」に「絶対頼らない」で「すでにある素材」で変更する方法を選んだ。





■『ロッキー4 炎の友情』より

映画において「編集」がどれほど「ヤバい」か、『ロッキーVSドラゴ ROCKY IV』が「全世界」に証明した。『ロッキー4 炎の友情』とは「全然違う話」に成り果てた。





■『ロッキー4 炎の友情』より

「アポロを殺す話」を「CG」で変更しないなら、「アポロを殺す話」が「現実」「実話」「本当にそう見える」恐るべき極限のくそリアリズム「極限領域」まで「変更」「修正」。“本気”。「執念」の「極限編集」「極限屁理屈」で「4作目」『ロッキーVSドラゴ ROCKY IV』は、「アポロを殺す話」を「現実」「史実」に見えるまで「豹変」させた。

[ “本物” 「天才」]





■『ロッキー4 炎の友情』より

『ロッキーVSドラゴ ROCKY IV』を見て「まず」「びっくり」するのは、「94分」中「42分」が「未公開シーン」。「約半分」も「新しいシーン」じゃもはや「全然違う話」と言って大袈裟じゃない。



■『ロッキー4 炎の友情』より

「1985年」『ロッキー4 炎の友情』から「1988年」『ランボー3 怒りのアフガン』までの頃、スタローンの「筋肉」「極限の美」は「ステロイド」の「極限領域」だった。「やりすぎ」で精神に支障をきたしてる「噂」があった。

だが精神に支障をきたしてる「噂」がありながら、『ロッキー4 炎の友情』は「1985年全米大ヒットNo.1」『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に次ぐ「2位」。「ゴールデンラズベリー賞」「8部門ノミネート」「5部門受賞」にも拘らず「全世界」「大ヒット」。精神に支障をきたしてたかもしれないが、「当時」「商品として売る」ためのスタローンの「判断」は「正しかった」ように見える。





■『ロッキー4 炎の友情』より

「今」の視点で「もしも」「1985年」に『ロッキーVSドラゴ ROCKY IV』を公開して、「商品として売る」「1985年全米大ヒットNo.2」になったかは「疑問」。「商品として売る」ため「だけ」なら、「1985年」では『ロッキー4 炎の友情』の方が「正しかった」のかもしれない。

だがここで「シルベスター・スタローン」が恐るべき “本物” 「天才」であったことを今回「さらに」思い知らされる。精神に支障をきたしてる「噂」がありながらスタローンは、「子供マンガ」級「ファンタジー映画」版にしない「恐るべき極限のくそリアリズム」版「42分」「すでにある素材」を撮影してた。「1985年」「当時」から「どっちにするか」「判断」した上で、「商品として売る」ため「だけ」に徹底した『ロッキー4 炎の友情』の「編集」だったのだと「初めて」思い知らされた。

[ “本気” 「シーン2」から「涙腺決壊」]



■『ロッキー4 炎の友情』より

『ロッキーVSドラゴ ROCKY IV』を見て冒頭「シーン2」から「涙腺決壊」。「ここまでやるか!」 「アポロを殺す話」を「現実」「実話」「本当にそう見える」まで恐るべき極限のくそリアリズム「極限屁理屈」で「極限編集」するなら、もはや「ここから」というスタローンの “本気” がもう「シーン2」から思い知らされた。

「子供マンガ」級「ファンタジー映画」版『ロッキー4 炎の友情』と「大違い」。「ロッキー」「アポロ」「ドラゴ」を「本物の生きてる人間」に「豹変」させたの見て「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」、「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。

[「戦争」「最初からロッキー・バルボアを殺しにきた」『ロッキー5 最後のドラマ』を超える「シリーズ最大の悲劇」 “本物” 「黒歴史」]



■『ロッキー4 炎の友情』より

「アポロを殺す話」を「現実」「史実」「実話」に恐るべき極限のくそリアリズムで「変更」「修正」するため、「ギャグ」「笑い」を「完全削除」。もはや「子供ニコニコ笑顔」で「パパ しっかり!」なんて応援する「めでたい」「子供マンガ」級「ファンタジー映画」じゃない。「3代目」から「4代目」に代替わりした『007 リビング・デイライツ』級「ショック」「衝撃」。



■『ロッキー4 炎の友情』より

「今」の社会情勢ともリンクする「社会主義」本来の「怖さ」恐るべき極限のくそリアリズム。「もしも」軍事政権がクーデターを起こすような国が挑戦してきたら、本来なら『ロッキーVSドラゴ ROCKY IV』のようなことだろう。スポーツという「肩書」を「きっかけ」に、「開戦」を「挑発」する。「最初からロッキー・バルボアを殺しにきた」「戦争」だった。「全然違う話」への恐るべき極限のくそリアリズム「極限編集」の「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。

最初から「戦争」だから、アポロは受けて立たねばならないことを強調する。「アポロを殺す話」を「想定できた事態」に「極限屁理屈」で「変更」「修正」。『ロッキー5 最後のドラマ』を超える『ロッキー』8部作「シリーズ最大の悲劇」 “本物” 「黒歴史」に「豹変」させた。

[「もう一度撮り直せるとしたら、アポロは殺さない」]



■『ロッキー4 炎の友情』より

■「もう一度撮り直せるなら、アポロを殺しはしない?」と問いかけると、スタローンは「絶対しないよ。」と答え「やり直せるなら、アポロは殺さない、絶対にね。馬鹿げてたよ」と語り、アポロが、名トレーナーとして生き活躍している別の展開も考えられたことを力強く語る」

「もう一度撮り直せるとしたら、アポロは殺さない」と明言するくらい、「やっぱり」「完全」「間違い」だった。



■『ロッキー4 炎の友情』より

だが「CG」に「絶対頼らない」「すでにある素材」で「変更」「修正」するなら、『ロッキー』8部作「シリーズ最大の悲劇」 “本物” 「黒歴史」こそが、僕にも恐るべき極限のくそリアリズムで「現実」「史実」「実話」っぽく「本当にそう見える」。

僕は「1986年」日本公開当時「鶏程度の脳みそ」しかないのに、「2150ポンド」のドラゴのパンチを「何百発」も喰らうロッキーを見て、「こんなに殴られたら死んじゃうよ」と思った。



■『ロッキー4 炎の友情』より

ところが『ロッキー・ザ・ファイナル』のごとく、殴られる「効果音」まで「極限編集」で「変更」「修正」。もう一度確認しなければならないが「殴られる量」も減ってたように見えた。「約半分」「42分」が「違う芝居」。全シーン「1シーン1限界」だが、最期の「誰でも変われるはずだ!」まで、「芝居」の恐るべき「豹変」にビビって震え上がり「泣きながら」大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。

『ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV』はもはや『クリード 炎の宿敵』に「完全」「繋がる話」として、「ロッキー」「アポロ」「ドラゴ」他「登場人物全員」を「本物の生きてる人間」に「豹変」させた。




画像 2022年 9月