『わたしに××しなさい!』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『わたしに××しなさい!』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2018年/日本映画/96分
監督:山本透
出演:玉城ティナ/小関裕太/佐藤寛太/山田杏奈/金子大地/オラキオ/高田里穂/朝比奈加奈

2018年 第34回 やりすぎ限界映画祭
2018年 ベスト10 第8位:『わたしに××しなさい!』
やりすぎ限界審査員特別賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『わたしに××しなさい!』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:玉城ティナ


やりすぎ限界男優賞:金子大地


やりすぎ限界男優賞:小関裕太


やりすぎ限界男優賞:佐藤寛太


やりすぎ限界女優賞:山田杏奈


やりすぎ限界女優賞:高田里穂


■第2稿 2023年 1月15日 版

[「絶対ありえない」恐るべき「衝撃コント」]




■「生徒会長 北見時雨
  成績優秀 学校一の人気者
  こいつだけは
  何のモデルにもならん
  いつも同じ笑顔 同じ物腰
  外っ面はいいが
  何の人間らしさも感じない
  つまらん男だ…」





『わたしに××しなさい!』を「初めて」「予備知識皆無」で見て、その「絶対ありえない」恐るべき「衝撃コント」な「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」で「大きい方垂れ流し」。「ここまで」「絶対ありえない」恐るべき「衝撃コント」は『英語完全制服』以来の「ショック」「衝撃」。

[「衝撃コント」オンパレード「非現実」]




■「 “彼の手の平から
  甘い熱が伝わってきた” 」
 「もういいだろ」
 「同じ体温になるまで…
   “指を絡ませると 二人の体温が
  じんわりと溶けあっていく” 」
 「もう充分だろ」





氷室雪菜「ユピナ」(玉城ティナ)が高校生でプロの「ウェブ小説家」なの「まず」「絶対そう見えない」。雪菜の「話し方」も「絶対本物の人間じゃない」。北見時雨(小関裕太)がふった女のリストを生徒手帳に書き込んでるのも「絶対ありえない」。落として人に見られる危険性のあることを人間は「絶対しない」。下仁田雄二「担当編集者」のような「話し方」する人間も「絶対この世にいない」。生徒手帳が盗まれた話も恐るべき極限のくそリアリズムなら「大ごと」。人を疑うとなると本当に盗まれたかの確認から「大騒ぎ」「大事件」だろう。




さらに『トワイライト』5部作もぶっ飛ぶ「超カッコいい」「ジャニーズ系超イケメン」「モデル系超イケメン」の時雨と北見氷雨「ドルチェ」(金子大地)と霜月晶「従兄弟」(佐藤寛太)の「3人」「一気」「同時」「言い寄られ」とか、「超ご都合主義」の時雨と氷雨「ドルチェ」が実は「兄弟」とか、映画化権を懸けたウェブ小説の「リアルタイムBattle」とか、「絶対ありえない」「大嘘」。「最期」あんな騒がしい場所で時間内に小説なんか「絶対書けない」。




「まだまだ」「たくさん」「絶対ありえない」ことは多いが、じゃあ「ここまで」「絶対ありえない」「非現実」に「しか」見えない「衝撃コント」のオンパレードじゃ、『わたしに××しなさい!』って救いようのない「大失敗作」なんじゃないのか? 映画として「成立してない」んじゃないのか?

[「極限のくそリアリズム部分」]




だがどんな映画にも絶対「リアリズム部分」はある。「多」「少」の差はあっても「完全皆無」という映画こそ「絶対ありえない」。人間の想像力が生み出す「創作物」である限り、ほんの「ちょっと」しかなくても、「リアリズム部分」がない映画こそこの世に「絶対存在しない」。




僕が『わたしに××しなさい!』に「大きい方垂れ流し」な恐るべき「泣かし」に追い込まれたのは、「衝撃コント」オンパレード部分を超えた「極限のくそリアリズム部分」が、『007 消されたライセンス』のように、「リミッターを振り切ってる」まで「鶏」を「完全共感」させたから。

[「もしも」本当に「実話」だったとしたら]




雪菜「ユピナ」が本当に「ウェブ小説家」、担当編集者も「実在の人物」、時雨と氷雨「ドルチェ」も「超ご都合主義」じゃなく本当に「兄弟」、「リアルタイムBattle」も日本のどこかで「当り前」に開催されてるイベント、……………………、などが、「もしも」本当に「実話」だったとしたら、「関わった人間達はどうなってしまうか?」に、「恐るべき極限のくそリアリズム部分」を見た。




僕も「脚本」や「ブログ」を書く。雪菜のような「大作家」じゃないし、それで生活もできない「程度」の文章しか書いてないが、「読者を共感させる文章を書く」ために、雪菜がした「行動」=「信念」「価値観」「倫理観」に「完全共感」。「絶対ありえない」恐るべき「衝撃コント」な「見せ方」ではあるが「他人事」じゃなかった。




「読者を共感させる文章を書く」ことを、「史実」「実在の人物」を基に恐るべき極限のくそリアリズムで見せた『ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女』。雪菜がしたことは「ヘンリー・ミラー」「アナイス・ニン」達と「全く同じ」。「恋愛経験0」の雪菜が『転校生カケル』を書くためには「疑似恋愛」をしなければ「絶対書けなかった」。

[「人間の思考は全て行動に現れる」]






「人間の思考は全て行動に現れる」とは、人間が話す言葉の全部が、絶対「真実」だけを話してる訳じゃないということ。実際言葉は「嘘」を話してる方が多いかもしれない。




雪菜は時雨のことを「何の人間らしさも感じない つまらん男だ…」と言うが実は「大嘘」。実は「最初」から、「超カッコいい」時雨に「ガン見」だった「自分のことを知らない」。

[「MISSION-1」「私の手を握りなさい」]




雪菜や時雨達は全員「高校生」。「17歳」か「18歳」。絶対「50歳」じゃない。「自分のことを知らない」のは恐るべき極限のくそリアリズムで「当り前」。




「MISSION-1」「私の手を握りなさい」。「超上から目線」だった雪菜が、時雨に手を握られた「瞬間」「豹変」。




「疑似恋愛」によって雪菜は、実は時雨が「ずっと」「気になってた」、「自分のことを知らない」自分を思い知る。「初めて」「自分の感情」に「気づく」。

[「嘘を書くとバレる」]




「嘘を書くとバレる」ことは、僕自身が「かなり」痛い目に遭うまで思い知らされてる。「読者」の反応は、「いいね」「アクセス解析」「フォロワー」とかの反応で嫌でも思い知らされる。

「面白いことを書くためなら何をしてもいいのか?」 人間の「信念」「価値観」「倫理観」を問われる問題。『ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女』の「ヘンリー・ミラー」「アナイス・ニン」達が「人間の道を踏み外した」理由がここにある。「嘘を書くとバレる」から、嘘を書かないために「全部本当に体験」しようとした。雪菜も「全く同じ」。

映画化権を懸けたウェブ小説の「リアルタイムBattle」で、氷雨「ドルチェ」に勝つための「疑似恋愛」が “本物” 「初恋」に「豹変」。ここに「恐るべき極限のくそリアリズム部分」を見た。実は「最初」から、時雨を「ガン見」「好き」「自分のことを知らない」だった雪菜の「自分の感情」が抑えられなくなる「気づき」「豹変」が、「鶏」を恐るべき「リミッターを振り切ってる」「泣かし」に追い込んだ。

[氷雨「ドルチェ」「悲劇性」]




■「俺はこのバトルに懸けてるんだよ
  そのためには
  ユピナっていう踏み台が必要なんだ
  できそこないのレッテル貼られた
  俺が小説家になって
  大人気作家から映画化権奪って
  ブレイクして
  この世の中に俺の存在を
  認めさせたいんだよ!」


「衝撃コント」オンパレード背景が、「もしも」本当に「実話」だったとしたら、「関わった人間達はどうなってしまうか?」 氷雨「ドルチェ」の「反応」「恐るべき極限のくそリアリズム部分」に、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。

「ここまで」「絶対ありえない」恐るべき「衝撃コント」を「最期」「泣かし」に追い込んだのは、氷雨「ドルチェ」の “本気” 「大真面目」な「芝居」が「極限領域」だったのが「かなり」大きかったと思う。

「異母兄弟」「母親違いの兄弟」が「もしも」「実話」だったら、「恐らくこうであっただろう」「部分」が “本気” じゃなかったら、恐るべき「泣かし」に追い込まれなかったかもしれない。氷雨の「悲劇性」が僕には「他人事」じゃなかった。僕が『わたしに××しなさい!』で「一番」「完全共感」した人物が氷雨「ドルチェ」だった。

他にも兄の時雨が「人を好きにならない」理由、「人間ってもんを 信用してないからか」にも恐るべき極限のくそリアリズムを見た。両親が離婚する「哀しみ」「苦しみ」から、時雨が人間を信用できなくなる「悲劇性」「心境」にも共感できた。

[「メガネを外すと美人」]






「恋愛映画」「少女マンガ」などの世界で、「メガネを外すと美人」という「大道」が、いつから存在したか調べると、何が起源か特定できないほど大昔からあるらしい。「メガネを外すと美人」ネタをやった映画で「強烈」な印象に残る『英語完全制服』。他には「男」逆バージョンの『あのコの、トリコ。』。新たに『わたしに××しなさい!』が「強烈」な「ショック」「衝撃」で僕の記憶に刻まれた。

「メガネを外すと」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「イ・ナヨン様」と「同格」。「メガネを外すと」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「玉城ティナ」に「心の弱い部分」を「かなり」「攻撃」された。

「さらに」時雨の「作り笑顔」「仮面」を外すのと、「メガネを外すと美人」を「リアリズム部分」で見せた「さじ加減」にも、「心の弱い部分」を「かなり」「攻撃」された。

[「俺もこうなりたい」]




恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 雪菜「玉城ティナ」に、僕も「ここまで」愛されたい。今度来世で生まれ変われるなら「俺も時雨になりたい」と「死ぬほど」「今」、「心から憧れる」。だが「同時」に、今度来世で生まれ変われるなら、恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 雪菜「玉城ティナ」になりたいとも思った。

恐るべき「極限の美」に生まれ、「超カッコいい」「ジャニーズ系超イケメン」「モデル系超イケメン」の時雨と氷雨と晶の「3人」から「一気」「同時」に言い寄られる。…………「俺もこうなりたい」。……「もの凄く」「うらやましい」。「俺も雪菜になりたい」と「死ぬほど」「今」、「心から憧れる」。心を撃ち砕かれた。

[「決め台詞」]




■「小説 全部読んだ」

「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「メアリー・スチュアート・マスターソン」『マンハッタン花物語』。「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「メグ・ライアン」『ユー・ガット・メール』。「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ジュリア・ロバーツ」『ノッティングヒルの恋人』。………………。「ロマコメ」系「恋愛映画」は、「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「マリリン・モンロー」の時代の「もっと前」からあった。




「決め台詞」とはその台詞「一言」「だけ」で、「これでも泣かないか」な恐るべき「泣かし」に追い込む台詞。『マンハッタン花物語』「引き止める場面よ」。『ユー・ガット・メール』「泣かないで “ショップ・ガール” 」。『ノッティングヒルの恋人』「 “馬と猟犬” の読者も喜びます」。……………………。「映画史」に刻まれる「ロマコメ」系「恋愛映画」の「決め台詞」に、新たに『わたしに××しなさい!』も刻まれた。

「小説 全部読んだ」からの「最期」「止め」の時雨の台詞。恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 雪菜「玉城ティナ」を、そして「鶏」を、恐るべき「泣かし」に込んだ「決め台詞」とは何か、自分の「目」「耳」で「やりすぎ限界映画」を確認してほしい。




画像 2022年 12月