『パッドマン 5億人の女性を救った男』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『パッドマン 5億人の女性を救った男』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2018年/インド映画/137分
監督:R・バールキ
出演:アクシャイ・クマール/ソーナム・カプール/ラーディカー・アープテー/ジョーティ・スバーシュ/リヴァ・ブッバル/ウルミラ・マハンタ/アビマニュ・サルカール/スニール・シンハ/アミターブ・バッチャン

2018年 第34回 やりすぎ限界映画祭
2018年 ベスト10 第1位:『パッドマン 5億人の女性を救った男』
やりすぎ限界パルムドール/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『パッドマン 5億人の女性を救った男』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:ソーナム・カプール


やりすぎ限界男優賞:アクシャイ・クマール


やりすぎ限界女優賞:ラーディカー・アープテー


[「実話を基にした創作」]



「初めて」『パッドマン 5億人の女性を救った男』を見た時、「実話を基にした創作」ということ以外「予備知識皆無」。「これでも泣かないか」まで恐るべき「泣かし」に追い込まれ、「実在の人物」アルナーチャラム・ムルガナンダム氏をモデルにしたラクシュミ(アクシャイ・クマール)の「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。




…………「俺もこうなりたい」。「もの凄く」「うらやましい」。「俺もパッドマンになりたい」と「死ぬほど」、「心から憧れる」まで、恐るべき「やりすぎ限界映画」の恐るべき「泣かし」に追い込まれた。




だが「最期」、恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” パリー(ソーナム・カプール)が、ラクシュミにキスしようとした「瞬間」、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 妻ガヤトリ(ラーディカー・アープテー)の電話が鳴って事態は「豹変」。あまりの「ショック」「衝撃」にビビって震え上がり「マイナス方向」に「震撼」「驚愕」「絶句」で大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。

[「実在の人物」アルナーチャラム・ムルガナンダム氏]






妻ガヤトリが、生理の時に「汚い布」を使ってるの見たラクシュミは、「震撼」「驚愕」して「55ルピー」のナプキンを買う。だがガヤトリは「牛乳だって買えなくなる」「お義母さんから説教される」と、あまりに「高価な物」をビビッて返品させる。




■「こんな夫 恥ずかしいわ
  あなたは誰?
  どんどんおぞましくなる
  女性の脚の間のことに
  なぜ関わるの?
  仕事にも行かないし
  一体 何の病気なの!」


だが医者から「毎月10人ほどの女性」が「汚い布」のせいで「感染症」「病気」となり、「不妊」「亡くなる」現実を知ると、ラクシュミの「心配」「不安」が「倍倍増」まで追い込まれ、高額で買えないなら「自家製」「夫が作った」ナプキンをガヤトリにプレゼント。




だがナプキンの知識など「何一つ殆ど砂粒ほども知らない」ラクシュミが、“本物” を作れる訳がない。「綿」で作った “偽物” はガヤトリのサリーを汚してしまう。どうやったら “本物” を作れるのか? 妻を「感染症」「病気」から守るためのナプキン作りが始まる。




だがナプキンは何度作っても「大失敗」。そのうち「妻」だけじゃなく「妹」「母」にも「恥ずかしい」「正気を失った」「悪霊が取り憑いてる」と叫ばれ一家離散。村人からも「地獄に送れ」「病気」と罵詈雑言の「変人あつかい」。「離婚」の危機まで追い込まれる。ラクシュミは「妻の恥を尊敬に変える」と一人村を出て大学に潜り込み勉強。「ナプキン製造機」を発明。






ラクシュミの「信念」「情熱」に心撃ち砕かれたパリーとの「出逢い」「協力」で、“本物” のナプキンを「2ルピー」で作れる「機械」が、発明の「インド最大の 投資コンペ」「デリー工科大」で「大統領賞」を受賞。「パッドマン」「英雄」となる。さらに「女性100万人が仕事を持つ」ことを目標にした「ナプキン・ビジネス」まで確立。功績はNYまで伝わり「国連演説」に招待される。






「1998年」「実在の人物」アルナーチャラム・ムルガナンダム氏が、新婚の妻シャンティさんの「汚い布」の見て始まった「衝撃」殆ど「実話」。「ヒンドゥー教」の影響もあるのかもしれないが、あまりに高額だったことと重なり、「2001年」インドの生理用ナプキンの普及率は「12%」だった。




「女性の経済的自立と社会進出にまで貢献」したムルガナンダム氏は、「2014年には米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」」に選ばれ、「インド政府からは2016年に褒章パドマシュリを授与」された。

[どこまで「実話」か?]




「予備知識皆無」で「初めて」『パッドマン 5億人の女性を救った男』を見た時、「タイム100」「褒章パドマシュリ授与」まで成し遂げた、「どうやって発明」「どうやって大統領賞受賞」「どうやって普及」「どうやって国連演説」かが、あまりに恐るべき極限のくそリアリズムで「完全実話」に見えた。




だが「もしも」「完全実話」だったら、パリーを「伴侶」に選ばなかったラクシュミに「完全共感」できない「絶対納得できない」。僕は「ヒンドゥー教」の知識を「何一つ殆ど砂粒ほども知らない」のと、「実話との比較なし」な本当に「映画を見る限りのみの視点」でしか最初見れなかったから、ラクシュミが生涯を添い遂げるべき相応しい「伴侶」が、妻ガヤトリじゃなくパリーに見えてしまった。




■「しばらくぶりなのに
   “元気か” とも聞かず
  あのことばかり話して
  ナプキン ナプキン
  全然変わってないわ」
 「聞いてるか
  ガヤトリ」
 「もう縁は切った
  離婚届を送るからな」


今日まで『パッドマン 5億人の女性を救った男』を何回か繰り返し見た。「実話との比較なし」な本当に「映画を見る限りのみの視点」では、妻ガヤトリとラクシュミは「相性が悪い」「相性が合わない」相手に見える。




「妻」「母」「妹」だけじゃない、「インド」での「恥」「病気」「不潔な物」「穢らわしい物」………… と、もうこれ以上ないまでの「罵倒」「誹謗」「侮蔑」の罵詈雑言を「全部覆した」、「どうやって大統領賞受賞」「どうやって普及」「どうやって国連演説」の「全部」が「パリーのお陰」。パリーなくしてラクシュミは「パッドマン」になれなかった。




そもそもパリーがいなきゃ「離婚」しようと別れたガヤトリや「追放」同然で出た村になんか「最初から」「もう帰れなかった」んだから、パリーを「絶対裏切ってはならない」。「もしも」「パッドマン」「英雄」になれなかったら、妻ガヤトリは「復縁」したのか? 「疑問」「不安」が消えない。




ラクシュミも最初は「妻のため」だったが、「義父」から「離婚届を送るからな」と言われた時点でもう「妻のため」の度を越してた。本当に「妻のため」「だけ」なら「前進」か「後退」か決断しなければならなかった。「前進」を決断した時点で「妻のため」「だけ」じゃなく、「自己実現」的思想で「インドのため」まで考えてたように見える。「前進」を決断したラクシュミを救える女性は、もはや同じ「自己実現」的思想の「信念」「価値観」「倫理観」を持つパリーしかいない。

だが調べたらパリーは「架空の人物」だった。

[「架空の人物」パリー]






調べたらパリーは「架空の人物」。「実話」はムルガナンダム氏が本当に「妻のため」「だけ」を「一途な愛」で貫いた。

パリーが出てきたため、「妻のため」「だけ」の「一途な愛」の「実話」が歪んでしまったように「今」見える。妻ガヤトリとラクシュミは「相性が悪い」「相性が合わない」相手に見えたが「そうじゃない」。パリーとラクシュミの方が「自己実現」的思想の「信念」「価値観」「倫理観」で、逆に「相性が良過ぎ」「相性が合い過ぎ」に見えてしまってるのが「真実」。

何で「R・バールキ監督」は「架空の人物」パリーを「創作」「脚色」したのか?




■「映画の物語は、ほとんどが本当のことです。でも、物語を作り上げるうえで、「人生では、助けてもらうことが大切」ということを描きたかった。もう一つは、ラブストーリーの要素も入れたかったということもあります。そのうえで、現実的な話にしたかったんです。完成した映画を観て、ムルガナンダムさんは「なんで(助けてくれた女性がいたのを)知ってたの?」と驚いていました。ムルガナンダムさんの人生にも、全く同じような人ではないですが、助けてくれた女性がいたそうです。ロマンスはなかったそうですが(笑)」

「ラブストーリーの要素も入れたかった」。「インド映画」の特徴について、エンターテインメント性を「盛る」「作風」の「噂」をどこかでを聞いた。国際市場を意識するには必要不可欠なのかもしれない。




だが実話を「脚色」して「盛る」ことで「激しく感動」させるのは、「インド映画」だけじゃない。どこまで「実話」か見た人間が調べることで、「歴史を振り返る」「自分を見つめ直す」機会を与える映画は『タクシー運転手 約束は海を越えて』のように数多くある。

僕の中で「腑に落ちた」。「架空の人物」パリーは「激しく感動」させるためのお客様への「サービス精神」。本当の「実話」はムルガナンダム氏が、本当に「妻のため」「だけ」を「一途な愛」で貫いた。

…………と、思ったが、

「やっぱり」「ちょっと」「おかしい」。僕の中で「腑に落ちない」新たな「疑問」が生まれた。

[『パッドマン 5億人の女性を救った男』「衝撃」殆ど「かなり」「実話」説]




「予備知識皆無」で「初めて」『パッドマン 5億人の女性を救った男』見た時「完全実話」に見えたのは、「ここまで」調べなきゃ確認できないまで、あまりに恐るべき極限のくそリアリズムに見えたから。

「もしも」パリーが「架空の人物」なら、一体「誰」がムルガナンダム氏を、「どうやって大統領賞受賞」「どうやって普及」「どうやって国連演説」に導いたのか? 何で映画は「ここの部分」を「完全実話」じゃなく「架空の人物」パリーにしたのか?




■「ムルガナンダムさんは「なんで(助けてくれた女性がいたのを)知ってたの?」と驚いていました。ムルガナンダムさんの人生にも、全く同じような人ではないですが、助けてくれた女性がいたそうです。ロマンスはなかったそうですが(笑)」

人間が話す言葉の全部が「真実」だけとは限らない。「事情」によって「嘘」を話さなければならない場合もある。「助けてくれた女性」がいなければ、実際ムルガナンダム氏「一人の力」じゃ「どうやって大統領賞受賞」「どうやって普及」「どうやって国連演説」は「絶対ありえない」。




僕自身の「真実」を確認できない最大の言い訳は「インド人」じゃないこと。実際インドに行けば簡単に調べられるかもしれない。だが日本で今僕に与えられた「時間」「資料」ではムルガナンダム氏のことをこれ以上調べられない。人間の話す言葉が「どこまで」「真実」「嘘」か? 実際助けてくれたのは「男性」とか「大学関係者」の可能性もある。だが「もしも」「助けてくれた女性」に「嘘」の可能性があるなら、逆に「ロマンスはなかった」の方にも「嘘」の可能性がある。




「何の得もなし」に、一体「誰」がムルガナンダム氏を「どうやって大統領賞受賞」「どうやって普及」「どうやって国連演説」に導いたのか? あまりに恐るべき極限のくそリアリズムだったから「完全実話」に見えた。「近いことがあった」としか、「今」は思えてならない。




「ヒンドゥー教」について「何一つ殆ど砂粒ほども知らない」から「勝手な想像」しかできないが、「2014年タイム100」「2016年褒章パドマシュリ授与」された「パッドマン」「英雄」は、「妻のため」「だけ」の「一途な愛」じゃなきゃいけなかったんじゃないのか? 「ロマンスはなかった」「ラブストーリーの要素も入れたかった」と「フィクション」「嘘」を「公言」することで「全世界」に対し、インドの「国民的英雄」を「妻のため」「だけ」の「一途な愛」に「逆脚色」したんじゃないのか? と「勝手な想像」するまで追い込まれた。




『パッドマン 5億人の女性を救った男』「衝撃」殆ど「かなり」「実話」説が「腑に落ちる」可能性。「ここまで」僕に調べさせた『パッドマン 5億人の女性を救った男』は恐るべき「やりすぎ限界映画」。




だがもはや自己実現の領域まで「信念」「価値観」「倫理観」+「勇気」「根性」「度胸」「情熱」を貫き、インドの「偏見」「先入観」「思い込み」まで覆した「実在の人物」アルナーチャラム・ムルガナンダム氏の功績の「怖さ」に、ビビって震え上がり「泣きながら」、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。





画像 2023年 1月