『タクシー運転手 約束は海を越えて』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『タクシー運転手 約束は海を越えて』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2017年/韓国映画/137分
監督:チャン・フン
出演:ソン・ガンホ/トーマス・クレッチマン/ユ・ヘジン/リュ・ジュンヨル/パク・ヒョックォン/チェ・グィファ/オム・テグ/チョン・ヘジン/コ・チャンソク

2018年 第34回 やりすぎ限界映画祭
2018年 ベスト10 第4位:『タクシー運転手 約束は海を越えて』
やりすぎ限界グランプリ/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『タクシー運転手 約束は海を越えて』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:ソン・ガンホ


やりすぎ限界男優賞:トーマス・クレッチマン


やりすぎ限界男優賞:ユ・ヘジン


やりすぎ限界男優賞:リュ・ジュンヨル


[「実話」を基にした「創作」]




■「うまいな
  これなら
  いつでも嫁に行ける」
 「サングのママが作った」





何で「実話」を基にした「創作」を撮るのか? 何で「完全実話」を撮らないのか?

「完全実話」にしないのは「ドキュメンタリー映画」を見せたい訳じゃないから。「劇映画」を撮った時点で観客を「激しく感動」させたいからだと思う。




■「事故に遭えば高くつく」
 「嫌みな言い方しやがって
  3000ウォンだ」
 「冗談じゃない
  部品代にもならん」


映画、TV、本、マンガ………… など「創作物」がこの世から「絶対消えない」のは、人間が「感動」することによって「生きる活力」を見出すから。「想像力」を持つ人間は「感動」がないと生きれない。




■「まさか家賃か?」
 「当たり」
 「あきれたね
  家賃を家主から借りる奴が
  どこにいる?」


実際にあった実話を「脚色」して「盛る」ことで、「現実」「完全実話」より「激しく感動」、恐るべき「泣かし」に追い込めるなら、「脚色」して「盛る」方が「数乗」面白くなる。「激しく感動」させたいのは、作り手からお客様への「サービス精神」でもある。




■「どこまで?」
 「光州だ
  通行禁止前に戻ってくる」
 「そりゃ上客だな
  いくらで?」
 「10万だ」





■「さらにチップまで加えると…
  お前にも できそうな仕事だな」







「嘘」を見せちゃいけないんじゃないのか? 僕にも最近まで「迷い」があった。だが「迷い」は消えた。




「実話」を基にした「創作」の「嘘」は、「全部」「嘘」じゃない。たとえ「60%」が「嘘」でも「40%」は「実話」。「40%」は「実在の人間」が「本当にやったこと」「現実」であることに違いない。また最近「40%」の実話を見せることで、その背景の「史実」を思い出させ、観客に歴史を「考える」「思い知る」機会を生み出したなら、「映画化」は大きな意味を持ったと思う。「60%」か「40%」か、「90%」か「10%」か、「どこまで実話」か、見た人間が調べることで、「歴史を振り返る」「自分を見つめ直す」機会を映画は与える。




「実話」を基にした「創作」を撮る意味を最近こう考える。

[「光州事件」「背景実話系映画」]




■「さては
  逃げる気だったな?」
 「持っていけ」
 「 〈払う〉 」





■「カネをやることはない
  思い知らせてやる
  運転手の風上にも置けない奴だ」





見終わってから調べると「1980年」韓国「光州事件」を見せた「背景実話系映画」。またタクシー運転手「キム・サボク」=「キム・マンソプ」(ソン・ガンホ)と、ドイツ人ジャーナリスト「ユルゲン・ヒンツペーター」(トーマス・クレッチマン)は「実在の人物」。キム・サボクがヒンツペーターを光州まで乗せた話は「衝撃」殆ど「実話」。






見終わってから調べると “本物” のキム・サボクには「娘」ではなく「息子」がいて、映画公開の「2017年」、息子は父親とヒンツペーターが映った写真を公開。キム・サボクが「実在の人物」だと証明した。






また見終わってから調べると、“本物” のキム・サボクとヒンツペーターが知り合ったのはかなり前からで、突然出逢った訳じゃなかった。互いに信頼関係のある二人は「解かってて」「計画的」に光州に乗り込んだらしい。キム・サボクは「ソン・ガンホ」のような「激ヤバ」な奴じゃなかったかもしれない。






だが「ソン・ガンホ」は「激ヤバ」だったかもしれないが、「1980年5月20日」「光州事件」は「史実」。




「激ヤバ」「ソン・ガンホ」に魅せられ、「1987年」「民主化宣言」まで、韓国の「民主化」が大変な道のりだったことを調べてしまった。






「さらに」「1948年」アメリカ統治で「大韓民国」建国、「南北分断」したはずが、なぜ「民主化」「光州事件」が起きたか、「韓国」について「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」ことに、「また」「反省」「懺悔」「償い」。「反政府運動」が起きるまでの「軍事独裁政権」だったことを「今頃」思い知る。「朴正煕暗殺事件」「ソウルの春」など「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」。






「銃撃戦」「鎮圧」の歴史を知って「怖さ」に震え上がった。「民主化」主張への弾圧など「絶対許されない」。「今」現在も「民主化」で政府と抗争の続く国が実在する現代、『タクシー運転手 約束は海を越えて』が公開された「意味」を思い知るしかなかった。

[実話を「脚色」して「盛る」]






■「ソウルナンバーのままじゃ
  捕まるぞ
  帰るなら 言ってくれなきゃ」





「貧乏」な一般人マンソプが、「家賃」払う金に目が眩んでタクシーの運転をやってのけたかは定かじゃない。何も知らないで光州に行き、「他人事」じゃなかった「打倒」「戒厳軍」に目醒めたかも定かじゃない。また「自分さえよければいい」と、ヒンツペーターを見捨て一人で逃げようとしたが、助けに戻ったかも定かじゃない。






■「私たちは誓い合いました
  夜が明けたら 始発列車で
  幸せな場所へ
  一緒に旅立とうと」





だが実話を「脚色」して「盛る」ことで「数乗」面白くさせた、「激しく感動」させた、お客様への「サービス精神」が、「貧乏」な一般人マンソプ「ソン・ガンホ」の「人情」、そして光州市民のテスル(ユ・ヘジン)やジェシク(リュ・ジュンヨル)達の「人情」を、「やりすぎ」「激ヤバ」な恐るべき「泣かし」まで追い込ませた。「どこまで実話」か、見た人間が調べることで、「歴史を振り返る」「自分を見つめ直す」機会を与えた『タクシー運転手 約束は海を越えて』は、大きな意味を持つ「偉大」な映画だったと思い知らされた。




画像 2022年 8月