回顧録「いつか見た映画 1977」2『野球狂の詩』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『野球狂の詩』
☆☆☆☆★★[90]

1977年/日本映画/93分
監督:加藤彰
出演:木之内みどり/高岡健二/小池朝雄/桑山正一/五條博/藤岡重慶/野村克也/谷啓/犬塚弘

■1977年 劇場公開作品 2本目

もはや「幼少期」から「筋金入り」の「女好き」だった「鶏」は、「水原勇気」が「ずっと」気になってた。「今日」までその「存在」を忘れたことはなかった。

だが「野球超苦手」「野球大嫌い」の「鶏」は、『ドカベン』とか『あぶさん』とかの「水島新司」など「超絶対NG」。もう内容を確認する前から「偏見」「先入観」「思い込み」で「絶対ごめんなさい」だった。

「男は絶対見たくない」「野球超苦手」「野球大嫌い」の「鶏」は、「大リーグボール」「魔球」な『巨人の星』さえ「ごめんなさい」。『巨人の星』も高校生くらいまで冷静に見るのは「無理」だった。「唯一」「鶏」が見れた「野球アニメ」は『侍ジャイアンツ』「だけ」「しか」ない。だが「回転」して「空に飛ぶ」のがなかったら、「絶対見れなかった」だろう。




そんな「野球マンガ」の主人公が何で「女子」なのか? 「水原勇気」に「ガン見」だった「鶏」は「小学生」から「すでに」『野球狂の詩』に、夏のコンビニの「ブルーライト」に吸い込まれる「虫」のごとく「惹き寄せられてしまった」のだった。

もともと「幼少期」から「筋金入り」の「女好き」だったから、『エースをねらえ!』とか『ベルサイユのばら』は「ガン見」。当然の流れで「水原勇気」も「視界」に入ってた。だが小学生の頃ってなかなか自由に好きなTV番組を見れないから、「アニメ」になったのは知ってたが「ちゃんと」見たことが「今日」まで一度もなかった。断片的に見た映像と「ドリームボール」と耳に残る「主題歌」だけが「うっすら」記憶に残ってて、話の内容を実は「全然知らない」。Amazon Prime Video で「無料配信」されてて「うっかり」見てしまった。



見て思い知った「真実」は『G.I.ジェーン』と「同じ話」だったこと。「男尊女卑」がまだあった時代、「職業」としての「プロ野球選手」に何で女子はなれないのか? という「差別」「偏見」を覆そうとした話で「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で「大きい方垂れ流し」。「どうやって」プロ野球協会の規則を改訂させるか? という、リアリズムな部分もある「真面目な話」だった。

だが「なでしこジャパン」や「ソフトボール女子」が「金メダル」な「今」の視点で、「男女混合」は「絶対ありえない」「非現実」となってしまったかもしれない。「70年代」のリアルタイムな「時代」の「違い」「発想」を、「近代史」として興味深く感じた。「70年代」では「ショック」「衝撃」の「斬新」な「信念」「価値観」「倫理観」で「男尊女卑」に挑戦した。

だが “本気” で「徹底的」恐るべき極限のくそリアリズムまで細部を追求してない。調べたら「水島新司」の「原作」は膨大な量で、とても「93分」にできる長さじゃない。「どうやって」プロ野球協会の規則を改訂させるか? までの話で、完全「つづく」で終わる映画だった。「予備知識皆無」で見たので、「TVアニメ」版の「主題歌」が劇中で流れるの期待してたが流れなかったのも「かなり」「ショック」だった。

だが「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「木之内みどり」がどれだけ「極限の美」だったかは「かなり」思い知らされた。「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「木之内みどり」が「竹中直人」の「妻」だったのと、「木内みどり」とは「完全別人」だと「全然知らなかった」ことに、「反省」「懺悔」「償い」で「大きい方垂れ流し」。


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画像 2022年 12月