『レディ・バード』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『レディ・バード』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2017年/アメリカ映画/94分
監督:グレタ・ガーウィグ
出演:シアーシャ・ローナン/ローリー・メトカーフ/トレイシー・レッツ/ルーカス・ヘッジズ/ティモテ・シャラメ/ビーニー・フェルドスタイン/スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン/ロイス・スミス/オデイア・ラッシュ/ジョーダン・ロドリゲス/マリエル・スコット/ジョン・カルナ/ジェイク・マクドーマン/ベイン・ギビー/ローラ・マラーノ/ダニエル・ゾヴァット/クリステン・クローク/アンディ・バックリー/キャスリン・ニュートン/マイラ・ターリー/ボブ・スティーヴンソン

2018年 第34回 やりすぎ限界映画祭
2018年 ベスト10 第10位:『レディ・バード』
やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『レディ・バード』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:シアーシャ・ローナン


やりすぎ限界女優賞:ローリー・メトカーフ


[「孤独」「黒冬」]




人生「半分以上」終わってしまい、「折り返し」が始まった最近。何でこんな「孤独」に「道を誤ってしまった」か、振り返るばかりの毎日。




『レディ・バード』を見て「涙」が出るのは、「自分の間違い」を「これでもか」まで「死ぬほど」思い知らされたから。普通の「10代の若者」は、『レディ・バード』の登場人物達のようなことに悩み、「青春」の「思い出」を作り上げてくのだろう。だが僕の人生に「青春」は「皆無」。恐るべき「孤独」と「黒冬」しかなかった。

[ “本物” の「ダイナマイト激バカ」]




■「バスタブに横たわって
  オナニーしてたら…
  水が波打って…」
 「エロくない?」
 「3歳の時に快感を知った」





「中学生」「高校生」時代の「鶏」は自分が女にモテない理由を、子供の頃から弱かった体の「せい」だと、自分で「妄想」「先入観」「思い込み」を「決め込んだ」。確かに「運動神経抜群」「特技スポーツ」な男の方がカッコいいが、女にモテる理由はそれだけじゃない。女にモテない「真実」「核」は、「鶏程度の脳みそ」しかなかったから「だけ」「しか」、他の理由など一切「皆無」。“本物” の「ダイナマイト激バカ」だった。「女のことを考える男」になれなかっただけだった。




■「ペニスは触ってない」
 「授業が」
 「自習しよ」





「マイナス思考」は危険なまでに人間の「生」「死」を左右する。体が弱い僕は「運動神経抜群」「特技スポーツ」になど「永遠になれない」から、「俺を好きになる女はこの世に一人もいない」と「勝手に」「妄想」「先入観」「思い込み」を「決め込んだ」。「鶏程度の脳みそ」しかないこと、「知らなかった」こと以上、人間にとって怖いことはない。「もしも」「希望」があること永遠に知らないままだったら、一歩間違ったら本当に「自殺」してたかもしれない。




人生の「折り返し」を迎えて振り返る。「鶏程度の脳みそ」は何であの時、「俺を好きになる女はこの世に一人もいない」と「確信」できたのか? 「女のことを考える男」になれなかった以前に「まず」、「女が人間だと冷静に考えられなかった」ことを思い出した。

[「女が人間だと冷静に考えられなかった」]




「女が人間だと冷静に考えられなかった」最大の「理由」「核」は、「他人のことを考えない人間」「自分のことしか考えない人間」だったから。「他人のことを考える脳みそがなかった」。「この世で辛いのは僕だけ」で、「女に辛いことはない」と「確信」してた。




セックス「させる」「させない」の「恋愛の絶対的主導権」を握る女に、男は「絶対逆らえない」。「もしも」女に辛いことがあるとしたら、「ジャニーズ系超イケメン」「モデル系超イケメン」が自分のものにならなかった時ぐらいだろうと、「他」は、「女に辛いことはない」と、「鶏程度の脳みそ」が「モテないことを女のせいにする」「自分の頭の悪さを正当化する」、「自分に都合がいい」「マイナス思考」で「偏見」「先入観」「思い込み」を生み出し「勝手に」「決め込んだ」。




「常に楽しく生きてる」女に男は「許される」のを待つ以外選択肢などない。「鶏時代」セックスのこと「だけ」「しか」考えられなかったから、セックス「させる」「させない」の「恋愛の絶対的主導権」を握る「部分」「だけ」「しか」視界に入らず、「翻弄」され、女が人間だと冷静に考えられなくなって「自分を見失った」。「正気じゃなかった」「気が狂ってた」。

[「無間地獄」「仏様の罰」]




だから「今日まで」「無間地獄」に堕とされた。「孤独」「黒冬」という「仏様の罰」を受けた。「自分の間違い」に気づいてから「今日まで」、「反省」「懺悔」「償い」の「贖罪」の日々を生きる以外「道」はなかった。




「男以上」に「女に辛いことはある」と「自分の間違い」に気づいてから、「超依怙贔屓」「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ウィノナ・ライダー」『レディ・バード』のような、「女子の生態」映画を「冷静」に見れるようになった。「この世で辛いのは僕だけ」「じゃない」。男性社会で生きる女性の方が「もっと」「辛い」と、「ショック」「衝撃」にビビって震え上がり「泣きながら」「反省」「懺悔」「償い」+「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で思い知らされる時がきた。






■「教えて」
 「何なの?」
 「私を育てるのに
  かかる金額よ
  稼げるようになったら
  きっちり返すから」





「女」「男」関係なく「人間」は「痛み」「喜び」を感じる。僕が「幸せになりたい」なら女も「幸せになりたい」。セックス「させる」「させない」の「恋愛の絶対的主導権」じゃなく、「恐怖」「不安」が消える「安心」「信頼」「癒し」「安らぎ」に到達したかったのだと気づいた。

[「グレタ・ガーウィグ監督」の「痛み」「喜び」]




■「 “童貞だ” って言った」
 「思い込みだよ」
 「初体験を間違えた」
 「前向きに」
 「大失敗よ」





クリスティン=レディ・バード(シアーシャ・ローナン)の恐るべき極限のくそリアリズムを見てて「実話」に見える。調べたら「グレタ・ガーウィグ監督」自身の「都会に出ることを夢見るヒロインの境遇はガーウィグ自身のプロフィールと重なり」な「真実」を思い知る。




■「私のこと好き?」
 「ママは あなたに-
  最高の状態になってほしいの」
 「今の私が最高なら?」







■「すごく やりたかったのに-
  実際はその… 何て言うか
  オナニーのほうが よかった」





■「お願い 口を利いて
  自分でも悪かったと思うよ
  頼むから何か言ってよ
  無視しないで」





「グレタ・ガーウィグ監督」自身が、きっとレディ・バードのような高校生だったのだろう。『レディ・バード』は「グレタ・ガーウィグ監督」の「痛み」「喜び」「全開」。「男以上」に「女に辛いことはある」と、「自分の間違い」を「これでもか」まで「死ぬほど」思い知らされ「涙」が出た。




「鶏程度の脳みそ」しかなく「女が人間だと冷静に考えられなかった」、「女のことを考える男」になれなかっただけの、“本物” の「ダイナマイト激バカ」だった「鶏」の愚かさを、「泣きながら」「死ぬほど」、「反省」「懺悔」「償い」+「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で思い知らされた。




まだまだ僕は、女性への「反省」「懺悔」「償い」+「尊敬」「敬意」「賞賛」「崇拝」が足りない。




画像 2022年 9月