■『ビリギャル 学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]
2015年/日本映画/117分
監督:土井裕泰
出演:有村架純/伊藤淳史/野村周平/大内田悠平/奥田こころ/山田望叶/松井愛莉/蔵下穂波/阿部菜渚美/西村匠平/白土七菜/下山葵/あがた森魚/安田顕/矢島健一/中村靖日/峯村リエ/吉田羊/田中哲司
2015年 第31回 やりすぎ限界映画祭
■2015年 ベスト10 第1位:『ビリギャル 学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』
■やりすぎ限界パルムドール/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『ビリギャル 学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』
[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。
■やりすぎ限界女優賞:有村架純
■やりすぎ限界男優賞:伊藤淳史
■やりすぎ限界女優賞:吉田羊
■やりすぎ限界男優賞:田中哲司
■やりすぎ限界男優賞:大内田悠平
■やりすぎ限界女優賞:奥田こころ
■やりすぎ限界女優賞:松井愛莉
■やりすぎ限界女優賞:阿部菜渚美
■やりすぎ限界女優賞:蔵下穂波
■やりすぎ限界男優賞:野村周平
■やりすぎ限界男優賞:安田顕
■第2稿 2022年 5月2日 版
[「この奇跡は、あなたにも起こる-」]
■「「私は」
「ずっと大人が嫌いでした」
「外見だけで私をダメな奴と
決めつける大人を」
「バカにもしていました」」
■「「尖って反抗することで」
「傷つけられまいと
していたのかもしれません」
「そんな時に」
「私と真剣に向き合ってくれる
大人に出会えました」
「こんな大人に
なりたいって思えた人は」
「坪田先生が初めてです」」
『ビリギャル 学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(以下『ビリギャル』)の惹句「この奇跡は、あなたにも起こる-」は、「噓」か「真実」か?
「慶應義塾大学」「総合政策学部」に「現役合格」した「衝撃」殆ど「実話」、「学年ビリのギャル」工藤さやか(有村架純)が成し遂げたことは、もはや「嘉義農林学校野球部」が「全島優勝」「甲子園準優勝」を成し遂げたことと「同格」。「脳みそ」と「運動神経」の違いはあるが、人間が持つ能力の「極限領域」に位置する。「僕にとって」は「東大合格」や「オリンピック金メダル」とあんま大差ないように見える。
だが「この奇跡は、あなたにも起こる-」なんて聞くと、やろうと思えばわりと気軽にできてしまうように聞こえる。だがここまで「極限領域」な「脳みそ」を持つ人間は少ない。「超てきとう」な「噓」にしか思えない。だが「また」最近、「真実」「現実」である恐るべき極限のくそリアリズムが見えてしまった。
[「知らなかった」]
■「無期停だと
大学上げてもらえないんでしょ?」
「何とかなるっしょ
別に やりたいこととかないし
まあ 私の人生 そんなもんっしょ
そんなもんだよ」
『ビリギャル』には工藤さやかと坪田義孝(伊藤淳史)二人の主人公がいる。「現役合格した」さやかだけじゃなく、「現役合格させた」坪田先生も「同格」の変化を成し遂げた。
さやかが「もともと有名な進学校出身」「偏差値30はあくまで学校内でのもの」という批判も読んだが、たとえ「有名な進学校」だったとしても、訓練や努力を怠ればその能力を維持することはできない。美人な女性だって暴飲暴食やトレーニングの節制を怠れば、モデルのようなスタイルを維持することはできない。
だが「現役合格」を成し遂げた「最大の理由」を、僕は坪田先生の「教え」だと思ってる。偏差値30まで堕ちた学力を、さやかは偏差値70まで上げる方法を「知らなかった」。
「さやか一人の力」では絶対「現役合格」できなかった。そもそも「慶應義塾大学」を受験する発想さえ「知らなかった」。「無期停学処分」だった時点では「慶應ボーイ」という言葉も「知らなかった」なら、「モデルや 女子アナになる率が高まる」ことも「知らなかった」。「慶應義塾大学」を受験する「意味」は、坪田先生の「教え」なくして「知る」ことはできなかった。
[「教え」]
■『ロッキー2』より
「嘉義農林学校野球部」が「全島優勝」「甲子園準優勝」できたのは近藤兵太郎監督の「教え」。『奇跡の人』「三重苦」ヘレン・ケラーが「作家」になれたのはサリバン先生の「教え」。ロッキー・バルボアがアポロ・クリードを「KO」で倒し「ヘビー級世界チャンピオン」になれたのは、ミッキーの「サウスポー」の「教え」なくして成し遂げることはできなかった。
■『ロッキー2』より
確かに「有名な進学校」に入学できる学力はあったのだろう。だがさやかがタバコを吸って無期停学になり、進学もあきらめ自暴自棄に堕ちたのは、学力はあっても、「生きる希望を見出す方法」を「知らなかった」から。担任教師の「西村」(安田顕)も教えなければ、父親「クソジジイ」(田中哲司)も教えなかった。「誰も」さやかに、「生きる希望を見出す方法」の「教え」を授ける者はいなかった。
さらに「学校」や「クソジジイ」、「世間」「社会」がさやかに「したこと」とは、「生きる希望を見出す方法」の「教え」を授けるのではなく、「クズ」と呼び、「外見だけで私をダメな奴と 決めつける」、確かめもしない「偏見」「先入観」「思い込み」で、一人の人間を「バカにした」「見下した」「社会から葬ろうとした」、「残虐」「非道」「人間じゃない」こと。
■「え~ テストって
さやか 嫌いだな
点数が出て終わりでしょ」
「いや 点数が
出てからが始まりだよ
できない所が分かったら
できるようにすれば
いいだけじゃん」
「うわっ 先生 超前向き」
「有名な進学校」の生徒全員が、慶應大学に受かることができるのか? いくら努力しても偏差値を上げられない人間もいる。なのに「この世の何人が成し遂げられるのか?」級の「偏差値40上げる能力」を持つ人間を「社会から葬ろうとした」。
■「少しぐらい勉強したって
ダメな生徒はダメなんですよ」
「西村先生
僕は ダメな生徒など
いないと思うんです
ダメな指導者がいるだけですよ」
「クズ」の烙印を押し「外見だけでダメな奴と決めつける」、「偏見」「先入観」「思い込み」で「社会から葬ろうとした」愚行が、僕には「無罪」の人間を、「浅墓な思考」で「てきとうに生きてる」人間達が、「ちゃんと」「確認した」「調べた」訳じゃないのに「犯人だと決めつける」、「残虐」「非道」「人間じゃない」愚行と「同格」に見えた。
[「逆転無罪」]
■「お前みたいな
トロくしゃあ たわけが
慶應なんて受からんわ
だまされとるんだわ
詐欺だわ 詐欺
わしは一円も出さんでな」
■「この家族は失敗だで
龍太がプロ行くことしか
希望なんてねえわ」
『運命の逆転』『十二人の怒れる男』『12人の優しい日本人』………… のような映画がこの世に存在するのは、「浅墓な思考」で「てきとうに生きてる」人間達が、「ちゃんと」「確認した」「調べた」訳じゃないのに「犯人だと決めつける」愚行が現実に起きてるから。
「てきとうに生きてる」人間達によって、「無実」の人間が危く「有罪判決」を受ける危険性は「今」もある。「犯人だと決めつけられた人間」が「逆転無罪」となった現実が多い中、こんな「残虐」「非道」「人間じゃない」「最低愚行」は「絶対許してはいけない」「絶対あってはならない」。
ちゃんと確認した結果さやかは「逆転無罪」。外見だけの「偏見」「先入観」「思い込み」で「クズ」の烙印を押され「犯人だと決めつけられたさやか」に、坪田先生が「生きる希望を見出す方法」の「教え」を授けた結果「慶應義塾大学」「総合政策学部」「現役合格」。「学校」や「クソジジイ」、「世間」「社会」が、さやかを「有罪」にしようとした「最低愚行」を「絶対忘れてはならない」。
[「人間の本質」を「見極めた」]
■「じゃあ 先生
受かったらどうすんの?」
「はあ?」
「えっ?」
「お前 全裸でな
逆立ちして 校庭一周したるて」
僕が坪田先生に「これでも泣かないか」な恐るべき「泣かし」に追い込まれ、大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」まで、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」、「絶対見習わねばならない」と思った理由は、「世間」「社会」の「外見だけでダメな奴と決めつける」「偏見」「先入観」「思い込み」に囚われず、「教えればできる」という、さやかの「人間の本質」を「見極めた」から。
■「けど それを 君は知らないから
丸いという先入観だけで諦めた
クララだって
ハイジが立つって信じてなきゃ
一生 立てなかった
かもしれない
だからね
可能性があるって
知っておくこっとって
すごく大事なの」
「誰一人見極められなかった」。「無罪」の証拠、「教えればできる」さやかの「人間の本質」を「見極めた」坪田先生の「目」なくして「現役合格」は成し遂げられなかった。絶対「誰に教えてもできたこと」じゃない。一番評価されるべき部分だと思う。「蕃人は足が速い 漢人は打撃が強い 日本人は守備に長けている こんな理想的なチームは どこにもない」「人間の本質」を「見極めた」から、近藤兵太郎監督も「全島優勝」「甲子園準優勝」を成し遂げられた。
[『アンタッチャブル』と「同格」]
■「奴は1926年から申告を怠ってます」
■「帳簿の暗号を説明しろ」
■「帳簿係がこの汽車に乗るのか?」
■「ぜんぶ話す こいつを撃ち殺せ!
助けてくれ 何でも話すよ!」
■「撃て!」
■『アンタッチャブル』より
「瓢箪から駒」「嘘から出た実」。僕には「実在の人物」「小林さやか」と「坪田信貴」の「有言実行」を成し遂げた「執念」「信念」「努力」が、『アンタッチャブル』と「同格」に見える。「有言実行」を成し遂げた「苦しさ」「辛さ」を想像すると、「怖さ」にビビって震え上がり、大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。
■「ああちゃん さやかね」
「うん」
「慶應 行くことにした」
「えっ?
どのケーオー?」
■「目標を下げたら
どんどん低いほうへと
流れていくよ」
「別にいいんじゃね?
元々 低い所流れてた人間だし
先生みたいに いつも前向きじゃ
いられんもんでさ」
「じゃ やめれば?
そんなんじゃ どこにも入れないよ」
■「ああちゃん ごめん」
「えっ?どうした?」
■「つらいなら やめていいのよ
もう 十分 頑張ったもん」
「なんで
そんな優しいこと言うの?」
■「偉そうなこと言える立場かよ!
姉貴だって 受験から逃げて
塾も行かんと
フラフラしとんだろうが
しょせん 俺たちはな
その程度なんだよ」
「てめえと
一緒にすんなよ!
さやかは違う
さやかは あんたとは違うから!」
「真似できる人間」が「この世に何人いるか?」で、僕はその人間が成し遂げたことの偉大さを評価したい。
[「愛の映画」]
■「だから さやかとまゆみの
ために積み立てた
保険と定期を 解約させてほしいの
いつか穴埋めするから」
「別にいいよ
お姉ちゃん頑張ってるし
どうせ パパには
頼めないんでしょ?」
坪田先生だけじゃない。母親「ああちゃん」(吉田羊)妹「まゆみ」(奥田こころ)親友「美果」(松井愛莉)「結衣」(阿部菜渚美)「真紀」(蔵下穂波)「玲司君」(野村周平)や、最初「嫌な奴」に見えたが「寝る」の「担任こーにん」した「西村」達の「やさしさ」「愛」「応援」なくして、「さやか一人の力」だけで絶対「現役合格」はできなかった。
■「そのお金の重み
分かるよね」
そしてさやかが「努力」する姿は、「クソジジイ」や弟「龍太」(大内田悠平)の人生だけじゃなく、「坪田先生」「美果」「結衣」「真紀」「玲司君」達の人生をも変えてしまった。
■「うちらさ
もう さやかと遊ぶのやめるわ
だって あんた 無理してるでしょ」
「1シーン1限界」「全台詞極限台詞」。「努力する人間」の姿が、関わった殆どの人間達を「変化」させた恐るべき「愛の映画」に、「これでも泣かないか」まで恐るべき「泣かし」に追い込まれた。
[「この奇跡は、あなたにも起こる-」とは]
■「さやかも賢くなって
先生みたいになりたいって
思った」
「先生みたいって?」
「うーん
他人の未来のために
必死で頑張れる人… かな」
■「恥ずかしいって何なんですか
私は さやかのことで
何度も学校に
呼び出されてきたけど
恥ずかしいと思ったことなんて
一度もありません!」
誰でも一生懸命勉強したら「慶應義塾大学」に「現役合格」できるなどと言ってる「寝言」「戯言」じゃない。「この奇跡は、あなたにも起こる-」とは、本当は「慶應義塾大学」「現役合格」できる級「脳みそ」を持つのに、生まれた「環境」や育った「境遇」などの「不幸」によって「教え」を受けることができない人間達が、この世にまだまだ「全世界」規模で何人潜んでいるか計り知れない「真実」「現実」、「外見だけでダメな奴と決めつける」で「クズ」の烙印を押され、「偏見」「先入観」「思い込み」だけで、社会から葬り去られようとしてる人間達がまだまだ大勢いる「真実」「現実」の、恐るべき極限のくそリアリズムを表現した言葉だった。
■「慶應文学部 C判定
合格可能性…
50パーセント」
■「わしは 何から何まで
間違っとったみたいだな
あかりは
お前の母親は 偉い女だ
お前が それに気づかせてくれた
今は お前が 我が家の希望だわ」
「ふざけんなよ クソジジイ
さやかのことなんか
何年も何年も
ほったらかしだったくせに
いまさら調子いいこと
言ってんじゃねえよ!」
「知らなかった」者達に正しい「知識」や「信念」「価値観」「倫理観」を伝えていく「教え」。誰と出逢い何を「知る」か「伝える」かで、人間の「人生」「生き様」をも変化させ、「生」「死」にまで影響を与える「教え」というものの「重さ」。「教え」を「知る」「伝える」努力を、人間が「絶対怠ってはならない」大切さを『ビリギャル』は見せた。
画像 2022年 5月