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I think now like this.

日々、感じたこと、思ったことをただ書いておく場所です。

有害物質100倍 怒る市場業者 

という話題に触れて

 

もういいから、早く移転に舵を切ればいい。 

豊洲の地下水にどれほどの有害物質が混ざっていようが、それで魚を洗うの? 
その地下水を使って商売するの? 

しないでしょう? 

この世の中の飲食店、どこが自分の店の地下から出る水を使って商売しているというのだろうか。 
していないでしょうが。 
そんなことできないでしょうが。 
保健所がさせないでしょうが。 

安全と安心。 
安全というのは絶対的なものだと表現するなら、安心というのは極めて相対的なもの。 
専門家は「安全」といっている。この判断は科学的なもの。 
しかし、「安心」なんていう不確かなものを担保しようとするのは、小池さん、少し「人気」を意識しすぎてるんじゃないのか。 

例えば自宅のカギ。1個あればいい。 
その1個しかないカギを自分で管理していれば、合鍵がない以上自宅は安全なのだ。 
でも、「もしこのカギをなくしたら・・・」そう考えた時点で、安全ではあっても安心ではなくなる。 
その安心を担保するために合鍵を作る。 
安心は担保されるかもしれないが、同じ鍵が二つある時点で危険のリスクは上がる。 
そして、安全と安心を両方担保するためには、ふたつあるカギの管理方法をきちっと決めて・・・・運用を管理して・・・・となる。 
その手続きを踏まないと、両方は担保されない。 
そのプロセスの中で欠落していくのは、「安心よりも安全の優先順位が高いのだ」という意識。 
人間、どこかで科学的な安全より、その瞬間自分が感じる安心を大切にしたがる。 
ジェットコースターに乗りたくない、高いところに上がりたくない、その心理と同じだろう。 

専門家会議は、絶対的な安全性を明確にした。 
なのに人々の安心が担保されないから、その安全の価値を相対的に下げようとしている。
おかしな話である。 

人は今、自分の「安心」に重きを置きたがる。 
それも、その瞬間の自分の無知や未熟を棚に上げて。 
言い換えれば、その瞬間の自分の意識や認識、知識や知恵で安心のレベルはあげられるのに、である。 
「100倍のベンゼンの評価が間違って伝わっている」 
その通りだと思う。 

冒頭書いたように、地下水を使って商売をするのではないのだ。 
この地下水を使って商売できないし、その事実をしっかり認識すれば安心はいかようにも担保される。 
なのになぜ、ここまでその「安心」という主観的なものにこだわるのか。 
小池百合子という知事が、ここまでの都政の在り方の対極に回る形で知事になったという背景。 
従来の都政を全否定して、全く異なった観点から都政を作り直そうとしている。 
確かに、従来の都政が全て良かったとは言わないし、そのスタンスはよいけれど、なにも築地市場の豊洲移転阻止をそのシンボルにする必要はないだろう。 
その所為で逆に本来あったはずの「安心」をないことにする必要もない。 
余分な情報を流し、都民の不安を煽ってから、自分が、自分の成果としてそこに安心を届けたい。 
この「スケベ根性」が、まさしく今の豊洲問題を複雑にしているのではないのか。 

地表をアスファルトやコンクリートで舗装していようが、してなかろうが、地下水を使った商売はできない。 
市場に入るどの業者もそんなこと百も承知だろう。 

地下水を無害化する必要なんてないのだ、はじめから。 
豊洲の雰囲気に環境基準を上回る有害物質が混ざっているのだというなら、これは大問題だが、あくまで地下水。 
都民が自らの手でこの地下水をくみ出す術があるなら別だが、都民はこの地下水に触れることさえできないのだ。 
それで充分じゃないの? 
充分安全じゃないの? 
安心すべき状態じゃないの? 

今の状態なら、地下水から市販のペットボトルの中に入っているような水が湧き出さない限り、もう都民の「安心」なんて担保できないじゃないのか。 
こうしてしまったのは、小池都政の失政だと言っていいと思う。 
なんで地下水の水質を、条件項目に加えてしまったのか。 
はなから、使う可能性のない水の質を条件の一項目に加える必要なんかなかった。 
ただでさえ膨大な金が消えて行っているのに。 

もう、小池ファーストは止めて、すぐに本当の都民ファーストに舵を切りなおすべき。 
あとは移転のタイミングだけ。 
どうしても安心が担保されるべきなんだというなら、まだまだ金かかるよ。 
その金は結局都民の懐から集めた金。 

もうやめたら?と思う。 
早く、あの崩れ落ちそうな築地を畳んで、きれいな豊洲で商売したらいいのに。 

■〈小金井刺傷事件〉判決後に冨田真由さん「今から不安と恐怖しかありません」【全文】 
(弁護士ドットコム - 02月28日 20:13) 

というニュースに触れて

 

この量刑が妥当かどうかはわからない。 
どんな犯罪だって、被害者からしたら極刑が妥当だと思うのかも知れないしね。 

確かに、被害者からしたら『たった14年後』かもしれない。 
でも司法が下した量刑はあくまで14年6ヵ月。 
傷害罪ならばMAX15年くらいだから、まぁ重い刑なんだろうね。 
殺人未遂ならば、殺人に等しい量刑だから無期まであるんだろうけれど、この判決からでは、殺意は認めながらも『重い障害事件』として扱ったということなんだろうか。 
感情としては無期、といいたくもなる。 
感覚的には軽いとは思うけど、でも現行法やら判例に照らせば妥当、ということなんだろうか。 
障害の程度が特に重いとはいえ、初犯。 
実刑で14年6ヵ月ならば、障害としては重い方だろうと思う。 
殺人未遂としてもまぁ重い方なんやろうね。 

一審は裁判員裁判。 
控訴したら高裁で裁判官だけによる審理だから、控訴してもう一度判断してもらえばいい。 
高裁の方がタイトな判決が出るケースは多いしね。 

被告としては、被害者が命をとりとめてくれたことに感謝するしかない。 
万一彼女が亡くなっていたら、無期もあったろう。 

彼女が命を落とさずに済んだこと、この事実は結果論。 
報道から知った罪状からならば、彼女が亡くならなかった事は奇跡だったように思う。 
この結果を胸に刻んで、被告は日々反省のみに時間を使うこと。 
仮に控訴されたとしても、被告の側から上告なんて事はせず、司法の裁きに従って欲しい。 

■米コミッショナーがWBC消滅の噂を否定 
(THE PAGE - 02月18日 10:32) 

というニュースに触れて

 

続けるのはいいんやけど、本当に各国のベストメンバーがそろった大会にせないかんよね。 
WBCありきで各国のプロリーグが動いているわけじゃないから、統制をとるのは難しいやけろうけど。 

野球はサッカーとは違って、各国独自の歴史で発展してきたスポーツやから、それを一つのスケジュール表に載せるのって並大抵なことじゃない。 
でも、今後もWBCを続けるならそろそろ真剣にWSBC主導でMLBを抑え込まないと。 
FIFAを見習えとは言わないけど、この大会を本当に世界最強を決める大会にしたいなら、各国のプロリーグにおけるこの大会の位置づけ、価値観を共有して、金銭面、条件面の障壁を取っ払わないとね。 

まぁ、仮にそうなったら、アメリカが世界最強でないことをより浮き彫りにする結果になるんだろうけれど。 

MLBで投げてる日本人ピッチャーが軒並み日本代表に顏を揃えて、世界最強の「野球」を体現する、そんなシーン見たいけどね。 

野球は日本が世界で勝負できる、実力を世界に誇れるスポーツのひとつやから。 
ベストメンバーを揃えられずに早々に負けるなら、見てて面白くないもん。 

来月から始まるけど、前々回みたいなしびれる試合を勝ち上がることができるのかなぁあ。 
3回目の優勝。 

期待してます。 

幸福の科学に“出家”清水富美加がメッセージ

という話題に触れて

 

こうなるならば、女優になるべきではなかった。 
どんな宗教を信仰するのも自由。 
何をしたってその人の勝手だけど、問題は優先順位のつけ方。 
価値観の多様化はいいけれど、金を稼ぐ、稼ごうとする人間が物事の優先順位をいかにつけるべきか、については、どれだけ自分の権利が担保されていたって、いうほど自由なもんではない、と思う。 
そこを勘違いされては困るのです。 
何故ならば、自分の手元に来る金は、誰かが目的をもって払ったものだから。 

芸能界全体が「こういう未成熟な人間が、利害関係者の生活を翻弄してしまえる現実」を重く受け止めなきゃいかんよね。 
彼女自身、結果的にはこういう方法で仕事を投げ出すということよりも、「神のために生きる」ことのほうが優先順位が高かった。 
そういう意味では、それを許してしまう「宗教」というものにある「善」っていかなるものなのか、と思ってしまう。 

プロ失格。 
辞めて次の道に進むなら、順番を間違ってはいけない、と思う。 

 



この子いいね。 
若さ故の独特の感性で、見たもの、感じたことをまっすぐに唄ってる感じがする。 
こういう、若い時期に気持ちを音符にする術を身につけたシンガーは、総じて年齢を経るとともに悩み、苦しむもの。 
どの世界でも同じだけど、若くして大成すると、長い人生で苦しむ期間が長くなるから。
この子がこれからどう育っていくのかを見届けたいなぁと思うシンガー。 
この子の間尺で、へんな利害関係に翻弄されず、すくすくと歌を作ってほしいな。 
大人は、このこれからの才能を利用した金儲けをちょっと控えてw 
歌唱力やルックスだけで勝負するのでなく、感性全てを売り物にするシンガーって居そうでいないし、この国の狭いマーケットでは育ちづらい。 
この才能の芽を摘まぬように。 

これからが楽しみな才能だと思います。 

たまたまふらっと入った駅前のTSUTAYAで、野田洋次郎が楽曲提供したという「フラレガイガール」を耳にして、この子の過去の曲を聞いてみたいと思って聴いたら凄かったw
がんばれ!酸欠少女!!

『M-1グランプリ2016』銀シャリが優勝 12代目王者に 

という話題に触れて

 

なんか、去年のM-1ともちょっと違う雰囲気の中、昔のM-1が帰ってきた感覚で見てました。 
毎回、M-1が終わったら感想を忘れないうちに書くのだけれど、今回も例にもれず、書き留めておきたい。 

① アキナ 
よかったけどなぁ。おしかったけどなぁ。やっぱりトップバッターはしんどいなぁと 
思った。来年から前回優勝者をトップバッターで出して、点つけさせてからやればど 
うやろう、と思うほど、今回のアキナは惜しかったなぁ。 
トップバッターだけが絶対評価、それ以降はトップとの相対評価やからねぇ。 
ネタはよかったし、らしさはよう出てただけに、残念やった。 
TOPで最終決戦まで残るのってやっぱしむつかしいよね。 

② カミナリ 
つっこみがね。もっと練ったほうがいい。いつも言うけど、怒ると突っ込むは違う。 
そこがわかればもうちょっとようなると思うねんけど。 
M-1決勝のレベルではないなぁと思った。 

③ 相席スタート 
男女のコンビでないとできないネタやったことは確か。よう出来てたけど、なんかこ 
う、深みがなくて薄っぺらかったね。 
あとね、下げのところで下ネタ使った時点でアウトよ。下ネタで残れるほど、M-1は 
甘くない。 

④ 銀シャリ 
文句なし。完璧やった。何がよかったかって、やっぱしボケとしての鰻の成長やろう。 
今までは橋本に向けてボケてた彼が、今年はちゃんと客にボケてた。そのボケを橋本 
がきちっ、きちっと言葉巧みに突っ込むっていう、銀シャリのスタイルが一番映える 
形にようやくもってこれたというか、完成したというか。 
この審査員の顔ぶれでこの漫才をやったら勝つしかない、という内容やったね。 

⑤ スリムクラブ 
すべったねぇ。びびるほど滑った。以前、最終決戦まで残ったのは実力じゃなかった 
んよ。相対的に評価されただけ。彼らのような奇天烈なネタって、その日同じ板の上 
に立つメンバーによって評価がぶれる。そのことに対して備えていなかった、という 
か、備えなきゃいけないと感じる感性がなかったのか。その時点でM-1ではしんどいね。

⑥ ハライチ 
ああ、限界なんやなぁと。せっかく自分たちの形をずっと貫いてきて、なんで今回も 
そのスタイルで押さなかったのかな、と。変えなきゃ勝てないと思って変えたんだろ 
うけどね。M-1ってそうじゃないんや。自分らが信じた形をどこまで突き詰めるか。 
突き詰める力を評価されるのがここやから。いつものハライチで行ってほしかったな。 

⑦ スーパーマラドーナ 
めっちゃよかった。テンポもばっちり、ボケも完璧、突っ込みも完璧。非の打ちどこ 
ろなかったなぁ、と思った。松本は「ちょっとボケがしんどいとこあった」っていう 
てたけど、まぁ、それでもやり切ったし、上出来やったと思ったなぁ。 
去年もええとこまで行って、今年ここまでやれたら、来年、真剣勝負で和牛に勝てる 
とこまで来てると思う。来年、勝負やな。 

⑧ さらば青春の光 
ネタがもうちょっとよかったらなぁ、というのが正直な感想。ちょっとしつこかった。 
「能」って言いたいだけやん、「浄瑠璃」っていいたいだけやん、って思わされた。 
ネタをくる力も含めて漫才師やというならば、漫才師としてはそない力があるとは 
思わんし、まぁ普通の漫才師でしょう。 
彼らって「繰り返すことがおもろい」って思てしもてるとこがあるから、それには 
限界があるんやっちゅうこっちゃ。 

⑨ 和牛 
よう出てきた。準決勝で負けたって聞いたとき、あーあと思ったけど、まぁ敗者復 
活で戻ってきたら銀シャリの相手は和牛しかおらんなってちょっと思ってたんよ。 
銀シャリと和牛の差は、最終決戦のところで書くけれど、いつもの雰囲気のネタ 
にあって、練れてる感じはよう出てたし、敗者復活の漫才じゃなかったなぁ。 
でも、銀シャリには及ばない部分あったのは感じた。 

⑩ 最終決戦 
スーパーマラドーナは・・・・噛んでもたな。ボケも突っ込みも両方噛んだ。 
致命傷やったな、あれがすべて。一気に間もずれてもたもん。 
銀シャリはしっかりと高いクオリティで二本そろえた。去年出来なかったこと。 
和牛も同じ。二本目もようできたネタやった。これも去年出来なかったこと。 
銀シャリと和牛の勝負を分けたのは、まぎれもなく「ネックだった方の出来」や 
った。銀シャリはボケがネック。和牛は突っ込みがネック。 れいじは「突っ込み 
うまくなった」って川西のこと褒めてたけど、それ即ちそこがネックやったって 
こと。 
鰻のこの一年。ピンでおはよう朝日ですの金曜レギュラーにもなって、とにかく 
「しゃべる」っていうことに取り組んでるんやなって思った。 
和牛も同じくおはよう朝日ですでは火曜レギュラーやけど、川西は自分の突っ込み 
が水田を活かしきれてないっていうことにどれほど取り組んだのかなぁって。 
ボケとしての水田、特に女を相手する男の役させたときの水田ってすごいボケ。 
突っ込みとしての橋本。今彼の右に出る突っ込みはおらんと思うほど、センスの 
いい、言葉巧みで間のいい突っ込みができる稀有な存在。 
セールスポイントとしては両者互角。 
あとはウィークポイントをどう埋めるか。 
和牛は水田が一生懸命埋めてた。 
でも銀シャリは鰻が自分で埋めたんよ。自分で一生懸命に。 
結果、橋本の突っ込みがやっと目に見える形で活きた。やっと銀シャリの形が固ま 
った。 
よかったなぁとほんまに思った。 

これから売れるやろうけど、東京でバラエティタレントにはなったらあかんよ?w 
明けても暮れても漫才。中川家みたいに劇場でスターになったらええ。 

やっと銀シャリが獲った。 
来年はたぶん、和牛とスーパーマラドーナの一騎打ちになると思う。今年もうちょっとで敗者復活ってところまで来てたミキが出てきてかっさらうかもしれんけどw 

漫才の質は突っ込みで決まる。 
川西がどれだけええ突っ込みになれるか。 
それが成るか成らないかで漫才師としての和牛が決まる気がした今回大会でした。 



19日、久方ぶりにリリースされたTHE YELLOW MONKEYのシングル。 
「砂の塔」 
というタイトルだけれど、聴いてみると、新譜なのになるほど強烈な懐かしさを醸すのだな、これが。 

彼らの楽曲には、編曲の妙というか、曲の構成に決まった特徴があって、それが俺が彼らに心酔する所以なんだけれど、今回の「砂の塔」、その彼らの特徴に磨きがかかった構成だった。 

メロディの組立て方、使う日本語のバリエーション、そしてその日本語の意味を聴く側の感性に丸投げしてしまう奥深さ。 
即ち、聴く側の国語的な感性を試すのよね。吉井和哉が書く詞って。 
言い方を変えれば、意味はそちらが感じたままで結構、みたいな。 

何より、やっぱり冒頭書いた「懐かしさ」が凄い。 
かつて吉井和哉は、メロディメイカーとしての自分のベースにあるのは「歌謡曲」だと言っていたけれど、昭和40年代生まれの自分たちの世代には、なかなかくすぐるところを心得えてらっしゃる、と感じるのです。 
やはりなかなかこの男、稀代の天才だと再認識した次第で。 

ドラマの主題歌だとのことだったので、実はあまり期待していなかったのです。 
でも、聴いてみたらなんのなんの、どこにも迎合していない、彼らの楽曲だった。 
そこにあったメロディは、学校から帰ってテレビをつけたらやってた、夕方の再放送で見るドラマのテーマ曲のような懐かしさと、その中にちりばめられた、彼ら一流の新しいチャレンジに溢れていた。 

吉井和哉というミュージシャンが、自分のバンドを解散してからこっち、ソロアーティストとして音楽に向き合ってきた軌跡。 
それが、今再び動き出したTHE YELLOW MONKEYの中で発露されていく。 
このミディアムテンポのマイナーなラインって彼らの真骨頂だけれど、でもちょっとタッチが目新しくて。 
THE YELLOW MONKEYは、90年代に自分たちが創り出した音楽の遺産で生きようとしていない。 
とても素晴らしいと感じるわけです。 

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教えてよ コウノトリ 私は何処へいくの 
ボロボロの未来図の毛布にくるまれ 
探しても探しても すぐにまた砂嵐 
温かい母の手をいつか握り締め 
オレンジの馬車に積んだ 黄色いカーネーション 
上にいくほど 傾いた塔 
安定はしない 
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このちょっと古臭い感じのする新しい楽曲を、今の若い子たちの耳にねじ込んだら、どんな感想が聴けるのかなって。 
ちょっと気になった15年ぶりの新譜でした。

■なぜ日本人選手は銀メダルで謝罪するのか? 悪しき習慣を上杉隆氏が斬る 
(まぐまぐニュース! - 08月26日 15:10) 

というニュースに触れて

 

確かに、国際的にみて日本人のこの慣習を「悪しき慣習」と言うならそうかもしれない。
しかし、人とコミュニケーションする中で、相手がどのように感じているか、ということはわからないもの。 
まず自分の気持ちを明確に発露して、返される言葉から相手の気持ちを理解しようとする、それが日本人のコミュニケーションならば、そりゃこういう流れになるわな、と思う。 
メダリストの口からでる「すみません」という言葉は、人々の期待を感じているからこその言葉なんだろう。 
ならば、これを悪しき慣習だとばっさりやる前に、その言葉を受けた我々が「いや、謝らなくていいんだ」という気持ちをしっかり伝えることなんだと思う。 

千葉すずの例を持ち出して、あれを「称賛に値する」と褒める、その対極に今回の一連の「すみません」を置いて論じるのは少し極端すぎると思うなぁ。 
だって、あの当時の競泳と今の競泳では選手のレベルが明らかに違うじゃない。 
時代背景も異なるし、「メダル」というものに対する期待感と選手のレベルが釣り合っていない時代の発言でしょう。 
今はどうですか。 
選手だって強くなった。 
一緒に語るのはちょっと違うなぁと思う。 

「ごめんなさい」という言葉は、自分の気持ちの発露。 
言葉を受けた側が「謝るには及ばない」と思うなら、そう伝えて初めて、このコミュニケーションは成立するのだと思う。 

「なんで謝るの?」 

初めは確かに思ったんだけど、この五輪中、自分の考えも変わっていった。 
メダリストの方々が、「みんなに喜んでもらいたいんだ」と強く思って競技に臨んだなら、結果が出なかった時「喜ばしてあげられなくてごめんなさい」という気持ちになったとしても、それを責める資格は我々にはない。 

だから、「謝らなくていい。あなたはよく頑張った。立派だった。」と思った、そう感じた我々が、伝わるか伝わらないかは別にして、そのことをちゃんと発信してあげなくちゃなと思う。 

「外国人は一人として謝らない」というのが外国人のメンタリティだとして、「まず謝る」というのが日本人のメンタリティだとしたら、「日本人は何で謝るんだ?」と外国で日本人がどれだけ笑われたってどうしたって、我々日本人はそのことを理解しなくちゃいけないように思う。 

「すみません」 
「いやいいんだ」 

この「いやいいんだ」を発言せずに、謝った人間に対して「悪しき慣習」だと、「悪しき」という言葉を使って表現するのは、いささか失礼だと思う。 

アメリカ人に対して謝った時、彼らはその返す言葉でこちらの立場を明確にする。 

No problem 
Don't worry、Never mind 
It's okay! 

問題ない。 
気にするな 
大丈夫 

気にするな、大丈夫、というのは一応謝った側に非があることを認め、そのうえで気にしないで、大丈夫よ、と言っている。 
問題ない、というのは、謝った側の非を認めない場合。 
問題がないのに何を謝っているの?というニュワンスもあるんだと思う。 

だから、謝るメダリストに言えばいい。 

「問題ないよ」って。 

メダルが取れなかったアスリートも、獲れたメダルの色が、自分が欲しかった色と違ったアスリートも。 
オリンピック期間中、あなた方が発した「すみません」に応えます。 

「問題ない。あなたはよく頑張りました。それで充分なんです。」 

これで、アスリートたちとコミュニケーションできた気になるとしたら、日本人のこの慣習は、必ずしも「悪しき」と斬られるものでもないと思う。 

俺は、そう思うんだけどね。 

吉田沙保里「ごめんね」と涙

という話題に触れて

 

 

前日に伊調が4連覇を達成していたから、ますます吉田に期待もかかったわけだけど。 
結果、負けて銀だったけど、大あっぱれだと思う。 
泣きはらした目で表彰式に臨んだあの顔は一生忘れないだろうと思う。 
でもあれこそ「勝ち続けてきたやつ」の顔だった。 
それだけレベルの高いところで戦っていた証左。 
彼女のレスラーとしてのエビデンスだった。 

彼女自身は、絶対4連覇出来ると思っていただろうし、我々も余裕で勝って、「レスリング女子は日本の天下」だと示してくれるだろうと思ってた。 
でもそうはならなかった。 
「大変なことをしてしまった」 
彼女の心を支配したのはそんな気持だっただろう。 
負けた理由を全部自分の中に求め、自己否定という、人として一番過酷な状況に自分をもっていこうとしていた。 
そんな姿を見て、みんな「さおりちゃん謝らないで」そんな気持ちになったと思う。 

でも、本当に彼女を認めるならば、そんな彼女の気持ちの処し方も含めて認めてあげないといかん、と思ったんです。 
ピーピー泣いて、泣いて、ごめんごめんって何度もいう彼女のこと、それも含めて吉田沙保里だから。 

そんな泣かなくていい、謝らなくていいと思う反面、もう気が済むまで泣いて、気が済むまで謝っていいよって。 
黙ってそれを受け止めて、全部受け入れてあげなければって。 
そんな気持ちになったんです。彼女を見ていて。 
吉田沙保里がそうしたいなら、したいようにすればいい、と。 

彼女が何をしても、これまでの彼女が取り組んできた道に日蔭はできない。 
日本代表としてマットに立ち、耳の形が変わるまで練習に、試合に明け暮れた。 
国際大会16連覇。 
そんなここまでの功績はどうしたって色あせない。 
立派だった。本当に。 

見ていてつらかったのは、昨日の彼女。 
各局順番に番組に出て、同じことを聞かれ、同じことを何度も話す。 
TBS、はい次はテレ朝、NHK、NTV・・・ 

今どんな気持ち? 
最後の瞬間どう思いましたか? 
この先どうしますか・・・ 

これを、スタジオ変えて何度も何度も聞かれる。 
それに気丈に応える吉田沙保里がいたたまれなかった。 
やめたれよ、ってほんまに思った。 

こんな時、なんで日本のメディアはひとつになれないのかって。 
話し合って幹事局をひとつ決める。NHKでいいじゃないの。 
映像は共同。時間は15分なら15分と決める。 
各社のキャスターが同じことを何度も聞かなくていいように、質問は集約して幹事局がどのキャスターでいくかを決める。 
自局のキャスターならそれでもよし、ここは松岡修三がいいとか、小谷実可子がいいとか、野村忠宏に聞いてもらおうとか・・・。 
なんなら3人で一緒に、とか。 

生がいいなら、各局がその時間に合わせて一斉同時配信。 
放送局側のスポンサー都合やら、視聴率云々なんて、あくまで放送局側の個別の理由であって、そこに吉田沙保里が歩み寄る必要はないと思う。 
生の対応ができない局は、同じ映像を自分たちの都合で繰り返し流せばいいじゃないの。
なんで、おもてなしの日本のくせに、そういう配慮ができないのか。 
テレビマンにこれくらいの配慮ができれば、またこの国のテレビの前に人が戻ってくるのに。 
アテネからロンドンまで、金メダルを取り続けた功労者のオリンピックでの敗戦を伝えるなら、伝え方にも方法論はあっていい。 

とにかく、「何度も何度も負けたことを話さなければいけない」彼女が、かわいそうでしかたなかった。 

東京、多分出られないでしょう。 
もし出られないなら、今度は裏方として日本代表選手団に関わってほしい。 
彼女のファイティングスピリットを、アスリートとしての気高きプライドを、この国の宝として今後に活かしてほしい。 

「日本に吉田沙保里がいてよかった。」 
「あの吉田イズムが活きて今の常勝日本がある」 

そう言える2020年がくればいい。 
史上最強の銀メダル。 
この結果に、我々はなんの不満もない。 

とにかく、吉田沙保里、お疲れ様。 
ありがとうございました。本当に。 

五輪の「主将」制度に疑問の声 

という話題に触れて

 

このニュース、いくつかの記事を目にした。 
昨今、不寛容化が進む世の中を象徴するような内容だなぁと思いながら。 
この主将制度を批判している人たちは、心のどこかで吉田選手が4連覇を逸した事実を許していないように見える。 
口では「吉田選手謝らないで」と言いながら。 

思うのだ。 
この「主将不要論」を唱えるまでに至った今を作ったのは誰あろう、実は我々なんじゃないかと。 
私はそう思うのである。 
「主将として金メダルを取らなければいけなかったのに、ごめんなさい」 
吉田選手にこのセリフ言わせたのは誰なんだ、と。 
彼女に手前勝手に期待をかけ続けた我々のせいなんじゃないかと。 

私が今回のオリンピックを見ていて感じたこと。 
それは、各競技の日本代表に、精神的ばらつきを感じなかったこと。 
どの競技の日本代表も、同じような高いメンタリティで大会に臨めていたように見えた。

今までは、体操は体操、陸上は陸上、バレーはバレー、水泳は水泳・・・・ 

各々の競技がバラバラに「オリンピックという名の器」に集まり、各々の競技が終わればちりちりバラバラに帰国してまた4年・・・・・。 
国民もそれでよかったし、別にそのことを気にする世論でもなかった。 
でも、2020年東京にもう一度オリンピックが来ることになった。 
各競技、一貫して強化に励み、「日本代表」という言葉の価値が各競技間で揃ってきたんだと思う。 

今回のリオデジャネイロ大会は、その前哨戦。 
東京で日本がどれだけひとつになれるか、その試金石だったんだと思う。 
水泳の頑張りが柔道に勢いをもたらし、柔道の充実が水泳の選手たちの気を引き締め、体操がアテネ以来の団体金をもぎ取る。 
そんな先鋒たちの頑張りが、後に続く他の競技の選手たちに「やってやる」という気持ちをもたらす。 
日本代表選手団というひとつのまとまりを力に変えて、日の丸というあの素晴らしい国旗を抱いて全選手で戦った。 

その中心に吉田沙保里というアスリートがいた。 
日本代表選手団主将として。 

彼女が臨んだ4連覇のかかった大会。 
すんでの処まで近寄った4連覇。 
でも、決勝で敗れて涙に暮れた。 
そして「主将として・・・」という彼女のセリフに繋がる訳だが、そんな彼女の姿を見て今度は「主将制度ってどうなの?」と言い始めた。 
散々4連覇4連覇と笑顔で彼女に圧力をかけ続けたのは我々。 
彼女が涙にまみれてインタビューに応え、 
「主将として・・・」 
そのセリフを口にするまで、彼女が日本代表選手団の主将だったんだと知らなかった人も多くいただろう。 

主将制度の見直しは必要だと思う。 
確かに、主将個人にかかる負担は我々には想像できないほどだろう。 
でも、主将としての彼女がいたから頑張れた選手はたくさんいただろうとも思うし、吉田選手自身も主将を務めたことで得たもの、得たことだって少なからずあるように思う。 
何より「主将として金を」という発言そのものが、彼女がこの大会で得た、この大会でしか得られなかった人としての気持ち、それに他ならないとも思う。 

そして、彼女が4連覇を逃した理由はおそらく「主将だったから」ではない。 

結局、どこかで許せないんじゃないのか。 
吉田沙保里が4連覇できなかった理由を明確にしてほしいんじゃないのか。 
彼女が今回、選手団主将でなければ4連覇できたんだと思いたいんじゃないのか。 
彼女の銀メダルを心のどこかで許していないんじゃないか。 
彼女が4連覇を逸した原因を「主将制度の是非」にすり替えてなにかにその悔しさをぶつけたいだけなんじゃないのか。 

私にはそう見えて仕方がない。 
そんなこと、吉田沙保里は望んでいないだろうと思う。 

私は、彼女に「泣かなくていい」と言いたい。 
それでも彼女の涙は止まらないだろう。 
ならば今度は我々が、彼女の涙が止まるまで彼女を慰めてあげればいいじゃないか。 
今度は我々日本国民全員が、吉田沙保里のこれまでの頑張りを讃えて、みんなでヨシヨシしてあげればいいんじゃないか。 
彼女の涙が止まるまで、彼女が心から笑えるその瞬間まで。 
根気よく、根気よく彼女に寄り添えばいい。 
そして涙が止まればそっと離れて、彼女の日常を邪魔しないように。 
それが「国民が選手を支える」ということだと思う。 

この主将制度を考え直すとすれば・・・・ 

私が思うのは、現役の選手が務めることにこだわらなくていいということ。 
例えば2020年誰を主将にするか、を考えるならば・・・・ 
リオの後、東京までに現役を引退したオリンピア。 
該当者がいなければロンドンまでさかのぼっていいじゃないか。 
・オリンピック出場経験がある 
・前回大会から今回までに現役を引退し、指導者として後進の育成に関わっている。 
こんなことでいいんじゃないかな、と思う。 
要するに「主将専任」として、各競技の横の連帯をアスリートの視点でサポートする。 
一人じゃなくっていい。副主将を複数人おいてもいいじゃない。 
主将を名誉職とし、精神的支柱としてそこにいてくれるだけでいい。 
「選手として戦わない主将」でいいんじゃないか。 
そこで「主将」という名称がそぐわないというなら、名前も変えていい。 

とにかく、現行の主将制度に問題があるというならば、今回の吉田選手の銀メダルと紐づけなくていい。 
純粋に彼女の頑張りを心から讃え、労をねぎらってあげようじゃないか。 
それが我々国民から、吉田沙保里という一流アスリートに対しての敬意の表し方だと思う。 
失意の彼女をみんなで静かに支えてあげようじゃないか。 
みんなで柔らかく支えてあげよう。