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I think now like this.

日々、感じたこと、思ったことをただ書いておく場所です。

天皇陛下の「お言葉」全文 

に触れて

 

今上天皇には、一人の国民としてことのほか思いがあるのです。 
ご即位なさって初めて伊勢神宮をご参拝になられる日、私はそのことを知らずに、偶然仕事で愛知におりました。 
午前中に仕事を片付けて、名古屋駅で昼食を摂ろうと駅に着き、大きな荷物を預けたくてコインロッカーへ向かいました。 
しかし、どこを探してもコインロッカーはすべて使用禁止。 
駅のごみ箱もすべて蓋がされ、一切使用できなくなっていたのです。 
この大荷物をもって食事は摂れないと諦め、新幹線に乗って大阪へ帰ろうと改札へ。 
しかし改札も入場を禁止しており、何があったのかと途方に暮れた時、駅員に「陛下がもうすぐここをお通りになられるので、それが終わるまで入場できない」と告げられたのです。 

改札の前で入場が許されるまで待とうと決め、ただそこでじっと立っていました。 
ほどなくして、大きな筒のように丸められたレッドカーペットを抱えた人が改札を通って中へ入り、それからしばらくしてガタンガタンとホームに新幹線が入線してくる音が響きました。 

ホームへ続く階段の上から、おびただしい量のフラッシュが光りながら降りてきます。 

その中心におられたのが天皇陛下と、皇后陛下でした。私から両陛下までの距離約15m。 
このまま駅の中を通って近鉄電車へ向かわれると後ろから声がして、ああそうなんだなと思ったその時、本来歩く道から左向け左をして、改札の前に立っている私も含めた人々の前に歩いてこられました。 

私の前約5mまで両陛下が近づかれ、微笑みを湛えて手を振るお姿を正面に見ました。 
このことは誰に話しても信じてもらえないのだけど、その時確かに、陛下の背中に光がさしているように見えたのです。 
「後光がさす」 
という光景を生れてはじめて目にしました。 

当時まだ20歳そこそこでしたが、そのお姿を見ただけで、激烈な尊敬の念を抱いたのでした。 

あれから28年。 
これまで、陛下はいつも、「国民とともにある」ということがどういうことか、どうあるべきかを模索しながら、この国の象徴としての姿を国民に示し続けてこられた。 
陛下が心にもたれている「象徴としての在り方」が、ご自分にとってゆるぎない姿であるからこそ、今回、お気持ちを表されることに至ったのだと思います。 

これを受けたすべての国民は、陛下のご意向に添うべく、現制度の足らずを補うように動くべきだと思います。 
これ以上、陛下にご無理を強いてはいけない。 
今まで、その存在で、言葉で、笑顔で我々を護ってくださってきたのです。 
陛下がお元気なうちに、可能な限り楽にして差し上げるべきだと思います。 

そして、一日でも長く、あの笑顔を我々に見せていただけるように、今度は我々国民が全力を尽くすべきだと思います。 
これまで、どんな時にも天皇陛下と皇后陛下は我々に寄り添ってくださった。 
今度は、我々国民のほうから、両陛下に全身全霊で寄り添うべきだと、強く思います。 

大相撲の元横綱千代の富士・九重親方が死去、昨年膵臓がんの手術。

という訃報に触れて

 

 

関脇 千代の富士。 
おじいちゃんがいつぞやの大阪場所に行った、そのお土産にバスタオルをくれた。 
真っ白なそのタオルは、朱色の文字で千代の富士のサインが染め抜かれたもの。 
そのバスタオルを二つに折って、おふくろの腰ひもで腰にくくって、土俵入りの真似をした。 

大好きだった千代の富士。 
思い出の中の千代の富士は、関脇から大関に上がるときの、日の出の勢いで場所を席巻した千代の富士貢、その人でした。 

きれいな水色の締め込みに、人よりも大きく膨らんでいるように見える大銀杏。 
筋骨隆々の身体に長いまつげ。 
立ち合いまでの仕切りの度に相手を睨み付けるあの凄み。 
ウルフとはよく言ったもの。 

立ち合えば鋭く踏み込み、左前みつ一閃。 
ひきつけて頭をつければ電車道。 

一人のお相撲さんが場所ごとに出世していく姿を、子供心にドキドキしながら見守った。
その初めての人が千代の富士でした。 
まだ小学生だった俺に、お相撲さんがどうしたら大関になれるのか、どうしたら横綱に上がれるのかを見せてくれた人。 
そのしくみを教えてくれた人。 
それが千代の富士でした。 

まだ61歳。 
もっともっと生きられたはずやったのに。 
残念、ってこういうことを言うんやろうと思う。 
久しぶりの日本人の横綱を一目見てほしかった。 
自分の手で、日本人の横綱を育ててほしかった。 
それができたはずやったのに。 

血が泣いてる。 
お相撲さんの血が。 
血が泣いてる。 
悲しくて、悔しくて、たくさんのお相撲さんの血が泣いています。 

安らかに。 
 


続く 
どこまでも続く 
この生命力 
僕は死神に気に入られた旅人 
長いGrooveに終わりを告げるんだね 

メチャメチャに引き裂いてくれ 
元に戻らないくらい 
青い空は無責任 
なんか今日は冷たいな 

花を 
この花を 頬に飾ろう 
決して豪華な花じゃないけど 

粉々に引き裂いてくれ 
誰かわからないくらいに 
頭を打ちぬいてくれ 
それぐらい今は寂しい 

僕が侵されたRock'nRollに 
希望なんてないよ 
あるのは 気休めみたいな 
興奮だけ それだけさ 

君の愛で育ったから 
これが僕の愛の歌 
スローモーションで花が散る 
たくさんの思い出と共に 

泣いてる。。。 
血が泣いてる 
血が泣いてる 
血が泣いてる 

血が泣いてる 
血が泣いてる 
血が泣いてる 
血が泣いてる 

血が泣いてるんだよ 
血が泣いてるんだよ 
血が泣いてるんだよ 
血が泣いてるんだよ 

血が泣いてるんだよ 
血が泣いてるんだよ 
血が泣いてるんだよ 
血が泣いてるんだよ 

昨日の朝、目が覚めて何をしようかと考えていたところ、 
「そうだ!心の洗濯に行こう!」 
と思い立ち、いそいそと準備をして出かけた。 

目的地は、舞洲ベースボールスタジアム。 
第98回全国高等学校野球選手権大会の大阪大会である。 
全国の地方大会では続々と代表校が名乗りを上げているが、大阪大会は昨日4回戦。 
我が母校は既に初戦でこっぴどく敗退したけれど、32強には順当に強豪校が勝ちあがって来ていて、16強への切符をかけてふるいに掛けられていく。 

どの球場に行くか悩んだ。 
万博球場で大阪桐蔭を破った北陽と前年優勝の偕成を観るか、豊中で浪商を観るか・・・。 
結局、履正社対柏原、そして上宮太子が出る舞洲にした。 
舞洲に行くのは初めてで、まず行き方を調べるところからだったが、なんでも桜島からバスだという。 
西九条からUSJへ向かう電車に乗り換えて終点まで。 
そこからバスで15分ほどだと。 

USJには6年ほど前に甥っ子と行ったがその時は車。 
西九条から桜島線に乗るなんてどれくらいぶりかと思い出しながら電車に乗る。 
実は1988年くらいの、安治川口の特設ステージであった「LIVE13連発」というイベントに行った時以来約30年ぶりw 
あの時はARBがヘッドライナーで、俺の目当てはSHADY DOLLSとエレファントカシマシ。 
ZIGGYやらUNICORN、KATZEなんかも出てたように思う。 
話がそれた・・・w 

心の洗濯と書いたが、高校野球って心が洗われる気がするのだ。 
特に地方大会。 
試合前の練習から子供らの溌剌とした声。 
きびきびとした動作。 
試合では、ただ勝ちたい一心で野球する。 
相手がいかに強くても、どれだけ負けていても一生懸命でしょ。 
炎天下で、必死に走って、打って、投げて。 
これ、大人には真似できへん事やと思う。 
純真無垢な子供でこそ、絵になるわけで。 

地方大会の応援は鳴り物禁止。 
ベンチに入れなかった選手や、下級生が声を枯らして応援する。 
スタンドに入ったファールボールの回収も、ボールボーイも、チケット売り場にいる子も全部高校生。 
そういう姿を見ると、ちょっとだけ今の自分の怠惰を戒めたくなるのだ。 

第一試合は履正社と東大阪大柏原。 
高校の名前も俺が高校生だった頃とは変わってしまってね。 
履正社は福島商業、柏原も「東大阪大」なんて冠はなかった。 
大阪偕成も元は此花学院だし、あの大阪桐蔭も昔は「大阪産大付属高校大東校舎」だった。 
浪商も今は「大体大付属浪商」だし、北陽だって「関西大学付属」じゃなかった。 
時代の流れなのかなぁ。 
子供の数が減って、高校も経営が厳しくて。 
子供の数を確保するの大変なんやろうね。 

試合の結果、勝ち上がったのは履正社、上宮太子、浪高。 
勝っても負けても、一生懸命な姿が見れたらそれでよいのだ。 

ここまでの試合ぶりからいくと、大阪は履正社かな。 
ピッチャーがよすぎ。 
とはいえ、そこは高校生のそれ。 
どこでなにが起こるかは神のみぞ知る、だろう。 

じゃぶじゃぶと・・・・とは行かなかったが、心の洗濯は出来た・・・かな?w 

8月、大甲子園に集う一握りの球児たち。 
代表校が決まるその過程だって、各地の野球場で高校野球は高校野球として繰り広げられる。 
あなたたちが一心に白球を追う姿は、この国の夏には欠かせないのだよ。 

真摯に、純粋に、必死に、砂にまみれて躍動する姿は、明けても暮れても野球を遊び道具にして育ったおっさんたちにはたまらない心の洗濯なのだ。 

がんばれ。 
負けるな。 

試合の勝ち負けは、そらあるよ。 
でも、この夏、一生の中ではほんの一瞬の高校生の夏。 
野球をやると決めたなら、がんばるのです。 
この夏、試合に負けても、人生の本当の勝負はずっと先にある。 
ここでがんばって、自分の野球に「勝った」と思えたら、ずっと先の来るべき勝負は楽勝です。 

いがぐり坊主達。 
とにかくがんばるのですよ。

 

 

2016年7月6日。 
大阪城ホールにいそいそと出かけた。 



15年と半年。 
凍てつく寒さの中、転ばないようにゆっくり歩いた水道橋からの道。 
真っ白な雪に染められた東京ドームからこの日まで。 

12年。 
解散を発表した前のサル年の七夕からこの日まで。 

やっと帰ってきた。 
灼熱の大阪城ホールに。 
眩しい光を纏い、明らかな未来をしっかり抱いて。 

THE YELLOW MONKEYである。 

今年の1月8日。 
一心に画面に食い入り、金色の蛹を見つめ続けた1時間。 
そのあと、仕事の時以上の速さでマウスを必死に操り、夜中までかかってなんとかチケットの申し込みを済ませてから半年。 

あれから季節が移ろい、春、そして迎えた夏。 
ついにその日が来た。 

5月11日の代々木初日。 
1曲目に「どれを演るのか」に注目が集まる中、19:00に聴こえてきたのは「プライマル。」のイントロ。 
嬉しさ半分、がっかり半分。。。w 

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2001年1月27日。確か土曜日だったと思う。 
この日も雪の中だった。 
渋谷で重大発表があるからと、電車も満足に動いていない中、必死に渋谷へ向かった。 
ガタガタと震えながらハチ公口から見上げたTSUTAYA VISIONに表示されたURLにアクセスすると「シングル"プライマル。"リリース」の告知。 
31日になって聴いてみた感想。 

「なにこのHOUND DOG感w」 

まぁ活動休止直後だったし、こんなもんかと思いながら自分を納得させた記憶だった。 

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その「プライマル。」から始まった今回のツアー。 
大阪も同じ。 
ステージから聴こえてきた音には、かつて感じた「HOUND DOG感w」はもうなくて、初めてliveで聴く新鮮さと懐かしさがないまぜになって、再結成を実感した。 

大阪の前の愛知公演から、ちょっとセットをいじってるようだったから、楽しみにしてた。 
3曲目には、Rock starのイントロ。 
もうこの4人は、今となっては『死んだら新聞に載るようなRockstar』だけど、この曲をひねり出した当時は、夢ばっかりの毎日だったんだろうと思いながら、懐かしい旋律に身体が揺れる。 

今回のツアーに彼らが用意した新たな武器はALRIGHT1曲だけ。 
ステージの構成を見ても、代表曲のオンパレードである。 

『どんな世代の方にも楽しんでもらえる内容にした』 

と吉井和哉は話していたけれど、そのスタンスこそが彼らの本気を浮かび上がらせる。 
商業的な再結成ならまずアルバムを出して、それを引っ提げて全国をまわり、ツアーの最後にスタジアムクラスで締めくくる、的な形でも成功は出来た筈だし、誰も文句は言わなかったろう。 
でも彼らが選んだ再結成の武器は、 
『たった1曲の新曲と、宝箱の中にあった15年前のRock』 
だった訳だから。 
これは、止めた時計を一時的に動かすためだけの再結成ではなく、一度止めた時計を永遠に動かし続けるための再結成。 
今回のステージを見て、そんな4人のファイティングポーズが見えた。 

10代、当時のインディーズシーンに興味をもって、URGH POLICE、ムルバス、16legs、KILLER MAYを知り、20代に彼らと出逢う。彼らのいない30代を過ごして今40代。 
AEROSMITHや、STONESの圧倒的なステージを見せつけられて過ごした30代に欲していた、日本人が日本語で造るRockshowにやっと今出逢えたこの歓びは、筆舌に尽くしがたい。 

コンサート中、演奏される曲に身体を揺らしながら頭に浮かぶのは、過去に見た彼らのステージ。 
大阪城ホール、神戸ハーバーランドプラザホール、西宮スタジアム、そして東京ドーム。 
少しは大人になった今の自分と、若くて、青臭い悩み事ばかりに苦しんでいた昔の自分。 
それを繋ぎ止めて、彼らは俺の記憶の中に一本のまっすぐな線を引いて見せた。 

昔ほど、涙でステージが霞むほどに感激はしなかったんだけど、それはこれまでに俺自身が経験してきた様々なことによる訳で、彼らのステージのせいじゃない。 
でも、カナリヤのイントロが聴こえた時だけは、涙がこぼれたんだけど。 

東京に転勤して毎日毎日忙殺され、いつも疲れてベッドに倒れ込むようにうつ伏せで寝ていたあの頃。 
毎日眠れなくて、いつもしんどかった。 

"Did you sleep well?" 

今はもう仰向けで、すやすや眠れるようになった自分が、若かった頃の赤い目をした自分に囁いているような気がして。 

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♪ 
明日を眺めていた 
遠くで眺めていた 
そこには悲観が転がっていた 
先には小さな花が咲いてた 
--------------- 
かごの中であの夢は 
一人だけの妄想にした 
例え空が晴れていても 
ぜんぜん忘れてない 
ぜんぜん忘れてない 
仰向けで眠りたい 
♪ 
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生きていくのが苦しかったあの頃。 
自分の力の無さと、それでもやらなければならない、という焦りとが毎日戦っていた。 
今となっては、適当に手を抜く術も覚えて悩み事もなくなったけど、でも、あの時の無力感や、悔しさがあって今がある。 

今の若い世代の子達がどんな音楽を望むのかは知るよしも無いけれど、リズムも、旋律も、音色の調整も計算機にやらせるようになったこの時代に、太鼓と弦と、電気の力だけで音を創り、溢れるほどの感性から紡がれた言葉をそれに乗せるような、そんな、「音楽」が元来もつ魅力を存分に発揮させる彼らの音楽はどう響くのだろう。 
親父の棚からこっそりレコードをくすねて、そこから聴こえた音から受ける衝撃。 
その衝撃はやがてときめきへと変わり、親父の棚から自分の棚にそのレコードの居場所が移る。 
彼らが造る音楽は、かつてのデイビッドボウイや、マークボランがそうさせたような、そんな世代間の関係性を作れるような気がする。 

もう二度と解散しないと宣言した彼らが、今後、どんな展開を見せてくれるのか。 
彼らが今度大阪の地を踏むときには、どんな武器を懐に忍ばせるか。 

活動休止、解散を経て再結成、再始動したバンドは数あれど、新しいアルバムや新しいメンバーでファンの目先を変えさせつつ動き出すのが常。 

でも、THE YELLOW MONKEYはその道を選ばず、今まで自分達が走り続けた道筋にこそ解がある、その道筋こそがバンドとして守るべき財産だと態度で示した。 
それは即ち、今まで自分達の音楽を愛し、口ずさみ、感激し、涙を流したファン達に対して、そしてこの再結成の日を信じて12年間、気持ちを温め続けたファン達に対して、バンドとして忠誠を誓ったことを意味するように思う。 

結論、THE YELLOW MONKEYは本気である。 

彼らが生み出すRockと、彼らのliveにしかないGrooveは、電子音に支配されかけたこの国の張りぼてで出来たシーンに豪速球を投げ込む。 

あとは我々が感性を研ぎ澄まして、それを抱き止めるだけである。 

素晴らしいステージだった。

 

 

■英国がEU離脱へ BBC「過半数上回る」、初の脱退例 
(朝日新聞デジタル - 06月24日 13:06) 

というニュースに触れて

 

 

イギリスがEUを離脱する、ということはおそらく、ふたつの「UNITED」の根幹が揺らぐことになる。 
好影響、悪影響含めて単一的な側面で話すのはよくないことだとは思うが、このふたつの「UNITED」にとってはこの先2年の間にいかにデメリットを薄めながら、メリットを確保するかが鍵になるのだろう。 

ひとつはもちろん「EU」のUNITED。 
そしてもうひとつは、「UK」のUNITEDである。 

欧州連合からイギリスが抜ける、ということは即ち「主たる言語として英語を使う国がEUからいなくなる」ということ。 
このことが、ヨーロッパをターゲットにビジネスを展開するヨーロッパ以外の国々にとってどれほどの影響を及ぼすか。 
我が国ももちろん例外ではない。 

イギリスがEUにいるから、英語が使えるからと、イギリスに事業拠点を置く日本企業は多い。 
この先2年の間に1000社ともいわれるこの企業群が、一斉にイギリスから拠点を移すことになるとしたら・・・ 
イギリスと言う国をどのように扱うのか、という細かな調整は欧州各国が必死に考えるのだろうが、貿易の観点から言っても関税がかかるとなれば、日本企業における「対ヨーロッパ対策」は大きく転換を強いられることになる。 
とりわけ自動車産業にとっては大打撃となる可能性が高いと思う。 
となれば、それにぶら下がる様々な産業もあおりを食う。鉄鋼も含めて。 

一大事だろう。 

あと、United Kingdom of Great Britain and Northern IrelandのUNITEDも揺らぎかねないように思う。 
イギリスが、いかに難民を受け入れたくなくとも、それを制限するのと引き換えに大きな代償を払うことになったなら、皮肉なこと。 
いかに社会保障の負担を減らすことができても、肝心の経済が逼迫するようなことになったら、本末転倒である。 
スコットランドにまた独立の動きが出た時、これを止められるだけの魅力がイギリスに宿るかどうか。 
結果的には、イングランドとウェールズだけになってしまうことにならないか。 
EUに加盟していたことで享受できていた経済的メリットと、難民が押し寄せた結果重くのしかかった社会保障の負担。 
このふたつを天秤に掛けなければならなかったことが、結局UKそのものを揺らがせることになるとしたら、国民にとっては悲劇以外の何物でもない。 

対岸の火事だと傍観している日本人も多いだろうが、これ、やはり一大事だと思う。 
日本人の感覚でいえば、イギリスにはEUに残って欲しかった。 
でも、イギリス国民にとってはそうではなかった。 

この温度差が、大きな西風になって日本に吹き付ける。 
ただ凌ぐか、それとも立ち向かって凌駕するか。 
いっそのこと、アメリカに掛け合ってイギリスをTPPの枠組みの中に引き込めばどうだろうか、とさえ思うw 
そんな「ウルトラC」はありえないだろうが。 

平野レミ、息子・和田唱の結婚祝福「おめでタイ!」 上野樹里には料理伝授を約束 

という話題に触れて

 

いやぁよかったねぇ。 

この曲、大好きでよう聴いてた。 
上野樹理が「のだめ」になったらにぎやかな家庭になりそうでw 
素敵w 


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君と歩いて行く道 
先がどうなっているのか 
今はわからないけど 
幸せの形なんてもんは僕らで決めよう 
未来はここにあるさ 

僕が君を連れていこう 
あの頃以上の世界へと 
こんな気持ちにまたなれたのさ 
時がまた過ぎ去っても 
僕はもう見失わないさ 
君と歩いていきたいから 
これからもずっと 

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僕らはこの運命を 
讃えあってもいいんだよ そうだろう Baby 
この広い世界で 僕が君と出会った 
意味を探して きっと見せよう 

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これからいやっちゅうほど、しっかり見せたってくださいw 

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“金スマ”でベッキーの本音を引き出す 自虐も織り込む中居正広の“聞く力” 

という話題に触れて

 

芸能界ってすごいなぁと思う。 
何がすごいって、なんでも金に換えてしまうから。 

今回の番組だって、なにも本当に二人だけで話したわけではないんやしね。 
そら、構成作家もしっかり考えてるやろうし、従来サブにおる人間だってしっかり関わってるわけで。 
ただ、そういう裏方の力を取っ払ったとしたら、一般的には、どこかの居酒屋の片隅で、友人が友人の恋愛事情を聴いているとの同じ構図でしょ。 
それを、テレビで放映するだけで、これだけの反響があって、金になる。 

所属事務所、テレビ局、いろんな人がこれを金にしようとそろばん弾きながら頑張って考えたんやろうね。 
ベッキーの言葉を使って、たくさんの立場の人たちが失地回復を図ったわけで。 

ベッキーが口にした言葉を要約すると、即ち 

「タレント、ベッキーがもう一度芸能界で金儲けすることをお許しいただきたい」 

ということ。 
サンミュージックも、TBSも、ベッキーというタレントが作り出す金の威力を諦められないんでしょ。 
ジャニーズ事務所でさえ、自社のタレントと絡むベッキーの存在をあてにしていると。 
そして誰より、ベッキー自身がそう思ってると。 
まぁそういうことやわな。 

涙流しながら、やれ嘘だったの、奥さんに謝罪しただのを語っても、裏側ではきちっとそろばんが動いていて。 

「最終的に判断するのは視聴者」 
と言えば聞こえはいいけれど、その前にスポンサーはOKしたということやから。 
それでOKなんでしょう。 

まぁ、誰と誰が好き同士になって、どっちに家庭があろうが無かろうが、本人同士が覚悟決めて付き合っているなら、外野がどうこう言うことじゃない、というのが俺の考え。 
結果、その恋愛がどういう方向に向かおうが、全て当事者の問題であって、例えば隣の奥さんが意見したってどうしようもないこと。 
そもそもそういう性質のものじゃないの?恋愛って。 
間違った恋、というのは、少なくとも自分の感情をものさしにすれば、存在しないのよ。
ベッキーは、自分が犯罪でも犯したかのように話していたけれど、自分が恋い焦がれた、自分が好きになって行動した、そのことをここまで否定できるものかな、と思った。 
どれほど自分が未熟でも、恋心はその瞬間の自分に素直に動くものでしょう。 
客観的にそれが誤っていたって、恋愛って主観的なものやん。 
確かに、客観的にもよいとされる恋愛ができれば、それはそれでいいんだけど、あれだけ、過去の自分を否定して、今の自分を認めてほしいと口にする。 
この芸能人の価値観ってなんやろうと考えると・・・・ 

要するに、「もっかいお金儲けさせてください」ってこと。 
結局そういうことやん。 

TBSでこんな形でテレビに出たけど、日テレやフジのテレビマンにはどう映っているのかな。 
うっちゃんや、ぐっさんの目にはどう映っているんやろう。 
そっちが少し気になったw 

まぁ、この記事のことは、中居君の力というより、構成作家の力なんちゃうの? 
生放送ならば、また見方は違うんだけどね。 

スノボ選手 大麻使用で2人処分 

という話題に触れて

 

This is my way. 
It's just a "Sex""Drug""Rock'n ROLL". 

まったくもってその図式だろうと思う。 
スノーボードというスポーツの背景を考えれば、こういう問題は出てくるだろう。 
この競技をSAJが取りまとめるのにもちょっと無理がある気がするし。 
スキーとスノーボードって、別のもの。 

この競技がどういう選手層で成立しているか。 
どんな歴史を重ねて発展してきたのか。 
10代のスノーボーダーが何に憧れて滑っているのか。 
なにを「カッコイイ」と感じるか。 
そこにSAJの大人達が気付いていない限り、この問題は納められない気がする。 

自分のトリックひとつで金が稼げる。金が稼げたら欲しいものは手に入る。 
これは精神論ではないんよ。 
うまいもん食って、女侍らせて、ちやほやされて。 
これを単に勘違いというのは、ある意味でちょっと違う気がするんやな。 
彼らには彼らのフィールドがある。 
そのフィールドは、駅前でギターを弾いている子や、ライブハウスを回っているバンドマンがいる世界と同じ。 
自分の感性と能力だけで勝負できる自由な世界なんよ。 
認められれば成りあがれる、厳しいけど自由な世界。 
そんな自分の力だけで金を稼いでいるプロのスノーボーダーを、無理やりオリンピック精神やらスポーツマンシップにはめ込んでも、歪が出るだけ。 

「強化選手」というくくりは、選手にとってはある意味でSAJの都合だけで作り上げられた、ひょっとしたら「ハタ迷惑」なくくりかもしれない。 
平野選手はしっかり辞退してる。彼の選択がプロ選手の全員とは思わないけど、スノーボーダーにとってオリンピックは決して最高峰ではないということよ。 
彼らはオリンピックよりXゲームに出たい子ら。Xゲームなら、ドーピングとか邪魔くさいこと言わないし。 
ハッパくわえてらりっても、ゲームで飛べれば、勝てればそれで金の入る世界に憧れてる子。 
ミックやキースが、プライベートジェットの中で乱痴気パーティーやりながら移動して、ステージが終われば楽屋にも帰らずその脚でステージ裏のリムジンに乗り込んでホテルのスイートに帰る、そんな映像を見て「いいなぁ・・・」って思うのと同じでしょ? 
武道館満員にする、そのサイドにある生活に憧れてるバンドマンと同じよ。 

例えば過去にポールマッカートニーの来日公演が消え、ストーンズの武道館だって消えた。 
でも、彼らへの憧れは消えなかった。 
そういう、子供が大人になっていく過程に作られる、不確かな価値観に対して、一定のルールで未成年の選手だけをばっさりやるのは、誰のためなのかな、と思う。 
処分されるべきは選手だけじゃない。 
その周囲の大人が処分されて初めて、次のステップに向かえるんじゃないか。 

IOCが冬のオリンピックで人気を得たい、そのスケベ根性だけでスノーボードを引き込んだ。 
ならば、SAJは過渡的にはそこにぶら下がっている選手たちもろとも受け入れる覚悟がないと、オリンピックに魅力を感じないプロ選手が増えるだろうし、結果、オリンピックのスノーボード競技自体に魅力がなくなる。 
だって、オリンピックよりXゲームのほうが金になるんやから。 
「金より名誉」と言える選手が出てくるまでには、まだまだ時間がかかるんじゃない? 

今でこそ、ロックは広く認知されてるけど、昔は不良の音楽だったんでしょう。 
同じよ、同じ。 
スノーボードという競技、そこに生きる選手、それを支えるスタッフ、見る人たち。 
これらを「オリンピック競技」として育てるためには、まだまだ教訓が足りないし、時間もいる。 

果たしてスノーボードがオリンピックに必要か、という議論だって湧いていいと思う。 
これは、オリンピックからスノーボードを排斥するという事ではなく、競技の側から「オリンピックという大会」が選ばれる局面に入ってきている、ということではないのかな。
大麻が合法か違法かとか、倫理がどうとか、人として、とか、そんな邪魔くさいこと関係なく、俺らはボードがしたい、金が稼ぎたい、そういうことなんやろうから。 
「邪魔くさいこというなら、俺Xゲームだけでいいっす」 
こういうことを選手たちが言い出さないとも限らない。 

とにかく、邪魔くさい。 
選手は多分、そう思ってるんやろうな。 

ハリウッドザコシショウ、R-1特需に期待 妻は双子を妊娠中「バイトやめたい」

という話題に触れて

 

巷では、ザコシの笑いがわからんとか、笑えないとか、セオリーがどうとかいうてるけど。 
まぁそうぐずぐずいわんと、ザコシが24年、信じて打ち続けた「明日のためのボディーブロー」がようやく効いた今を受け入れるしかないw 

この人、ほんまに苦労してきたやん。 

茶っぱとコンビ組んでた時から、基本スタイルは変わってない。 
どんだけきわもん扱いされても、頑なにこのスタイルやん。 
継続は力やんw 
ずっとずっとボディー打ち続けたんやんw 

で、2016年3月6日、やっとそのボディが効いたんやん。 
ボディーって効くまではへっちゃらでも、効き始めたら一瞬でダメージは全身に回る。 
もんどりうって倒れるしかないんよねw 

雨上がりも、千原も、三度も、ザコシや茶っぱと大阪でくすぶってた頃から今日までの間に、少しずつスタイルは変わってきてる。 
フットもナイナイも今田も東野もダウンタウンでさえそうやん。 
売れた人たちにしたらそれは「進化」で、その変化があって今がある。 

でもこの人は、あえてその進化を止めて、だまって昔のままの姿勢でボディー打ち続けたんやん。 
吉本辞めて、ナベプロ辞めて、ソニーに行ってもずっと。 

多分、あのR-1見てたザコシと同年代の吉本の芸人たちは、ある意味「羨望のまなざし」で彼を見ていたように思う。 
若い時に無茶してた、あの頃のままのテイストで暴れまわって優勝したんやから。 

千原の二人も、ジャリズムも、雨上がりも、こいちゃんかってみんな、本気になったら人を笑わせ殺すくらいの力はあるけど、売れてテレビ出て、ひな壇におった自分がピンマイク付けてMCとしてカメラの前に立つ、そこにたどり着くまでに、「やったらあかんこと」を嫌というほど刷り込まれて、「売れたかったらこれやるな」と半ば雰囲気に脅されながら成功していったんやろう。 

ザコシはその道を選ばなかったんやと思うねん。 
やりたいようにやって、後ろ指さされても離れ際に必ずボディ打ってきた。 

効いたんよ、そのボディーがw 

多分、今年いっぱいまで持たんと思うよ。 
また来年からバイトせないかんかもしれんw 

でも、打ち続けてほしいねん。 
効くはずないと、誰もが思ってたそのボディーブローを。 
ハリウッドザコシショウって、なんやようわからん名前の芸人が、自分が信じた笑いだけに真っ直ぐ取り組み続けることが、ザコシのスタイルなんやろうから。 
次のダウンは何ラウンド後かわからんけども、打ち続けてやw 

あの「卑怯な笑い」に正面切って取り組めるのはザコシしかおらんのやからw