悪しき、とはいえど | I think now like this.

I think now like this.

日々、感じたこと、思ったことをただ書いておく場所です。

■なぜ日本人選手は銀メダルで謝罪するのか? 悪しき習慣を上杉隆氏が斬る 
(まぐまぐニュース! - 08月26日 15:10) 

というニュースに触れて

 

確かに、国際的にみて日本人のこの慣習を「悪しき慣習」と言うならそうかもしれない。
しかし、人とコミュニケーションする中で、相手がどのように感じているか、ということはわからないもの。 
まず自分の気持ちを明確に発露して、返される言葉から相手の気持ちを理解しようとする、それが日本人のコミュニケーションならば、そりゃこういう流れになるわな、と思う。 
メダリストの口からでる「すみません」という言葉は、人々の期待を感じているからこその言葉なんだろう。 
ならば、これを悪しき慣習だとばっさりやる前に、その言葉を受けた我々が「いや、謝らなくていいんだ」という気持ちをしっかり伝えることなんだと思う。 

千葉すずの例を持ち出して、あれを「称賛に値する」と褒める、その対極に今回の一連の「すみません」を置いて論じるのは少し極端すぎると思うなぁ。 
だって、あの当時の競泳と今の競泳では選手のレベルが明らかに違うじゃない。 
時代背景も異なるし、「メダル」というものに対する期待感と選手のレベルが釣り合っていない時代の発言でしょう。 
今はどうですか。 
選手だって強くなった。 
一緒に語るのはちょっと違うなぁと思う。 

「ごめんなさい」という言葉は、自分の気持ちの発露。 
言葉を受けた側が「謝るには及ばない」と思うなら、そう伝えて初めて、このコミュニケーションは成立するのだと思う。 

「なんで謝るの?」 

初めは確かに思ったんだけど、この五輪中、自分の考えも変わっていった。 
メダリストの方々が、「みんなに喜んでもらいたいんだ」と強く思って競技に臨んだなら、結果が出なかった時「喜ばしてあげられなくてごめんなさい」という気持ちになったとしても、それを責める資格は我々にはない。 

だから、「謝らなくていい。あなたはよく頑張った。立派だった。」と思った、そう感じた我々が、伝わるか伝わらないかは別にして、そのことをちゃんと発信してあげなくちゃなと思う。 

「外国人は一人として謝らない」というのが外国人のメンタリティだとして、「まず謝る」というのが日本人のメンタリティだとしたら、「日本人は何で謝るんだ?」と外国で日本人がどれだけ笑われたってどうしたって、我々日本人はそのことを理解しなくちゃいけないように思う。 

「すみません」 
「いやいいんだ」 

この「いやいいんだ」を発言せずに、謝った人間に対して「悪しき慣習」だと、「悪しき」という言葉を使って表現するのは、いささか失礼だと思う。 

アメリカ人に対して謝った時、彼らはその返す言葉でこちらの立場を明確にする。 

No problem 
Don't worry、Never mind 
It's okay! 

問題ない。 
気にするな 
大丈夫 

気にするな、大丈夫、というのは一応謝った側に非があることを認め、そのうえで気にしないで、大丈夫よ、と言っている。 
問題ない、というのは、謝った側の非を認めない場合。 
問題がないのに何を謝っているの?というニュワンスもあるんだと思う。 

だから、謝るメダリストに言えばいい。 

「問題ないよ」って。 

メダルが取れなかったアスリートも、獲れたメダルの色が、自分が欲しかった色と違ったアスリートも。 
オリンピック期間中、あなた方が発した「すみません」に応えます。 

「問題ない。あなたはよく頑張りました。それで充分なんです。」 

これで、アスリートたちとコミュニケーションできた気になるとしたら、日本人のこの慣習は、必ずしも「悪しき」と斬られるものでもないと思う。 

俺は、そう思うんだけどね。