【今日の1枚】Bacamarte/Depois Do Fim(バカマルテ/終末の後) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Bacamarte/Depois Do Fim
バカマルテ/終末の後
1983年リリース

躍動感あふれるギター&ヴァイオリンを中心とした
ブラジルが誇るラテン・シンフォニックロック

 英語では『After the End』という意味を持ち、世界の終末後の物語を描いたブラジルのP.F.M.との異名を持つプログレッシヴロックグループ、バカマルテのデビューアルバム。そのサウンドは野心的なギター&ヴァイオリン奏者のマリオ・ネトを中心に、優美なフルートとキーボード、生コーラス、そして斬り込むようなドラミングが混在した躍動感あふれるシンフォニックロックとなっている。1,000枚のみの自主制作盤だった本アルバムは最終的にブラジルで1万枚を越す大ヒットとなり、後にProg Archivesコミュニティによって、史上最高のプログレッシヴロックアルバム100枚のうちの1枚に数えられた南米屈指の名盤である。

 バカマルテはマリオ・ネト(ギター、ヴァイオリン)が中心となって、1974年に結成したグループである。マリオ・ネトは1960年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで生まれ、6歳の時からヴァイオリンを中心とした音楽教育を受ける裕福な家庭で育っている。しかし、彼に教育を行っていた女性教師とのソリが合わず、音楽自体を辞めようとしていたが、「音楽を続ければご褒美に誕生日プレゼントとしてギターを買ってあげる」という祖母の言葉によって続けたという。ギターを手に入れて喜んだ彼は、主にザ・ビートルズをはじめとする英国のロックグループの曲を夢中になって弾き、10歳の頃には教育を受けていたヴァイオリンよりもギターの方が上達したと言われている。ある日、ギターの調子が悪くなり、地元の楽器店に修理に出しに行った際、その楽器店にしばしば足を運んでいた当地では名の知れたギタリストであるシラス・アントニオ・サントと出会っている。シラスは後年にアメリカのニューヨークで活動するラテンギタリスト兼作曲家となる偉大な人物である。シラスと仲良くなったマリオ・ネトは、彼の流麗なギターに魅了されてそのまま師事。この頃から本格的にギタリストを目指すことになる。1974年に14歳となったマリオは、すでに自作のレパートリーを手掛けており、クラシックやジャズ、ロックにブラジリアントラッドを組み合わせた楽曲を披露するグループを結成する。メンバーはリオ・デ・ジャネイロのマリスト・カレッジの学生であった3人を含んだ4人編成として活動を開始し、グループ名は祝祭などで使用する殺傷能力のない模擬銃のことを表したバカマルテとしている。彼らは主に地元の高校や大学の学園祭でパフォーマンスを行い、その高い演奏力に多くの支持を集めたという。1977年になると別のミュージシャンが加わったことでメンバーの総入れ替えを行い、マリオ・ネト(ギター、ヴァイオリン)を中心に、セルジオ・ビジャリム(キーボード)、デルト・シマス(ベース)、ミスター・ポール(パーカッション)、マーカス・モウラ(フルート、アコーディオン)、マルコ・ベリッシモ(ドラムス)の6人編成となっている。この編成でライヴを行い、一定の知名度を得た彼らはブラジルの音楽テレビ番組のTV Globoに出演。この番組を当時ブラジルでツアーを行っていたジェネシスのプロデューサーが見ており、そのバカマルテのパフォーマンスに感銘したという。この時、ジェネシスのプロデューサーは脱退したスティーヴ・ハケットの後任としてマリオ・ネトを招待しようとしたが、彼は17歳の未成年だったため両親が反対し、実現しなかったというエピソードが残っている。

 彼らは何度かのテレビ出演とライヴを重ねた後、アルバムの制作に取り掛かり、本アルバムの元となるデモテープを録音している。しかし、資金的な問題からたった19時間のスタジオライヴと6時間のミックスで制作されたデモテープは、どのレコード会社にも受け入れられず、その後5年間眠り続けることになる。1982年に22歳となったマリオ・ネトは友人のつてでラジオ・フルミネンシFMという放送局にデモテープを持ちこみ、当時名のある選曲家だったアマウリ・サントスがその場でテープを再生。バカマルテの曲は相当数のリクエストを獲得し、同局のプロデューサーであるルイス・アントニオ・メロが自らコーディネートして完全自主制作のレコードを1,000枚プレスすることになる。そのオリジナル盤が本アルバムの『終末の後』である。そのアルバムは世界の終末の後の世界を描いたコンセプト作品になっており、何よりもマリオ・ネトが目指したクラシックとジャズ、ロックにブラジリアントラッドを組み合わせた独特とも言えるシンフォニックロックとなっている。また、このアルバムにはブラジルの女性シンガーソングライターであるジェーン・ドゥボックが参加しており、デモ盤とはひと味違う美的センスが加味された内容となっている。

★曲目★
01.UFO(UFO)
02.Smog Alado(翼を広げたスモッグ)
03.Miragem(蜃気楼)
04.Pássaro De Luz(光の鳥)
05.Caño(叫び)
06.Último Entardecer(最後の夕暮れ)
07.Controvérsia(論争)
08.Depois Do Fim(終末の後)
★ボーナストラック★
09.Mirante Das Estrelas(ミランテ・ダス・エストレラス)

 アルバムの1曲目の『UFO』は、哀愁のこもったアコースティックギターの爪弾きから始まり、パーカッションとピアノが加わったと同時に何とも美しいフルートに導かれながらメインとなるアンサンブルになっていくインストゥメンタル曲。南米のフォルクローレ風のギターとキーボード、リコーダーの絡みが美しく、転調に転調を重ねるテクニカルな演奏が光った極上のシンフォニックロックとなっている。2曲目の『翼を広げたスモッグ』は、独特のベースラインにフルートや速弾きのギターが絡んでいくハードな楽曲になっており、女性ヴォーカリストであるジェーンの力強い歌声が印象的な楽曲。PFMっぽいフレーズが多く、ジェスロ・タルのようなフルートがあり、後半には雄大とも言えるキーボードで終わるなどプログレ的な要素を巧みに取り入れた内容になっている。3曲目の『蜃気楼』は、うねるようなマリオのテクニカルなギターを中心に、フルートやキーボードによるアンサンブルが心地よい楽曲。中盤にはフルートがメインとなったリリシズム溢れるサウンドがああり、単にロックでとどまらないアレンジの妙がある秀逸な曲である。4曲目の『光の鳥』は、アコースティックギターのアルペジオをベースにジェーンの瑞々しいヴォーカルが堪能できる楽曲。流麗で美しいマリオのギターは思わずため息が出るほどである。5曲目の『叫び』は、厚みのあるキーボードとアコーディオン、そしてタイトなリズムをメインとした楽曲。短い曲だが変拍子のある隙の無いテクニカルなサウンドになっている。6曲目の『最後の夕暮れ』は9分を越える楽曲となっており、リリカルなピアノとギターを中心とした哀愁の楽曲。シンフォニックなキーボードをバックに歌うジェーンのヴォーカルと随所に弾きまくるマリオの泣きのギターが冴えており、中盤の疾走するリズム隊に合わせたマリオのギターと荘厳なキーボードとの絡みは美しいのひと言である。ゆったりとしたアコースティックギターのアルペジオから攻撃的な演奏へ展開する流れはよくあるものの、曲の構成が秀逸でありクラシックを学んだマリオならではの腕前が光った曲である。7曲目の『論争』は、キーボードをメインとした短い曲。リズムに合わせて複数のキーボードの音色が飛び交う複雑怪奇ともいえる展開が印象的である。8曲目のタイトル曲である『終末の後』は、浮遊感のあるキーボードから始まり、静寂な中から次第にジェーンの歌声とアコースティックギターが響き、オルガンにも似たキーボードとコロコロと弾くエレクトリックギターによるアンサンブルになっていく楽曲。速弾きのギターが合間に入るなど次々と曲調が変わるが、フルートが加わると典型的なシンフォニックロックとなる。最後は何か終末の後の光にも似た神々しい雰囲気で静かに幕を下ろしている。ボーナストラックの『ミランテ・ダス・エストレラス』は、1995年のRarity盤に収録された曲でマリオ・ネトがギターを中心に全楽器を演奏したソロ作品である。こうしてアルバムを通して聴いてみると、マリオ・ネトの巧みなギターを中心に多彩な楽器による独自のオーケストレイションを確立したアルバムになっている。優美なクラシカル要素とジャズロック的なドラミングの中にうっすらと南米ならではのメロディがあり、何度も聴いているうちにその秀逸な曲構造は驚くばかりである。

 アルバムはラジオを中心に流れたことがきっかけで多くのリスナーが支持することになり、最終的に1万枚を売り上げる大ヒットとなる。しかし、不運にも彼らをプッシュしていたラジオ局が売却されることになり、プロデューサーをはじめとするスタッフが一新。マリオ・ネトとラジオ局との親交は途絶えてしまったという。マリオ・ネトと共に活動していたメンバーは次々と離れ、1984年に自然消滅に近い形でグループは解散することになる。その後、マリオ・ネトは音楽活動から離れ、一時はギターを教える講師や作曲の仕事を請け負っていたという。1995年にボーナストラックを含むインディーズレーベルであるRarityからCDで再リリースされ、国内だけではなく世界中のプログレッシヴロックファンからバカマルテのレベルの高い演奏に度肝を抜いたという。この機運に押された形でマリオ・ネトは再度音楽活動を始め、1995年9月に4人編成でバカマルテを再結成している。1996年にはアートロックフェスティヴァルに出演し、その後、メンバーチェンジを繰り返しながら20人以上のミュージシャンがマリオ・ネトと共に演奏している。そして1999年にバカマルテ名義でアルバム『セテ・シダーデス』を発表。オリジナルのラインナップのメンバーは録音に参加していないが、マリオ・ネトとキーボーディストのロベリオ・モリナリだけがアルバムにクレジットされている。2014年にはサンパウロでSESC(ソーシャル・サービス・オブ・コマース)ベレンジーニョにて、オリジナルメンバーのマリオ・ネトとすでにブラジルでトップアーティストとなっていたジェーン・デュボックを含む4人でのライヴが実現。解散後もマリオ・ネトと親交のあったフルート兼アコーディオン奏者のマーカス・モウラも参加している。この時だけは往年のバカマルテのファンが一時的にノスタルジックな雰囲気に浸ったと言われている。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はブラジルの秘宝とも言われるプログレッシヴロックグループ、バカマルテのデビューアルバム『終末の後』を紹介しました。バカマルテは私がプログレッシヴロックを聴く以前に、とあるCDレコードショップで見かけたことがあります。バカマルテというそのグループ名のインパクトからか、ずっと頭に残っていたのを覚えています。結局、当時は聴くことはかないませんでしたが、プログレッシヴロックを聴くようになってから輸入盤だったRarity盤を1990年代後半に入手しました。その前にCDRでプレスする日本のインディレーベルのタチカレコードからも出ていたのですが、そちらはスルーしています。最初に聴いたときは南米のグループとはいえ、欧米のプログレッシヴロックと大差ない感じで聴いて終わったのですが、その後、他のプログレッシヴなグループのアルバムを聴いてから改めてこのバカマルテのアルバムを聴くと、このグループの演奏レベルとアレンジのセンスの高さを知ることになります。マリオ・ネトのクラシカルで流麗なアコースティックギターと速弾きでテクニカルなエレクトリックギターを中心に、斬り込むようなドラミングや多彩とも言えるキーボードによるシンフォニックロックを実現していて、とにかく泣きのギターと荘厳なシンセサイザーのアンサンブルは震えるほど美しいです。凛とした歌声を披露するジェーンのヴォーカルも素晴らしく、4曲目の『光の鳥』なんかは普通にシングルとしてヒットしそうな曲です。転調に転調を重ねる曲展開は、プログレを聴く私としては垂涎であり、ここ最近、本アルバムをこっそりi Phoneに入れて聴いているほどです。

 さて、本アルバムには先にも述べたように女性ヴォーカリストのジェーン・ドゥボックが参加しています。当時、ジェーンはすでにロックとはほど遠いソロのキャリアを持っていましたが、マリオ・ネトの友人であるロナウド・クーリの妻の勧めでライヴに参加したのがきっかけです。マリオはレコーディングの前にジェーンに曲のテープと歌詞を渡してみると、彼女は歌うことに同意して、次の日にウォーミングアップした彼女の声を録音するスタジオに見に行ったそうです。しかし、彼女のヴォーカルは曲とまったく合わず、当時のマリオやメンバーは「殺してやりたい」と思ったそうで、でも、2回目のレコーディングの時には見違えるほど、正しく歌っていたことに周囲は驚いてしまったと後のインタビューで語っています。プログレッシヴロックという違うジャンルでもすぐに合わせられる彼女のプロとしての感性はさすがとしか言いようがありません。

 

 ジェネシスのプロデューサーがスティーヴ・ハケットの後任として考えたほど、マリオ・ネトのギターテクニックは素晴らしいものがあります。プログレ的な要素があふれる一級品のシンフォニックロックとなった南米屈指の名盤をぜひとも堪能してみてほしいです。
 
それではまたっ!