【今日の1枚】Pete Sinfield/Still(スティル) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

古今東西プログレレビュー垂れ流し

ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Pete Sinfield/Still
ピート・シンフィールド/スティル
1973年リリース

英国的な高潔さと牧歌的な優しさに満ち溢れた
詩人ピート・シンフィールドの唯一のアルバム

 キング・クリムゾンの作詞家として、またはプロデューサーとして活躍するロック界きっての吟遊詩人、ピート・シンフィールドの唯一のソロアルバム。作詞作曲(共作を含む)を手掛けたピートの語り口調に近いヴォーカルに合わせたような牧歌的なサウンドとなっており、詩人だけではない彼の作曲能力が発揮された英国然とした作品となっている。彼のアルバムに集結したメンバーは、グレッグ・レイク、メル・コリンズ、キース・ティペット、ジョン・ウェットン、イアン・ウォレスといったキング・クリムゾンゆかりの人脈の他に、友人である多くのミュージシャンが参加しており、彼の人望の厚さが垣間見れる愛すべきアルバムである。

 ピート・シンフィールドは1943年12月27日に、イギリスのロンドンの南西にあるパットニーという地で生まれている。英国人とアイルランド人の両親を持ち、幼いころは母親代わりとなった家政婦のマリア・ワレンダの元で育てられたという。その後、12歳となった彼はイギリスのサリー州にあるオックスショットのデーンズ・ヒル・スクールに通い、家庭教師のジョン・モーソンの影響からあらゆる本を読むようになり、特に詩集を好んで読んでいる。彼は詩の世界に触れていくことで言葉の力を知り、言葉に対する愛着を持ったという。やがてバークシャーにある英国国教会の援助によって建てられたラネラグ・グラマー・スクールに入ったものの、16歳で学校を中退。その後は旅行代理店に1年、コンピューター会社に6年間勤めていたが、1960年代半ばにヨーロッパ中を放浪する旅に出かけている。その旅の中で多くの詩を書くようになるが、その頃は手作りの凧やランプ、絵画、繕った衣服を売ったりする露店で生計を立てていたという。今度は再びイギリスに戻るまでモロッコやスペインを放浪していた時、インフィニティというグループの結成に立ち会い、このグループで知り合ったのがイアン・マクドナルドである。イアンはピートの作詞家としての才能を高く評価し、後に自身が参加するグループのメンバーにピートを推薦することになる。それがマイケル&ピーター・ジャイルズの兄弟とロバート・フリップが結成したジャイルズ、ジャイルズ&フリップである。1968年6月に元フェアポート・コンヴェンションの女性ヴォーカリストであったジュディ・ダイブルが加わるが1ヵ月ほどで抜け、同年12月にピーター・ジャイルズが脱退し、元ゴッズのグレッグ・レイクが参加したことで、キング・クリムゾンが誕生することになる。この時までのピートの立場は楽器の手配や積み込み、調整を行うローディの立場だったという。

 1969年3月にピート・シンフィールドは正式にグループのメンバーとなり、グループの作詞やライヴでのライティング等を担当。この時にイアン・マクドナルドとピートの共作である『クリムゾン・キングの宮殿』の曲名から、グループ名をキング・クリムゾンとしている。同年10月に発表されたデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、後のロックミュージックを左右する歴史的な名盤になったことは有名である。彼はメンバーチェンジを繰り返すキング・クリムゾンに残り続け、グループの幻想的な歌詞を書くかたわら、コンサートでのライトショーを運営し、アートワークやアルバムのデザイン、リリース等に関わったという。しかし、3作目の『リザード』からロバート・フリップとの確執が激しくなり、とうとう4作目の『アイランズ』発表後に行われたUSツアーの終了後の1971年12月に、ピートはロバートから解雇を告げられてしまうことになる。キング・クリムゾンを脱退したピートだったが、キング・クリムゾンを輩出したEGレコーズとの関係は維持し、1972年にデビューするロキシー・ミュージックのアルバムのプロデュースを行う機会を得る。ブライアン・フェリーを中心とするロキシー・ミュージックは、アルバムだけではなく、ライヴのライティングまで手助けしたピートの活躍によって成功を収めることになる。こうして自信を得たピートはサマセット州に引っ越し、以前から思案していたソロアルバムを着手していくことになる。1972年10月から翌年の1月までレコーディングが行われ、その間にグレッグ・レイクやメル・コリンズ、キース・ティペット、ジョン・ウェットン、イアン・ウォレスといったキング・クリムゾンゆかりの人脈の他に、友人である多くのミュージシャンが参加。ピート自身も12弦ギターとシンセサイザーを演奏している。プロデューサーはピート自身が行い、アソシエイト・プロダクションにグレッグ・レイクとメル・コリンズが名を連ね、新興レーベルであるマンティコア・レーベルから1973年にリリースされたのが本アルバムの『スティル』である。作詞作曲を行ったピートの語り掛けるような歌声に合わせた楽曲は、牧歌的な優しさの中に英国的な高潔さが漂う逸品となっている。

★曲目★
01.The Song Of The Sea Goat(シー・ゴートの詩)
02.Under The Sky(アンダー・ザ・スカイ)
03.Will It Be You(君なればこそ…)
04.Wholefood Boogie(ホールフード・ブギ)
05.Still(スティル)
06.Envelopes Of Yesterday(思い出の封筒)
07.The Piper(パイパー)
08.A House Of Hopes And Dreams(夢と希望の家)
09.The Night People(ナイト・ピープル)

 アルバムの1曲目の『シー・ゴートの詩』は、ヴィヴァルディのメロディをベースにした荘厳でリリカルな楽曲になっており、情感たっぷりのピートの歌声と煌びやかなキース・ティペットのピアノ、メル・コリンズのフルート、ジョン・ウェットンのベースが絡み合うオープニングにふさわしい内容になっている。2曲目の『アンダー・ザ・スカイ』は、イアン・マクドナルドとの共作でクリムゾン色の強い楽曲。バックのメロトロンに多彩な楽器が入り組んでいるが、繊細なイアン・ウォレスのドラミングが素晴らしい。3曲目の『君なればこそ…』は、一転してクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング風のカントリータッチとなった楽曲。ここでのピートのヴォーカルが以外にもマッチしているのが印象的である。4曲目の『ホールフード・ブギ』は、グレッグ・レイクがバックヴォーカルとして参加したロックンロールナンバー。こうしたナンバーを披露するピートの曲作りの幅広さを認識させると共に、演奏自体を非常に楽しんでいることがよく分かる。5曲目のタイトル曲『スティル』は、グレッグ・レイクと交互にヴォーカルをとった幻想的な楽曲となっており、語るようなピートのヴォーカルと荘厳とも言えるレイクのヴォーカルが響き合う屈指の名曲。この曲こそ「言葉の魔術師」たるピート・シンフィールドの真骨頂とも言ってよいほどの英国的な高潔さを伴った内容になっている。6曲目の『思い出の封筒』は、静寂な雰囲気の中から響く牧歌的な旋律が心地よい楽曲。お世辞にもうまいとはいえないピートのヴォーカルを包み込むようなピアノとスティールギター、サックスが彩りを与えているのが印象的である。7曲目の『パイパー』は、温もりにも似たアコースティックギターとフルートの音が優しい雰囲気にさせてくれる楽曲。メル・コリンズのフルートの響きは清涼であり、心が洗われるようである。8曲目の『夢と希望の家』は、リリカルなギターの音色とピアノをベースにしたメロディアスな楽曲になっており、ピートの情感のこもったヴォーカルが印象的である。後半には彼の歌声と共にホーンセクションを加えながら次第に力強さを増していっている。9曲目の『ナイト・ピープル』は8分近くの楽曲となっており、静かなエレクトリックピアノと雄大なホーンセクションを中心としたジャズベースの内容になっている。少しくぐもったピートの歌声が妙に惹かれるナンバーである。こうしてアルバムを通して聴いてみると、キング・クリムゾンに関わったピートとは思えないバラエティ豊かな楽曲となっており、一部共作はあるものの彼の作曲センスの高さを示した内容になっていると思える。全体を通して牧歌的な優しさが伝わってくるところを考えると、キング・クリムゾン時代の研ぎ澄まされた世界からの反動なのかもしれない。彼本来の詩の世界を体現した非常に人間味のあるサウンドになっている。

 アルバムリリース後は、グレッグ・レイクとの縁からエマーソン・レイク&パーマーと行動を共にし、1973年の『恐怖の頭脳改革』から1978年の『ラヴ・ビーチ』まで作詞として参加している。また、イタリアのPFM(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)のアルバムにも詞を提供して成功を収めたことでも有名である。その間にスペインのイビサ島と移り住み、音楽家や俳優、画家と友人となり、かつて放浪先で出会ったチェルシー・アーツ・クラブのメンバーと過ごしている。やがて共に活動していたエマーソン・レイク&パーマーが1978年に解散してからは、本格的に作詞家として活動を開始。その頃からポピュラーな曲に合わせた作詞を行うようになり、バニー・マニロウやハーブ・アルバート、ピーター・セテラ、ベット・ミドラー、セリーヌ・ディオン、シェール、ダイアナ・ロスといった様々なアーティストに詞を提供し、中でもアンディ・ヒルとピーター・シンフィールドが詞を提供したセリーヌ・ディオンのシングル曲『シンク・トゥワイス』は、全英シングルチャートで1位を記録し、英国で100万枚を売り上げた作品となったという。一方でプロデューサー業も行っており、1996年にはスーパーナチュラル、フェアリー・テイル、1997年にはバンパーズといったグループをプロデュースしている。彼は2010年6月にイタリアのジェノヴァにあるドゥカーレ宮殿で行われた詩祭に参加したのを機に、より想像力を高めた詩を書くようになり、現在では詩人、作家として活躍している。なお、1993年には本アルバムに『Can You Forgive A Fool』と『Hanging Fire』の2曲がボーナストラックで追加された『Stillution』がリリースされている。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はロックシーンの永遠の詩人であるピート・シンフィールドの唯一のソロアルバム『スティル』を紹介しました。ジャケットの怪獣のようなアートワークは、ドイツ人アーティスト、スラミス・ヴルフィングの手によるものです。キング・クリムゾンを聴いている私にとっても押さえておきたかったアルバムですが、思った以上に牧歌的でナチュラルな内容に聴いた当時はびっくりしたものです。一介の詩人に過ぎなかった彼が、どうしてここまで重宝されたのか? 当時のロックシーンでは大衆的で比較的耳障りのよい歌詞が持てはやされていたのですが、ピートが作る詩は人間の弱さや強さといった側面を言葉巧みにリリシズムに描いているところにあります。その詩がプログレッシヴロックという幻想的ともいえる世界観とマッチしたのが、キング・クリムゾンのデビュー作『クリムゾン・キングの宮殿』だと思います。「言葉の魔術師」たる彼の深淵な詩が生み出されたのは、たぶん、幼少期に読み漁った詩集と学校を辞めた後にヨーロッパ中を旅した放浪期の影響が大きかったのでしょう。本アルバムの歌詞を見ると、生まれ育った英国という国を外から眺めているようで、そこに住む人々や生活をものすごく客観的に綴っているようです。そうでなければ『スティル』の歌詞にビートルズやマーク・ボランなんて入れられないでしょうしね。楽曲は層々たるアーティストが参加していますが、ピートの歌詞が映えるように少し抑えた演奏になっているところが印象的です。決してうまいとは言えないピートのヴォーカルですが、溶け込むような演奏とマッチしていて非常に味わい深くなっています。その歌声をかき消すようなグレッグ・レイクの荘厳なヴォーカルはさすがとしか言えません(笑)

 さて、ピート・シンフィールドはいくつものアーティストに詞を提供する作詞家として著名ですが、詩人としての彼に興味のある方は、1993年にヴォイスプリントからリイシューされた1978年リリースの『In A Land Clear Colours』をオススメします。このアルバムはアメリカのSF作家、および脚本家であるロバート・シェクリーの詩をピート自身が朗読したもので、ブライアン・イーノが音楽を担当しています。個人的にはピートの手掛けた詩の中で、エマーソン・レイク&パーマーの『作品第二番(Works Volume 2)』に収録されている『I Believe in Father Christmas』が曲と合わせて大好きです!

それではまたっ!