古今東西プログレレビュー垂れ流し

古今東西プログレレビュー垂れ流し

ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

プログレス2『宇宙との対話』アルバムカバー

Progres 2/Dialog S Vesmírem
プログレス2/宇宙との対話
1980年リリース

宇宙的なスケール感で演出する
テクニカルシンフォの名盤

 1968年結成のプログレス・オーガニゼーション、バルノダイを経て改名してリリースされた、旧チェコスロバキアのプログレッシヴロックグループ、プログレス2の事実上のサードアルバム。そのアルバムはイエスの『危機』を彷彿とさせる演奏に、壮大なシンセサイザーによる宇宙的なスケール感で演出したテクニカル・シンフォニックロックの名盤となっている。元々はチェコスロバキア初のロックオペラとなる大規模なオーディオビジュアル作品である『Dialog S Vesmírem』の制作のために集まったプロジェクト的なグループだったが、その後もロックオペラをメインに制作を続け、2000年代まで活動を続けたチェコを代表する国民的なロックグループでもある。

 プログレス2は、現チェコ共和国の南モラヴィア地方にある都市ブルノ出身のメンバーによって結成されたアートロックグループであり、元々は1968年に結成したプログレス・オーガニゼーションに遡る。当時のメンバーはズデニェク・クルカ(ドラムス)、パヴェル・ヴァーニェ(ギター)、ヤン・ソホル(キーボード)、そしてギリシャ人のエマヌエル・シデリディス(ベース)の4人である。彼らは主にザ・ビートルズやクリーム、ヴァニラ・ファッジ、ピンク・フロイドなどのグループから影響を受けた演奏をしていたという。 彼らは1969年6月にはブルノのクラーロヴォ・ポーレ屋内のアリーナでビーチ・ボーイズの前座を務め、1970年には3曲入りEP『Klíč K Poznání(知識への鍵)』をリリースする人気ぶりだったが、1969年にチェコスロバキアのプラハの春改革以前の状態への回復と、その後の新たな現状維持による「正常化」という社会主義国家の圧力のため、グループは解散することになる。しかし、1971年に再度メンバーが集結し、フルアルバム『Barnodaj(バルノダイ)』をリリースしている。その後、クルカとソホル、シデリディスの3人は、ポップデュオのマルタ&テナのバックバンドであるアレシュ・シグムンド・グループで演奏し、ギタリストのヴァーニェはスロバキアのプログレッシヴロックグループのコレギウム・ムジクムとアトランティスで短期間演奏したという。ヴァーニェは1972年にアレシュ・シグムンド・グループに加入したが、その頃にはクルカとソホルは脱退しており、シデリディスに至っては最終的に祖国のギリシャに帰国したとされている。クルカとソホルの2人は1972年にヤン・ソホル・グループを結成し、シンガーソングライターのボブ・フリドルのバックバンドを務めたという。そして2年後の1974年にベーシストのパヴェル・ペルツが加入し、いくつかのグループを渡り歩いていたギタリストのパヴェル・ヴァーニェもグループに復帰。彼らは1977年に再び作曲を始め、1978年にバルノダイという名義でアルバム『Mauglí(モーグリ)』をリリースしている。

 アルバム『Mauglí(モーグリ)』のレコーディング中に、クルカとヴァーニェ、ペルツはキーボード奏者のカレル・ホルキーとギター奏者のミロシュ・モラヴェクをメンバーに加え、プログレス2という名義でロックオペラ 『Dialog S Vesmírem(宇宙との対話)』の制作に取り掛かっている。当時バルノダイという名で活動していた彼らは、コンサートで映像や様々な事前録画されたシーケンスを投影するオーディオビジュアルプロジェクトを推進していたという。その時、彼らのマネージャーであるオスカー・マンは、SF文学の愛好家であり、地球上の物質主義社会から自分を解放しようとし、そして無限の宇宙に逃避を求める男の物語を創作。彼らはこの物語に同意し、メンバーは物語に合わせて曲を書き、オスカー・マンがそれに独自の歌詞を加えたという。彼らはグループ名をプログレス2に改名し、チェコスロバキア初のロックオペラを演奏するプロジェクトグループとして認知されるようになる。このロックオペラは1978年2月27日にブルノ展示場劇場で初演され、チェコスロバキア全土で1980年までに350回の再演を企画していたが、キーボード奏者のカレル・ホルキーは大学で学ぶために1979年に脱退。コンサートでの重要なキーボードパートは、ベーシストのペルツが引き継いだが、1979年から始まったアルバム用のスタジオレコーディングには参加している。こうしてレコーディングはコンサートの合間に行われて時間がかかったものの、最終的に1980年にリリースされる。そのアルバムはイエスの『危機』を彷彿とさせる演奏に、壮大なシンセサイザーによる宇宙的なスケール感で演出したテクニカル・シンフォニックロックの傑作となっており、東欧プログレ屈指の1枚となっている。

★曲目★
01.V Zajetí Počítačů(コンピューターの束縛)
02.Země 2555(地球 2555年)
03.Píseň O Jablku(リンゴの歌)
04.Odlet(出発)
05.Planeta Hieronyma Bosche I(惑星ヒエロニムス・ボスⅠ)
06.Planeta Hieronyma Bosche II(惑星ヒエロニムス・ボスⅡ)
07.Tisíce Mých Očí(数千の眼)
08.Hymna Robotů(聖歌を歌うロボット)

 アルバム1曲目の『コンピューターの束縛』は、パヴェル・ヴァーニェの華麗なる高速ギタープレイから始まり、的確に刻んだベースとドラムス、そして大胆ともいえるキーボードが印象的な楽曲。イエスやジェントル・ジャイアントの影響を受けたと思われる仕掛けや変拍子の多いプログレ的な表現が盛り込まれている。2曲目の『地球 2555年』は、チェコ語で歌うパヴェル・ペルツのヴォーカルとパヴェル・ヴァーニェのヘヴィなギターから始まる楽曲。癖のあるブルージーなギターとヴォーカルだが、意外とキャッチーな曲になっており、ここでも非常に太いベースが印象的である。3曲目の『リンゴの歌』は9分を越える大曲になっており、シンセサイザーによるスペーシーなイントロから始まる楽曲。最もスペースオペラな雰囲気のあるサウンドになっており、穏やかなギターやヴォーカル、そしてベースが際立っている。3分30秒からのフルートやストリングス、ミニモーグによる美しいアンサンブルがあり、これまでのサイケデリックな要素と多くのクラシック音楽のインスピレーションを巧みに加味してアレンジしている。6分以降のうなるベースやギターソロ、そしてチェンバロ風キーボードによるジャズロック的な演奏は聴き応え十分である。4曲目の『出発』は、シンセサイザーによる壮大なイントロから始まり、キャッチーなメロディによるアップテンポな内容に変化する楽曲。スペイシーなキーボードやコーラスの効いたヴォーカル、そして何よりも後半のミニモーグやギターによるパワフルでダイナミックな展開に驚いてしまう。5曲目の『惑星ヒエロニムス・ボスⅠ』は、マハヴィシュヌ・オーケストラを思わせるようなイントロから始まる楽曲。ヘヴィなギターや荘厳なシンセサイザーが印象的だが、2分過ぎからヴォーカルが加わるとキャッチーなロックサウンドとなる。6曲目の『惑星ヒエロニムス・ボスⅡ』は6分を越える曲であり、降り注ぐようなシンセサイザーの響きから地響きのようなベースが加わったハードロック的なサウンドとなる楽曲。3分過ぎのヴァーニェのギターソロは必聴である。7曲目の『数千の眼』は、重厚なベースと荘厳なシンセサイザーをバックにしたヘヴィな楽曲となっており、穏やかなヴォーカルパートとの対比となっている。後半の飲み込まれるようなキーボード音とうなるベース、力強いドラミングによるアンサンブルが素晴らしい。8曲目の『聖歌を歌うロボット』は、エコーのかかったドラムソロから始まり、独創的なベース音、囁くようなヴォーカルによるサイケデリックな楽曲。コミカルなイメージがあるものの、ダイナミックなギタープレイが終始展開している。

 元々ロックオペラの『Dialog S Vesmírem(宇宙との対話)』は、17の楽曲で構成されていたが、アルバム用に8曲に絞っており、アルバムは「ロックオペラの断面図」と評されたという。最初の6曲はプロジェクトの連続したオープニング部分を形成し、残りの2曲は元々ロックオペラの後半部分となっている。また、歌詞の一部は薬物やキリスト教をテーマにしたものがあり、当時の体制にとって問題だった歌詞の一部を修正しているという。同年にはアルバムを補完するSPとEPがリリースされたが、コンサートパフォーマンスからの曲の一部は全くリリースされなかったとされている。プログレス2は今後のプロジェクトについて意見の相違を経験し、最終的にヴァーニェが脱退することになり、彼はブロンズというグループを結成することになる。その後、キーボード奏者のロマン・ドラグーンが加わり、次のロックオペラの制作を開始している。この『Třetí Kniha Džunglí (英題:ザ・サード・ブック・オヴ・ジャングル)』というタイトルのロックオペラは1981年に初演され、1982年にアルバムとしてリリースしている。1983年になるとモラヴェクとドラグーンは、Futurumというグループを結成するために脱退。代わりにギタリストのアレシュ・バイガーとピーター・ペタライがメンバーとなり、このラインナップでソ連の作家であるアナトリー・ドニプロフの短編小説を基にしたロックオペラ『Mozek(脳)』の制作を開始している。1985年にはギタリストのピーター・ペテライが脱退し、キーボード奏者のミラン・ニトラが後任として加入。1987年にアルバム『Změna!』をリリースしたが、バジャーとペルツが脱退を表明し、オリジナルメンバーとして残ったのはドラマーのズデニェク・クルカだけとなる。これを機にギタリストのミレク・ソヴァ、ベーシストのダリボル・ドゥノフスキー、そしてヴォーカリストのパヴラ・ドヴォラチコヴァを加え、プログレス・ポクロクと改名。彼らは「オトラヴァ・クルヴェ」というタイトルの新プロジェクトに取り組み始め、1988年から1989年までStBの監督下で演奏している。1990年に同名のアルバムをリリースしたが、その後、グループは活動を停止することになる。1992年にはクルカ、ヴァーニェ、ペルツに加え、新ギタリストのイヴァン・マノロフとキーボード奏者のボレク・ネドロストを加えた新生プログレス2を再結成し、カムバックコンサートを開催。1993年にはチェコのロック音楽に多大な貢献をしたアーティストに選ばれる「Beatová Síň Slávy」への参加にもノミネートされている。その後の彼らの活動は散発的だったが、2008年10月にプログレス・オーガニゼーション結成から40周年を記念して、『プログレス・ストーリー 1968–2008』と題した2回のコンサートを開催。このコンサートはブルノのセミラッソ文化センターで開催され、グループのメンバーであったほぼすべてのミュージシャンが出演したという。2018年にはジャック・ロンドンの1915年のSF小説『星の放浪者』を原作としたニューアルバム『Tulák po hvězdách』をレコーディングし、同年後半にリリースしている。これはグループ結成50周年記念と重なり、チェコテレビによってドキュメンタリー映画として制作されたという。2021年7月には長年ベーシストを務めたパヴェル・ペルツが、残念ながら71歳で死去している。

プログレス2 宇宙との対話 アルバムカバーProgress 2 Dialog S Vesmírem アルバムジャケットプログレス2、宇宙との対話。5人組。プログレス2「宇宙との対話」メンバー写真Progress 2の宇宙的ロックオペラ、宇宙との対話プログレス2 宇宙との対話 アルバムジャケット

 

Progress 2 宇宙との対話 アルバムカバー

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は旧チェコスロバキア初のロックオペラと呼ばれているプログレス2のスタジオアルバム『宇宙との対話』を紹介しました。彼らは1968年に結成したプログレス・オーガニゼーション、バルノダイ、プログレス2とグループの名を変えており、本アルバムは事実上の3枚目にあたる作品となります。これまでの作品と大きく違うのは、コンサートで映像や様々な事前録画されたシーケンスを投影するオーディオビジュアルプロジェクトの一環とする壮大なロックオペラとなっていることです。そのロックオペラの物語のベースは、何と彼らのマネージャーでSF文学の愛好家でもあるオスカー・マンが制作したものであり、旧チェコスロバキア初のロックオペラでもあるそうです。国内で多くのコンサートが企画され、2年間で350回も公演が行われたようで、後にリリースされたアルバム『宇宙との対話』は、好セールスを記録したと言います。しかし、ロックオペラ『宇宙との対話』のライヴパフォーマンスは、実際は17に及ぶ楽曲によって構成されており、本アルバムではわずか8曲に抑えられています。2枚組のレコードにすればよかったのでは?と脳裏によぎったのですが、社会主義国家だった当時のチェコスロバキアの音楽シーンを鑑みれば、なかなか難しかったのかもしれないと今では思っています。完全版とは言い切れませんが、2010年にFT Recordsから再発された『Dialog S Vesmírem/Studio & Live』というCD2枚組のコンピレーション作品が、スタジオ録音と17曲構成のライヴバージョンの両方を収録しているとのことです。私はまだ手に入れていませんが、機会があったらぜひ聴いてみたいです。

 さて、そんなプログレス2名義でリリースされた本アルバムですが、スペースロックとプログレッシヴロックの領域を探求し、ストリングスやミニモーグ、シンセサイザーの使用によるスタイルを支配し、これまでのサイケデリックな要素と多くのクラシック音楽のインスピレーションだけではなく、重厚なテクスチャを加味しています。彼らはピンク・フロイド、SBB、エロイ、そして旧ソ連のホリゾントのようなグループの音楽に近づきつつも、SF的な歌詞や宇宙的なサウンドスケープ、そしてエッジの効いたギターと風変わりなシンセサイザーのミックスによって独自のロックオペラを提供しています。本アルバムで最も輝かしいのはキーボード奏者のカレル・ホルキーであり、彼は現代的なキーボードを独自の方法で新しいサウンドを生み出しています。懐古主義を避けつつ、時代遅れとされている1980年代初頭の多くのシンセサイザー作品から巧く回避しています。また、パヴェル・ヴァーニェとミロシュ・モラヴェクのヘヴィなギターは、まるでプログレッシヴロックを演奏するジミ・ヘンドリックスのようです。でも、個人的にはパヴェル・ペルツの重厚なベースこそ、アルバム全体をダイナミックにそして浮遊感を与えていると思っています。

 本アルバムは旧チェコスロバキア初のロックオペラのスタジオアルバムであり、東欧プログレの傑作の1枚です。ぜひ、この機会に一度聴いてみてください。

それではまたっ!
 

 

 

ゴードン・ハスケル『It Is And It Isn't』アルバムジャケット

Gordon Haskell/It Is And It Isn't
ゴードン・ハスケル/歳時記
1971年リリース

素朴で温かみのある歌声に惹かれる
ブリティッシュフォークロックの逸品

 キング・クリムゾンの2代目ヴォーカリストであり、2000年代までシンガーソングライターとして活動を続けていたゴードン・ハスケルのセカンドソロアルバム。そのアルバムは穏やかで温かみが感じられ、さらにメランコリックで美しいメロディに包まれた珠玉のブリティッシュロックとなっており、彼のフォークやブルース志向が極まった逸品となっている。後にキング・クリムゾンに参加するジョン・ウェットン(ベース)や元フィールズのアラン・バリー(ギター)、元レア・バードのデイブ・カフィネッティ(キーボード)など、豪華メンバーが参加したアルバムとしても名高い。

 ゴードン・ハスケルは1946年4月27日に、英国のドーセット州にあるヴァーウッドで生まれたミュージシャン兼シンガーソングライターである。彼の幼いころは音楽に傾倒しており、「教会から帰ると賛美歌が頭に浮かび、美しさ、真実、知恵に満ちた言葉が印象的なメロディに乗せられていることに惹かれ、それで『歌』の演奏方法を学び始めた」と述べている。その後、ウィンボーン・グラマー・スクールでの最後の数年間、クラスメートだったロバート・フリップがハスケルにベースギターを紹介している。2人は最初のグループであるザ・レイヴンズで一緒に演奏したが、翌年に解散している。1967年にハスケルはドーセットからロンドンに移り住み、アトランティックレコードにフルタイムのセッションバンドとして雇われたポップグループ、フルール・ド・リスでベースを演奏。ハスケルはグループと数枚のシングルを録音したが、あまり成功しなかったという。しかし、ソングライターとして『レイジー・ライフ』で南アフリカで1位、オーストラリアで3位を獲得している。彼は実力を買われ、アトランティック所属の多くの曲を書いたアイザック・ヘイズとデヴィッド・ポーターと仕事をし、グリン・ジョンズやドニー・エルバート、アリフ・マーディン、そしてジョージ・マーティンといったプロデューサーと仕事をしたという。その後、ハスケルはフラワー・ポット・メンに短期間在籍し、キューピッズ・インスピレーションに約3か月間加入。そのプロデューサーであるジミー・ダンカンは、ハスケルとCBSレコードとの契約を取り付けるのを手伝っている。ハスケルはダンカンと共にランズダウン・スタジオでレコーディングを行い、1969年にデビューソロアルバム『セイル・イン・マイ・ボート』をリリースする。そのアルバムはCBSレコードの英国部門向けに録音されたものの、残念ながらチャートインしなかったという。しかし、アルバム収録曲の『ザンジバル』は、ワンダ・アルレッティによってカバーされ、1971年1月1日に南アフリカのシングルチャートで2位を獲得することになる。

 そしてキング・クリムゾンがオリジナルシンガーであったグレッグ・レイクと袂を分かったのが1970年である。ハスケルはロバート・フリップから声がかかり、キング・クリムゾンのベーシスト兼ヴォーカリストを務めるよう依頼される。ハスケルにとっては転機ともいえる抜擢だったが、彼はアルバム『In the Wake of Poseidon(ポセイドンのめざめ)』の『Cadence and Cascade』という1曲のみと、サードアルバムである『Lizard』に参加して脱退している。理由はハスケルがナット・キング・コールやレイ・チャールズの曲を好み、フリップをはじめとするグループ内で不満が生じ、彼のフォークやブルース志向はクリムゾンのより複雑なプログレッシヴロックの音楽スタイルと衝突したためである。ハスケルは『Lizard』のレコーディング後、険悪な雰囲気だったライヴ活動のリハーサル中に、嫌気を差して脱退を決意したという。ハスケルはその後、レイ・チャールズやアレサ・フランクリンと契約したアトランティックレコードの社長であるアーメット・アーティガンのオーディションを受けている。そして契約が叶い、後にジャズやロック、ソウル、ディスコ、カントリーなど、さまざまな音楽スタイルのアーティストと仕事をすることになるアメリカの音楽プロデューサーのアリフ・マーディンを紹介され、ハスケルのアルバムのレコーディングのプロデューサーとなる。パイスタジオをはじめ、アイランドスタジオやアトランティックスタジオといった3つのスタジオを利用し、レコーディングエンジニアには4人を起用している。さらにレコーディング時には後にキング・クリムゾンのメンバーとなるジョン・ウェットン(ベース、オルガン、ハーモニーヴォーカル)や元フィールズのアラン・バリー(エレクトリックギター、アコースティックギター、リードギター)、元レア・バードのデイブ・カフィネッティ(ピアノ、エレクトリックピアノ)、そしてビル・アトキンソン(ドラムス)が参加している。こうして1971年にセカンドソロアルバム『It Is And It Isn't(歳時記)』がリリースされる。そのアルバムはキング・クリムゾン時代では受け入れられなかったフォークやブルース志向の強い作品となっており、その穏やかで温かみのあるメロディや歌声に彼のソングライティングの高さがうかがえる逸品となっている。

★曲目★
01.No Meaning(意味が無い)
02.Could Be(可能性あり)
03.Upside Down(アップサイド・ダウン)
04.Just A Lovely Day(素敵な一日)
05.Sitting By The Fire(シッティング・バイ・ザ・ファイア)
06.When I Lose(負けたとき)
07.No Need(必要ない)
08.Worms(ワーム)
09.Spider(蜘蛛)
10.Learning Not To Feel(リーニング・ノット・トゥ・フィール)
11.Benny(ベニー)
12.When I Laugh(笑うとき)

 アルバムの1曲目の『意味がない』は、アコースティカルなギターとベースをバックに穏やかなハスケルの歌声が心地よい楽曲。エレクトリックとアコースティックを使い分けるアラン・バリーのギタープレイとコーラスが冴えわたっており、極上のフォークロックとなっている。2曲目の『可能性あり』はポップテイストの強い哀感あふれるブリティッシュロック。少し舌っ足らずなハスケルのヴォーカルが妙に合っている。1分50秒あたりに曲調が変化し、プログレをやや意識した展開がある。3曲目の『アップサイド・ダウン』は、2本のアコースティックギターによる哀愁のフォークバラード。英国らしいフォークロックの良心ともいえる温かなヴォーカルが素晴らしい1曲となっている。4曲目の『素敵な一日』は、アコースティックギターとグロッケンシュピールによる夢心地な楽曲。デイブ・カフィネッティの優しいオルガンがバックで鳴り響いており、よりドリーミィーな曲になっている。5曲目の『シッティング・バイ・ザ・ファイア』は、もっともロック的なアレンジとなった楽曲。ここではエレクトリックギターや力強いドラミングよりもジョン・ウェットンの存在感のあるベースラインが魅力的である。6曲目の『負けたとき』は、27秒ほどの短い曲であり、次の曲へのブリッジ的な位置づけとなっている。7曲目の『必要ない』は、穏やかなアコースティックギターとエレクトリックピアノによるメロディックな曲。メランコリックで美しく、妙に開放感に満ちた1曲になっている。8曲目の『ワーム』は、後にスタックリッジがハードロック調にカバーする楽曲だが、こちらは純粋なフォークロック的なアレンジとなっている。ピアノとギターのソロ展開は聴きどころのひとつである。9曲目の『蜘蛛』は、重厚なハモンドオルガンをバックにしたフォークロック。シンプルながらも耳に残るキャッチーなメロディと印象的なコーラスが特徴である。10曲目の『リーニング・ノット・トゥ・フィール』は、優しいアコースティックギターの響きと囁くようなハスケルのヴォーカルが印象的な楽曲。前向きに生きようとする彼自身を歌った曲でもある。11曲目の『ベニー』は、こちらもアラン・バリーのアコースティックギターをバックにしたヴォーカル曲。ハスケルがここまで情感的に歌えるのかと思わず唸ってしまう1曲である。最後は優雅なホーンセクションが加わって終えている。12曲目の『笑うとき』は、6曲目の『負けたとき』と同じメロディで締めているが、ヴォーカルが少しだけ明るくなっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、ソフトロック/フォーク調の曲が中心となったアルバムであり、ハスケルのポップ性や牧歌性が最大限に発揮された内容になっている。キング・クリムゾンのロック的な歌唱法ではうまく行かなかったが、フォークアレンジの曲ではここまで抒情的で味わい深いヴォーカルとなるのかと聴くたびに感心させられる。

 ハスケルにとって満を持したアルバムだったが、商業的には成功しなかったという。その後、ハスケルはクリフ・リチャードやティム・ハーディンのサポートを務めるようになり、1974年には短期間、スタックリッジというグループとリハーサルを行っている。ハスケルはスタックリッジに加入しないことを決めていたが、本アルバムの『It Is and It Isn't(歳時記)』から1曲をレコーディングしている。元々は『ワームズ』というタイトルだったが、スタックリッジの1975年のアルバム『エクストラバガンザ』に収録されたバージョンでは「ミミズより大切なものはない」と改題されている。その後、ハスケルは1980年代初頭に多額の借金を抱え、音楽業界に不満を抱き、1984年にデンマークへ渡っている。デンマークでは酔っ払い相手のバーで演奏していたが、この頃から彼の歌声は格段に力強くなっていったという。この経験から借金を完済した彼はイギリスに戻り、小さなパブやクラブでソロや小編成のグループでの演奏を続けたという。ハスケルは自給自足で演奏するミュージシャンとなり、レコーディング業界とはほとんど関わりがなかったが、彼のシングル『Almost Certainly』は、ジュディ・ブーシェがカバーし、1990年に南アフリカで№1を獲得している。これを機に3枚目のソロアルバム『Hambledon Hill』が1990年にリリースされ、ラジオで好評を博したという。1996年にアルバム『Butterfly in China』をリリースした後、彼はアメリカで小規模なツアーを行っている。しかし、ソロの楽曲を演奏し、レコード契約を獲得できるかどうかを試すためだけにアメリカに行ったにもかかわらず、キング・クリムゾンのファンを喜ばせたという。彼はそれに嫌気を差し、契約できなかったことでイギリスに戻り、再度バーでの演奏を続けている。その後、ハスケルはケン・ワトキンスの紹介でロビー・マッキントッシュと共演。そこで彼は2000年に『All in The Scheme of Things』をリリースしている。チャンスを見出した彼は、ロビー・マッキントッシュのマネージャーであるイアン・ブラウンからレコーディングの機会について打診され、ハスケルはこれを受諾。しかし、彼はレコーディングは昔ながらの方法で作りたいと伝え、ライヴでオーバーダブは使わず、しっかりとしたソングライティングとクラシックなスタイルの演奏を求めたという。2001年2月にリリースしたアルバム『Look Out』には、『How Wonderful You Are』というジャズ風のバラードが収録されている。その曲は2001年にBBC Radio2 で最もリクエストの多い曲となり、全英シングルチャートで2位にランクインし、40万枚以上を売り上げたという。その後もコンスタントにアルバムを制作してはリリースし、2010年頃からギリシャのスコペロス島を拠点として活動。2017年にハンナズ・ヤードとのイギリスツアーのためにイギリスに戻り、その後も自分の好きな時にツアーやレコーディングを続ける予定だったが、残念ながら2020年10月15日にガンのため74歳で死去している。ゴードン・ハスケルは1970年代から1980年代にかけて不遇ともいえるミュージシャンだったが、2000年代になってようやく彼の作品や功績が再評価されつつある。


ゴードン・ハスケル アルバム「It Is And It Isn't」のジャケットゴードン・ハスケルとバンドメンバーの写真ゴードン・ハスケル(歳時記)のポートレートゴードン・ハスケル、ブリティッシュフォークロックの逸品

 

ゴードン・ハスケル アルバム「It Is And It Isn't」

 皆さんこんにちはそしてこんばんはです。今回はキング・クリムゾンの2代目のヴォーカリストでありながら、クリムゾンメンバーの中でも最も冷遇な扱いを受けたミュージシャン、ゴードン・ハスケルのセカンドソロアルバム『歳時記』を紹介しました。ちなみに歳時記(さいじき)とは、四季の自然、行事、風物などをまとめた書物のことを差し、日本では主に、俳句の「季語」を集めて分類し、それぞれの意味の解説や名句を添えた本と言われています。曲のタイトルを見ると、ハスケル自身のふとした生活の中で気が付いたことや考えたことを歌詞にしたブリティッシュフォークロックといった感じになっていて、彼の穏やかで温かみのあるメロディを湛えた小品集ともいえます。ハスケルがキング・クリムゾンを失意のうちに離れた後、すぐにレイ・チャールズやアレサ・フランクリンと契約したアトランティック・レコードの社長のオーディションを受けたのは、やはり自分が求めていた音楽を貫き通したかったのでしょう。レコーディングではジョン・ウェットンやビル・アトキンソン、そして元フィールズのアラン・バリー、元レア・バードのデイブ・カフィネッティという豪華なミュージシャンが参加し、難解だったキング・クリムゾンとは違った音楽を創り上げています。後にキング・クリムゾンのメンバーとなるジョン・ウェットンは、もしかしたら本アルバムの参加を経て、ソングライター兼ヴォーカリストのハスケルに対して何か感じたものがあったかも知れません。

 さて、そんな本アルバムですが、アコースティカルなブリティッシュ・フォークサウンドに素朴で味わいのある歌声がマッチした魅力的な作品になっています。プログレッシヴとは程遠いサウンドになっていますが、非常に初期のキング・クリムゾンやマクドナルド&ジャイルズの抒情性を強く感じさせる曲があります。歌詞だけを捉えると、このアルバムを「悲観的」と評した人もいます。しかし、それは単なる感情的な問題ではなく、アルバムの中でハスケルは人間と人間社会に対する悲観的な見方と闘っているのがよく分かります。人間は不完全な存在だと知っていながら、一体何ができるだろうか? どうやって生きていけばいいのだろうか? 結局は誰も分からず時ばかりが過ぎていきます。最後は世界を変えようとせず、私たちができることは恋人と共に静かで心地よい生活を送ることだろうと、悲観的ながら音楽と歌詞はこの願望に見事に応えています。キング・クリムゾンの時はそのロック的なサウンドではうまく行きませんでしたが、本アルバムのようなフォークアレンジの曲ではここまで味わい深いヴォーカルとなるのかと、聴くたびに驚いてしまいます。やっぱりヴォーカルってジャンルによって大きく変わるものなんですね~。

 本アルバムはソフトロック/フォーク調の曲が中心になっています。キング・クリムゾン出身の彼からこのような曲が出てくるとは想像しにくいかもしれませんが、アルバムの曲はまさにゴードンらしさにあふれています。彼のシンガーソングライターとしての才能が散りばめられた珠玉の名曲をぜひとも聴いてほしいです。

それではまたっ!
 

 

 

Brimstone Paper Winged Dreams アルバムカバー

Brimstone/Paper Winged Dreams
ブリムストーン/ペーパー・ウィングド・ドリームス
1973年リリース

クラシック要素とジャズ要素を
巧みに利用したメロディックサイケの逸品

 キリスト教の聖書に基づいた歌詞を取り入れたアメリカのプログレッシヴロックグループ、ブリムストーンの唯一作。そのアルバムは初期のイエスを彷彿とさせるオルガンやジャジー風のメロディックなギター、そしてムーディー・ブルースの影響が感じられるヴォーカルとコーラスが特徴的であり、当時のサイケデリックロックからプログレッシヴロックへと移行するタイミングを見事に捉えた作品となっている。本アルバムは自主レーベル兼独自流通で1,000枚ほどリリースされた作品であり、尚且つ現在でも公式に再発されていない伝説のアルバムとされている。

 ブリムストーンは1970年にケン・ミラー(ベース、ヴォーカル)とクリストファー・ウィントリップ(ギター、ヴォーカル)によって、アメリカのオハイオ州カントンで結成されたグループである。2人は高校の合同合唱団のイベントで出会い、そこにギリシャ人のジミー・パパトゥカキス(パーカッション、ヴォーカル)が加わり、3人で作曲を始めている。彼らはグラス・ハープのフィル・キーギーの影響で、楽曲や歌詞は聖書に基づいたものが多かったという。この時にグループ名は燃える石に由来し、聖書では地獄の火や天罰を示すブリムストーンとしている。1971年にメモリアル・オーディトリアムのバンドコンテストでグレッグ・アンドリュースと出会い、彼がフロントマン兼リードヴォーカル、そして作詞家として加入。メンバー全員がヴォーカルができるという特徴を活かし、英国のイエスやジェネシスのようなリード&リズムギターとハーモニーを探求したという。彼らは教会の集会所や納屋といった場所でリハーサルやセッションを行い、オハイオ州の北部にあるクリーブランドのクラブでライヴ活動をする毎日だったが、クリーブランドのローカルシーンではグラスハープを中心にプログレッシヴロックを支持するファンが多かったと言われている。その後、彼らはクラブシーンからコンサート会場へと活動の場を移し、ザ・ラズベリーズやロジャー・マックイーン、フランプトンズ・キャメル、ルネッサンス、ニューヨーク・ドールズといったグループのオープニングアクトを務めたという。ブリムストーンはすぐに、誰もが認める象徴的な存在となり、プロモーター兼マネージャーのパット・フゲイトはブリムストーンを新たな高みへと導き、マイヤーズ・レイク・ボールルームでクライマックス・ブルース・バンドの前座を依頼。そのコンサートがオリジナルバンドとしてさらに前進していくための原動力となったという。マネージャーのパット・フュゲートの手配で、ウォーレン・ブラウン・ダービーで週6晩演奏する傍ら、ペパーミント・スタジオでアルバムのレコーディングを行っている。この時、彼らは睡眠不足の中、私たちは毎晩徹夜でリハーサルを重ね、モーテルのアパートに住み込み、自炊をしながら次のセッションについて話し合ったという。彼らは自分たちの音楽をよりプログレッシヴに引き上げるために、バーニー・ナウ(キーボード、ヴォーカル)を加入させている。彼のクラシカルなピアノやオルガン、シンセサイザーは自分たちの音楽の幅をより広げていくことになる。彼らは完成したアルバムをブリムストーン・レコードというレーベルでリリースしようと決めている。厳密には自主制作ではないが、当時はレコードランドというレコードチェーンがあり、クリーブランド・インターナショナルがアルバムの流通を行ったという。こうして1973年にデビューアルバムである『ペーパー・ウィングド・ドリームス』がリリースされることになる。

【曲目】
01.Dead Sleep At Night(夜の深い眠り)
02.End Of The Road(道の終わり)
03.Etude/Fields Of Clay(エチュード/フィールズ・オブ・クレイ)
04.Illusion/Paper Winged Dreams(幻影/ペーパー・ウイングド・ドリームス)
05.Suite In Five Movements(5つの楽章からなる組曲)
 a.Prelude In C Minor(ハ短調の前奏曲)
 b.Song Of Fifths ~Thanks To Our Friend~(五分の一の歌 ~友に感謝を~)
 c.Interlude To You(あなたへの間奏曲)
 d.Ode To Fear And Loneliness(恐れと孤独への頌歌)
 e.Epilogue:Forever(エピローグ:永遠に)

 アルバムの1曲目の『夜の深い眠り』は、1960年代後半の美学を感じさせるクールなポップロック。メロウなギターとクラシカルなオルガンが中心となっているが、リズムセクションやムーディー・ブルースをイメージさせるコーラスが素晴らしい。2曲目の『道の終わり』は、まるでスティクスを彷彿とさせるキャッチーなキーボードリフを中心に構成された楽曲。メロディアスなサウンドだが、終盤の変拍子によってプログレの領域に踏み込んでいる。3曲目の『エチュード/フィールズ・オブ・クレイ』は、穏やかなクラシックギターによるソロから始まり、トラフィックを印象させるサウンドに変化する楽曲。ここでもリズムセクションが主役となり、曲を新たな高みへと引き上げている。4曲目の『幻影/ペーパー・ウイングド・ドリームス』は、美しいピアノのイントロから始まり、その後は典型的なハモンドオルガンとギターによるサウンドに変化する。控えめなギターときらきらとしたオルガンが効果的なメロウサイケともいえる。5曲目の『5つの楽章からなる組曲』は、その名の通り5つの楽章による組曲風になっており、18分を越える大曲。ギターとキーボードによる複雑なパッセージがいくつか登場し、最初の部分はギターとハモンドオルガンから始まり、1分半後にはレスリー効果が目立つようになり、次にフィンガー・ピッキング・ギターの演奏、そして短いエフェクトのかかったギター、ベースによるジャジーな演奏が続いている。宗教的な歌詞の歌となるが、それぞれ5つの異なるパートに分かれており、全体的にジャジーなインストゥルメンタル曲となっている。曲の中盤ではキーボードによる様々な有名な楽曲があり、中でもJ.S.バッハの『トッカータとフーガ ニ短調』を演奏しているのが面白い。こうしてアルバムを通して聴いてみると、アルバム自体は1960年代後半を感じさせるサイケデリックなサウンドになっているが、ジャズやクラシックの要素が加味されており、古臭さをあまり感じさせない作りなっている。変拍子や曲調の変化もあるが、全体的にアメリカらしいキャッチーでメロディアスなサウンドに昇華させている。

 本アルバムはオハイオ州ヤングスタウンのペパーミント・プロダクションズで録音され、ブリムストーン・レコードからリリース、そしてクリーブランド・インターナショナルによって全米220のレコードランド店に1,000枚が配給されたという。また、後にシングル『Homecoming』と『Visions of Autumn』が、Lanco Recordsから500枚リリースされ、クリーブランドのラジオ局でわずかにオンエアされたと言われている。彼らは地元のクリープランドでライヴ活動を行い、次のアルバムを目指して多くの作曲を試みたという。彼らはキング・クリムゾンやソフト・マシーン、ジェントル・ジャイアントといったサイケデリック&プログレ、フュージョンの方向を模索し、商業的というより実験的な方向へ進んでいる。そのために新しいドラマーのスコット・グルーウェルを迎え、生き残るためにアメリカ各地のクラブで演奏しながらツアーをしていた頃、ケン・ミラーに代わって加入したベーシストのジョン・デイビスを呼び戻している。しかし、うまくいかず、最終的に1974年にグループは解散している。解散後、ギタリストのクリストファー・ウィントリップは、私は新しいミュージシャンと共にミュージカル・エアというグループを結成している。このグループ名は、未発表のセカンドアルバムに収録予定だったブリムストーンの楽曲から取ったものである。その後、ベーシストのジョン・デイビスとドラマーのスコット・グルーウェルと共に、マジカル・エアーというトリオグループを結成し、1980年代まで活動を続けたという。また、キーボード奏者のバーニー・ナウは、オハイオ州南部でケルト音楽を専門とするレコーディング会社を経営し、成功を収めたと言われている。その他のメンバーは、残念ながら音楽活動から離れているという。本アルバムはリリース後、長い間、廃盤として君臨することになるが、いまだに公式で再発は行われていない。現在では2000年代に非公式ながらCAMELLIAからCD化が果たされているのみである。

Brimstone Paper Winged Dreams アルバムアートBrimstone Paper Winged Dreams アルバムジャケットBrimstoneバンドのポートレート写真Brimstoneメンバーの集合写真

 

ブリムストーン、ペーパー・ウィングド・ドリームス アルバム

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はアメリカの伝説級のアルバムとされているブリムストーンの唯一作『ペーパー・ウイングド・ドリームス』を紹介しました。直訳すると『紙の翼を持つ夢』となります。彼らはグラス・ハープのフィル・キーギーの影響で、楽曲や歌詞は聖書に基づいたものが多く、当時から地元ではクリスチャン・バンドと言われていたそうです。当初はギターメインのサイケデリックなサウンドが中心でしたが、クラシカルなピアノやオルガン奏者をメンバーにしたことで、一気に英国のイエスやジェネシスといったプログレッシヴなサウンドに近づいた稀有なグループでもあります。彼らは地元のクリープランドを拠点に活動し、オハイオ州から出ることは無かったとされています。そのため、オハイオ州ヤングスタウンのペパーミント・スタジオでレコーディングを行い、クリーブランド・インターナショナルによって全米220のレコードランド店を流通網としたアルバムを1,000枚リリースするなど、ほぼ地元で消化する形になっています。確かに他のプログレグループにあるような自主制作&流通とは少し違いますが、個人的にはもっと大きなレコード会社やレーベルに接近しても良かったのではないかと思っています。それだけ当時としては埋もれるには惜しいクオリティの高いサウンドになっています。

 さて、そんな本アルバムですが、元々はギタリストのクリストファー・ウィントリップを中心にCSN&Y風のコーラスの効いたサイケデリックなロックを演奏していたということで、1960年代後半の美学が感じられる少し古臭さのある内容になっています。それでもピアノやハモンドオルガンを中心としたキーボードや様々なエフェクトと融合したギタープレイ、そして手数の多いドラミングとジャジーなベースによって、プログレッシヴな感性を取り入れており、まさにサイケデリックロックからプログレッシヴロックへと移行する流れの中にいるサウンドと言っても良いかもしれません。プログレッシヴのような先鋭さは少なく、サイケデリックのようなトリップさは少ないといった感じでしょうか。そんな彼らはレコーディング直前に自分たちの音楽の幅を広げるために、バーニー・ナウというキーボード奏者を迎えて、これだけキーボード主体のサウンドに変化させているというのが、彼らのプログレに対する柔軟な発想と意気込みの賜物であると思っています。そういう意味では間違いなく本アルバムは価値ある作品であると私個人は考えています。

 本アルバムは秘めたる才能を持ちながらも、それを十分に発揮できなかったグループの唯一作です。アメリカのグループでありながら英国的な美学のあるサウンドをぜひ一度聴いてみてほしいです。

それではまたっ!
 

スマック 黒い淑女 アルバムジャケット

Smak/Crna Dama
スマック/黒い淑女(ブラック・レディ)
1977年リリース

クロスオーバー志向を巧みに取り入れた
セルビアン・プログレッシヴハードの名盤

 旧ユーゴスラビアのロックシーンで最も影響力のあるギタリストの1人とされる、ラドミル・ミハイロヴィッチ率いるプログレッシヴハードグループ、スマックの2枚目のスタジオアルバム。そのアルバムは同時期のクロスオーバー志向も取り入れつつ、エレクトリックピアノやシンセサイザー、そして攻撃的なギターによるプログレッシヴ色の強いソリッドかつテクニカルなアンサンブルを主体としたセルビアン・プログレハードの傑作とされている。本アルバムはゴールドディスクを獲得し、数あるスマックの作品の中でも最も商業的に成功した1枚でもある。

 スマックは1971年にギタリストのラドミル・ミハイロヴィッチとドラマーの スロボダン・ストヤノヴィッチらによって、旧ユーゴスラビア(現セルビア)の中央に位置するクラリェヴォで結成したグループである。かつて2人はモスタルでユーゴスラビア人民軍(JNA)の義務兵役を務めており、共通の友人を通じて知り合っている。2人は音楽に対する情熱を語り合い、兵役を終えた後、ストヤノヴィッチはすでに家族オーケストラとのツアーに出ており、一方、ミハイロヴィッチは故郷のチャチャクに戻ったという。帰宅したミハイロヴィッチはクラグイェヴァツ出身のゾラン・ミラノヴィッチ(ベースギター)とスロボダン・コミナツ(ヴォーカル)と出会い、彼らの新進気鋭のプログレッシヴロックグループ、ジェントリーに加入するよう誘われている。ミハイロヴィッチはストヤノヴィッチがグループのドラマーになることを条件にその申し出を受け入れ、1971年12月にオルガン奏者のミサ・ニコリックが加入したことでラインナップが完成する。この時、彼らはまだカヴァーバンドグループであり、若者向けのダンスホールでサンタナやディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックスの曲を演奏していたが、オリジナルの曲も演奏できるグループになろうと決意し、彼らはグループ名をSmak(スマック)に変更している。グループ名の由来は地元クラグイェヴァツ劇場で準備されていたミュージカル『ヘアー』に影響を受けた「Smak Sveta(世界の終わり)」にちなんで、Smak(終末)としたという。彼らはオリジナル曲にプログレッシヴロックやジャズロックの要素を加味し、ほとんどの曲が即興のインストゥルメンタル曲だったとされている。その即興音楽のため、ダンスホールがロックコンサートに変わってしまってしまい、ヴォーカルのスロボダン・コミナツが脱退。後任にはスロボダン・ヨヴァノヴィッチが加入することになる。彼らは1972年の夏に2か月半にわたって主にブルースのレパートリーを演奏するため、クロアチアのドゥブロヴニクに向かっている。ドゥブロヴニク滞在中は、旧ユーゴスラヴビアのプログレグループであるタイムの前座を務めたという。公演終了後、新たにヴォーカリストのミロラド・ペトロヴィッチを迎えて、セルビア東部で開催されたポジャレヴァツ・ギターフェスティバルに参加し、フェスティバルを主催した地元のグループであるディジャマンティと1位を分け合ったという。

 その後、ヴォーカルのスロボダン・コミナツが復帰し、1974年初頭にデビュー シングルのレコーディングを開始している。彼らは1974年11月10日にベオグラードで初めてVeče uzラジオの記念コンサートに参加し、Bijelo DugmeやPop Mašinaなど、その他当時の著名なロックグループと共に演奏したという。数日後、彼らはベオグラード大学の文学部で演奏していた、キーボード奏者のラザ・リストフスキーを迎え、ハンガリーのプログレグループのオメガと共にDom Sindikataホールで演奏。そして同年2月にはOpatijaフェスティバルのロックイブニングでも演奏し、その後、ユーゴスラビア最高のギタリストの頂点として開催されたザグレブのKongres Rock Majstora(ロックマスター会議)コンサートでも演奏している。彼らは1975年3月16日にベオグラードで行われたディープ・パープルのコンサートでオープニングアクトを務め、そこで演奏したインストゥルメンタル曲『Ulazak u harem』がシングルとしてリリースされる。彼らはユーゴスラビアの公共メディアであるRTV Ljubljanaと契約し、1975年にデビューアルバム『Smak』がリリースされる。長さにもかかわらず、この曲はワンテイクで録音され、同ユーゴスラビアのロックグループであったコルニ・グルパのシンフォニックロックに影響された曲がいくつかあったという。このアルバムは賛否両論の評価を受けたが、約2万枚売れてシルバーディスクを獲得している。1976年4月に彼らはダブル7インチEP『Satelit(サテライト)』をリリースしたが、タイトル曲はたちまちヒットし、ジャケットの内側にはスリーブから飛び出す衛星が描かれていたという。その後、彼らはアメリカのニューヨークに1週間滞在し、『Satelit(サテライト)』のプロモーションビデオ、訪問に関するドキュメンタリーを撮影している。帰国後、ミハイロヴィッチはソロデビューアルバム『RM Točak 』をリリースし、グループは1976年秋にユーゴスラビアのミニツアーを行っている。しかし、翌月、キーボード奏者のラザ・リストフスキーが脱退し、当時Smakのライバルであったビイェロ・ドゥグメに加入したという。後任には、Bregのオルガン奏者であるアンドレ・ナバラ教授のクラスでチェロ音楽アカデミーを卒業したミキ・ペトコフスキが加入している。その後、彼らは次のアルバムの素材の準備を開始し、ペトコフスキもリハーサルにチェロを持ち込み、書かれた素材はロンドンのモーガン・スタジオで録音されたという。こうしてマーティン・レヴァンがプロデュースした『Crna dama(黒い淑女)』が、1977年初頭にリリースされる。

★曲目★
01.Crna Dama(ブラック・レディ)
02.Stvar Ljubavi(ア・マター・オブ・ラヴ)
03.Domaci Zadatak(家庭教師)
04.'Alo(こんにちは)
05.Tegoba(苦悩)
06.Daire(タンバリン)
07.Plava Pesma(ブルー・ソング)

 アルバムの1曲目の『ブラック・レディ』は、当時のスティクスやフォリナー、ブルー・オイスター・カルト、ナイト・レンジャーに近く非常にキャッチーなロック曲。巧みなギターソロを交えたゆったりとしたセクションとアップテンポなパッセージのコントラストが素晴らしい。2曲目の『ア・マター・オブ・ラヴ』は、煌びやかなエレクトリックピアノと甘いボリス・アランジェロヴィッチのヴォーカルによるバラード系ジャズフュージョン。それ以上に、ギタリストのラドミル・ミハイロヴィッチは、デヴィッド・ギルモアのような卓越したテクニックを存分に披露している。3曲目の『家庭教師』は、フランジャーのかかったベースとドラムで始まるロックナンバー。疾走感のあるディスコ調のドラムトラックだが、ベースやギター、キーボードといった各楽器奏者の最高のパフォーマンスを引き出した最高のインスト曲となっている。どのパートもセンスが良く、特に後半のミキ・ペトコフスキーのオルガンプレイは圧巻である。4曲目の『こんにちは』は、ジミ・ヘンドリックスの影響を強く受けたギターとヴォーカルが、コール・アンド・レスポンスのように互いのメロディラインを掛け合った楽曲。当時のスキャット・シンギングの最高傑作の1つと言われており、心地よいリスニングを提供してくれている。5曲目の『苦悩』は、ジャジーなジョージ・ガーシュウィン風のピアノのオープニングから始まり、次第にフュージョン・ジャムへと展開する楽曲。ピアノやシンセサイザー、力強いメロディックベースが強調されており、彼らの素晴らしい才能と卓越した演奏技術が発揮された1曲である。6曲目の『タンバリン』は、レッド・ツェッペリンやブルー・オイスター・カルトのサウンドスタイルが融合したスローテンポのブルースロック。途中で優れたギターリフとモーグソロがあり、曲にスペイシーな雰囲気を創り上げている。7曲目の『ブルー・ソング』は、レコーディングにゲスト参加したハーモニウム四重奏のストリングスをバックにしたクラシカルな楽曲。ボリス・アランジェロヴィッチのヴォーカルが素晴らしく、抒情的なギターソロが展開されるなど、言うまでもなくユーゴスラビア風バラード曲ともいえる。

 本アルバムは国内外で高く評価され、ゴールドディスクを獲得。本アルバムからは『Crna dama』や『Daire』、『Plava Pesma』の3曲がヒットし、旧ユーゴスラビアのロックシーンでのSmakの人気は急上昇したという。1977年9月8日に彼らは大規模なプロモーションツアーに乗り出し、ベオグラードでオープニングショーに参加。また、完売したピオニールホールで演奏し、その後はノヴィ・サドのBOOMフェスティバルに出演している。さらにドイツのフランクフルトを拠点とするレコードレーベルBellaphon Recordsの代表者が紹介され、Smakは8枚​​のアルバムの5年契約を結ぶことに成功。その後、ミハイロヴィッチとアランジェロヴィッチは、ヨーロッパとアメリカの市場向けに『Crna dama』の英語版のトラックを録音するためにロンドンへ渡ったという。 しかし、成功を収めたはずだったCrna damaツアーが、最終的に2000万ディナール(約5万ドル)の負債をグループに残したことが原因で、ベオグラードのピオニール・ホールでのコンサートをはじめ、ポズナンで開催されたポーランドの国際ロック音楽フェスティバルなど多くのステージに立ったという。その後、まもなくキーボード奏者のミキ・ペトコフスキは兵役のため脱退。後任にはRTVノヴィ・サド管弦楽団のメンバーであったティボル・レヴァイが加入することになる。緊張した雰囲気の中、彼らは新曲の制作に取りかかり、3枚目のスタジオ・アルバムのレコーディングを開始。度重なる口論にもかかわらず、彼ら自身がバリー・ハモンドと共にプロデュースしたプログレッシヴロック・アルバム『Stranice Našeg Vremena 』が1978年にリリースされる。そのアルバムは批評家からは好意的な反応を得られなかったこともあり、リリース後にティボル・レヴァイはグループを脱退。さらにその後すぐにギタリストのラドミル・ミハイロヴィッチも脱退してしまう。ミハイロヴィッチの脱退はメンバーが彼の作詞に反対したことが主な原因だったとされている。

 その後、Smakのメンバーは他のグループのメンバーと共演するなどしてグループの維持につとめたが、1979年はじめにラドミル・ミハイロヴィッチが、キーボード奏者のラザ・リストフスキを連れて復帰。彼らはダド・トピッチと引き続きコラボレーションし、1980年初頭にアルバム『Rok cirkus(ロック・サーカス)』をリリースしている。このアルバムはより商業的なハードロック・サウンドを特徴としていたが、ユーゴスラビアにおけるパンクやニューウェーヴの音楽人気もあって、アルバムの商業的失敗に影響を与えていたとされている。1981年にアルバム『Zašto ne volim sneg』がリリースされたが、メンバー間の頻繁な口論により、ベオグラードでのショーを最後に解散す​​るという決断に至る。1981年6月、彼らはカレメグダン要塞内のレッドスター・バスケットボールコートで、6千人のファンの前でフェアウェルコンサートを開催。コンサートツアー終了後の1981年9月に正式にグループを解散している。解散後、ストヤノヴィッチとミハイロヴィッチは、ベースとリードヴォーカルのダド・トピッチと共に、ティトというグループを結成。しかし、グループは始動せず、2人は1982年初頭に今度はベーシストのローラ・アンドレイッチと共に、インストゥルメンタル・トリオを結成している。ミキ・リストフスキはアルヴィン・リー・バンドに加入。その後、5枚のソロアルバムをリリースし、1985年にビイェロ・ドゥグメに戻り、1989年の解散まで在籍したという。メンバーそれぞれは自身のキャリアに専念していたが、Smakの主要メンバーであったミハイロヴィッチ、ストヤノヴィッチ、ミラノヴィッチの3人とキーボード奏者のミラン・ジュルジェヴィッチが1990年に再結成し、クラグイェヴァツ・ミッドナイト・コンサートで演奏。その後も定期的に顔を合わせてはライヴや新曲のレコーディングを行い、2000年代まで活動を続けたという。最近では2022年9月9日にチャチャクでコンサートを行っており、その往年の演奏力の高さに多くのファンが喜んだという。

スマック「黒い淑女」LPジャケットSmak 黒い淑女 セルビアンプログレハードロックバンドSmak 黒い淑女 プログレッシヴハードバンド写真

 

Smak Crna Dama アルバムカバー

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は旧ユーゴスラビア(セルビア)のプログレッシヴハードグループ、スマックの2枚目のスタジオアルバムにあたる『黒い淑女(ブラック・レディ)』を紹介しました。旧ユーゴスラビアにはコルニ・グルパやタイム、ポップ・マシーナといったプログレッシヴロック、またはハードロックグループが多数ありますが、スマックはラドミル・ミハイロヴィッチのテクニカルなギターと煌びやかなキーボードによる即興的な演奏を得意とした独自性の高さがウリであり、1970年代でのユーゴスラビアにおける人気は絶大であったとされています。また、1975年3月16日にベオグラードで行われたディープ・パープルのコンサートでオープニングアクトを務めたグループとしても有名で、とにかく彼らのライヴステージでのパフォーマンスは一級品であったそうです。そんな2枚目のアルバム『黒い淑女』は、スマックが人気絶頂期にリリースされたアルバムで、前作よりもクロスオーバー志向を強めており、卓越したキーボードによるスペイシーなサウンドがよりプログレッシヴ色を加味した独自性のあるアンサンブルになっています。英語盤もリリースされるなど商業的に成功した作品として扱われがちですが、後のユーゴスラビアのロックシーンを牽引するシンフォニック/フュージョンの領域に踏み入れた偉大な作品でもあります。

 さて、そんな本アルバムですが、ギタリストのラドミル・ミハイロヴィッチをはじめ、キーボード奏者のミキ・リストフスキといったメンバー全員の演奏力やセンスの高さが光っていますが、何よりもヴォーカリストのボリス・アランジェロヴィッチの素晴らしさに気付かされた作品だと言っても良いと思います。元々、スマックは即興という演奏力を武器にしたインスト曲をメインにした楽曲が多いのですが、アランジェロヴィッチの甘く伸びやかなヴォーカルを活かされた楽曲も惹きこまれるほどであり、アルバムとしての完成度は非常に高いと考えています。個人的には3曲目の『家庭教師』や5曲目の『苦悩』といったジャズベースのフュージョンが好きですが、ジミ・ヘンドリックスの影響を強く受けた4曲目の『こんにちは』やスローテンポのブルースロックである6曲目の『タンバリン』も彼らの高い演奏技術あっての楽曲であり、プログレ的ではないにしても捨て置けない素晴らしい曲になっています。

 本アルバムはプログレッシヴロックやジャズロックフュージョンの要素や分かりやすい例も含まれた、クロスオーバーまたはエクレクティックロックの傑作です。ぜひハードロックからプログレッシヴロック、ジャズロックといったジャンルを巧みに取り入れた楽曲を聴いてみてください。

それではまたっ!
 

Rebekka Phoenix ジャーマンシンフォニックロックの名盤

Rebekka/Phoenix
レベッカ/フェニックス
1982年リリース

女性ソプラノヴォーカルをフィーチャーした
ジャーマンシンフォニックロックの名作

 1971年に結成し、10年以上のキャリアを持つドイツのプログレッシヴロックグループ、レベッカの1982年にリリースしたデビューアルバム。そのアルバムはピアノによるアコースティカルな雰囲気と英国のキャメルに通じる叙情的なギター、そして楽曲に彩りを添えたサックスやフルートが心地よいアンサンブルとなっており、何よりもルネッサンスのアニー・ハズラムを思わせるマリオン・ウェルダートによるソプラノヴォーカルが素晴らしい傑作となっている。一時はインド音楽に傾倒するもギタリストにはクラシック、ベーシストにはジャズに精通したメンバーがおり、メロディアスで透明感あふれるシンフォニックロック作品の1枚として現在でも高く評価されている。

 レベッカは1971年にギタリスト兼フルート奏者のヒューバート・シュナイダーを中心に、ドイツ南部にあるバイエルン州アウグスブルクで結成されたグループである。当時学生だったヒューバートは、英国のクリームやローリング・ストーンズといったブルースロックに憧れ、友人だったベーシストのヨアヒム・ツシャイレと彼の知り合いだったドラマーのトリオ編成で活動を開始している。しかし、1973年頃のヒューバートはギターを中心としたブルースロックは限界と感じ、新たな音楽の道を模索するようになる。この時、英国のキング・クリムゾンやイエス、ジェネシスといったプログレッシヴロックの方向には行かず、彼はインドの古典楽器であるタブラを習得して東洋音楽に傾倒していったというのが面白い。結局、彼らは音楽の方向性を見失い、1975年にヒューバートはグループを解散させ、しばらくスタジオミュージシャンとして働いていたと言われている。動きがあったのは1977年にヒューバート・シュナイダーと友人であったベーシストのヨアヒム・ツシャイレが再会したことである。2人はこれまで演奏してきた音楽経験に多彩なジャンルを組み込んだ新生レベッカの結成を考えたという。まず、手始めにクラシックの教養のあるキーボード奏者のピーター・ラウブマイヤーに声をかけ、合わせてピーターの友人であったドラマーのクリストフ・B・イムラーを加入させてグループとしての体裁を整えている。さらにヒューバートはサックス奏者であった弟のマルティン・シュナイダー=ウェルダートをメンバーに加え、クラシックの声楽にも参加したことのあるマルティンの妻のマリオンもグループに引き入れている。この時、マリオンはロックのヴォーカルは一度も経験していなかったという。こうしてメンバーが6人となったレベッカはヒューバートとピーターが作曲した楽曲のリハーサルを行い、地元のバイエルン州のミュンヘンやニュルンベルクといった都市を中心にライヴ活動を開始。インド楽器であるラブラをはじめ、古典的ともいえるクラシカルでエキゾチックなプログレッシヴロックの演奏は一部のファンから高く評価されたが、1970年代後半のドイツでもパンク/ニューウェーヴが席巻し、すでにプログレッシヴロックは衰退の一途をたどっていたという。当然、自分たちの音楽をリリースしてくれるレコード会社やレーベルは皆無に等しく、時間だけが過ぎていく毎日だったとされている。1980年に入り、グループの解散も視野に入れていたヒューバートだったが、ドイツのエンジニア兼プロデューサーのカール=ハインツ・ザハと出会い、彼が設立したレーベルのHeuteと契約することになる。ドイツのイラーティッセンにあるレコーディングスタジオのAVCスタジオでアルバム用のレコーディングを行い、1982年にデビューアルバム『フェニックス』がリリースされる。

★曲目★
01.Swan Song(白鳥の歌)
02.Lithphas(リトファス)
03.Odyssee(オデッセイ)
04.Phoenix(フェニックス)
05.Iris~Imaginary Regards Of An Irish Sun~(アイリス~アイルランドの太陽の想像上の視線~)
06.Floating Dawn(フローティング・ドーン)
★ボーナストラック★
07.Lotos(ロトス)

 アルバムの1曲目の『白鳥の歌』は、クラシカルなピアノをバックに、美しく伸びやかなマリオン・ウェルダートのヴォーカルを湛えた楽曲。曲間ではメロディックなギターとシンセサイザーがあり、透明感と瑞々しさのある典型的なドイツのフォークの要素を巧みに取り入れた内容になっている。2曲目の『リトファス』はキーボード奏者のピーター・ラウブマイヤーが作曲し、美しいピアノとエレクトリックギターをバックに、アコースティックな質感のあるリリカルなインスト曲。そのピアノやギターを主体とした曲想や音作りは、まさにシンフォニックロックの王道ともいうべき、非常にメロディックで甘美な展開になっている。3曲目の『オデッセイ』は、ギタリストのヒューバート・シュナイダーとサックス奏者のマルティン・シュナイダー、そしてそこにマリオンのしっとりとしたヴォーカルを加味したバラード曲。泣きのギターはまるでキャメルのアンディー・ラティマー風といったところである。4曲目の『フェニックス』は11分に迫る大曲となっており、アコースティックなテクスチャーの中でクラシックピアノの演奏、メロディックなエレキギター、そして情感的なサックスの音色を湛えた楽曲。その穏やかな演奏の中で幽玄なマリオンのヴォーカルが素晴らしい。また、モーグシンセサイザーやメロトロンといったアナログキーボードも登場しており、より豊かさと深みを増したサウンドへと昇華している。5曲目の『アイリス~アイルランドの太陽の想像上の視線~』は、繊細な12弦ギターをバックにした牧歌的なフォーク曲。後半のシンセサイザーの響きがクラシカルな要素があり、全体的にプログレッシヴ風な音楽に変えている。6曲目の『フローティング・ドーン』は、幽玄なフルートとアコースティックギター、そしてシンセサイザーによるクラシカルな楽曲。後半は泣きのギターやピアノを中心とした美しく儚いサウンドになっており、エンディングに相応しいナンバーになっている。ボーナストラックの『ロトス』は、当時同じセッションで録音されつつもアルバムに収録されなかった楽曲。12分を越える大曲となっており、インドの古典楽器であるタブラやタンブラを利用した東洋的で神秘的な雰囲気のあるサウンドになっている。

 アルバムはプレスした枚数は1,000枚と少なかったものの、一部のプログレファンに高く評価されたという。この頃のドイツは1970年代後半にデビューしたエニワンズ・ドーターやトリロジー、エデン、ノイシュヴァンシュタイン、アメノフィスといったプログレッシヴロックが人気となっており、そうした中でリリースされたレベッカのアルバムも受け入れられた形となっている。アルバムリリース後にドラマーのクリストフ・B・イムラーが脱退し、代わりにユルゲン・シュラハターが加入。彼らは音楽スタイルは1970年代初期のクラシックなプログレにこだわり、しばらく古臭い田園風ロックといった楽曲を武器にライヴを続けたというが、さすがに時代に合わせた音楽作りをしないと生き残れないと悟り、1984年にセカンドアルバムである『ラブリンス』では、ポップでエレクトロニックなサウンドに変化している。セカンドアルバムは彼らにとっては挑戦的ともいえる作風だったが、残念ながらその方針転換が裏目に出てアルバムの全体的な印象が散漫となってしまったという。1985年にはシングル『トゥナイト/セルフベトラグ』をリリースしたが成功を収める事はできず、最終的にグループは翌年の1986年に解散することになる。解散後のメンバーは地元のマイナーグループに所属したり、セッションミュージシャンとして演奏したりしている。中でもベーシストのヨアヒム・ツシャイレは、そのままAVCスタジオのサウンドエンジニア兼プロデューサーとなり、多くのミュージシャンのアルバムやシングルを手掛けたという。レベッカはこれまで2枚のアルバムを発表しただけで音楽シーンから忽然と消えてしまった伝説のグループとして君臨することになる。しかし、1993年にフランスのプログレ発掘レーベルであるムゼアから初CD化となったことで、彼らのアルバムが再び脚光を浴びることになる。

Rebekka Phoenix ジャーマンシンフォニックロックの名盤Rebekka Phoenix 1982年デビューアルバムメンバー集合写真レベッカ/フェニックス ギタリストとヴォーカルレベッカ、タブラとシタール奏者

 

Rebekka Phoenix アルバムジャケット

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はドイツのプログレの中でもマイナーに位置するシンフォニックロックグループ、レベッカの1982年のデビューアルバム『フェニックス』を紹介しました。レベッカと聞くとNOKKOがヴォーカルでシングル『フレンズ』が大ヒットした日本のグループを思い出しますが、偶然とはいえアルバムリリース年と日本のレベッカ結成年が同じ1982年であるところに何か妙な縁を感じます。ドイツ出身のレベッカの本アルバムはマイナーですが、同時期のノヴァリスやグローブシュニット、エロイ、アメノフィス、フェイスフル・ブレスといったグループと肩を並べるほどの逸品とされており、隠れたジャーマン・シンフォニックロックの1枚とも言われています。その理由として挙げられるのは、当時アニー・ハズラム中心のルネッサンスの1981年のアルバム『カメラ・カメラ』がニューウェイヴな作風になって売り上げを落としたのに対し、レベッカは最高のシンフォニックロックの伝統を受け継いだアルバムを制作したと多くのプログレファンから言われているからです。かのルネッサンスと比較するのはさすがにおこがましいと思いますが、実は初回にプレスした1,000枚ほどの本作は一週間も経たずに完売したといわれています。それだけ当時のルネッサンスの音楽に絶望した人が多かったという証左でもあります。

 さて、そんなアニー・ハズラム似のソプラノヴォーカルを持つマリオン・ウェルダートの歌声を擁したアルバムですが、実際はフォークロックとシンフォニックロックのクロスオーバーと評される印象的で色彩豊かな作品になっています。とにかくオープニングトラックを聴けば、昔のプログレファンは1970年代初頭の時代にタイムスリップすること間違いなしです。アコースティックやフォーク音楽の探求をはじめ、メロディックで時に夢のようなサウンドスケープへの誘いは、まるでヘルダーリンのファンには馴染み深いかもしれません。そこに上昇するシンセサイザーの音色と抒情的なエレクトリックギター、魅力的なソプラノヴォーカル、踊るようなフルート、リリカルなクラシックギターによる鮮やかなアンサンブルを創り出し、アコースティック&エレクトリックの双方が巧みに取り入れられた魅力的な音楽的対話を生み出しています。これだけ成熟度の高い演奏が実現しているのは、やはりライヴを中心とした10年近くの下積みであるといえますが、ブルースから始まり、クラシック、ジャズ、東洋音楽などを忌憚なく取り入れて演奏してきた多様性をモットーとしたからではないかと思っています。何度か聴き込むうちに、音楽の美しさが徐々に明らかになり、まるで繰り返し聴くことで彼らが音楽に注ぎ込んだ幾重にも重なる技巧が浮かび上がってくるようです。

 本アルバムは古典的でありながら、1970年代を素晴らしい時代へと押し上げたプログレッシヴ音楽の真髄です。1970年代初頭の活気に満ちていた時代のプログレ音楽が好きなら、ぜひ聴いてほしい1枚です。

それではまたっ!
 

 

 

サン・ジュスト『聖なる者たち』ジャケット画像

Saint Just/Saint Just
サン・ジュスト/聖なる者たち
1973年リリース

美と狂気が交錯する
圧巻のテンションが光った名盤

 イタリアの名カンタトゥーレ&シンガーソングライターであるアラン・ソレンティの妹のジェニーをヴォーカルに据えたプログレッシヴロックグループ、サン・ジュストのデビューアルバム。そのアルバムはロックやジャズをはじめ、クラシック、現代音楽、さらにはトラッド&フォークを無作為に放り込んだ格調高くもテンションあふれるサウンドとなっており、そこに狂気と美を同時に具現化させたようなジェニーの甘美な歌声が織り成したイタリアン・アシッドフォークの傑作となっている。トリオ編成だが録音時には兄のアランをはじめとするサポート・ミュージシャンが参加しており、重厚なアンサンブルを実現している。

 サン・ジュストは1973年にジェニー(ジェーン)・ソレンティを中心に、イタリアのナポリで結成されたグループである。ジェニーの兄のアランは1970年代初頭から活躍するシンガーソングライターであり、幼少期の2人はナポリと母親の故郷であるアベリストウィスの間で育っている。兄妹ともローマで芸術家としてのキャリアを試みており、兄のアランはひと足先にソロ活動を開始し、一方のジェニーはペンタングルのようなフォークの影響を強く受けたプログレッシヴロックグループに興味を持ったという。兄のアランはティム・バックリーやピーター・ハミル、ショーン・フィリップスといったシンガーソングライターの過激なヴォーカルに影響を受けた実験的なロックに近い作品を提案。1972年にジャン・リュック・ポンティなどの他のアーティストとコラボレーションした最初のアルバム『アリア』をリリースしている。1973年にもセカンドアルバム『まるで人けのない村の夜明けに灯る古い香炉のようだ』をリリースし、前作同様にタイトル曲が片面全体を占め、複雑で凝ったメロディ構造と難解な歌詞が特徴となっている。そんな兄の実験性の高いアルバム制作を目の当たりにしたジェニーは深く感銘し、すぐにトニ・ヴェルデ(ギター、ベース、ヴォーカル)、ロバート・フィックス(サックス)と共に、1973年にサン・ジュストというグループを結成する。ちなみにサン・ジュストという名前は、27歳でギロチンにかけられたフランス革命家のルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュストに由来している。

 グループの結成後、作詞はジェニーが担当し、楽曲の作曲と編曲はヴェルデが担当したという。2人の音楽スタイルは特に中世に注目しながら、イタリアの過去数世紀の文化を掘り下げたクラシックのニュアンスを持つ現代フォークの一種であり、中でもペンタングルやサード・イヤー・バンド、スティーライ・スパンといった英国のアーティストに寄せている。そんなサン・ジュストは周囲から注目を集め、歴史ある英国のレーベルのハーベストと契約を結ぶことになる。彼らがアルバムのレコーディングに着手したことを喜んだアラン・ソレンティはバックヴォーカルとミックスを担当。さらに自身の作品にも参加したアントニオ・エスポジート(ドラムス、パーカッション、マリンバ)、ジャンニ・グアラチーノ(エレクトリックギター、12弦ギター)、マリオ・ダモーラ(ピアノ、オルガン、チェレスタ、ベル、キーボード)といったミュージシャンをレコーディングに招聘している。こうしてアルバムが完成し、1973年にデビューアルバム『聖なる者たち』がリリースされる。そのアルバムはロックやジャズをはじめ、クラシック、現代音楽、さらにはトラッド&フォークを無作為に放り込んだような格調高くもテンションの高いサウンドとなっており、そこに美と狂気が相まったジェニーの甘美な歌声が織り成したアシッドフォークの傑作となっている。

【曲目】
01.Il Fiume Inondo'(洪水)
02.Il Risveglio(夢から覚めて)
03.Dolci Momenti(優美な時)
04.Una Bambina(少女)
05.Triste Poeta Di Corte(伯爵の哀歌)
06.Saint Just(聖なる者たち)

 アルバムの1曲目の『洪水』は10分を越える大曲であり、クラシックギターとピアノのアルペジオで厳かに始まり、ぞっとするようなジェーンの声がこの古典的なフォークバラードを中断するように入ってくる。その後はパーカッションが加わり、ギターのアルペジオをバックに甘美な歌声によるジェーンのヴォーカル曲となる。フィックスのサックスによってジャズ的&前衛的ともいえる曲調に変わり、全く違うサウンドに変化する中、まさに「洪水」のごとく圧巻のテンションで突き進んでいく。後半はクラシカルなキーボードが加わり、プログレッシヴロックらしい内容になっている。2曲目の『夢から覚めて』は、アコースティックギターとジェーンの東洋的なヴォーカルから始まり、古典的なチェレスタと前衛的なエレクトリックギターの音色による独特のアンサンブルとなった楽曲。3分前後で曲調が変わり、サックスとピアノ、ギターのストロークによるアンニュイな世界観を構築し、5分過ぎに再度アコースティックギターをバックにしたジェーンのヴォーカルが戻ってくる。3曲目の『優美な時』は、ベルの音とオルガンの響きが、まるでオルゴールに包まれた夢の中にいるような感覚に陥る楽曲。短い曲だがジェニーのヴォーカルが強調されるような美しいアレンジが施されている。4曲目の『少女』は、クラシックピアノとジェーンのオペラ風のヴォーカルが素晴らしい楽曲。そこからタイトでファズの効いたサイケデリックギターとアコースティックギターのストロークへと変化し、サイケなサックスやアランのヴォーカルが加わり、さらにパーカッションやマリンバを使ったシンコペーションの効いたリズムへと移り変わるなど変幻自在なアンサンブルとなっている。5曲目の『伯爵の哀歌』は、フランスの詩人たちへのオマージュであり、短いながらも不協和音的なパッセージが含まれたサックスやアコースティックギターをバックに歌った哀歌である。後半のピアノを中心としたアンサンブルはどこか物悲しく感じる。6曲目の『聖なる者たち』は、クラシックギターとキーボーディストのマリオ・ダモーラが作り出したカーニバルのような雰囲気が際立った楽曲。ジェニーのヴォーカルは演劇的な方法でフランス語で完全に歌っており、ジャンニ・グアラチーノのギターも冴え渡っている。

 本アルバムはイタリアの過去数世紀の文化を掘り下げた、クラシックのニュアンスを持つ現代フォークの一種として、また、クラシック音楽やポピュラー音楽の影響を受けたプログレッシヴロックの実験作として注目されたという。同年、彼らはアラン・ソレンティ、マウロ・ペロシなど、他のアーティストと共にヴィテルボのポップフェスティバルに参加している。ここでも注目を浴びた彼らは、すぐにセカンドアルバムに着手している。しかし、翌年の1974年にサックス奏者のロバート・フィックスが脱退。代わりに最初のアルバムに参加したパーカッショニストのトニー・エスポジートが合流し、合わせてティト・リネージ(ギター、ヴォーカル)、アンドレア・ファチェンダ(ギター、キーボード)、フルヴィオ・マラス(ドラムス、パーカッション)が加入することになる。録音時にはヴィンス・テンペラも楽器奏者として参加したというセカンドアルバム『ラ・カサ・デル・ラゴ(湖畔の家)』は、よりロック色の強いプログレッシヴな作品となったという。その後もナポリのモストラ・ドルトレマーレでのコンサートや1975年にミラノのパルコ・ランブロで開催された歴史的なイベント「レ・ヌード」といったロックコンサートや集会に参加して大きな成功を収めたサン・ジュストだったが、残念ながらその年にグループは解散することになる。ジェニー・ソレンティはソロ活動に専念し、1976年にソロアルバム『ため息』をリリースしている。このアルバムは、ピーター・カウコネン(ジェファーソン・エアプレインのギタリスト、ヨルマの弟)やピノ・ダニエレ、ヴァイオリニストのルチオ・ファブリ(P.F.M.)といったミュージシャンとのコラボレーションで制作され、以前のグループとはややジャンルを変えた作品となっている。彼女はこのデビューソロアルバムを皮切りに多くのアルバムをリリースし、ナポリ民謡とケルト民謡の融合を試みた作品を作るなど、さらなるジェニーの作曲の才能の高さを披露している。ギタリストのトニ・ヴェルデは、サン・ジュストでの経験を経てソロアルバム『カリプソ』を録音するためにロンドンへ移っている。ジャズミュージシャンであるロル・コックスヒルをはじめ、ピアニストのヴィンセント・クレーン(アトミック・ルースター) やデヴィッド・ヴォーハウス(ホワイト・ノイズ、ヴァージンのサウンド・エンジニア)などのミュージシャンの協力を得て、電子音楽とアコースティック音楽の実験的なエピソードを含んだインストゥルメンタルアルバムを制作。その後は1980年代にイタリアに戻り、ミュージシャン兼プロデューサーとして活躍していたが、2000年にダニエラ・フスコと共に衛星音楽チャンネル「カウント・ダウン・テレビジョン」を創設し、2001年には同チャンネルがヨーロッパ最優秀音楽チャンネルとして「ホットバードTVアワード」を受賞している。

 その後は音沙汰が無かったが、2011年にジェニーはサン・ジュストをサン・ジュスト・アゲインという新しい名前で再結成。メンバーはジェニー・ソレンティ(ヴォ​​ーカル、キーボード)、マルチェロ・ヴェント(ドラムス、スティールドラム、ゴング)、エリオ・カサラ(エレクトリックギター)、エルネスト・ヴィトロ(ハモンド、フェンダーローズ、シンセサイザー)、ヴィットリオ・ペペ(ベース)に加え、フランチェスコ・ディ・ジャコモやデル・バンコがカメオが参加している。新しいアルバムのタイトルは『Prog Explosion』である。その後は一時活動休止していたが、2018年にジェニーは再結成したサン・ジュストと共に、Ma.Ra.Cash Recordsから『Prog Explosion and Other Stories』をリリース。このアルバムには、最初の4曲が未発表曲(プログレッシヴなサウンドに回帰した弟のアランとのデュエット2曲を含む)で、残りの6曲は2011年に限定版LPとしてのみリリースされた前作『Prog Explosion』に収録されていた曲が初めてCD化されたものである。

Saint Just debut album coverSaint Just サン・ジュスト アルバムジャケットジェニー・ソレンティ、アコースティックギターとタンバリンサン・ジュスト ライブ演奏の様子サン・ジュスト メンバー 演奏風景ジェニー・ソレンティ、アコースティックギターを持つ姿

 

サン・ジュスト アルバム「聖なる者たち」

 皆さんご無沙汰しております。今回はイタリアの歌姫であるジェニー・ソレンティ率いるプログレッシヴフォークグループ、サン・ジュストのデビューアルバム『聖なる者たち』を紹介しました。このアルバムは1989年に「ヨーロピアン・ロック・コレクション」でいち早くCD化されているので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。また、良く言われるのが革命の天使または恐怖の天使というあだ名で知られ、27歳でギロチンで処刑されたフランス革命家のルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュストがグループの由来となっていることです。そんな曰く付きのグループを結成したジェニーですが、彼女の兄は1970年代初頭から活躍する名カンタトゥーレ兼シンガーソングライターのアラン・ソレンティであり、兄もティム・バックリー、ピーター・ハミル、ショーン・フィリップスといった過激で実験精神の強いヴォーカルや作品を残したミュージシャンとして名高いです。こうして聞くと特殊な音楽環境の中にいたからこそプログレッシヴな精神が育まれたのだろうと思いますが、実は彼女は英国フォークロックを踏襲した音楽を目指していたと言われています。では、あの中世を思わせるクラシックのニュアンスを持った現代フォークのベースは誰が作曲したのかというと、ギタリスト兼ピアニストのトニ・ヴェルデの手腕が大きいです。そういった理由でサン・ジュストが英国のペンタングルやサード・イヤー・バンド、スティーライ・スパンといったグループの作品と関連付けられることが多いのです。

 さて、そんな彼らのデビューアルバムですが、伝統を尊重しつつも夢のように色彩豊かで既成概念にとらわれない、ユニークでモダンなサウンドを創造するという言葉がライナーノーツに残っています。それは民族音楽とフォークロックの奇妙な融合をはじめ、クラシックのパッセージを多く取り入れ、どこか美しくも狂気を感じさせるヴォーカルのジェニー・ソレンティによる個性的なモダンフォークロックといった感じです。フォークの雰囲気はオルガンのテーマやピアノのパッセージと常に交互に現れまるものの、時折、軽快なエレクトリックチューンによって支えられた楽曲があるのが面白いです。オルガンやピアノ、サックスが主導的な役割を果たし、数少ないエレクトリックパートは巧く加味されており、驚くほど多くのブレイクとほぼすべてのトラックでアイデアが詰まっています。フォークロックはどこか単調になりがちですが、本アルバムは非常に聴き応えのある作品になっていると思います。

 本アルバムはクラシックから地中海音楽、そしてサイケデリック音楽まで、様々な影響を受けた難解な雰囲気にもかかわらず、他に類を見ないフォークロック作品のひとつです。意外と心に残るフレーズや複雑なアンサンブルが多いので、プログレッシヴファンもぜひ聴いてほしいです。

それではまたっ!
 

 

 

Sagrado Coração da Terra アルバムカバー

Sagrado Coração da Terra/Same
サグラド・コラソン・ダ・テッラ/捧げもの
1984年リリース

ヴァイオリンをメインに展開する
南米シンフォニックロックの傑作

 平和や自然崇拝といった精神的な歌詞を持つブラジルのプログレッシヴロックグループ、サグラド・コラソン・ダ・テッラのデビューアルバム。そのアルバムは艶やかなヴァイオリンの音色と、美しいピアノやシンセサイザーを中心としたシンフォニック系プログレッシヴロックとなっており、その自然に溶け込むような雄大さの中に繊細で優雅なサウンドを構築した傑作となっている。本アルバムはリリース当初、ブラジル国内でほとんど認知されることは無かったが、1988年に日本のキングレコードが早々にCD化したことで大きな反響を呼び、セカンドアルバムから広くブラジル国内の人々に知れ渡った稀有な作品でもある。

 サグラド・コラソン・ダ・テッラは、1979年に作曲家兼ヴァイオリニストのマルクス・ヴィアナ(またはマーカス・ヴィアナ)を中心に、ブラジルのミナスジェライス州で結成されたグループである。マルクス・ヴィアナは1953年8月3日、ブラジルのベロオリゾンテで生まれ、13歳の時にヴァイオリンを学び、カール・フレッシュの弟子であるハンガリー人の教師のガボール・ブザに師事している。その後、1972年から1973年にかけて、マルクスはアメリカのペンシルベニア州に移住。そこでハバートタウン交響楽団に参加し、作曲家としての第一歩を踏み出している。ブラジルに戻った彼は、ミナスジェライス交響楽団の首席ヴァイオリニストとなり、7年間その地位に留まる一方、イエスなどの1970年代に全盛期を迎えたグループに触発され、プログレッシヴロックの世界に足を踏み入れている。彼は1974年に結成したプログレッシヴロックグループ、サエクラ・サエクロルムに加入し、そこには名手ジャコモ・ロンバルディ(キーボード、ピアノ)やホセ・アウディシオ(ギター)も在籍していたという。その後、コンクラーベ・ドス・ドルイダスやイカロといったグループにも参加し、ヴァイオリンとキーボードを中心としたシンフォニックなサウンドを構築している。マルクスは1979年に生態学的や環境的、そして精神的な問題に重点を置いたプログレッシヴ&シンフォニックなスタイルで、なおかつヴォーカルとインストゥルメンタルを融合させた曲を持つ新たなグループを結成する。それがサグラド・コラソン・ダ・テッラである。

 このグループはマルクス・ヴィアナをリーダーとしたプロジェクトグループであり、シンセサイザー奏者のジャコモ・ロンバルディと共に曲作りをはじめ、そこに様々な演奏者が名を連ねていくことになる。マルクスはブラジルのベロオリゾンテ/MG にあるレコーディングスタジオ、エスタジオ・ベモルに入り、スタジオのオーナーであるディルセウ・チェイブをプロデューサーにしてレコーディングを開始。そこにはフェルナンド・カンボス(シンセサイザー、ギター)やイネス・ブランド(ピアノ)、アンダーセン・ヴィアナ(フルート)、セバスチャン・ヴィアナ(フルート)、アレクサンドル・ロペス(ヴァイオリン、ヴィオラ、ギター)、ジルベルト・ディニス(ベース、キーボード)、マルキーニョス・ゴーギン(コントラバス)、エスドラ・フェレイラ[ネネン](ドラムス)、ヴァネッサ・ファラベラ(ヴォーカル)、ミリアム・ルガニ・ヴィアナ(ハープ)、パウリーニョ・サントス(パーカッション)といった層々たるメンバーがアルバムのレコーディングに参加。また、マルクス・ヴィアナは作詞作曲だけではなく、ヴォーカルやヴァイオリン、エレクトリック5弦ヴァイオリン、キーボード、オーケストレーションを担当したという。こうしてアルバムは完成したが、すでに市場はプログレッシヴな音楽を求めておらず、彼らは仕方なく独自レーベルでリリースすることを決意。1984年にデビューアルバム『サグラド・コラソン・ダ・テッラ(捧げもの)』が発売される。そのアルバムはマルクス・ヴィアナが奏でるヴァイオリンとシンセサイザーを中心に展開するリリカルなシンフォニックロックとなっており、その大自然を包み込むようなスケール感が素晴らしいサウンドになっている。

★曲目★
01.Asas(大いなる翼)
02.Lições Da História(史実)
03.Arte Do Sol(太陽の芸術)
04.A Glória Das Manhãs(夜明け)
05.Selvagem ~Abertura~(幸福)
06.Deus Dançarino(ゴッド・ダンサー)
07.Memória Das Selvas(密林の思い出)
08.Corpo Veleiro(セイリング・ボディ)
09.Sagrado(捧げもの)
10.A Vida É Terna(永遠)
★ボーナストラック★
11.Urban Ragas(アーバン・ラーガ)

 アルバム1曲目の『大いなる翼』は、マルクス・ヴィアナの優雅なヴァイオリンとヴァネッサ・ファラベラによる優れたヴォーカルによる煌びやかなシンフォニックロック。1980年代風のポップな色合いのあるネオプログレ要素のサウンドに、愛は翼を与えてくれる、そして私たちは飛ぶために生まれてきたといった自由を歌った歌詞を載せている。2曲目の『史実』は、暗澹としたシンセサイザーによる曲調から始まり、時代を超えて互いに引き起こしてきた恐怖と悲しみについて歌った曲。アルペジオ・アバターを使った海の音をはじめ、男女のヴォーカルの対比を用いることで、長い年月によって朽ちゆく自然の側面を持ちながらも同時に再生をも象徴する側面を持っている。3曲目の『太陽の芸術』は、この星の王国にまつわる数々のシンボルを称えた曲。マルクスとヴァネッサの力強くそして繊細なヴォーカルが素晴らしく、徐々に音色を高めていく手法は歌唱と恍惚感を結びつける宗教的な伝統を彷彿とさせる。4曲目の『夜明け』は鳥のさえずりから始まり、フルートやヴァイオリンの管楽器、アコースティックギターによるシンフォニー。ヴァイオリンとシンセサイザーが織りなすハーモニーは美しく、聴く者をたちまち森へと誘い、まるで動物たちと共に優しく目覚めさせてくれるようである。5曲目の『幸福』は、リリカルなフルートとヴァイオリン、そしてピアノによる短い室内楽となっている。6曲目の『ゴッド・ダンサー』は、ヴァイオリンにおけるヴィヴァルディのモチーフやサン=サーンスのピアノ技法からインスピレーションを得たダイナミックな楽曲。この曲は後にサグラドのライヴパフォーマンスにおける定番曲となっている。7曲目の『密林の思い出』は、歌詞には古代ギリシャの哲学者ヘルメス・トリスメギストスの著作が使われており、先住民のトゥピ・グアラニー語で歌った楽曲。ティンパニやパーカッションによるダイナミックな演出に、マルクスのエレクトリック5弦ヴァイオリンが冴え渡っている。8曲目の『セイリング・ボディ』は、キーボードとオーケストレイションによるヴォーカル曲。切望、憂鬱、愛が入り混じった感情を歌っており、後半にはシンセサイザーとヴァイオリンによる美しいハーモニーが堪能できる。9曲目の『捧げもの』は、ヴァネッサ・ファラベラの甘い歌声によるスピーディーな展開のある楽曲。壮大なアレンジと優れた演奏、大胆な変化が聴き取れ、彼らを再びプログレッシヴロックの道へと導いているようである。10曲目の『永遠』はマルクスが歌う穏やかで内省的な部分を担った楽曲。ハープやヴァイオリン、そしてシンセサイザーが織りなす幻想的なハーモニーによってアルバムの幕を閉じている。ボーナストラックの『アーバン・ラーガ』は、CD化の際に収録された楽曲。壮大なシンセサイザーによるスペースシンフォニーとなっている。

 本アルバムはセルフリリースだったため、全く注目されずに終わっている。プロジェクト的なグループだったため、一度メンバーはバラバラとなってしまうが、マルクス・ヴィアナはこのままグループを解散するかどうか迷っていたという。彼を救ったのは「ヨーロピアン・ロック・コレクション」シリーズの1枚としてCD化を要望していた日本のキングレコードである。1988年にキングレコード傘下のCrimeから初CD化を果たした本アルバムは、日本のプログレファンの大きな反響を呼んだという。1987年にリリースしたセカンドアルバム『Flecha(邦題:シンフォニア)』が、前作と同じようにセルフタイトルでリリースされるが、ブラジルでは『シンフォニア』からの楽曲『Flecha』が、レデ・グローボのテレノベラ『Que Rei Sou Eu?』のサウンドトラックに採用。日曜番組の「Fantástico」でミュージックビデオを放映する権利を得たことで、ようやく一般に広く知られるようになり、後に『捧げもの』のアルバムはソンホス&サンズ、『シンフォニア』のアルバムはエピックから再発されることになる。マルクスは1990年になると実業家でジャーナリストのアドルフ・ブロッホによって設立されたリオデジャネイロを拠点とするブラジルの商業テレビネットワーク、レデ・マンシェテのテレノベラ「カナンガ・ド・ジャパオン」のために「タンゴ」を作曲。その後、ジェイミー・モンジャルディンと出会い、後に同ネットワークの次の主要作品「パンタナル」のサウンドトラックの作曲を依頼されている。このサウンドトラックは、サグラド・コラソン・ダ・テッラの3枚目のアルバム『ファロル・ダ・リベルダーデ』の基礎となり、テレノベラからの2曲とマルクスが単独で作曲した『スイート・シンフォニカ』が収録されたという。それ以降、マルクスはサグラドだけでなく、ソロ活動にも力を注ぐようになり、1993年に4枚目のアルバム『Grande Espírito』をリリースした後、グループは長期の活動休止に入っている。2000年には未発表曲やマルクスの作品のアレンジ、さらにはカエターノ・ヴェローゾの『Terra』を収録したアルバム『À Leste do Sol, Oeste da Lua』をリリースしたことでようやく活動を再開。このアルバムには、当時アングラを脱退したばかりのアンドレ・マトスなどの元メンバーやゲストが参加している。2019年にもマルクスはアンドレ・マトスがグループの曲を英語で歌うアルバムをリリースする予定だったが、アンドレの突然の死によってプロジェクトは中止となっている。2001年には海外市場向けにリリースされたCD『Sacred Heart of Earth』が発売。このCDにはサグラドのキャリアにおける重要な楽曲が英語の歌詞でリメイクされて収録されている。また、2002年には新版や新アレンジも収録された2枚のコンピレーションアルバム『Compilation I - Songs』と『Compilation II - Instrumental』が発売されている。マルクスは映画の音楽プロデューサーを務めた後、2007年にミュージシャンのジャコモ・ロンバルディとホセ・アウディシオと共に、新しいメンバー構成の「サエクラ・サエクロルム」を復活させ、30年ぶりにプラサ・ド・パパで公演を行ったという。

サグラド・コラソン・ダ・テッラ ヴァイオリンシンフォニックロックサグラド・コラソン・ダ・テッラ ヴァイオリンと鹿サグラド・コラソン・ダ・テッラ、グループ写真サグラド・コラソン・ダ・テッラ、ヴァイオリン奏者マルクス・ヴィアナサグラド・コラソン・ダ・テッラ ライブ演奏

 

サグラド・コラソン・ダ・テッラ ジャケット

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は1980年代のブラジリアン・シンフォの至宝とも呼ばれたサグラド・コラソン・ダ・テッラのデビューアルバム『捧げもの』を紹介しました。このサグラド・コラソン・ダ・テッラのアルバムは1988年に「ヨーロピアン・ロック・コレクション」シリーズを出していたキングレコードからいち早くCD化されていたこともあって、多くのプログレファンはご存じかも知れません。特に南米のプログレアルバムは貴重だったのではないでしょうか。1980年代はヨーロッパやアメリカに限らず、南米でもプログレッシヴロックは淘汰される流れがあり、彼らも多分に洩れず、セルフリリースで発表せざるを得ませんでした。しかし、上記のCD化によって日本で反響を呼び、無名だった彼らは結成から8年が経ってようやくブラジル国内でも注目を浴びることになります。最終的に初期のアルバムの再発は正式にブラジルのレコード会社からリリースされるようになり、後のアルバム制作や活動の資金源となったそうです。無名に近いグループが出したセルフリリースのアルバムが、遠い日本のレコード会社が発掘するなんて、当時の人たちがどれだけ高いアンテナを張っていたのかつくづく驚いてしまいます。

 さて、そんな本アルバムですが、1980年代にリリースされたこともあり、ネオ・プログレ要素やニューウェーブ、そしてニューエイジといった要素が詰まったキャッチーなサウンドに包まれています。かく言う私がこのアルバムを最初に聴いたのは2008年に発売されたSHM-CD盤であり、感想としては日本人好みのメロディとアレンジになっているな~というのが正直なところです。このアルバムの聴きどころは、やはり出過ぎたところも無くまるで溶け込むかのようなマルクスのエレクトリック5弦ヴァイオリンであり、そこにシンセサイザーやフルート、ピアノといった楽器とのハーモニーによる美しい瞬間が多数あります。また、もうひとつ重要なのがマルクス・ヴィアナとヴァネッサ・ファラベラの男女のヴォーカルです。ヴィアナとファラベラは一貫性や音域、多様性といった点で多少の制約はあるものの、ヴァネッサが愛と希望といった力強く奔放な側面を歌っているのに対し、マルクスは繊細で柔らかな雰囲気を持った切望や悲哀の側面を歌っています。この男女のヴォーカルの対比を用いることで、曲によって象徴性を強調しており、彼らの平和や自然崇拝といった精神的な歌詞を最大限に活かしています。曲だけではなく歌詞にも注目して聴いてみると、また違った印象を持つかも知れません。

 本アルバムはイタリアンプログレにも通じる躍動感あふれるシンフォニックロックです。普遍的なメロディが詰まった本アルバムはまさしく聴く者を癒してくれます。

それではまたっ!
 

Skywhale アルバム『The World At Minds End』ジャケット

Skywhale/The World At Minds End
スカイホエール/ザ・ワールド・アット・マインズ・エンド
1977年リリース

スピーディーで技巧的なリズムに乗った
英国ジャズロックの隠れた名作

 イギリスのウェスト・ヨークシャーにあるハダーズフィールド出身のメンバーによって結成されたジャズロックグループ、スカイホエールの唯一作。そのアルバムはフルートやサックスという2人の管楽器奏者を擁した7人組によるスピーディー&テクニカルなジャズロックとなっており、技巧的なイタリアのアルティ・エ・メスティエリの演奏に管楽器による優雅なカンタベリーミュージックを重ねたような柔らかさを持ち合わせた素晴らしいサウンドになっている。リリース後は長らく眠りに就いていたが、世界中のファンから熱望され、約30年ぶりの2018年にドイツのペイズリー・プレスより初CD化が果たされた逸品でもある。

 スカイホエールは1974年にイギリス西部の港湾都市ブリストルで、ギタリスト兼作曲家のスティーブ・ロブショーによって結成されたグループである。ロブショーはピアニストの母を持つ音楽一家に育ち、兄はバンドを組んでは自宅に仲間を呼んで演奏していたという。ロブショーも早くから兄の影響でギターをマスターしており、主にブルースやジャズ、ソウルから影響を受けた演奏をしていたとされている。彼は学生時代にベーシストとして後にベーブ・ルースを結成するデイヴ・ヒューイットが在籍していたザ・アウトレイジという地元のグループに加入。この奔放なサウンドとプレイヤーのミックスが、後に彼が創造するすべてのものの基礎を築いたと言っても良いだろう。ロブショーは、1969年にロンドンで後にスカイホエールのメンバーとなる同じハダーズフィールド出身のスタン・シューリス(フルート、テナーサックス)とジョン・スコフィールド(パーカッション)と共演している。その後、1970年代に入るとロブショーはブリストルに移り住み、ビッグバンドや劇場オーケストラで腕を磨いたという。そしてブリストルの活気あふれるアンダーグラウンドシーンで、ドゥーガル・エアモール(ベース)、ポール・トッド(アルトサックス、フルート)、ミック・エイブリー(ドラムス)と出会い、ロブショーは1974年にスカイホエールというグループを結成する。グループ名はロブショーがドゥーガルと日向ぼっこをしていた時、クジラのような形をした雲を見つけたことが由来となっている。地に足の着いた音楽と、空高く舞い上がるような壮大さ、そして幾重にも重なる感情があふれるこのグループを表現するのに、まさにぴったりの名前だったと述べている。

 その後、すぐにスタン・シューリス(フルート、テナーサックス)とジョン・スコフィールド(パーカッション)、そしてグウィオ・ゼピックス(キーボード)が加わり、7人編成のラインナップが完成する。当時のブリストルの音楽シーンは活気に満ちており、多様なジャズアンサンブルやロックグループがひしめき合っていたという。中でもスタックリッジや後にカーラ・ブレイとのコラボレーションで知られるサックス奏者のアンディ・シェパードといった著名人も、この街の活気あるシーンに溶け込んでいたとされている。スカイホエールの音楽は、ロブショーいわく、多くの偉大なアーティストの影響を認めつつも長尺の楽曲構成や卓越した楽器演奏技術、そして型破りなアレンジを目指したという。アルバムが最初にFirebrand Recordsからリリースされたのは、グループに不可欠なスタジオ時間を提供してくれたデニス・マンの尽力によるものが大きい。興味深いことにロブショーはソロアーティストとして契約しようとしたIsland Recordsからのレコード契約を断っている。彼はその決断を断固として今でも支持しているという。彼らはアレンジを完璧にするために、集中的な数日間にわたるリハーサルを行い、レコーディングに臨んでいる。プロデュースはデニス・マンとメンバーで行い、1977年にデビューアルバム『ザ・ワールド・アット・マインズ・エンド』をリリースする。そのアルバムは精密に刻む技巧的なドラミング&ベースが作り出すタイトかつスピーディなリズムに乗って、快速フレーズのギターや幻想的な音色を紡ぐシンセサイザー、そして優雅でしなやかな管楽器が乗ったハイレベルなジャズロックとなっている。

★曲目★
01.Epicure(美食家)
02.Hydralic Fever(ハイドラリック・フィーヴァー)
03.Two Budda Garage(トゥー・ブッダ・ガレージ)
04.The World At Minds End(ザ・ワールド・アット・マインズ・エンド)
05.Eternal Optimist ~The Rat~(永遠の楽観主義者~ザ・ラット~)
06.Boggies(ボギーズ)

 アルバムの1曲目の『美食家』は、スピーディーあふれるリズムに乗せたメロディアスなジャズロック。ラテンの雰囲気のあるオープニングだが、途中からエレクトリックピアノやギターによるリリシズムな展開があり、都会的なエッセンスのあるフュージョンとなっている。さらにフルートやサックスの柔らかな音色がメロディに彩りを与えており、意外とファンタジックな雰囲気にさせてくれる。2曲目の『ハイドラリック・フィーヴァー』は、管楽器とギターを中心としたエネルギッシュな楽曲。流れるようなクラシカルなピアノの音色に技巧的なギターリフ、高揚感あふれるパーカッションとサックス、全体的にラテン的なノリが漂うダイナミックな力強さを感じる。3曲目の『トゥー・ブッダ・ガレージ』は、メロウなギターとフルート、そしてピアノによるクラシカルなアンサンブルが特徴的なバラード曲。艶のあるしなやかな音色で駆け抜けるフルート&サックスが素晴らしく、心地よい雰囲気にさせてくれる。4曲目のタイトル曲である『ザ・ワールド・アット・マインズ・エンド』は、ファンタジックなシンセサイザーと華麗なクラシックギター、そして軽やかなフルートによるアンサンブルが堪能できる楽曲。タイトかつスピーディなリズムに乗って、流れるように展開する楽器群に感動すら覚える。5曲目の『永遠の楽観主義者~ザ・ラット~』は9分を越えるアルバムの中でも一番長い大曲であり、快速フレーズを繰り出すアコースティカルなギターの爪弾きやクラシカルなピアノ、そしてラテン的なパーカッションが熱いジャズフュージョン。そこに速弾きのエレクトリックギターやフルート、スペイシーなシンセサイザーが繰り出されるという技巧的なアンサンブルが展開する。6曲目の『ボギーズ』は、ドラムとベースのリズムセクションとサックスを中心としたファンキーなジャズロック。そこに流麗なエレクトリックピアノの音色が合間に入り、ヴァイオリンが良い味を出している。

 アルバムは一部のジャズロックファンから高く評価されたものの、当時の英国はパンク/ニューウェーヴが席巻しており、プログレッシヴな音楽や技巧的なジャズロックは淘汰されつつあった時代である。アルバム発売当初は宣伝も商業的な成功も限られていたが、アルバム完成後まもなくFirebrand Recordsとの契約を解消している。また、レコーディング終了後にアルトサックス&フルート奏者のポール・トッドが交通事故で亡くなるという悲劇が起こっている。彼らは12日間のオランダツアーに乗り出し、わずか2回の公演後にロブショーは入院してしまったものの、残りのメンバーはツアーを続けたという。その後、彼らはグラストンベリー・フェスティバルに出演し、1978年にはアシュトン・コート・フェスティバルにも出演。彼らはリハーサルや新曲の作曲を続けたが、二度とレコーディングは行わず、1979年にグループは事実上解散することになる。ロブショーはセッションワークを経て、コペンハーゲンや東京、スイスなどの海外での活動を通して、音楽的なアイデアを探求し続けたという。他のメンバーもそれぞれ注目すべきプロジェクトに取り組み、フルート兼テナーサックス奏者のスタン・シューリスは、ロベルト・プラのエル・ソニード・デ・ロンドレスに参加。もう1人のフルート兼ソプラノサックス奏者のポール・トッドはKDラングやエディ・リーダー、そしてマディ・プライアーといった著名なアーティストと共演している。キーボード奏者のグウィオ・ゼピックスはハンス・ジマーのサウンドデザインに携わったという。スカイホエールのアルバムはそのクオリティの高いジャズロックの逸品として長年に渡り、多くのファンが再発を待望していたが、海賊盤や音質の悪いCDRなどに悩まされ続けてきたという。再発の話が持ち上がったのは2017年の頃である。ロブショー本人からオリジナル音源を借り、ドイツのペイズリー・プレスより2018年に約30年ぶりに初CD化が果たされている。また、日本のベル・アンティークからも2025年にSHM-CDリマスター盤としてリリースされていることも記憶に新しい。

Skywhale アルバムジャケット - スカイホエールスカイホエール:英国ジャズロックバンド写真Skywhale 1977年アルバム「The World At Minds End」バンド写真Skywhale ジャズロックライブポスター

 

Skywhaleアルバム「The World At Minds End」

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は長らく英国ジャズロックの隠れた逸品として名高いスカイホエールの唯一作『ザ・ワールド・アット・マインズ・エンド』を紹介しました。タイトルを日本語に訳すと「心の果ての世界」という素敵な言葉になります。また、ジャケットの絵は中心メンバーであるロブショーの長年の友人であり、同じハダーズフィールド出身のカール・スコフィールドによって制作されたものです。ロブショーいわくその緊密で家族のような絆を強調したデザインは、結成当初の彼らの特徴そのものであったそうです。実は私自身スカイホエールを初めて知ったのは、2025年のベル・アンティーク盤になります。それまでジャズロックという分野は10年から15年ほど前から聴くようになったばかりで、プログレ同様に埋もれている作品が多々あることは存じていますが、スカイホエールはここ最近聴いたジャズロックの中でも感動した1枚です。これだけクオリティの高い作品であったにも関わらず、残念ながらFirebrand Recordsというマイナーなレーベルからリリースされたこともあり、非常に枚数が少なく、すぐに廃盤となってしまったそうです。2000年代に入って多くのプログレやジャズロックの逸品が復刻される中、世界中の多くのファンが再発を熱望していたというのも納得です。

 さて、そんなスカイホエールが残した唯一作ですが、単なるジャズロックというより、他にファンク、オーケストラ、ラテン、そしてケルト音楽を融合させた高揚感のある新たなインストゥルメンタル音楽のスタイルを生み出した傑作だと思います。このアルバムは同時代のプログレッシヴロックのアルバムが凝ったコンセプト・ストーリーを取り入れていたのに対し、厳密なストーリーラインを避けた作りをしているそうです。つまり、楽曲は構成に沿っているものの、ライヴ演奏時にグループが自由に演奏したり、自由に表現したりできるようテーマアルバムというより、ライヴサウンドを目指したものになっています。そのため、楽曲そのものに独特の雰囲気と創造性が宿っており、様々な楽器がメロディを奏でるアレンジは、しばしば同時に行われているのが凄いです。こうしたメロディの間には、ミュージシャンが即興演奏をする機会が散りばめられており、彼らの才​​能を存分に発揮できる場となっています。全体的にラテンやファンキーな雰囲気のあるギターやパーカッション、英国的な伝統のあるサックスやフルートの音色、そしてクラシカルからスペイシーなキーボードが巧みにアンサンブルの中に溶け合っており、非常に卓越した演奏力を持ったミュージシャン達だからこそ成し得た至高のアルバムだと思います。

 本アルバムはレコーディング終了後に交通事故で亡くなったアルトサックス&フルート奏者のポール・ドットに捧げられた作品とされています。アルティ・エ・メスティエリ彷彿のスピードとテクニック、そしてカンタベリーミュージックにも通じる柔らかくしなやかな音色のあるジャズロックの傑作をぜひとも一度聴いてみてください。

それではまたっ!
 

 

 

サリー・オールドフィールド Water Bearer アルバムジャケット

Sally Oldfield/Water Bearer
サリー・オールドフィールド/ウォーター・ベアラー
1978年リリース

透明感のある繊細な歌声がこだまする
クラシカル&トラディショナルな幻想世界

 弟のマイク・オールドフィールドとのユニットであるサリアンジーを経て、自らプロデュース&アレンジで1978年に発表したサリー・オールドフィールドのソロデビュー作。そのアルバムはJ.R.R.トールキンの『指輪物語』にインスパイアされた組曲をはじめとするクラシカル&トラディショナルな幻想世界を描いた内容になっており、何よりもサリーのまるで空間を支配するような繊細で透明感あふれる歌声が素晴らしい作品となっている。サリーは作詞作曲だけではなく全曲ほぼ全ての伝統的な楽器を自分で演奏しており、後のエンヤやその他のケルト音楽にも通じるニューエイジ・ミュージックの先駆けとも言える名盤でもある。

 サリー・オールドフィールド(サリー・パトリシア・オールドフィールド)は、1947年8月3日にアイルランドのダブリンで生まれたミュージシャンである。彼女は母のモーリーンがローマ・カトリック教徒であったため、その信仰のもとで育ったといわれている。幼少期は英国のバークシャー州レディングで過ごし、4歳からバレエを学び、バレエやタップ、モダンなどあらゆるスタイルのダンスで数々のコンクールで優勝したという。11歳になった彼女は当時ロンドンのホランド・パークにあったロイヤル・アカデミー・オブ・ダンシングの奨学金を得て入学し、2年後にはホワイト・ロッジにあるロイヤル・バレエ・スクールに進学している。しかし、2年後にバレエを辞め、クラシックピアノは7級まで習い、学生時代はすべてレディングにあるセント・ジョセフ・コンベント・スクールで過ごしたという。そこで後にシンガーソングライター兼女優として活躍するマリアンヌ・フェイスフルと親しくなり、サリーはブリストル大学に進学して英文学と哲学を専攻している。サリーの音楽キャリアは1967年から始まり、ブリストル大学で学んでいた頃、彼女はブリストル・トルバドゥール・クラブで歌い、後の4月30日にはコルストン・ホールで行われたフォークコンサートで後にストローブスと名を変えるストロベリー・ヒル・ボーイズとフレッド・ウェドロックのサポートを務めている。その後まもなく、サリーは6歳離れた弟のマイクと共にフォークデュオ「サリーアンジー」を結成。このデュオはトランスアトランティック・レコードと契約し、ブリストルのトルバドール・クラブで出会ったペンタングルのギタリスト、ジョン・レンボーンの推薦で唯一のアルバムをレコーディングすることになる。1968年8月にレコーディングされたアルバム『チルドレン・オブ・ザ・サン』は、サリーとマイク・オールドフィールドの共作であり、ゲストにテリー・コックス(ドラムス)、レイ・ウォーレイ(フルート)が参加している。その後、マイクはソロ活動を中心にすることになり、彼が1971年から取り掛かった『チューブラー・ベルズ』のアルバムが、イギリスで270万枚以上を売り上げることになる。サリーは『チューブラー・ベルズ』や『ハージェスト・リッジ』、『オマドーン』にもコーラス隊として参加しており、弟の成功に触発されていくことになる。1975年に彼女はジェネシスのギタリストであるスティーヴ・ハケットの初のスタジオアルバム『Voyage of the Acolyte』でヴォーカルを担当し、次第にマイクのように自身で作詞作曲、そして演奏やプロデュースをすべて行うアルバムを作りたいと考えたという。

 彼女は弟であるマイクの友人となったフィンランドのベーシストであるペッカ・ポーヨラと親しくなり、ペッカ・ポーヨラの1977年にリリースされた3枚目のアルバム『Keesojen Lehto(Mathematician's Air Display)』に参加。このアルバムはペッカ・ポーヨラとオールドフィールド姉弟、さらにポール・リンゼイによってプロデュースされ、グロスターシャーにあるオールドフィールドのスルーアム・スラッド・マナーで録音編集されている。また、その年のサリーは本格的にアルバムのレコーディングを行うようになり、彼女はヴォーカルをはじめ、ギターやピアノ、シンセサイザー、モーグ・トーラス、チェンバロ、ファルフィサ・オルガン、マンドリン、マリンバ、グロッケンシュピール、ビブラフォン、パーカッションといった多彩な楽器を演奏。さらにゲストにはフランク・リコッティ(パーカッション、ビブラフォン、マリンバ)、元グリーンスレイドのデイブ・ローソン(シンセサイザー)、ティム・ウィーター(シンバル)、トレバー・スペンサー(シンセドラム)、ジーン・プライス(ハープ)、ブライアン・バロウズ (ヴォーカル)がレコーディングに参加している。こうして自身がプロデュース&アレンジを施したソロデビューアルバム『ウォーター・ベアラー(みずがめ座)』が1978年5月にリリースされる。そのアルバムはJ.R.R.トールキンの『指輪物語』にインスパイアされた組曲をはじめとするクラシカル&トラディショナルなファンタジックワールドとなっており、何よりもサリーの繊細で透明感あふれる歌声が素晴らしい逸品となっている。

★曲目★
01.Water Bearer(ウォーター・ベアラー)
02.Songs Of The Quendi(組曲「ソングス・オブ・ザ・クエンディ」)
 a.Night Theme(夜のテーマ)
 b.Ring Theme(指輪のテーマ)
 c.Wampum Song(貝殻ビーズの歌)
 d.Ring Chorus(指輪のコーラス)
 e.Nenya(水の指輪ネンヤ)
 f.Path Of The Ancient Ones(古代の小径)
 g.Land Of The Sun(太陽の地)
03.Weaver(ウィーバー)
04.Night Of The Hunter's Moon(ハンターズ・ムーンの夜)
05.Child Of Allah(アラーの子)
06.Song Of The Bow(弓の歌)
07.Fire And Honey(ファイア・アンド・ハニー)
08.Song Of The Healer(癒しの歌)
09.Mirrors(ミラーズ)

 アルバムの1曲目の『ウォーター・ベアラー』は、水の流れる効果音、そしてアコースティックギターとマリンバをバックにサリーの美しいヴォーカルが堪能できる楽曲。彼女の幽玄な声はプログレッシヴな音楽にふさわしく、フォーク調でありながら独自の世界観を持っている。2曲目の『組曲「ソングス・オブ・ザ・クエンディ」』は、7つの楽章による組曲形式の内容になっており、J.R.R.トールキンの『指輪物語』がテーマになっている。言葉(テキスト)の抑揚や感情を音楽で表現するマドリガル的な雰囲気があり、まるでトールキンの世界の「古き森」から来た川の乙女を彷彿とさせる。アコースティカルな楽曲でありながら、豊かな音のタペストリーを織り成した素晴らしい組曲である。3曲目の『ウィーバー』は、まるで『チューブラー・ベルズ』を彷彿とさせるオープニングから始まり、リリカルなピアノやアコースティックギターをバックにしたヴォーカル曲。彼女の歌声は荘厳さ保ちつつも、まるで聴き手に癒しを与えているようである。4曲目の『ハンターズ・ムーンの夜』は、アコースティックギターやパーカッションをバックにサリーが優雅に歌った楽曲。パーカッションやアコースティック楽器、シンセサイザーの巧みな使い方が素晴らしい。5曲目の『アラーの子』は、クラシカルなアコースティックギターの響きをバックにしたフォーク調の楽曲。大地に根ざした様々なスピリチュアリティを探求した楽曲が多い中、イスラムの世界を描いており、彼女の音楽領域の幅の広さに驚かされる。6曲目の『弓の歌』は、まるでケイト・ブッシュのような官能的で表現力豊かな歌声が響き渡った楽曲。マリンバやグロッケンシュピール、そしてキーボードといった楽器を巧みに使い、彼女の歌声をより神々しく演出している。7曲目の『ファイア・アンド・ハニー』は、美しいハープとピアノをバックにサリーの天上のような歌声を響かせた楽曲。ジョン・ホーケンがイリュージョンで手がけた作品を彷彿とさせるようなリリカルなピアノが彩りを添えている。8曲目の『癒しの歌』は、まさしくアコースティックギターとマリンバによる弾き語りとなった楽曲。ここでは途中からブライアン・バロウズのヴォーカルがあり、曲に彩りと深みを与えている。9曲目の『ミラーズ』は、シングルリリースして大ヒットした曲。この曲はボンゴが目立つがラウンジミュージックやエキゾチカに似た楽器編成になっており、当時人気が高まっていたポップミュージックのスタイルとしては異例である。

 アルバムはマイク・オールドフィールドの姉のソロ作品として注目され、シングルとしてリリースされた『ミラーズ』は、イギリスのシングルチャートで19位にランクインし、13週間チャートインしたという。また、この曲はオーストラリアでも最高88位を記録している。翌年の1979年にはセカンドソロアルバム『イージー』をリリースし、2018年までに16枚のアルバムをコンスタントに発表している。しかし、1984年には所属レコードレーベルのブロンズ・レコードが倒産してしまい、サリーはドイツに移住し、そこで音楽活動を行っていくことになる。そのため、1983年以降の彼女のアルバムは、あまりイギリスでリリースされなかったという。彼女はグンター・メンデやキャンディ・デルージュなど、多くのドイツ人レコードプロデューサーやミュージシャンと仕事を行い、定期的にイギリスのテレビやラジオに出演。さらにヨーロッパ各地で積極的にコンサートツアーを行ったとされている。2001年には『ミラーズ』のリミックス版がリリースされた途端、彼女をクラブシーンの女王へと押し上げる動きがあり、彼女の音楽を全く新しい世代に知らしめている。最後のツアーは彼女が56歳となった2003年のドイツ公演だが、今なおソロアルバムの制作は続けており、最新のアルバムは2019年にリリースした『ミスティーク』である。

サリー・オールドフィールド「ウォーター・ベアラー」の幻想的な滝の画像サリー&マイク・オールドフィールドのレア写真サリー・オールドフィールドのポートレートサリー・オールドフィールド、ピアノ演奏のライブ写真

 

サリー・オールドフィールド「ウォーター・ベアラー」のジャケット

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は弟のマイクとのフォークデュオ、サリアンジーでも有名なサリー・オールドフィールドのソロデビュー作『ウォーター・ベアラー』を紹介しました。オールドフィールド家は音楽一家であり、次男のマイクはかの映画『エクソシスト』にも採用されたモンスターアルバム『チューブラー・ベルズ』の作成者であり、長男のテリーは映画やテレビ番組の音楽を手掛ける作曲家です。その中でも一番の年上である長女のサリーは、当時15歳だったマイクを引き連れてサリアンジーを結成するなど、姉弟の中でも一番早く音楽の世界に飛び込むことになります。当時、サリー・オールドフィールドを知る者たちは、何よりもその美しい歌声に惹かれたと言われています。1968年初頭にサリーは弟のマイク・オールドフィールドとデモ録音を行っていますが、その提案と監修はミック・ジャガーが行っています。残念ながらその録音したデモテープは不明ですが、彼もまたサリーの歌声に惹かれたミュージシャンの1人だったと言われています。その後はご存じの通り、弟のマイクのアルバム『チューブラー・ベルズ』をはじめとする数々のアルバムにコーラス隊として参加し、1975年のジェネシスのギタリストであるスティーヴ・ハケットの初ソロアルバム『Voyage of the Acolyte』では、ヴォーカルとして抜擢されています。そういった経験を経て彼女は作詞作曲だけではなく自身で全ての楽器を演奏し、プロデュースまで行うソロアルバムを作りたいと考えるようになります。そこには弟のマイクのミュージシャンとしての成功に触発されたことは間違いはないでしょう。

 さて、そんな彼女の初のソロアルバムですが、まずジャケットが素晴らしいですね。ほとばしる滝の下の泉に佇む白いドレスの女性という幻想的な絵になっていて、オープニングはまさしく水の流れる音から始まります。ドラムスレスのアコースティカルな楽器とパーカッション、シンセサイザー、ピアノを中心に紡がれた楽曲が中心にとなっており、とにかく彼女の美しい歌声が映える楽器編成になっているのが特徴的です。彼女の幽玄な歌声はフォークというよりプログレッシヴな音楽にふさわしく、その高い歌唱力をベースにした声質はかのケイト・ブッシュを彷彿とさせます。彼女が現在ニューエイジ・ミュージックとして知られるケルト音楽の影響を受けた女性アーティストたちをはじめ、数々の著名なアーティストに貢献したという事実だけでも十分すごいですが、その発端となった本アルバムはもっと評価されてもおかしくは無いです。マイク・オールドフィールドのようなスーパースターを弟に持ったことで、サリーが独自の道を切り開くのは大変なことだったかも知れませんが、彼女は少なくともマイクに劣らない真摯な自己表現の才能を持っていた素晴らしいアーティストだと思っています。

 彼女がプロデュースした本アルバムは、1970年代の音楽シーンの中でも特に独創的となった作品の1つです。その大自然をテーマにしたプログレッシヴな音楽をぜひ心ゆくまで味わって欲しいです。

それではまたっ!
 

 

 

レーテのアルバムジャケット、シンフォニックロック

Lethe/Lethe
レーテ/ファースト
1981年リリース

躍動感あふれ格調高い
シンフォニックロックの逸品

 名盤『Daybreak』を残した元Mirrorのメンバー3人が中心となって結成されたオランダのプログレッシヴロックグループ、レーテの唯一作。そのアルバムは躍動感あふれるリズムセクションをバックに、リリカルなピアノやエモーショナルなギター、そしてメロディアスで格調高いオーボエの響きが相まったクラシカル&ジャジーな要素のあるシンフォニックロックの傑作となっている。レーテは1枚のアルバムを残して解散してしまうが、Mirrorと同様に2016年にペイズリー・プレスから初CD化が果たされており、その優雅で瑞々しいサウンドに多くのプログレファンが注目している。

 レーテは1972年にオランダのヘルダーラント州の州都であるアーネム(アルンヘム)で結成されたMirror(ミラー)というグループの後継と言われている。ミラーは高校時代の友人同士であるキース・ワルレイヴンス(ギター)、ヨハン・ザーネン(ベース、ヴォーカル)、ポーラ・メネン(ピアノ、シンセサイザー、ヴォーカル)、ピーター・フランセン(ドラムス)の4人編成で活動を開始しており、主に英国のピンク・フロイドやイエス、オランダの人気グループだったフォーカスやフィンチ、アース&ファイアーに影響された演奏を繰り広げていたという。地元で人気になりつつあった1973年頃、新たにフィリップ・デ・ゴーイ(サックス、オーボエ、フルート)をメンバーに加えて、管楽器をフィーチャーしたシンフォニックなサウンドに変化している。彼らは地元のアーネムから首都であるアムステルダムへとライヴを含めた活動範囲を拡大し、メンバーでオリジナル曲を制作してはアルバムレコーディングの機会をうかがっていたという。しかし、デモテープを作成しては多くのレコード会社に掛け合ったものの契約に結び付かず、3年の月日が経つことになる。

 彼らは最終的に自主レーベルからアルバムを出すことに決め、オランダのアーネムにあるStable Studioで6日間にわたってレコーディングを行い、1976年に『デイブレイク』というタイトルでリリースしている。そのアルバムは10分を越す3曲を含めた4曲が収められており、多彩な管楽器とキーボード、そしてギターによる小オーケストラ風のアンサンブルを軸にした緩急のあるサウンドとなっており、オランダにおけるシンフォニックロックの傑作の1枚と言われている。しかし、アルバムは自主レーベルでわずか500枚というプレス枚数だったため、多くの人の耳に届くことはなかったという。彼らはツアー後に音楽の方向性を巡りメンバー間の意見の相違によって、ミラーは最終的に1976年末に解散。解散後はそれぞれセッションミュージシャンを務めていたが、1978年にフィリップ・デ・ゴーイ(ピアノ、オーボエ、フルート)がミラーのメンバーだったキース・ワルレイヴンスとヨハン・ザーネンに声をかけ、新たにハンス・ランバース(ドラムス、シロフォン、ビブラフォン、シンセサイザー)とトゥール・フェイエン(オルガン、ピアノ、シンセサイザー)に声をかけ、結成したのがLethe(レーテ)である。彼らはすでに市場から淘汰されつつあったプログレッシヴロックにこだわり、よりクラシカルでジャジーなサウンドを求めたという。彼らはオランダの各都市でライヴ活動をする一方、1980年頃にMMPスタジオで4つの長いインストゥルメンタル曲をレコーディングしている。彼らはMMPスタジオ名義でアルバムを出すことを決め、1981年にデビューアルバム『Lethe』をリリースしている。そのアルバムはミラー時代と同じようにキーボードとギター、そして管楽器を中心としたシンフォニックロックとなっており、よりジャジーなエッジの効いたリズムセクションが軽やかに疾駆する躍動感あふれたサウンドになっている。

【曲目】
01.Lethe(レーテ)
02.Avebury Circle(エイヴベリー・サークル)
03.Cold In Fingers(指が冷たい)
04.Le Tombeau II(墓Ⅱ)

 アルバムの1曲目の『レーテ』は、甘く響くアコースティックギターや繊細なピアノ、軽やかなオーボエ、そして鳥のさえずりと自然の音にシンセサイザーのそよ風が加わった優雅なフォーク調の楽曲。ストリングスを交えた室内楽にも似たコントラストを持っており、最後まで心地よいメロディに焦点を充てた内容になっている。2曲目の『エイヴベリー・サークル』は9分を越える大曲となっており、美しいピアノをバックにオーボエがリードするクラシカル兼ジャジー楽曲。ゆったりしたテンポから始まり、その後、メロウなエレクトリックギターと軽快なリズムセクションが加わったより速いテンポのジャジーな展開となる。後半はエレクトリックギターとオルガン、ピアノがリードするジャズロックとなっているが、ヨハン・サーネンの力強いベースが印象的である。3曲目の『指が冷たい』も10分近い大曲であり、フォーカスを彷彿とさせた力強いオルガンとグルーヴ感のある軽快なギターがリードした楽曲。長く続くエレクトリックピアノのフレーズや軽快なフルートが登場し、ギターやキーボード、フルートの管楽器が交互に主役をとるなど、初期のキャメルを思わせる気まぐれで遊び心のある要素が満載である。4曲目の『墓Ⅱ』は9分を越える大曲であり、荘厳なオルガンの華やかさとメロディアスなギターライン、ジャジーな疾走感が素晴らしいシンフォニックロック。1970年代初頭のスタイルでダイナミックに展開する流れを持っており、それぞれのミュージシャンの巧みな相互作用が存分に堪能できる1曲となっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、1970年代のクラシカルなキーボードを中心としたシンフォニックロック要素と1980年代に席巻するジャズロックの要素を併せ持った、非常に洗練された作品となっている。10分近い曲が3曲もあることから、彼らの演奏技術やアレンジ力の高さは申し分なく、もう数年早くリリースしていれば結果は大きく変わったかもしれない。

 本アルバムはスタジオ名義の自主制作であったため、プレスした枚数は少なく、地元以外に広がることは無かったという。アルバムリリース後もしばらくライヴ活動を続けていたが、グループの維持は難しくその年で解散している。その後、キース・ワルレイヴンスとヨハン・ザーネンはミラー時代のドラマーだったピーター・フランセンと共に、Looking For Cluesというカヴァーグループを結成して演奏したという。一方のフィリップ・デ・ゴーイは音楽家として1980年代以降、テレビや映画、イベントといった数多くの音楽プロジェクトで活躍することになる。本アルバムは廃盤後、一度も再発されることなく時が過ぎていたが、35年後の2016年にMMP Studioに残された音源を元にドイツのペイズリー・プレスから初のCD化を果たしている。また、前年の2015年にもミラーの唯一作『デイブレイク』も初CD化を果たしており、オランダのプログレッシヴロックの幻の作品と言われた2作が、ようやく陽の目を見ている。

レーテ(Lethe)のアルバムジャケット画像レーテのシンフォニックロック アルバムアート

レーテのメンバー写真

 

レーテのシンフォニックロックアルバムジャケット

 皆さんこんにちはそしてこんばんはです。今回はミラーの『デイブレイク』と同様、オランダのプログレッシヴロックの幻の逸品と言われ続けていたレーテの唯一作を紹介しました。Lethe(レーテ)とは古代ギリシア語で「忘却」あるいは「隠匿」を意味しているそうです。また、ギリシア神話では黄泉の国にある川の1つであり、川の水を飲んだ者は完璧な忘却を体験するとされており、彼らなりに一度リセットをして新たなグループを作ろうと考えたのは言うまでもありません。以前にミラーの『デイブレイク』を紹介していますが、本作の方が非常に洗練されたサウンドになっており、何気にピアノ兼管楽器のフィリップ・デ・ゴーイとストリングス兼ドラマーのハンス・ランバース、そしてオルガンやピアノのトゥール・フェイエンといったツインキーボード&ストリングス編成になっているのが、彼らのシンフォニックロックに対するこだわりが感じられます。また、クラシカルなロックだけではなく、軽快で疾走感のあるジャジーなリズムセクションも素晴らしく、彼らなりに時代に合わせたサウンドを創り出しているのも好感が持てます。しかし、ミラー時代と同様にパンク/ニューウェーヴが席巻していたこともあり、アルバムをリリースしてくれるレコード会社は皆無。結局、ミラーの『デイブレイク』は自主制作でわずか500枚のプレスであり、一方の本作はスタジオ名義でやはり1,000枚に満たないプレスだったそうです。それぞれ1枚のアルバムを残して解散した短命のグループであったことは、上記で説明した通りです。2枚とも幻とされてきたアルバムですが、個人的にはもっと評価されてもおかしくはない作品であると今でも思っています。

 さて、そんな彼らのアルバムですが、10分近くの曲が3つも収録されており、彼らなりにプログレッシヴロック、特にインストゥルメンタル曲にこだわった作品であると思います。ストリングスやオルガン、オーボエを中心とした優雅なシンフォニックロックとエモーショナルなギターと格調高いピアノ、そして軽快なリズムセクションによるジャズロックが展開されており、意外と1970年代初頭の演奏スタイルでありながら、非常にダイナミックなサウンドになっているのが興味深いです。キーボードやギター、オーボエが曲の中で交互にリードする流れになっているためか、長い曲でも最後まで聴けるようになっており、さすがはフォーカスやフィンチを生み出したオランダならではのハードエッジでメロディアスなアレンジの利いた作品だと思います。

 本アルバムは1970年代のクラシカルなプログレをより洗練させたサウンドに際立たせた作品です。優雅なシンフォニックロックと同時に疾走感のあるジャジーな展開は中毒性があります。

それではまたっ!