古今東西プログレレビュー垂れ流し

古今東西プログレレビュー垂れ流し

ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Solution Divergence ジャズロックCDジャケット

Solution/Divergence
ソリューション/ダイバージェンス
1972年リリース
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美しくエレガントなフレーズを奏でる
プログレッシヴジャズロックの名盤
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 同郷のフォーカスとの親交も厚かったオランダのプログレッシヴジャズロックグループ、ソリューションが1972年に発表したセカンドアルバム。そのアルバムは情感的なサックスやエレガントなフルート、そして繊細で美しいピアノをフィーチャーしたカンタベリー風のジャズロックとなっており、フランク・ザッパやソフト・マシーンの影響を受けた革新性の高い1枚となっている。後に彼らはディスコの到来と合わせてソウルファンクグループへと変貌を遂げるが、本アルバムを含む初期の作品はクオリティの高いプログレッシヴな作品として現在でも高く評価されている。

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 ソリューションは1970年にオランダのフローニンゲンで結成されたグループである。そのグループの中心であるトム・バーラージ(アルト、ソプラノ、テナーサックス、フルート)とウィレム・エンネス(ピアノ、エレクトリックピアノ、オルガン)の2人は、1969年にThe Keysというグループで共に演奏している。The Keysはジャズロックとソウルのクロスオーバーという革新的な演奏をしていたが、2人はもっとプログレッシヴな感性を組み合わせた音楽を作ろうと考えていたという。その時、元Cuby&The Blizzardsというグループにいたハンズ・ウォーターズ(ドラムス)が加わったことをきっかけに、グループ名をソウル風にアレンジしたSoulution(ソウルーション)と改名している。バーラージら3人は演奏の半分をジャズ風の即興にしたいと考えるようになったが、普通の曲を演奏したいと考えていた他のメンバーと分裂することになり、最終的に残ったトム・バーラージ、ウィレム・エンネス、ハンズ・ウォーターズの3人は1970年にSolution(ソリューション)と名を変えている。これは彼らが名前からソウルグループであると誤解されないために変更したという。後にピーター・ヴァン・デル・サンデ(ベース)が加わったことで4人編成となり、彼らはオランダの小さなレーベルであるCatfishと契約することになる。1971年5月に彼らはジョン・シューアズマとジョープ・ヴィッサーの2人をプロデューサーに迎え、ヘームステーデのボヴェマのスタジオで3日間の録音を行い、同年にデビューアルバム『ソリューション』をリリースしている。このアルバムはオランダのジャズシーンで活躍していたスティーブ・ボストン(コンガ、カウベル)が参加しており、フランク・ザッパやソフト・マシーン、さらにはジョン・コルトレーンまで幅広い影響を受けたジャズロックでありながら、フランスの作曲家ジャック・イベールのクラシック曲のアレンジも含まれた意欲作だったという。このアルバムに感銘を受けた多くのレコード会社の中から大手EMI傘下のハーヴェストが接近してきて彼らと契約。この時にベーシストのピーター・ヴァン・デル・サンデが脱退し、代わりにグース・ウィレムセが加入している。セミ・アコースティックのヘフナー・ベースを持つウィレムセの加入は、よりロックな側面をもたらしただけでなく、グループのヴォーカリストとして活躍することになる。彼らはオランダのヘームステーデにあるEMI ボヴェマのスタジオで録音し、1972年に6曲入りのセカンドアルバム『ダイバージェンス』がリリースされる。そのアルバムは3曲のインストゥメンタル曲と3曲のヴォーカル曲で構成された内容になっており、メロディックでリズミカルなピアノと活き活きとしたサックスの存在感に満ちあふれたプログレッシヴジャズの傑作となっている。

★曲目★
01.Second Line(セカンド・ライン)
02.Divergence(ダイバージェンス)
03.Fever(フィーバー)
04.Concentration(集中力)
05.Theme(テーマ)
06.New Dimension(ニュー・ディメンション)

 アルバムの1曲目の『セカンド・ライン』は9分に及ぶ大曲であり、ピアノ主導のムーディーな曲であり、グース・ウィレムセのソウルフルなヴォーカルが光った楽曲。前年のデビューアルバムに収録された『Preview』で初めて聴かれたテーマを再現した曲であり、なぜかライオネル・リッチーの『Easy Like Sunday Morning』を思い出させる。後半ではサックスやフルートをフィーチャーしたカンタベリー風のジャズロックとなっており、フュージョン的なオルガンとサックスのユニゾンが素晴らしい。2曲目の『ダイバージェンス』は、曲の一部がフォーカスの『Eluption』にも使われた極上のジャズロック。カンタベリー風のプログレッシヴフュージョンでありながら、サックス主導の甘美なメロディと爆発的なインタープレイが満載である。3曲目の『フォーバー』のイントロは、タンジェリン・ドリームの『Alpha Centauri』を彷彿とさせるミニマルなキーボードから始まり、全体的にサイケデリックまたはスペーシーなパートの多い楽曲。2分あたりから夢のようなフルートのラインと雰囲気のあるエレクトリックピアノを中心としたインストゥルメンタルスペース&フュージョンとなり、フルートはまるでフォーカスのタイス・ヴァン・レールのような響きがある。4曲目の『集中力』は12分を越える大曲であり、バーナージのサックスとエンネスのエレクトリックピアノによる相互作用が繰り広げられた楽曲。2分半からベースが目立ち、続いてブルージーなヴォーカルが入るなど、ポップとソウルの感性を巧みに取り入れた繊細なジャズロックを聴かせてくれる。6分辺りからリズム隊とキーボード主体のスピーディーな展開によるプログレッシヴな曲となり、力強いサックスと不協和音的なピアノのインタープレイが絶品である。5曲目の『テーマ』は非常に短いフルートのイントロとなっており、6曲目の『ニュー・ディメンション』に繋げている。この曲はサックスとフルートのライン、そしてサイケデリックな影響が散りばめられたヴォーカル主導のジャズロックである。ダーティーなオルガンの響きがあるものの、キャッチーなリズミカルなピアノとバックグラウンドで演奏される優しいサックスが特徴的であり、おそらくアルバム内で最も親しみやすい曲となっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、インスト部分は非常に洗練されたジャズロック&フュージョンであるが、ヴォーカル入りの曲は甘美なジャズバラードとなっており、テクニックが必要なジャズロックに傾倒していないことに気が付く。後に彼らがヴォーカル中心のソウルファンクグループとしても生きていける土台があることにこのアルバムで聴き取れる。

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 本アルバムはグループの数ある作品群の中でも特に革新的な1枚とされ、デビューアルバムの複雑でありながら反復的な構造を持つインストゥルメンタル曲よりも親しみのある作品として高く評価される。しかし、グループの中心的なメンバーであったトム・バーラージとウィレム・エンネスが兵役義務のために離れ、グループは活動を停止せざるを得なかったという。1975年に2人は兵役義務から復帰し、改めてグループ活動を開始するが、オランダ国内の音楽の風潮は実験的なプログレッシヴ性からより洗練されたフュージョンへと変化しており、ソリューションもその流れに乗ろうと考えたという。同年にリリースした3枚目のアルバム『Cordon Bleu』は、エルトン・ジョンのプロデューサーとして知られるガス・ダッジョンがプロデュースしており、スムースバラードを交えたソウルジャズの方向へと傾倒している。1977年の4枚目のアルバム『Fully Interlocking』もガス・ダッジョンがプロデュースしており、今度はCBSからリリースされたが、ソウルとジャズロックを交互に演奏し、興味深いインストゥルメンタルパートを盛り込んだ作品となっている。その間にディスコが到来し、ソリューションは本格的なファンク・ソウル・グループへと変貌を遂げ、1980年リリースの『It's Only Just Begun』は彼らの最も成功したアルバムの1枚となっている。そのアルバムはプログレの痕跡は残っていないものの、ギタリストに元フォーカスのヤン・アッカーマンが参加したことで話題となった作品でもある。1982年には最後のスタジオアルバムとなった『Runaway』は、トラフィックのジム・カパルディがプロデュースし、ギタリストのハリー・ハードホルトが加わった作品である。ソウルファンクの名作の1枚として評価されたが、今後のグループの音楽の方向性を見失い、翌年の1983年に解散を決めている。彼らはアムステルダムのパラディソで解散ツアーを行い、その模様は1983年にリリースされた『Solution Live』というアルバムとして残っている。解散後、サックス&フルート奏者のトム・バーラージは、プロデューサー兼ミュージシャンとして働き、ジョディーズ・プライベート・ラグジュアリーやニュー・ロンドン・バンドなど、オランダのジャズロックグループに在籍して活躍。キーボード奏者のウィレム・エンネスはバーラージと共にThe MoやTime Banditsなどのプロデューサーを務め、その後Margriet Eshuijs Bandで演奏。また、スタジオミュージシャンとしても活躍し、女優兼歌手のカリン・ブルーメンやアデル・マリア・ハメートデンの劇場ツアーにも参加し、他にもテレビ番組の音楽やミュージカルも手掛けている。また、ドラマーのハンス・ウォーターマンとベーシストのグース・ウィレムセは、その後もセッションミュージシャンとして活躍したという。解散してからソリューションは音沙汰が無かったものの、23年が経った2006年3月にアムステルダムのパナマで2回のコンサートを行うために再結成している。その後も再結成の動きがあったが、2012年にウィレム・エンネスが、残念ながら膵臓癌で亡くなっている。64歳だったという。

◆Solution Divergence 1972年ジャズロック名盤ソリューション/ダイバージェンスのメンバー写真ソリューション ダイバージェンス ジャズロックバンドSolution Divergence プログレッシヴジャズロックバンド

 

ソリューション Divergence アートワーク

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は後に時代に合わせてソウルファンクグループに変貌を遂げるオランダのプログレッシヴジャズグループ、ソリューションのセカンドアルバム『ダイバージェンス』を紹介しました。ダイバージェンスとは日本語で「発散」という意味になるそうです。本作を含めてソリューションアルバムは日本のレーベルからリリースされていないこともあってかマイナー扱いにされていますが、自国のオランダでは結構有名なグループで、ジャズロック&ソウルのクロスオーバーという革新的なサウンドは音楽評論家からも高く評価されたと言われています。そんな彼らのデビューアルバムはそのクロスオーバーにクラシカルなキーボードをフィーチャーしたインスト中心のプログレッシヴな内容になっていますが、本アルバムはインスト曲の3曲とヴォーカル曲の3曲という構成になっていて、よりメロディアスで洗練されたジャズロック・アンサンブルを聴かせてくれます。ちなみに2曲目の『ダイバージェンス』の曲の一部は、同郷のフォーカスの1971年のアルバム『フォーカス II(ムーヴィング・ウェイヴス)』に収録されている『Eruption』でも使用されています。このセクションはソリューションのサックス奏者であるトム・バーラージにちなんで「Tommy」と名付けられたそうです。その結果、フォーカスが1970年代初頭に成功を収めたこともあって、オリジナル曲はおそらくソリューションの最も有名な曲の1つとなったと言われています。フォーカスとソリューションの接点について特に記述はありませんでしたが、たぶんライヴやスタジオでメンバー同士の交流があったのかも知れませんね。

 さて、そんな本アルバムですが、インスト中心の3曲とヴォーカルのある3曲に分かれており、特にヴォーカル曲はグース・ウィレムセのソウルフルで甘美な歌声に心が洗われます。1曲目はまるでコモドアーズ時代のライオネル・リッチーの『Easy Like Sunday Morning』を彷彿とさせており、非常にムーディーな雰囲気にさせてくれます。それでも後半ではサックスやフルートをフィーチャーしたカンタベリー風のジャズロックとなっており、その優れたアンサンブルから単なるソウルファンク曲で終わらせない彼らの意気込みが感じられます。インスト部分はバーナージのサックスやフルート、エンネスのエレクトリックピアノを中心としたキーボードによるアンサンブルとなっており、元々、ジャズロック界で長く身を置いた彼らだからこそ可能なインタープレイは見事です。サイケデリックな要素があるものの、最後は夢のようなフルートやサックス、そしてピアノのアンサンブルに変化していく流れは、思わずため息が出るくらい美しいです。これだけクオリティの高い作品を持つソリューションが、後に時代に合わせてソウルファンクへと変貌してしまうのは残念ですが、本アルバムは聴くほどに非常に面白いジャズロックだな~と思います。

 ソリューションの作品は同郷のスーパーシスターと共にいまだ日本で再発されていないジャズロックの逸品です。知名度はあまりありませんが、フォーカスやスーパーシスターと共に1970年代初頭の革新性のある音楽を生み出した彼らのプログレッシヴなジャズロックをぜひ聴いてみてください。

それではまたっ!

 

イカルス アルバムジャケット IKARUS オルガンロック

Ikarus/Ikarus
イカルス/ファースト
1971年リリース
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フルートやサックスをフィーチャーした
ドラマティック・オルガンロックの名作
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 アマチュアグループ時代から多くの音楽評論家から注目を集めていたドイツのプログレッシヴロックグループ、イカルスの唯一作。そのアルバムはフルートやサックスがフィーチャーされたオルガンロックとなっており、安定感あるリズム隊を土台にブルージー&ハードで引きずるようなギターリフと共に、カンタベリー的な味わいのするドラマティックなアンサンブルが特徴となっている。そのプログレ&フュージョンという最先端の音楽を誕生させたイカルスは、後にドイツ国内で成功が約束されていたものの、たった1枚のアルバムで解散してしまった非常に残念なグループでもある。

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 イカルスは1965年にドイツのハンブルクで結成されたグループであり、元々はビューティーク・イン・コーポレーション(BIC)というグループ名で活動を開始している。彼らは数年前にザ・ビートルズが訪れていたことを機に結成された多くのグループの1つであり、当時は最新のビートグループとして演奏していたという。数多くの地元グループはファブ・フォーの足跡を辿ろうとし、彼らもハンブルクの様々な地下室で練習に励み、自分たちのサウンドを磨き上げることに固執したとされている。その中でもBICは才能あるミュージシャンが揃っており、メンバーにはクラシック音楽の訓練を受けたキーボーディストのウルフ・ディーター・シュトルンツとベーシストのヴォルフガング・クラハトが含まれていたという。彼らは1966年頃からハンブルクのユースクラブからライヴ活動を行い、エルヴィス・プレスリーやトム・ジョーンズのヒット曲のカヴァーを演奏している。これが功を成してBICはまだ比較的に新しいグループだったにも関わらず、すぐに観客を魅了し、大勢の熱狂的なファンを獲得したという。その後、彼らはオリジナル曲を作り始め、サイケデリックな音楽やクラシカルな音楽などを融合した曲を披露して好評を博し、BICはハンブルクや北ドイツの音楽シーンでは人気グループの1つとなっていたという。そんな時、1969年のハンブルク学生ビートバンドコンテストの広告を目にした彼らは出場を決意。コンテストはプロのグループばかりでBICは唯一のアマチュアグループだったが、彼らがステージに上がると、そのサイケデリックなサウンドで審査員たちをたちまち魅了したという。その結果、コンテストで唯一のアマチュアグループであったBICが優勝している。優勝した彼らは1970年のハンブルク・ポップ&ブルース・フェスティバルに招待され、1970年4月1日から4月3日にかけて演奏している。そのフェスティバルの中には、チキン・シャックやスチームパケット、アレクシス・コーナー、ハーディン&ヨークなどがいたという。しかし、これほど豪華な顔ぶれにもかかわらず、観客の心を掴んだのは地元グループであるBICであり、彼らは見事に主役の座を奪っている。

 その後、ハンブルク・ポップ&ブルース・フェスティバルでのBICのライヴアルバムがデビューアルバムとしてリリースされている。このアルバムには、FrumpyとTomorrow's Giftのパフォーマンスも収録されており、まずまずの売れ行きを見せ、BICの人気は上昇気流に乗っているかのようであったという。数ヶ月後、BICのメンバー構成が変わり、新たに2名が加入して6人編成となっている。メンバーにはウルフ・ディーター・シュトランツ(オルガン、ピアノ)、ヴォルフガング・クラハト(ベース)、ベルント・シュレーダー(ドラムス、パーカッション)、ヨッヘン・ペーターセン(ギター、12弦ギター、アルトサックス、テナーサックス、フルート、クラリネット、ヴォーカル)、マンフレッド・シュルツ(ギター、ヴォーカル)、ローレンツ・ケーラー(リードヴォーカル)である。新生BICとなった彼らは、イギリスのグループであるユーライア・ヒープのツアーのオープニングアクトを務めるよう依頼されたという。それから間もなく、BICはコンサートプロモーターでもあるウィル・ヤンケをマネージャーとして迎え入れ、グループ名をイカルスと命名している。グループ名の変更後はイカロスの音楽性も変化し、キング・クリムゾンやイエス、コロシアム、フランク・ザッパといったアーティストから影響を受け、彼らはフュージョンとプログレッシヴロック、そして実験音楽を融合させたという。イカルスがライヴを行った際、その音楽スタイルの変化を巡って観客の意見は二分されたが、音楽評論家たちは高く評価し、絶賛したと言われている。これを機に彼らは1971年後半にデビューアルバムのレコーディングを行うために、5人のメンバーはハンブルクのウィンドローズ・スタジオに入っている。レコーディング時には4曲を書き上げており、中には12分を越える大曲も含まれていたという。こうしてアルバム『イカルス』は、ミラー・インターナショナル傘下のプラス・インプリントからリリースすることを決め、1971年末にリリースされることになる。そのアルバムはフュージョンやプログレッシヴロック、サイケデリアを融合させたオルガンロックでありながら、抒情性のあるフルートやサックスをフィーチャーした英国的なエッセンスのあるクオリティの高いサウンドになっている。

★曲目★
01.Eclipse Divided In Scyscrapers And Sooner Or Later(日食は遅かれ早かれ超高層ビルに分割される)
02.Mesentery(腸間膜)
03.The Raven Including "Theme For James Marshall"(ザ・レイヴン(「ジェームズ・マーシャルのテーマ」を含む))
04.Early Bell's Voice(アーリー・ベルの声)

 アルバムの1曲目の『日食は遅かれ早かれ超高層ビルに分割される』は15分を越える最も長い曲であり、力強いジャジーなビートで曲のテンポを決定づけた楽曲。大きなギターリフでブルース風に始まり、情感的なヴォーカルと共にオルガンを含めた楽器の相互作用によるフェーズへと発展し、4分過ぎにはオルガンやメロトロン、そしてギターによる美しいシンフォニックなレイヤー上に重ねられている。興味深いのは、曲全体の音楽の流れを巡るウォーキングベースが素晴らしく、かなり支配的である。8分過ぎのオルガンソロは聴き応えあり。2曲目の『腸間膜』はパーカッションやベース、ギター、オルガン、ヴォーカルラインを駆使した比較的テンポの速いスタイルの楽曲。ややメロウな雰囲気ながらも、よりサイケデリックな要素が強く、フルートのスタイルはイアン・アンダーソンを彷彿とさせるが、音楽自体はクラシックロックのようでもある。3曲目の『ザ・レイヴン(「ジェームズ・マーシャルのテーマ」を含む)』は11分を越える楽曲であり、初期のキング・クリムゾンを彷彿とさせるジャジーなピーターセンによる管楽器が高らかに響き渡り、中間部ではフルートの演奏とともに、アヴァンギャルドな探求へと展開していくサイケデリック/スペース・インプロヴィゼーションへと変化する楽曲。後半にはメロトロンやオルガンによるシンフォニックな展開があり、フルートの音色をフィーチャーしたクラシックロック好きにはたまらない一曲でもある。4曲目の『アーリー・ベルの声』は、オルガンの壮大な響きとダイナミックなベースギターが印象的な穏やかな楽曲。ピアノの音色が楽曲を豊かに彩り、素晴らしいギターとブラスセクションが加わっており、ジャジーな要素がありながらクラシック音楽の世界とのつながりが最も明白な一曲となっている。

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 以前から評論家たちはイカルスの音楽を高く評価していたこともあり、彼らのセルフタイトルのデビューアルバムも例外ではなく評論家たちの称賛を浴びたという。その後も多くの批評家からの絶賛のレビューが続き、アルバムはよく売れ、イカルスはすぐにドイツ各地でソールドアウト公演を行うようになったとされている。地元ハンブルクでは、ディープ・パープルの前座を務めるよう依頼され、間違いなくイカルスは当時の人気グループの1つとなっていたという。そんな時、彼らはメトロノームから契約のオファーを受けている。メトロノームは伝説的なブライアン・レーベルのオーナーである。これはイカロスにとってドイツのロック界の頂点に立つ絶好の機会でもあったという。しかし、メンバーたちはプロのグループになることはリスクが高いと感じ、これほど素晴らしいオファーを断っている。彼らはアマチュアグループとして活動することで満足していたのである。あくまで音楽は趣味であり、ライヴなどで収入を得ることができたことで十分であったのである。しかし、人気が高くなるにつれてフルタイムで活動することが多くなり、イカロスのメンバーの一部にとっては荷が重すぎたため、翌年の1972年にグループは解散することを決めたという。イカルスの解散は多くの音楽評論家が残念がったと言われている。解散後、それぞれのメンバーは地元のハンブルクでセッションミュージシャンやスタジオミュージシャンとして活躍していたが、中には音楽の道から離れてしまった者もいたという。唯一、マルチミュージシャン兼プロデューサーのヨッヘン・ペーターセンは、ドイツのプログレッシヴロックグループであるウインドやオランダのスコープなどをプロデュースし、1980年代以降はダンスミュージックやポップスのアーティストのアルバムを手掛けたという。ドイツでも指折りのプロデューサーであったが、残念ながら2016年1月20日死去している。本アルバムは当時ドイツ国内で好評だったが、弱小レーベルだったこともあり国外に広まることは無かったという。1995年にドイツのレーベルであるSecond BattleからCD化を果たしているが、いまだにドイツ以外の国のレーベルからリリースされていない。

◆イカルス アルバムジャケット</img>イカルス バンド写真

 

イカルス アルバムジャケットとアニメキャラ

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は多くの音楽評論家から注目され、成功が約束され、ドイツの頂点に君臨するはずだったプログレッシヴロックグループ、イカルスの唯一作を紹介しました。彼らはBICというグループ名で6年近く下積みして、その最先端の音楽でデビュー前から人気を博していましたが、何とプロのリスクを恐れて最終的に解散してしまうという稀有な経緯を持ったグループでもあります。たぶん、ライヴステージでもソールドアウトが続き、アルバムを出してみれば批評家から絶賛され、そのあまりの人気ぶりが逆にプレッシャーとなってしまったのでしょう。彼らにとってみれば気軽に収入につながるライヴ中心だったアマチュア時代のほうが良かったのかも知れません。最終的にプロになることを諦めた彼らですが、もし、ワーナーミュージック傘下のレーベルであるメトロノームと契約していたら、ヨーロッパや日本にも知れ渡った人気グループに成り得た可能性があります。電子音楽が席巻していたクラウトロック勢が多かった時代に、プログレッシヴロックとフュージョンを融合させた実験的な音楽を生み出した彼らが、たった1枚のアルバムで解散してしまったというのはあまりに残念で仕方がありません。まさに高く飛びすぎると太陽によって翼の蝋を溶かしてしまい、低く飛びすぎると湿気で羽が重くなり、進退窮まる状況に陥って最終的に太陽に近すぎたために墜落してしまったイカルスのようです。

 さて、そんな彼らのアルバムですが、15分と11分を越える大曲を擁した作品となっており、アヴァンギャルドな音楽からフォークロック、フリージャズ、フュージョン、クラウトロック、プログレッシヴロック、サイケデリックロックまで、あらゆる音楽ジャンルが融合しています。時には、そのような音楽ジャンルが融合することで独創的で革新的なサウンドが生まれており、進むほどにスタイルやテンポが絶えず変化しているのが素晴らしいです。クレシダやスティル・ライフといった英国のオルガンロックとキング・クリムゾン的なジャジー要素、そしてソフト・マシーン的なカンタベリーミュージックが渦巻いた内容になっており、当時のドイツのプログレッシヴロックシーンでは明らかに一歩抜きんでたサウンドになっています。ジャズに影響を受けたサックスとドラム、クラシックの影響を受けたオルガンやフルートなど、彼らの複雑な音楽性という点では全く別次元にあり、何度も聴くごとにこのアルバムの真価が分かっていきます。ドイツ初期の音楽シーンにおいて最もユニークなプログレ作品でありながら、未だに過小評価されているのは非常に残念であり、今こそ再評価されても良いアルバムだと思っています。

 本アルバムは1970年代初期にて、プログレ&フュージョンと言う最先端の音楽を誕生させたドイツの隠れ名盤の1枚です。ぜひ、粗削りながら独創的で革新的な彼らのサウンドを堪能してほしいです。

それではまたっ!
 

スピリット・オブ・クリスマス Lies To Live By アルバムジャケット

The Spirit Of Christmas/Lies To Live By
スピリット・オブ・クリスマス/荒野で呼ばわる者の声
1974年リリース
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メロトロンや室内楽など多彩な
表現力を駆使したハードプログレの傑作
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 カナディアンロック草創期の1969年にクリスマス名義で活動をしてきたプログレッシヴロックグループ、スピリット・オブ・クリスマスの事実上のサードアルバム。そのアルバムは3枚目の制作にあたり、ヴォーカリスト兼キーボーディストのプレストン・ウィンを迎え入れたことで、ピアノやメロトロン、室内楽によるよりシンフォニックな展開となり、さらにロバート・ブルガーとプレストン・ウィンの技巧的なギタープレイが光ったカナディアン・ハードプログレの傑作となった1枚。本アルバムを最後に解散してしまうが、後に彼らの音楽性が高く評価され、1990年にアメリカのThe Laser’s Edge、1996年の日本のマーキーからいち早くCD化が果たされている。

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 スピリット・オブ・クリスマスは元々、ギタリスト兼作曲家であるボブ・ブライデンが、1969年12月にレイン・ゴーストを解散させて改めて再結成したクリスマスというグループが母体となっている。レイン・ゴーストが解散した理由は、ヴォーカルを担当していたリンダ・スクワイアーズが、トロント公演の『ヘアー』に参加したためである。ブライデンはトロントのオシャワで自身が知っている中で最も強力で個性的なミュージシャンを求めており、市内の主要ショッピングモールにあるシアーズのコーヒーショップで会合を開いたという。そこに加わったのがロバート・ブルガー(ギター)、タイラー・ライゼン(ベース)、リッチ・リヒター(ドラムス)、そしてゲイリー・スクワイアーズ(ヴォーカル)とヴォルフガング・マイケル・フリチュク(ヴォーカル)である。彼らが最初に決めたグループの正式名称は「The Society for the Year Round Preservation of the Spirit of Christmas(クリスマスの精神を一年中守る協会)」だったが、すぐに「クリスマス」と短縮されている。彼らはオシャワ空港の使われなくなった空軍兵舎で集中的にリハーサルを行い、ブライデンは自分の曲を持ち込み、他のメンバーがそれを発展させていったという。最初に発表された彼らの音楽はグループ内で『宇宙交響曲』と評されたが、地元の10代のリスナーにとって特に聴きやすいものではなかったと言われている。しかし、ブライデンとメンバーはオリジナル曲にこだわり、地元のクラブやホールで演奏を続けたという。1970年に入った頃、ブライデンがアライド・レコードと繋がりがあったことから、彼らは低予算のトップヒット・プロジェクトにクレジットなしのミュージシャンとして参加。しかし、レコーディングはうまくいかず、プロデューサーが彼らにジャムセッションを頼んだところ、その演奏が後にアルバムに収録される『オアシス』とさらに20分にも及ぶ『ジャングル・ファビュラス』となったという。レコード会社は当初のカヴァー曲というコンセプトを破棄し、このジャムセッションにブライデンのオリジナル曲の3曲を加え、彼らに相談することなく同年の1970年にクリスマス名義でアルバムをリリースしている。このアルバムは10代だった彼らが安価なスタジオ経験として始まったものが、思いがけずデビューアルバムとなった奇跡的な作品でもある。コンテンポラリーRPMは実際には好意的で、優れたデビュー作だと評し、クリスマスがすでにトロントのラジオで取り上げられていることを指摘したという。

 1970年8月に新しく設立されたダフォディル・レコードのフランク・デイヴィスは、クリスマスの演奏を聴いて当時のレイン・ゴーストよりもハードでダイレクトでありながら、紛れもなくプログレッシヴなサウンドであることに感銘を受けたという。しかし、この頃にはヴォーカリストのゲイリー・スクワイアーズはすでに脱退しており、ヴォルフガング・フリチュクもダフォディルのラインナップには加わらなかったため、ブライデン、ブルガー、ライゼン、リヒターの4人組となっている。ダフォデイル・レコードのデイヴィスは、8月20日にトロントのホークス・ネストでオーディションを行い、すぐに彼らをトロント・サウンド・スタジオというはるかに洗練されたレコーディング・スタジオに連れて行ったという。1970年の秋に約10日間で録音とミキシングを終えてリリースされたのが、セカンドアルバムの『ヘリテージ』である。アルバムは依然として冒険的だったが、デビュー作の奔放なジャムセッションと比べれば驚くべき飛躍である。しかし、内容とは裏腹にメディアの好意と地方局でのラジオ放送を獲得したものの、彼らが期待していたようなブレイクスルーには至らなかったという。ダフォディル・レコードのフランク・デイヴィスは、当時の真に革新的なカナダのグループをラジオに乗せるのがいかに難しかったかを認めている。一方、国内では芳しくなかったが、1971年5月にRPMが『ヘリテージ』がオーストラリアとニュージーランドでもリリースされたと報じている。その後、彼らはより商業的なものを求める圧力から、ニール・セダカの『I'm A Song, Sing Me』のレコーディングを行い、一方で1971年9月にはトロントのマッセイ・ホールでクロウバーの前座を務めるなど事実上正反対の方向へと進んでいる。マッセイ・ホールでの公演後、彼らは邪魔されずに作業するために田舎の納屋に引きこもったという。そこで近くのウィットビー出身のプレストン・ウィンがヴォーカル、ピアノ、ギターで加わり、ブライデンはグループのメインヴォーカルから身を引いている。この頃にグループ名をクリスマスからザ・スピリット・オブ・クリスマスと改名している。グループ名の変更はブライデンにとって「非常にダークでプログレッシヴ」な音楽の方向性を示唆したものと理由付けている。1972年からサードアルバムの制作に取り掛かったが、ダフォディル・レコードの財政状況の悪化により、約8ヶ月間プロジェクトが棚上げされるなど制作は度々中断され、完成は困難を極めたという。1974年後半にようやくレコーディングが終了し、事実上彼らのサードアルバムにあたる『Lies To Live By(荒野で呼ばわる者の声)』が同年にリリースされる。そのアルバムは戦争や死、工業化、権威、信仰、個性、そしてそれらを超えた何らかの意味の探求をテーマにしたダーク系のコンセプトアルバムであり、メロトロンやピアノ、室内楽などを駆使した良質でテクニカルなシンフォニックロックとなっている。

【曲目】
01.All The Wrong Roads(全ての間違った道)
02.Stay Dead Lazarus(ラザロよ生き返るな)
03.Voice In The Wilderness(荒野で呼ばわる者の声)
 a.Graveyard Face(墓地の顔)
 b.All Is Light(全ては光なり)
04.War Story(戦争物語)
 a.Ballad Of Jack Boot(皮長靴のバラード)
 b.Requiem~War’s Peace~(鎮魂歌~戦争は平和~)
05.The Factory(ザ・ファクトリー)
 a.Where The People Are Made(人々が創られた場所)
 b.Everything’s Under Control(全ては制御下にあり)
06.Beyond The Fields We Know(我々の知っている領域を超えて)
 a.Prelude ~I Don’t Know Where I Am~(前奏曲~私は何処にいるのか知らない~)
 b.Thermopylae(テルモピュレの戦い)
 c.Heaven’s Lost(天国の喪失)
 d.In Closing(最終章)

 アルバム1曲目の『全ての間違った道』は、スライドギターとアコースティックギターをバックに、プレストン・ウィンの穏やかなヴォーカルを乗せたフォーク調の楽曲。中盤からハードな展開があり、彼らのユニークなスタイルを知るには最適な導入部となっている。2曲目の『ラザロよ生き返るな』は、繊細なドラミングと太いベースがリードする暗澹とした楽曲。ヘヴィなツインギターのプレイが光っており、ハードロックとフォークが融合したようなユニークなサウンドに昇華している。3曲目の『荒野で呼ばわる者の声』は2つの楽章があり、『墓地の顔』は明朗なアコースティックギターの爪弾きが美しいフォークロック。フォークと風変わりなプログレッシヴポップが混ざり合っていて、まとまっていそうでまとまっていないところが個人的に絶妙である。『全ては光なり』は流麗なピアノをバックにした複数のヴォーカルパフォーマンスが冴えた楽曲。聖書に言及しており、ボブが後に牧師になることを考えると興味深い。4曲目の『戦争物語』も2つの楽章となっており、最初の『皮長靴のバラード』は銃撃の音や爆撃機の効果音から始まり、行進のような力強いリズムセクションと激しいアコースティックギターが印象的な反戦曲。ヴォーカルもこれまで以上にパワフルとなり、最もヘヴィで効果的な曲となっている。『鎮魂歌~戦争は平和~』は、打って変わってメロトロンやピアノを駆使した美しいレクイエム。泣きのギターや室内楽も加わってまるで浄化されるかのようなアルバム内屈指の楽曲となっている。5曲目の『ザ・ファクトリー』も2つの楽章からなっており、『人々が創られた場所』は、ピアノの静かなパートとリズムセクションとギターを加えたハードなパートによるヴォーカル曲。「Down At The Factory」というフレーズが繰り返された後、スピーディーな展開となっていく。途中で美しく鳴り響くピアノが良いアクセントとなっている。『全ては制御下にあり』は、ほとんど無音状態の静かなヴォーカルから、激しいリズム上で「Everything's Under Control」という言葉が何度も繰り返される。後半では端正なピアノとヘヴィに掻き鳴らすギターが響き、最後は爆発音で終了している。6曲目の『我々の知っている領域を超えて』は4つの楽章となっており、『前奏曲~私は何処にいるのか知らない~』は、クラシックにインスパイアされたツインギターメインのハードロック調の楽曲となっており、変拍子を多用しているのが面白い。『テルモピュレの戦い』は、リズムをメインとしたハードプログレ。ささやくようなヴォーカルが入り、その後感情を込めながら盛り上がっていく。そこに続く速弾きのギターとリズムセクションのユニゾンは素晴らしい。『天国の喪失』はメロトロンと独創的なインストゥルメンタルパートが光った楽曲。ヴォーカルコーラスが最も美しい曲のひとつ。『最終章』は穏やかなヴォーカルとギター、繊細なリズムセクション、そしてメロトロンやピアノを駆使した楽曲となっており、彼らの持ち味のひとつであるフォーク調で終えている。


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 本アルバムは商業ラジオで放送してもらうのは難しかったものの、アメリカのプログレッシヴ系やFM系の出版物から強い反響があったという。その1つとして1975年2月のビルボード誌は、この『Lies to Live By(荒野で呼ばわる者の声)』が、ダフォディル・レコードにとって、ア・フット・イン・コールドウォーターの『All Around Us』に次ぐ、2番目に大きなアルバムとして注目を集めていると報じている。その後、ダフォディル・レコードのディヴィスは、アメリカのリリースを望んでいたものの実現はせず、最終的にスピリット・オブ・クリスマスは解散することになる。実際はこの頃のダフォディル・レコードの財政的な問題で、グループを維持するのが難しくなったというのが実情である。解散後、ヴォーカル兼ギタリストのボブ・ブライデンは、1977年にデビューソロアルバム『The Displaced Years』をリリースし、他のグループで10年間活動した後、1987年に2枚目のソロアルバムをリリースしている。その間、ブライデンは20枚近いアルバムに参加しており、中にはオリジナルリリースから何年も経ってから再発されたものもある。ベーシストのタイラー・ライゼンは、1990年代までセッションミュージシャンとして活動。1998年にはオンタリオ州ニューマーケットを拠点とする実験的なグループ、ウルフカウのバックバンドの一員となって2018年まで参加したという。ドラマーのリッチ・リヒターもセッションミュージシャンとして活動後、1991年のレイン・ゴーストのデビューアルバムの再リリースのレコーディングに参加している。ギタリストのロバート・ブルガーは、セッションミュージシャンを経て、1982年のリー・アーロン・プロジェクトのメンバーとなり、アルバム『Texas Outlaw』に参加。その後も1990年代までリー・アーロンのバックバンドの一員として活躍したという。これまでスピリット・オブ・クリスマスはカナダ国内であまり高く評価されてこなかったが、1980年代に入ってようやくリスナーからの関心が高まり、ボブ・ブライデンはついに1971年9月23日に開催されたマッセイ・ホールの公演を自身が好むミックスで収録した限定版を1989年にリリースしている。その後、地元のトロントで、2020年にレイン・ゴースト、クリスマス、そしてスピリット・オブ・クリスマスは、生涯功労賞受賞者としてオシャワ・ミュージック・アワードの殿堂入りを果たしている。1960年代後半から1970年代初頭にかけてのオシャワのアンダーグラウンドシーンから生まれたこれらのグループは、複雑に絡み合いながらもようやく歴史が結実したといえる。

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スピリット・オブ・クリスマス「荒野で呼ばわる者の声」アルバムアートスピリット・オブ・クリスマス アルバムジャケット写真Christmas バンドのメンバー写真スピリット・オブ・クリスマス メンバーと戦車

 

クリスマス Lies To Live By アルバムカバー

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はクリスマス名義で1969年から活動を続けているカナダのプログレッシヴロックグループのスピリット・オブ・クリスマスのサードアルバムにあたる『荒野で呼ばわる者の声』を紹介しました。中心的存在だったボブ・ブライデンは元々、1960年代後半で人気だったレイン・ゴーストというグループのメンバーでしたが、シンガーのリンダ・スクワイアーズがトロント公演の『ヘアー』に参加したことをきっかけにグループを解散させています。ボブ・ブライデンとリンダ・スクワイアーズは幼少のころから付き合いが長く、2人は1967年から活動する「クリストファー・コロンブス新大陸発見バンド」というグループに所属し、1968年に解散した後、ライバルグループであったレイン・ゴーストに加入しています。しかし、デビューアルバム制作の直前にスクワイアーズが脱退してしまったことで、ブライデンはイチからグループを結成しようと動き始めます。それがクリスマスです。このエピソードの中で結構驚いたのが1969年に結成したクリスマスのメンバーの年齢ですが、19歳のボブ・ブライデンが一番の年上だったそうで、ロバート・ブルガーは18歳、タイラー・ライゼンとリッチ・リヒターは16歳だったそうです。高校生のメンバーを発掘して、なおかつ3枚のアルバムにフル参戦させてしまうあたり、当時のカナダの音楽シーンに限らず、腕利きの若いミュージシャンが多く存在していたという証左ですね。しかもわずか5年の間に地下室レベルのサイケデリックな実験音楽から、『ヘリテージ』のようなヘヴィなプログレッシヴロックを経て、本アルバムのようなダークで複雑なコンセプト音楽を創り上げてしまう実力は本物です。

 さて、そんなクリスマスの集大成とも言われている本アルバムですが、はっきり言ってまとまりがないと言われても仕方がないほど複雑怪奇な作品だと思います。元々、彼らはサイケデリック音楽やフォークから始まっているため、フォーク調のアコースティカルな楽曲が含まれていますが、もっとヘヴィでハードな楽曲をやりたかったのかな~と思えるほど、リズムセクションとエレクトリックギターがパワフルに弾きまくっています。ヴォーカリスト兼キーボーディストのプレストン・ウィンが加入したことで、メロトロンといったプログレ御用達の楽器が加わったことで、全体的に味わい深いシンフォニック調になっていますが、個人的にはハードロックの方向性で進んでいけば新たな道があった可能性があります。しかし、それは叶わずに解散してしまいますが、面白いことに同じトロント出身のアレックス・ライフソンというミュージシャンがおりまして、かのラッシュのギタリストです。彼はクリスマスのライヴを何度も観に行き、本アルバムも聴いたというエピソードがあります。アレックスはそれまで偉大なレッド・ツェッペリンのようなサウンドを目指していましたが、もう古いと感じて新たな音楽の目標を探していたそうです。アレックスは彼らの音楽を聴いて何を感じたか分かりませんが、少なくともスピリット・オブ・クリスマスのハードプログレの遺志を受け継いだのがラッシュじゃないかな~と何となく思っています。皮肉にもボブ・ブライデンは後にカナダを代表するロックグループのラッシュのようなヘヴィな音楽を目指していたと語っていたそうです。

 本アルバムはフォークやハードロック、はたまたジャンセッションのような演奏が組み込まれた複雑なハードプログレです。まとまりのない中で若いエネルギーに満ちた彼らの力強い演奏をぜひ聴いてみてください。

それではまたっ!
 

 

アンクル・ドッグ オールド・ハット アルバムジャケット

Uncle Dog/Old Hat
アンクル・ドッグ/オールド・ハット
1972年リリース
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奥深いアメリカのルーツ音楽を
英国的センスで融合した極上の1枚
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 元デリヴァリーのシンガーだったキャロル・グライムスと、元トゥワイス・アズ・マッチのメンバーだったソングライターのデヴィッド・スキナーのコラボレーションによって誕生した唯一作。そのアルバムはブルースやフォーク、カントリーなどアメリカのルーツ音楽を英国的なセンスで融合したサウンドになっており、ジャニス・ジョプリンの再来とまで言われたキャロル・グライムスのソウルフルな声質を巧く曲に当て込んだ英国スワンプロックの傑作でもある。ゲストには元フリーのギタリストであるポール・コゾフやスライドギターの名手として知られるサム・ミッチェル、そしてホーンセクションにはアヴェレージ・ホワイト・バンドなどが参加している。

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 アンクル・ドッグは1971年秋に、シンガーのキャロル・グライムスと、ソングライター兼ピアニストのデヴィッド・スキナーの2人がタッグを組んでイギリスのロンドンで結成されたグループである。スキナーは元々、1964年からアンドリュー・ローズとトゥワイス・アズ・マッチというポップデュオで活動し、多くの作詞作曲を行ってきたソングライターである。彼らが演奏者として唯一成功したのは、1966年にミック・ジャガーとキース・リチャーズが作曲した『Sittin' on a Fence』のカヴァーである。ローリング・ストーンズによるこの曲は、1965年12月に録音されたものの、アメリカでは1967年までストーンズのアルバムに収録されず、イギリスでは1969年までリリースされなかった曲でもある。この活動の裏にはローリング・ストーンズのマネージャーであったアンドリュー・ルーグ・オールダムがトゥワイス・アズ・マッチのマネジメントしていたことが大きい。ちなみにこのデュオが作曲した曲は、後にデル・シャノンやクリス・ファーロウ、さらにPPアーノルドによって録音されている。スキナーは1970年代初頭までデュオとして活動してきたが、ローズと袂を分かち独自の道に進んでいる。彼はアメリカ南部のブルースやカントリー、ゴスペル、R&Bなどのルーツミュージックに興味を持ち、独自の解釈とセンスでロックとミクスチャーしようと考えていたという。そのパートナーとして迎え入れたのがキャロル・グライムスである。彼女は1969年にデリヴァリーというグループに加入し、1枚のアルバムを残している。デリヴァリーとはギタリストのフィル・ミラーと兄でピアニストのスティーブ・ミラー、ドラマーのピップ・パイル、ベーシストのロイ・バビントン、サックス奏者のロル・コックスヒルによるグループで、カンタベリーミュージックの源流の1つと言われている。彼らは多くのシンガーやミュージシャンのバックを務める若きグループとして注目され、そのバックを務めたミュージシャンの中に女性シンガーのキャロル・グライムスがいたという。キャロル・グライムスは1960年代後半にザ・レイスというグループを経て、後に男性シンガーであるルイス・リッチとバビロンというデュオグループを結成することになるシンガーである。デリヴァリーのメンバーはアルバムの制作を念頭に置いたヴォーカリストの必要性を感じ、キャロル・グライムスに対してグループへの参加を要請。1970年にキャロル・グライムス&デリヴァリー名義で『フールズ・ミーティング』をリリースすることになる。しかし、ドラマーのピップ・パイルとの口論が原因で、彼女は1971年5月に脱退してソロに転向。その矢先で彼女はソングライター兼ピアニストのデヴィッド・スキナーと出会い、彼の作るアルバムレコーディングのシンガーとして参加することを承諾している。彼らはアイランド・スタジオに入り、レコーディングにはキャロル・グライムスとデヴィッド・スキナー以外に、ジョン・ピアソン(ドラムス)、テリー・スタンナード(ドラムス)、ジョン・ポーター(ベース)、ジョン・“ラビット”・バンドリック(ピアノ)、サミー・ミッチェル(スライドギター)、1曲にポール・コゾフ(ギター)が参加しており、プロデューサーには後にキャロル・グライムスのソロアルバムも手掛けるボブ・ポッターが担当。グループ名は以前からスキナーが考えていたという「アンクル・ドッグ」という名義を使って、1972年に英国スワンプロックの傑作と名高いアルバム『オールド・ハット』がリリースされることになる。

★曲目★
01.River Road(リバー・ロード)
02.Movie Time(映画鑑賞の時間)
03.Old Hat(古い帽子)
04.Boogie With Me(ブギー・ウィズ・ミー)
05.We've Got Time(時間はたっぷりある)
06.Smoke(煙)
07.I'll Be Your Baby Tonight(今夜は君のベイビーになるよ)
08.Mystery Train(ミステリー・トレイン)
09.Lose Me(私から離れてください)

 アルバム1曲目の『リバー・ロード』は、軽快なリズムセクション上をアコースティックギターとピアノ、そしてスキナーとキャロルがハーモニーとなったヴォーカルが楽しい楽曲。最高にスモーキーなサックスと大胆なピアノの演奏が心地よい。この曲はシングルでもリリースされた。2曲目の『映画鑑賞の時間』は、流麗でリズミカルなピアノとスライドギター、キャロルとスキナーのパワフルなヴォーカルが印象的な楽曲。古き良きアメリカンな曲を巧く英国風にアレンジしている。3曲目の『古い帽子』は、美しいピアノが主導し、ヴォーカルでスキナーが牽引し、キャロルが情熱的にサポートしたバラード曲。リズムセクションが加わるとより一層、天空を翔けるような美しいメロディとなる。4曲目の『ブギー・ウィズ・ミー』は、酒場の一角でピアノをバックに歌ったような陽気なブギウギであり、キャロルの甘美なヴォーカルが冴えた楽曲。一気に1960年代にタイムスリップするような古臭さが妙に心地よい。5曲目の『時間はたっぷりある』は、ピアノとギター、そしてジャニス・ジョプリンを思わせるパワフルなキャロル・グライムスのヴォーカルが冴えたリリシズムあふれる楽曲。中盤にはポール・コゾフの抒情的なギターソロが展開し、アヴェレージ・ホワイト・バンドのホーンセクションもなかなか良い味を出している。6曲目の『煙』は、ブルージーなギターとホンキートンク風のピアノが特徴の楽曲。情熱的なキャロルのヴォーカルも曲に合わせてノリの良いスタイルで歌っているのが素晴らしい。7曲目の『今夜は君のベイビーになるよ』は、スライドギターとピアノを中心としたカントリー風の楽曲。パワフルなキャロルのヴォーカルもあって、意外とキレのある爽快な曲にしている。この曲のヴォーカルが最もジャニス・ジョプリンを思わせる。8曲目の『ミステリー・トレイン』は、切れ味鋭いピアノやブルティナン風のピアノ、ブルージーなギター、そして激しくも力強いキャロルの咆哮に近いヴォーカルが特徴の楽曲。後半では手数の多いドラミング上でぎたーやピアノ、ハーモニカが躍っているようである。9曲目の『私から離れてください』は、端正なピアノのリズムとギターをバックにスキナーがリードするヴォーカルが印象的な楽曲。後半にはスモーキーなサックスソロがあり、ギターと共にフェードアウトで終えている。

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 本アルバムは英国ではあまり売れなかったが、アメリカでは高く評価され、同年にシングル『リバー・ロード/ファースト・ナイト』をリリースし、全米ホット100チャートで86位にランクインしたという。スキナーはこのレコーディングを契機にメンバーを新たにして本格的なグループ活動を目論んだが、キャロルがソロアーティストとして活動することを望んだため、アンクル・ドッグは1枚のアルバムとシングルを残して解散することになる。解散後、デヴィッド・スキナーはクランシーというグループを経て、フィル・マンザネラの801やロキシー・ミュージックのツアーにキーボード奏者として参加するミュージシャンとして活躍。その後、彼はオーストラリアのシドニー近郊のブルーマウンテンズに移り住み、マウント・ビクトリアにある自身のスタジオで制作活動を行っているという。一方、シンガーだったキャロル・グライムスは、エリア・コード615、およびアベレージ・ホワイト・バンドのメンバーとレコーディングした1974年のソロアルバムを皮切りに、コンスタントにアルバムをリリースするシンガーとして活躍。1990年代にはシンガーとしての傍ら、合唱団「ザ・シャウト」での活動のほか、教師やミュージカル劇場での活動へと広がりを魅せている。そんな彼女も81歳となり、現在でもディナーショーを中心に活動を続けているという。

◆アンクル・ドッグ『オールド・ハット』アルバムジャケットUncle Dog オールドハット アルバムアートワークアンクル・ドッグ オールド・ハット アルバムジャケットアンクル・ドッグ オールド・ハット キャロル・グライムス

 

アンクル・ドッグ アルバム「オールド・ハット」アートワーク

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は英国スワンプロックの傑作と言われているアンクル・ドッグの唯一作『オールド・ハット』を紹介しました。このアルバムは2000年に英国の小レーベルであるラ・クッカ・ラチャが初のCD化を果たしており、また、2005年には日本のエアーメイルの「ブリティッシュ・レジェンド・コレクション」シリーズの一環として紙ジャケCD化されています。私自身も以前から知っている作品ですが、実は某中古CD・レコード屋さんで初めてLP盤を見る機会がありました。確か帯付きのEMI盤だった気がしますが状態は非常によく、ジャケットにデザインとして施されている破れや擦れもしっかりありました。お値段を見たら、やはり10万円を越えていましたね。到底、手が出せる値段ではないので入手は叶いませんでしたが、ちょっとだけ眼福のひと時でした。

 さて、本アルバムですが、ソングライターであるデヴィッド・スキナーによるソロアルバムと言っても過言ではないです。1960年代中頃にアメリカのルーツ音楽であるロカビリーやソウルをスワンプ・ブルース、カントリーなどと融合させる形で生まれたスワンプロックがベースになっており、そこに同じくアメリカのソウルミュージックを敬愛するシンガーのキャロル・グライムスを中心に多くのミュージシャンが参加した作品ともいえます。ピアノとリズムセクションをバックに歌うシンプルなアレンジが特徴ですが、土臭さのあるアメリカのブルースやフォーク、カントリーミュージックをどこか牧歌的な温かみのある英国風にアレンジしているのが素晴らしいです。比較的に頑固さのあるリズムセクションにチャールストン風の切れ味鋭いピアノ、自由に弾きまくるブルージーなギターなど、一瞬複雑になりがちな演奏が巧い具合に制御できており、マンネリ化しそうなルーツ音楽を個々の技量と演奏で構築しているのが素敵すぎます。それぞれの曲が最終的にジャニス・ジョプリンの再来とまで言われたキャロル・グライムスの咆哮に近いパワフルなヴォーカルを基軸に組み立てられていることに気が付くはずです。

 本アルバムはアメリカのルーツ音楽に走ったデヴィッド・スキナーとレイ・チャールズやアレサ・フランクリンといったR&B/ソウルミュージックに敬愛の念を抱くキャロル・グライムスがタッグを組んだ英国スワンプロックの傑作です。泥臭さの中に英国的なリリシズムにあふれた本アルバムをぜひ聴いてみてください。

それではまたっ!
 

 

 

Pythagoras Journey To The Vast Unknown アルバムアート

Pythagoras/Journey To The Vast Unknown
ピタゴラス/広大な未知への旅
1980年リリース
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マルチキーボードを全面に配した
幻のオランダ産シンフォニックロック
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 キーボード奏者とドラマーのユニットによるオランダのプログレッシヴロックグループ、ピタゴラスのデビューアルバム。そのアルバムはシンセサイザーやピアノ、シーケンサーを巧みに利用したマルチキーボードを前面に配したスペイシーなシンフォニックロックとなっており、1970年代のプログレッシヴロックを継承しつつ、独特の透明感や美的センスに満ち溢れた傑作となっている。本アルバムは当時、500枚のプレスから何度か再リリースされ、最終的には約5,000枚となり、無名のオランダ人デュオが演奏する自主制作盤としては驚異的な売り上げを果たした作品としても知られている。

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 ピタゴラスは1979年にムーンライト・レコードというレコードショップのオーナーであったボブ・デ・ヨング(ドラムス)と、その常連客であったルネ・デ・ハーン(キーボード)の2人によってオランダのハーグで結成されたデュオユニットである。ボブ・デ・ヨングはレコードショップのオーナーでありながら、The Keyやパイン・アップルといったグループで演奏し、さらにはフォノグラムのスタジオドラマーとしても働くベテランのミュージシャンである。そんな彼は自身のグループ結成を考えており、レコードショップの常連客の1人であったルネ・デ・ハーンにシンセサイザーメインの音楽を作る計画について話している。当時19歳であったルネは彼の両親が住む家の部屋に、Korg MS 20やTrilogyシンセサイザー、デジタルRolandピアノ、Solinaストリングアンサンブル、Firstman 1024デジタルシーケンサーなどの楽器が山積みになっており、彼はそこで様々な楽器を弾いては多くの作曲を行っていたという。この頃にボブはルネとシンセサイザーを中心としたプログレッシヴな音楽を目指そうと古代ギリシャの哲学者・数学者であるピタゴラスというユニット名で活動を開始している。ボブは若いルネのアイデアに好意的で、彼が作成する楽曲に関心を示し、何度かリハーサルを経てアルバムの制作を持ちかけている。2人は1980年9月から12月にかけて、オランダのサウンドスクール・スタジオで録音を行い、プロデューサーはボブ・デ・ヨング自身が担当したという。2人は当初から自主制作盤でリリースすることを決めており、限定500枚のプレスで『Journey To The Vast Unknown(広大な未知への旅)』というタイトルで、1980年末にリリースすることになる。そのアルバムはルネのシンセサイザーやピアノ、シーケンサーを巧みに利用したマルチキーボードを前面に配したスペイシーなシンフォニックロックとなっており、自主制作盤とはいえ独特の透明感や清廉さのある美的センスにあふれたクオリティの高い作品となっている。

★曲目★
01.Journey To The Vast Unknown(広大な未知への旅)
 a.Part I(パートⅠ)
 b.Part II(パートⅡ)
 c.Part Ⅲ(パートⅢ)
 d.Part Ⅳ(パートⅣ)
02.In To The In(イン・トゥ・ジ・イン)
03.When It Comes(ホエン・イット・カムズ)

 アルバムの1曲目の『広大な未知への旅』は、4つのパートに分かれた組曲風となっており、ルネの深淵なシンセサイザー音とシーケンサー、そしてボブの繊細で力強いドラミングを中心とした楽曲。オランダのアーティストらしくメロディアスなサウンドになっており、親しみやすく非常に心地よいものになっている。ゆったりとした楽曲が多いが、力強いドラムビートが特徴で、クラウス・シュルツェの初期の作品『Moondawn』や『Timewind』を彷彿とさせ、さらに1974~1977年頃のタンジェリン・ドリームのような重厚なベースサウンドが見事に融合している。爆発的な展開はほとんどないが、シンセサイザーによるメランコリックな雰囲気が多く、エレクトリックでスペイシーなスタイルの中に多様性が見え隠れする。パートⅣではシーケンサーを巧みに利用したシンフォニック調の楽曲となっており、本アルバムの真骨頂となっている。レコードのB面に位置する2曲目の『イン・トゥ・ジ・イン』は10分に及ぶ大曲であり、重厚なシンセサイザーによる宇宙的な深遠さと暗黒さを表現したような楽曲。サイケデリックな雰囲気を持っており、アルバムの中でもエレクトリックな音楽を指し示した曲でもある。3曲目の『ホエン・イット・カムズ』も9分に及ぶ大曲となっており、こちらはクラシカルな雰囲気を重視したシンフォニックサウンドになっている。コーラス・メロトロンやストリング・シンセサイザーが使われており、神聖で厳かな雰囲気があり、賛美歌風になっているのが素晴らしい。ゆったりとしていながら力強いドラミングで盛り上げており、最後まで夢心地に包まれながらアルバムを終えている。

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 本アルバムは当初500枚のプレスだったが、ボブはプロモーション用のレコードを数枚、ウィム・ファン・プッテンやスキップ・フォーフト、フリッツ・スピットといったオランダの著名なDJに積極的に送っている。するとDJたちがラジオ番組で紹介し、ボブのレコードショップの郵便受けに全国各地から何百通ものシンセサイザー好きからの手紙が殺到したという。その後、アルバムは何度か再リリースされ、最終的には約5,000枚を売り上げたと言われている。無名のオランダ人デュオがシンセサイザー音楽を演奏する自主制作盤としては異例である。これを機に次のアルバムの構想が生まれ、1982年にセカンドアルバム『After The Silence』をリリースしている。レネがメロトロンを使用し、ニック・ブレイザー(ヴァイオリン)、マーティン・クナープ(ベース)、カロリーン・クルル(フルート)、ロックオペラプロジェクト、エイリオンの主宰者であるアルイェン・アンソニー・ルカッセン(ギター、ベースペダル)といった幅広いゲストミュージシャンが参加したことで、音楽はシンフォニック・プログレに近いものとなったという。レーベルのWEAが流通を手配し、最初の500枚はすぐに完売。この売り上げを見たWEAはピタゴラスに対してサードアルバムの制作を求めたが、残念ながらこれは実現していない。その後、ピタゴラスはシンセサイザー奏者のピーター・ケルツと共に数回ステージに立ち、どこも満員という人気ぶりだったが、1984年にボブとルネはそれぞれの道に進むため解散することになる。解散後、ルネ・デ・ハーンはクラウド・ナインで演奏した後、美術アカデミーに進学。画家兼グラフィックデザイナーとして成功し、オランダのグループであるSjakoのカヴァーデザインを担当している。また、彼は1991年から1996年の間、THE BLUE MAN CANというグループに加入して活躍し、自身のレーベル「コレレイテッド・ミュージック」で活動しているという。一方のボブ・デ・ヨングは自身のレコードショップ「ムーンライト・レコード」のオーナーとして仕事しつつ、スタジオミュージシャンとして活躍。2000年代も多くのミュージシャンとの交流をしてきたボブだったが、残念ながら2011年12月7日に死去している。享年67歳だったという。ボブの死を受けて、2011年にルネ・デ・ハーンの創設したレーベルである「コレレイテッド・ミュージック」は、1983年から1985年のピタゴラスの音楽を「レコードコレクターの夢」としてリリースすることを決定。折りたたみ式のダブルLPサイズで、7、10、12インチのレコードと2枚のCDが収録され、オランダ限定500枚でリリースされたという。また、8年後の2019年にはルネ・デ・ハーン(シンセサイザー、メロトロン)、ロブ・ボトフ(シーケンサー)、ピーター・ワッセナール(ベース)、ジョシュア・サムソン(ドラムス、パーカッション)をフィーチャーしたCD『Live At Pulchri Presenting DNA Llja Walraven』をリリースしている。これは、オランダの画家兼彫刻家のイリヤ・ウォルラベンの新しいウェブサイトを記念し、彼の展示室でコンサートが行われた79分間のライヴ録音である。オールディーなシンセサイザー音楽から、インダストリアル、ダンス、ファンク、アンビエントまで様々なスタイルを融合させた音楽体験となっており、プログレッシヴなエレクトロニックミュージックとして高く評価されたという。

◆ピタゴラス『広大な未知への旅』アルバムジャケットPythagoras Journey To The Vast Unknown アルバムジャケットピタゴラス デュオ 1980年 広大な未知への旅ピタゴラス、広大な未知への旅、シンフォニックロック

 

ピタゴラス「広大な未知への旅」ジャケ写

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は1980年代初頭にマルチキーボードを前面に配したオランダのシンフォニックロックユニット、ピタゴラスのデビューアルバム『Journey To The Vast Unknown(広大な未知への旅)』を紹介しました。このアルバムは2009年に韓国のレーベルであるMedia Arteによって初のCD化が果たされていますが、ピタゴラスはオランダの無名のグループであり、本作品は自主制作盤のプログレでありながら、異例ともいえる約5,000枚を売り上げています。当初2人は自主制作盤でリリースしようと決めていたらしく、売り上げも全く期待してなかったそうです。それは自分たちの好きなシンセサイザーミュージックを演奏し、それを自分たちの手でレコーディングしたことで十分満足だったからです。しかし、オランダにはプログレファンが根強く存在しており、ラジオDJの紹介も相まって、全国各地から何百通ものシンセサイザー好きからの手紙が届くことになります。これがきっかけで2人は大手レーベルのWEAと契約を結ぶことができ、セカンドアルバムのリリースに繋がることになります。ただし、結果として知名度がアップしてしまったことで、若いルネ・デ・ハーンは自分の可能性を広げるためにボブと袂を分かつことになります。ちなみにピタゴラスは2枚のアルバムを残していますが、どちらもシンセサイザー音楽の隠れた逸品とされています。特にセカンドアルバムはシンフォニック・プログレの傑作と呼ばれており、2008年にベル・アンティークからCD盤がリイシューされているそうです。セカンドアルバムについては、個人的に好みでもあり別の機会に紹介したいと思っています。

 さて、そんなピタゴラスのアルバムですが、ルネの支配的なシンセサイザーとシーケンサーが中心となったインストゥルメンタル曲であり、繊細でどこか力強さのあるボブのドラミングが印象的な作品となっています。キーボードは分かる範囲でストリング・シンセサイザーやムーグ・シンセサイザー、オルガン、コーラス・メロトロン、ピアノが使われています。曲自体は非常にシンプルですが、メロディと雰囲気を重視したシンフォニック・プログレといった感じで、クラウス・シュルツェのアルバム『Moondawn』ほどロックではなく、タンジェリン・ドリームほど難解さも無く、全体的に心地よいサウンドに仕上げています。劇的な展開や緩急のある曲の流れはほとんどなく、ゆったりとしたシンセサイザーの音色が続いており、正直言って夢心地なサウンドと言っても過言ではありません。個人的には一瞬、物足りなさを感じてしまいますが、自主制作盤とは思えない独特の透明感や清廉さがあり、雰囲気を重視したシンセサイザーミュージックとしては一級品であり、多くのシンセマニアが注目したのも少しだけ分かる気がします。

 本アルバムは口コミと深夜のカルトラジオを通じて火が付いた、オランダ産のシンフォニック・プログレの幻の1枚とされてきた作品です。そのゆったりとしたシンセサイザーとシーケンサーで織り成した独特の世界をぜひ一度聴いてみてほしいです。

それではまたっ!
 

 

Plampのアルバムジャケット:叙情的なシンフォニックロック

Plamp/...Und Überhaupt...
プランプ/…そして、とにかく…
1978年リリース
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デリケートで気品高く歌心にあふれた
ユーロシンフォの隠れた傑作
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 エイリアンで有名なイラストレーター、H.R.ギーガーの出身地でもあるスイスのクールのプログレッシヴロックグループ、プランプの唯一作。そのアルバムはフルートやサックス、リコーダー、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなどが美しく交わりながら織り成すクラシカルなシンフォニックロックとなっており、さらに柔らかなタッチのエレクトリックピアノやオルガン、そして泣きのフレーズを主とするギターなどもあり、とにかく気品高く優美な作品に仕上げている。当時は自主制作盤としてリリースされたが、そのカンタベリージャズやフォークロックを巧みにミックスした明るい側面のサウンドは、アイランズやサーカスとは対照的なスイスプログレの隠れた傑作として現在高く評価されている。

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 プランプは1975年にスイスのグラウビュンデン州の北部に位置する州都クールで結成されたグループである。メンバーはマリオ・ジョヴァノリ(フルート、サックス、ヴォーカル)、ピーター・トンツ(ギター、ヴォーカル)、ピーター・シュトレイフ(ハモンドオルガン、ピアノ、ヴォーカル)、ルイス・シュトレイフ(ドラムス、ヴォーカル)、アンドレア・トーニー(ベース、ヴォーカル)の5人であり、彼らは元々、クールで活動する様々なグループを渡り歩いてきたミュージシャンである。その中でシュトレイフ兄弟は以前からアイランズやサーカス、デーモン・トールといったプログレッシヴなサウンドに興味を持っており、同郷のマリオ・ジョヴァノリやピーター・トンツ、アンドレア・トーニーに声をかけて5人編成のグループを結成している。グループ名は彼らはそれぞれのファーストネームの頭文字から採った「Plamp」と決め、後にシュトレイフ兄弟はスウェーデンの国民的なグループ、ABBAに倣ったと公言している。彼らはクールを拠点にドイツ語圏のグラウビュンデン地方を中心に活動。当初彼らはジャズロックを中心とした演奏をしており、主に英国のカンタベリーミュージックに傾倒していたとされている。これは英国に端を発したパンク/ニューウェーヴがヨーロッパ全土に波及しており、プログレッシヴな音楽は1975年を境に淘汰されつつあったからである。しかし、そのジャズロックですら市場から締め出されるようになり、彼らはフォークロックやシンフォニックロックといったジャンルを加味したサウンドでしのぐようになったという。1978年9月になると彼らはアルバム用のレコーディングに向けて動き出し、スイスのリンダウのフォナーグ・スタジオに入っている。その時にヴォーカル兼チェリストのフォルトゥナート・フローリッヒとヴォーカル兼ギタリストのマルク・ケラーを加えている。フローリッヒはクールで生まれ育ち、幼い頃にチェロを学び、その後チューリッヒやナポリ、ライプツィヒの音楽院で学んでおり、クラシックに精通したミュージシャンである。フローリッヒが参加したことにより、これまでジャズロックの要素が強かったサウンドが、よりクラシカルな要素になっていったという。プロデューサーにはスイスのジャズピアニストで著名なリトル・フリッツ・トリッペルが担当し、彼の計らいでトーマス・バルフス(アルトサックス)、サイモン・シュネラー(ソプラノサックス)、トニ・シェードラー(テナーサックス)の3人がゲストとして参加している。こうして7曲約40分のアルバムが完成し、彼らは自主レーベルを立ち上げ、英語で「…And Anyway…」を意味する『…そして、それから…』が、1978年にリリースされる。

★曲目★
01.Streiffzug(パトロール)
02.Schwälbali(ツバメの雛)
03.Arwen(アルウェン)
04.Serum(血清)
05.Arcas(アルカス)
06.Behind(後ろに)
07.Luzern(都市ルツェルン)

 アルバムの1曲目の『パトロール』は、軽快なギターとリズム上で伸びやかなフルートの音色が印象的な楽曲。後に曲調がチェロをはじめとする弦楽器による優雅なシンフォニック調となり、さらにエレクトリックピアノや金管楽器によるジャズロックになるといった三段構えの曲となっている。2曲目の『ツバメの雛』は7分を越える大曲であり、ヴィオラやチェロ、サックス、ギターによるジャズロックとなっており、エレクトリックピアノがアクセントとなった素敵な楽曲。中盤から穏やかなヴォーカルや歌うようなフルートがあり、どこか切なくも気品あふれるサウンドに思わず心が奪われてしまう。3曲目の『アルウェン』は10分の大曲であり、語りから始まり、エコーのかかった美しいフルートやサックスの音色が印象的なヴォーカル曲である。この曲は『指輪物語』の登場人物であるアルウェン・ウンドーミエルのことを歌った曲であることが分かる。力強いコーラスやピアノをはじめクラシカルな演出が多い。4曲目の『血清』は、サックスとギター、エレクトリックピアノによるサイケデリックな要素のあるジャズロック。手数の多いドラミングに速弾きもあるギターのソロ展開がメインだが、オルガンやフルートも登場するなど多彩なアンサンブルが魅力的である。5曲目の『アルカス』は11分を越える大曲であり、ギリシア神話に登場するリュカーオーンの娘カリストーとゼウスの子のことであり、星座の大熊座の由来とされた人物の曲。ピアノやチェロ、そしてフルートによる激しいオープニングから優雅なフルートやオルガンを中心とした室内楽曲。後にハモンドオルガンによるソロがあり、クラシカルなプログレッシヴ曲に変化するが、4分過ぎにマイク・ケラーによるシアトリカルなヴォーカルが印象的である。後半には畳みかけるようなギタープレイやドラミングが素晴らしい。6曲目の『後ろに』は、リリカルなピアノとヴァイオリン、そしてフルートによるアンサンブル。そして抒情的なアコースティックギターとピアノをバックに歌うフォーク調のヴォーカル、そして荘厳なオルガンが鳴り響くなど緩急を極めた曲調が面白い。7曲目の『都市ルツェルン』は、サックスとオルガンを中心としたカンタベリー風の楽曲。サイケデリックなフルートとギターのソロがあり、グルーヴ感のあるアンサンブルを披露している。

◆

 本アルバムはカセットとレコードの両方でリリースされたが、自主制作盤だったことからプレスした枚数は少なかったという。彼らはその後も地元のクールでアルバム曲を演奏していたが、間もなく解散し、それぞれ独自の道に進んでいる。解散後、ベーシストのアンドレア・トーニーとドラムスのルイス・シュトレイフ、そしてギタリストのピーター・トンツは、スイスのシンガーソングライターであるポーリン・ヌオトクラのバックバンドのメンバーとなり、彼の1984年のアルバム『ムーヴァット』に参加している。フルート兼サックス奏者のマリオ・ジョヴァノリは、スイスの女性歌手ラ・ルーパやシンガーソングライターのウォルター・リータといったミュージシャンのアルバムに参加するセッションミュージシャンとして活躍。チェリストのフォルトゥナート・フローリッヒは、クラシック音楽とフリージャズなど、さまざまなスタイルを融合した作曲家として活動を開始し、2000年に50分に及ぶ合唱曲である宗教的な礼拝組曲『ミサヴェルデ』を作曲するなど、スイスを代表する作曲家となっている。本アルバムはリリース後すぐに廃盤となって埋もれていたが、40年後の2018年にドイツの再発レーベルであるペイズリー・プレスによって発掘され、初のCD化を果たしている。

◆Plampのユーロシンフォ名盤「…Und Überhaupt…」ジャケットPlampバンドと機材、1978年Plamp メンバー写真:ギーガー出身地クール出身バンド

 

Plampのアルバムジャケットを持つアニメキャラクター

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はスイスの隠れシンフォニックロックの1枚として最近話題となったプランプの唯一作『…そして、とにかく…』を紹介しました。このアルバムは2018年に初のCDデジタルリマスター化されたペイズリー・プレス盤で陽の目を見た作品ですが、プログレファンのあいだでも知る人ぞ知るユーロ・シンフォの傑作とされています。しかし、結成が1975年でアルバムのリリースが1978年だったこともあり、ちょうどパンク/ニューウェーヴがヨーロッパで席巻していた頃です。彼らも他のプログレグループと同じように淘汰されつつあり、自分たちの音楽が市場に受け入れられないことに苦悩する経験をします。最終的にCanovaという自主レーベルを設立してリリースすることになりますが、次の再販まで約40年の月日ものあいだ眠り続けることになります。後にスイスのリンダウのフォナーグ・スタジオに本アルバムのマスターテープが奇跡的に残っていたらしく、それを発掘してCDデジタルリマスター化したそうです。形はどうであれ、埋もれなくて良かったと今さらながら痛感しております。

 さて、そんな本アルバムですが、聴いての通り、オルガンやピアノ、ギター、リズムセクションといった基本楽器に、フルートやサックス、リコーダー、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが織り成す楽曲となっています。彼らのキーボードやサックス、フルートを含む拡張された楽器編成によって示唆されるように、幅広いインスピレーションを含む長いインストゥルメンタル部分と穏やかで伸びやかなヴォーカルが特徴ですが、その中にグルーヴ感やフォークの雰囲気を持ったサイケデリックなブレイク、そしてジャジーなバックグラウンドを持った小さなジャムがあるなど、古風ながらアレンジの優れた曲が多いことに気が付きます。ジャズロックやシンフォニックプログレ、フォークの要素を取り入れたスローとアップテンポの展開は、同国のアイランズやサーカスといったプログレグループとは異なり、より明るい雰囲気を創り出していると思います。フルートの音色が多いことから個人的にはドイツのプログレグループ、ルソーを思い出しますが、こちらの方が牧歌的な雰囲気とプログレッシヴな要素を巧く融合しており、確かに隠れた傑作と呼ばれるのも頷けます。

 本アルバムはジャズロックやシンフォニックロック、そしてフォークを融合し、ひたすら気品高く優美なフレーズを紡いだ「歌心」にあふれた作品です。スイスの自然情景をそのまま音に置き換えたような美しいアレンジに、ぜひ耳を傾けてほしいです。

それではまたっ!
 

マッデン・アンド・ハリス アルバム「フールズ・パラダイス」アートワーク

Madden And Harris/Fools Paradise
マッデン・アンド・ハリス/フールズ・パラダイス
1975年リリース
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メロトロンを多用した幽玄なる
フォーク系シンフォニックロック
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 マルチ楽器奏者のピーター・ハリスとデヴィッド・マッデンのデュオによるオーストラリアのフォーク系プログレッシヴロックグループ、マッデン・アンド・ハリスの唯一作。そのアルバムはアコースティック楽器を中心とした幽玄で繊細なフォークロックでありながら、メロトロンやヴィンテージキーボード、ストリングスの使用をはじめ、さらには組曲仕立ての楽曲があるなどプログレッシヴな要素を持ち合わせたサイケデリックフォークの傑作とまで言われた逸品。わずか500枚の自主制作盤だが、そのドリーミーなヴォーカルと甘く内省的で叙情性に満ちたメロディは英国フォークロックに肩を並べるほど存在感があり、今でもアシッド・フォーク・ファンからの高い人気を誇っている。

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 マッデン・アンド・ハリスは、マルチ楽器奏者のピーター・ハリスと彼の元教え子であるデヴィッド・マッデンによって、1972年にオーストラリアのシドニーで結成されたデュオである。ピーター・ハリスはシドニー音楽院の出身で、サックスやピアノ、シンセサイザー、ヴァイオリン、ハープ、ギター、マンドリン、ファゴットといった多彩な楽器を学び、卒業後は音楽教師となって主にギターを教えていたという。そんな中、ハリスの教え子の中に地元のマイナーなミュージシャンであったデヴィッド・マッデンの姿があり、彼は1970年頃からアコースティックギターを学びに訪れていたと言われている。元々、シンガーソングライターを目指していたマッデンは、すぐにギターの腕を上げ、さらにハリスからヴォーカルやベースギターも学んだという。マッデンはギターをマスターし、師事していたハリスの元を離れるが、ハリス側からマッデンに対してデュオを組まないかと打診され、1972年にマッデン・アンド・ハリスが誕生する。彼らの目指す音楽はデヴィッド・マッデンが持つニック・ドレイクやメロウ・キャンドルといった英国のフォーク・アクトの流れを汲んだサウンドと、マルチ楽器奏者であるピーター・ハリスのメロトロンやチェンバロといったヴィンテージキーボードをはじめとする多彩な楽器を利用したクラシック、ジャズをベースにした音楽を融合したプログレッシヴなフォークロックである。そんな音楽は当時、ブルースやポップス、ブギーといったトレンドが主流だったオーストラリアにおいて相容れない音楽であったという。彼らはまず最初にアルバート・ミュージック・レーベルから、1974年にデビューシングル『リメンバー・ミー』をリリースしている。このシングルは英国のフォークロックとプログレッシヴロックの両方から大きな影響を受けた穏やかなフォークロックと評され、多くの音楽関係者から高く評価されたという。シングルで注目された2人は、1974年9月と11月の2回、ABCテレビの人気音楽番組GTKに出演している。その後、セッションミュージシャンのポール・ベイカー(ベース)、ニック・チャーキン、ダグ・ギャラガー、ロス・リグノル(ドラムス)を迎えて、シドニーのスタジオ310に入ってレコーディングを行っている。組曲を加えた8曲が録音したが、自分たちのアルバムをリリースしてくれるレコード会社を探したものの見つからず、1975年に最終的にマッデン・アンド・ハリス名義で設立したジャスミン・レコードから『フールズ・パラダイス』というタイトルでリリースされることになる。

【曲目】
01.Wishes(願い事)
02.Fools Paradise Part 2(フールズ・パラダイス・パート2)
03.The Wind At Eve(イヴの風)
04.Margaret O'Grady(マーガレット・オグラディ)
05.I Heard A Man Say(ある男がこう言っているのを私は聞いた)
06.O Weary Brain(おお疲れた脳よ)
07.Cool September(涼しい9月)
08.Fools Paradise(フールズ・パラダイス)
 a.Children Of Ice(氷の子供たち)
 b.Will You Be There(ウィル・ユー・ビー・ゼア)
 c.E.I.E.I.O.(イー・アイ・イー・アイ・オー)
 d.End Game(ゲームの終わり)

 アルバムの1曲目の『願い事』は、チェロやハープ、アコースティックギターの伴奏によるバート・ヤンシュ風のドラマティックな響きのあるフォーク曲。2人がヴォーカルを担当し、曲が展開するにつれてチェロのドローンやメロトロンの響きがあり、深淵な世界を構築している。2曲目の『フールズ・パラダイス・パート2』は、シンセサイザーをバックにした1960年代風のメロウなポップ曲。タイトなリズムセクションに牧歌的なメロディに包まれた英国風のサウンドといえる。3曲目の『イヴの風』は、荘厳なメロトロンとアコースティックギターで満たされたアンビエント・フォーク曲。2人のシンガーがメランコリックなラインを交わし、メロトロンの響きはまるで初期のキング・クリムゾンを彷彿とさせる。4曲目の『マーガレット・オグラディ』は、軽快な酒場風のピアノの伴奏によるヴォーカル曲。アルバムのプロモーション用として作成された曲であるためか、メロディアスながら少し浮いた感じになっている。5曲目の『ある男がこう言っているのを私は聞いた』は、流れるようなアコースティックギターのアルペジオをバックにした典型的なフォークロック。2分という短い曲だが、フルートの響きがあり、非常に牧歌的に仕上げている。6曲目の『おお疲れた脳よ』は、こちらも軽快なオルガンとアコースティックギターによるポップ曲。陶酔感のあるサイケデリックな一面やチャーチオルガンがあるものの、繊細なリズムセクションに支えられたプログレッシヴな要素のある楽曲である。7曲目の『涼しい9月』は1分30秒ほどの短い曲だが、オルガンとアコースティックギターによる穏やかなフォークロック。中世風の響きを持っており、非常にクラシカルな雰囲気にさせてくれる。8曲目の『フールズ・パラダイス』は、4つの楽章による組曲となっており、20分以上のレコードでいうB面を全て使った楽曲である。『氷の子供たち』は、ギターのアルペジオに乗せた子供たちの静かなコーラスから始まり、やがて力強いコーラスに変化していく。最後はリズムセクションが加わり、7分を越える『ウィル・ユー・ビー・ゼア』となる。子供のコーラスはそのまま続き、ピアノやベース、そしてエレクトリックギターが加わり、ヴォーカルの合間に高揚感のあるファズのかかったソロを奏でてくれる。3分過ぎには渦巻くようなハリスのオルガンソロとなり、再度、ピアノやベース、ドラムス上で、ファズのかかったギターソロが展開する。『E.I.E.I.O.』は、不協和音のアコースティックギターのアルペジオから始まり、流麗なベースライン、そしてファゴット、グロッケンシュピールが加わった独特な楽曲。『ゲームの終わり』は7分を越える楽曲であり、不気味なシンセサイザーの響きからヘヴィなベースラインが印象的な楽曲。後にストリングメロトロンの回転で始まり、バリトンサックスやアコースティックギターのアルペジオ上で、2人の優しいヴォーカルとなって終えている。

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 アルバムは500枚しかプレスできなかった自主制作盤だったが、フォークロックやプログレッシヴロックファンから高く評価されたという。2人はシドニーのクラブやバーで演奏を続けたが、アルバムをリリースして半年も経たないうちに解散している。ピーター・ハリスは同年にソロアルバム『ルビー』をリリースし、当時、音楽プレゼンターのジョーディとデヴィッド・キルビーは、ラジオ番組「バック・トゥ・ヴァイナル」でアルバム『ルビー』をレビューし、「プログレッシヴフォーク・サウンドとシンセサイザーをミックスしており、当時オーストラリアで作られていた他のどのレコードとも異なる」と評している。ハリスはその後、テレビ番組の作曲や教育に多くの時間を費やし、現在でも音楽教師として多くのミュージシャンを育てているという。デヴィッド・マッデンはスタジオミュージシャン&セッションミュージシャンとして活躍し、後に女性フォーク歌手のフィル・ロブルの1980年のアルバム『ブロードメドウ・アザミ』でアコースティックギタリストとして参加している。彼らのアルバムはすぐに廃盤となってしまったが、1994年に世界中の希少なレコードやCD、音楽関連のグッズを取り扱うレーベル、Vicious Sloth Collectablesによって音源が発掘され、初のCD化が実現している。その後はイタリアやスペイン、韓国などの国でリリースされており、日本では2003年にマーキー・インコーポレイティドよりリマスターCD化されている。

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マッデン・アンド・ハリス「フールズ・パラダイス」ジャケットフールズ・パラダイス、馬に乗る女性と風景マッデン・アンド・ハリス、フォークロックグループ

 

マッデン・アンド・ハリス フールズ・パラダイス アルバム

 皆さんこんにちはそしてこんばんはです。今回はオーストラリアの先生と教え子という2人のマルチ楽器奏者によるプログレッシヴフォークロックグループ、マッデン・アンド・ハリスの唯一作『フールズ・パラダイス』を紹介しました。この作品はアシッド・フォークやプログレッシヴロックの両方のファンから高く評価されている逸品であり、今でもオーストラリアの隠れた傑作の1枚とされています。とにかくアコースティック楽器をメインとした繊細で幽玄な英国風のフォークロックでありながら、メロトロンやチェンバロ、オルガンといったヴィンテージキーボードを多く利用しており、初期のキング・クリムゾンを彷彿とさせるプログレッシヴな要素が垣間見えるサウンドが大きなポイントと言っても過言ではないです。オーストラリアでは1975年にプログレッシヴロックの偉大なるグループ、セバスチャン・ハーディーのアルバム『哀愁の南十字星』がリリースされますが、マッデン・アンド・ハリスのアルバムは当時、どのフォークグループやポップグループにも属さない独自性があり、英米のフォークの名品と比べても唯一無二の存在感を放っています。しかし、彼らのプログレッシヴなフォークサウンドは、評論家のあいだでは高く評価されたものの、地元の音楽シーンで主流だったポップ、ブルース、ブギーといったトレンドとは相いれないものであり、多くの地元のレコード会社が彼らの獲得に動かなかったと言われています。そのため、2人はマッデン・アンド・ハリス名義で自主レーベルを設立して、わずか500枚という少ないプレスでリリースすることになります。今でこそ本アルバムはアシッド・サイケ・フォークの名品と呼ばれることになりますが、リリース当初は誰も見向きもされないドマイナーな作品だったということになります。今さらながらホントに埋もれなくて良かったと思っています。

 さて、そんな本アルバムですが、上記にある通り、英国のフォークロックに影響されていますが、16世紀の室内楽の響きと軽快なジャズの影響を受けたブレイクの中間にあるサウンドになっています。これはサックスやメロトロン、チェンバロ、オルガン、ヴァイオリン、ハープ、ギター、マンドリン、ストリングスといった多彩な楽器を演奏するピーター・ハリスの存在が楽曲に大きく影響を与えており、単なるフォークロックにとどまらない起伏のあるシンフォニックロックになっている感じがします。また、2人のヴォーカルも甘美であり、やや内省的で叙情性に満ちたメロディも素敵です。この辺りはフォークロックというジャンルを見据えた楽曲なのだろうと思いますが、6曲目の『おお疲れた脳よ』や最後の『フールズ・パラダイス』の組曲は、明らかにフォークロックに当てはめることは出来ず、ピアノとファズギターはキャラヴァンをはじめとしたカンタベリーミュージックのようです。個人的にはフォークの牧歌性とプログレの神秘性が巧くアルバムの中に落とし込まれたフォークプログレの傑作だと思っています。

 本アルバムはバート・ヤンシュやメロウ・キャンドルといった英米のフォーク要素と、キング・クリムゾンやキャラヴァン、ピンク・フロイドのようなプログレ要素のある独自性の強い作品です。心温まるアコースティックギターとベースのライン、そしてピアノやメロトロンをはじめとするヴィンテージキーボードが織り成したオーストラリアのアシッド・フォーク・プログレをぜひ堪能してみてください。

それではまたっ!
 

 

 

 

メモリアンス うたかたの日々 ボリス・ヴィアン アルバムアート

Mémoriance/L'Écume Des Jours
メモリアンス/うたかたの日々
1979年リリース
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シームレスに楽曲を繋ぎシアトリカルに
聴かせたフレンチシンフォの傑作
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 1970年代後半に活躍したフランスのシンフォニックロックグループ、メモリアンスが1979年に発表したセカンドアルバム。そのアルバムはタイトル通り20世紀フランスを代表する作家&詩人であるボリス・ヴィアンの前衛青春小説『日々の泡』を題材としたコンセプト作となっており、前作の大作指向から一転して小品ながらシームレスに楽曲を繋ぎつつ、シアトリカルに聴かせたスタイリッシュなシンフォニックロックとなっている。日本では1979年に「ユーロ・ロック・スーパー・コレクション」でいち早く紹介され、このアルバムでメモリアンスというグループを知ったプログレファンも多い。

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 メモリアンスはフランスの北西部の大西洋に臨む港湾に位置する都市ル・アーブルで、1970年初頭に結成したグループである。メンバーはジャン・フランソワ・ペリエ(キーボード)、ディディエ・ギヨーマ(ヴォーカル、ギター)、ジャン=ピエール・ブーレー(ヴォーカル、ギター)、ディディエ・ブッソン(ドラムス)、ミシェル・アゼ(ヴォーカル、ベース)の5人編成であり、テクニカルアドバイザーとしてクロード・ルタイレンテールがメンバーとして参加している。当初は英国のプロコル・ハルムやピンク・フロイドを中心としたブリティッシュ&サイケデリックロックに影響された楽曲を演奏していたが、アトールやアンジュ、カルぺ・ディアムといったグループが台頭してきたあたりから、本格的にプログレッシヴロックに傾倒していくことになる。地元のル・アーブルのクラブを中心にライヴ活動する傍ら、クラシックに精通しているジャン・フランソワ・ペリエを中心にオリジナル曲を書くようになり、レコード会社に送るためのデモテープを録音している。そのテープはアリオラ傘下のユーロディスクの目に留まり、1975年に契約。このユーロディスクとはドイツのクラシック専門のレコード会社であるアリオラが、他のジャンルを抱えるために1960年代にフランスに設立したレーベルであり、アトールと契約しているなど非常にプログレッシヴロックにも寛容なレーベルだったという。彼らはフランスのパリにあるStudio Gangに入り、プロデューサーにフランス映画音楽やフレンチポップのアーティストを手掛けたナップス・J・ラマルシュを迎えてレコーディングを開始。こうして1976年にデビューアルバムとなる『Et Après...(それから…)』をリリースされる。そのアルバムは10分以上の楽曲を含む4曲で構成されており、初期のアトールを想起させる繊細なギターとシンセサイザーを軸としたオリジナリティあふれるシンフォニックロックとなっている。その後、『トレーサー』と新たな曲『アイ・ドント・ノウ・エニモア』をカップリングしたシングルをリリースするが、商業的に芳しくなかったためレーベルとの契約は解除されている。この時にドラマーのディディエ・ブッソンが脱退。代わりにクリストフ・ブーランジェが加入し、さらに楽曲に厚みを持たせるためにキーボード奏者にパスカル・リジェを新たに加入させている。グループは3年のブランクを経て大手のフィリップスと契約することに成功し、1979年にセカンドアルバム『うたかたの日々』をリリースする。このアルバムはフランスの作家であるボリス・ヴィアンの1947年の小説『日々の泡(うたかたの日々)』をモチーフとしたコンセプトアルバムとなっており、大作指向だった前作とは打って変わり、15曲と言うコンパクトながらシームレスに楽曲をつないだスタイリッシュなシンフォニックロックとなっている。

★曲目★
01.Préface(序文)
02.Colin(コリン)
03.Une Fille Demain(明日の少女)
04.Chloé Et Colin(クロエとコリン)
05.Le Nuage Rose(ピンクの雲)
06.Chloé(クロエ)
07.Oui Oui Oui(はいはいはい)
08.Le Petit Tas De Neige(小さな雪山)
09.Une Femme Si Bête(なんて愚かな女だ)
10.Le Nénuphar(睡蓮)
11.Diagnostic(診断)
12.Renvoyé(返還)
13.La Chambre(部屋)
14.L'administration(管理)
15.Vers Une Ile(島に向かって)

 アルバムの1曲目の『序文』は、ギターとキーボードによる1分間のインストゥルメンタルのイントロになっており、ツインキーボードを最大限に活かした楽曲になっている。2曲目の『コリン』は、ポップなシンセサイザーをバックにしたシアトリカルなヴォーカルが印象的な楽曲。中盤ではメロウなギターソロが展開しており、手数が多いドラミングが素晴らしい。3曲目の『明日の少女』は、リリカルなピアノを中心とした楽曲。そこにギターやシンセサイザーが絡み、リズム隊によるハードロック調の展開となる。4曲目の『クロエとコリン』は、タイトなリズム上でピアノやギターがリードする楽曲。ギターソロやシンセサイザーによるリリシズムな展開にあふれていながら、非常にメロディアスな内容になっている。5曲目の『ピンクの雲』は、アコースティックギターをバックにしたフォーク調の楽曲。次第にシンセサイザーやエレクトリックギターが加わり、次第に重厚なシンフォニックロックとなっていく。6曲目の『クロエ』は、ギターやシンセサイザー、そしてリズムセクションが一体化したメロディアスなロック。繰り返し調のサウンドだが、高揚感のあるサウンドである。7曲目の『はいはいはい』は、チャーチ風のオルガンと教会の鐘の音、そして観客の声が入った神聖な楽曲。後にクラシカルなオルガンとギターによるアンサンブルとなるが最後は鐘の音とともにフェードアウトしていく。8曲目の『小さな雪山』は、リリカルなピアノを中心とした複数の楽器によるジャズ要素のある楽曲。後にオルガンとシンセサイザーによる浮遊感のあるサウンドとなり、後半には伸びのあるギターソロとピアノ、そしてシアトリカルなヴォーカルで終えている。9曲目の『なんて愚かな女だ』は、心地よいベース音とエレクトリックピアノ、そしてツインギターが冴えたジャズ要素の強い楽曲。そして脈打つようにビート化されたサウンド上で加工されたヴォーカルがうずまいている。10曲目の『睡蓮』は、シンセサイザーとピアノ、そしてコーラスによる1960年代風のビートポップを思わせる楽曲。美しい曲だがどこか物悲しく感じてしまう。11曲目の『診断』は、泣きのギターとキーボードによるやや暗い印象の強い楽曲。中盤からのヘヴィなギター音がさらにハードロック調に輪をかけている。後半は何かを告げているようなコーラス調のヴォーカルで終えている。12曲目の『返還』は、アップテンポなギタープレイからタイトなエレクトリックピアノやリズムセクションによる軽快なアンサンブルが特徴の楽曲。途中からはアグレッシヴなギターによるハードな展開があり、また、それに合わせたシアトリカルなヴォーカルが素晴らしい。13曲目の『部屋』
は、加工され、語るようなヴォーカルで構成された30秒ほどの楽曲。14曲目の『管理』は、リリカルなピアノとシンセサイザー、そして情感的なヴォーカルによる静寂にあふれた楽曲。最後はテープを逆回転したような音で終えている。15曲目の『島に向かって』は、クラシカルなピアノとシンセサイザー、そしてアコースティックギターによる天上のような美しいサウンドとなっている。リズムセクションが加わると重厚なシンフォニックロックとなり、美しいコーラスと共に未来に向けたような明朗なサウンドとなる。

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 本アルバムはハードロック的な要素とジャズ的な要素、そしてフランスらしいシアトリカルな要素を組み合わせたシンフォニックロックとなっており、その卓越したメロディセンスが高く評価されたアルバムとなっている。このアルバムでようやくグループが陽の目を見るようになったが、1981年にシングル『Sparadrap/Telephone』をリリース後、自然消滅に近い形で解散している。解散後のメンバーは特に所属したグループが無いことから、ほとんどはスタジオミュージシャンとなったか、または音楽業界から離れてしまったと思われる。時期が時期だけにプログレッシヴな音楽は淘汰されつつあったが、これだけ演奏能力が高いメンバーがいたにも関わらず、たった2枚のアルバムで消滅してしまったというのは残念である。本アルバムは大手フィリップスからのリリースだったこともあり、日本でもフォノグラムから「ユーロ・ロック・スーパー・コレクション」シリーズで紹介されており、本アルバムでメモリアンスの名が多くのプログレファンが知れ渡ることになる。なお、本アルバムは2022年にフランスのプログレ発掘レーベルのムゼアからCD化が実現している。

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メモリアンス うたかたの日々 アルバムジャケットメモリアンス「うたかたの日々」メンバー紹介メモリアンス、うたかたの日々バンド写真

 

メモリアンス うたかたの日々 アルバムジャケット

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は1970年代のアンジュやアトール、モナ・リザの伝統を受け継ぐフランスのプログレッシヴロックグループ、メモリアンスのセカンドアルバム『うたかたの日々』を紹介しました。メモリアンスはファーストアルバム『…それから』に次いで2枚目の紹介となります。ファーストアルバムはこれまでのシンフォニックプログレを踏襲した5つの大曲で構成されていましたが、本セカンドアルバムは20世紀フランスを代表する作家&詩人であるボリス・ヴィアンの前衛青春小説『日々の泡(別名:うたかたの日々)』を題材にしたコンセプトアルバムでありながら、短い15曲をシームレスに繋いだスタイリッシュなサウンドに仕上げています。1980年代を目前としながらも1970年代の遺伝子を受け継ぎ、フランスらしい気品とリリシズムに満ち、シアトリカルに聴かせるその卓越した演奏力とアレンジ力はさすがとしか言えません。本セカンドアルバムは名門フィリップスと契約できたことから、日本でもフォノグラムを通して「ユーロ・ロック・スーパー・コレクション」シリーズでいち早く紹介されることになります。このアルバムでメモリアンスはようやく陽の目を浴びることになりますが、1981年に自然消滅に近い形で解散してしまいます。フランスの数少ないシンフォニックロックの一翼を担うグループに成りえた可能性があっただけに残念で仕方がありません。

 さて、そんな彼らのセカンドアルバムですが、先に紹介したとおり、20世紀フランスを代表する作家&詩人であるボリス・ヴィアンの前衛青春小説を題材にしたコンセプトアルバムです。この小説は1947年に発刊されたもので、パリに暮らす若者たちを描いた青春小説ですが、現実にはありえない幻想的な出来事が頻発したり、SF的なアイテムが登場したりするなど、奔放なイマジネーションによって彩られた作品になっています。物語の主人公は22歳の青年コランであり、後にコランの恋人で結婚することになるクロエという人物が登場します。しかし、クロエは肺の中に睡蓮の蕾ができる奇病にかかり、やがてクロエは衰弱して死んでしまい、その後、コランは毎日岸辺で水の中をのぞきこんで過ごすようになるという不思議な物語になっています。アルバムの曲は物語の流れに沿って、まさにシアトリカル風な演出を加味しながら進行して行くことになります。物語がクロエの病気と死を含んでいるため、全体的に物悲しい雰囲気に包まれたサウンドが多いですが、ピアノが奏でられればクラシカルな展開になり、流暢なベースやエレクトリックピアノがあればジャズロック調となり、さらにヘヴィなギターソロやパワフルなドラミングとなればハードロック調となり、重厚なシンセサイザーが響けばシンフォニック調となるなど、曲ごとに変幻自在に演奏する彼らのテクニックには素晴らしいものがあります。その中でもやはりフランスならではのシアトリカルなヴォーカルが、本コンセプトアルバムに彩りを与えており、ロマンティズムですら感じます。

 本アルバムはフランスのプログレッシヴロックを継承しつつも、奥ゆかしく抒情性に満ちたユーロロックの逸品です。彼らの気品とリリシズムに満ちた楽曲と展開をぜひとも味わって欲しいです。

それではまたっ!
 

 

 

プログレス2『宇宙との対話』アルバムカバー

Progres 2/Dialog S Vesmírem
プログレス2/宇宙との対話
1980年リリース
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宇宙的なスケール感で演出する
テクニカルシンフォの名盤
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 1968年結成のプログレス・オーガニゼーション、バルノダイを経て改名してリリースされた、旧チェコスロバキアのプログレッシヴロックグループ、プログレス2の事実上のサードアルバム。そのアルバムはイエスの『危機』を彷彿とさせる演奏に、壮大なシンセサイザーによる宇宙的なスケール感で演出したテクニカル・シンフォニックロックの名盤となっている。元々はチェコスロバキア初のロックオペラとなる大規模なオーディオビジュアル作品である『Dialog S Vesmírem』の制作のために集まったプロジェクト的なグループだったが、その後もロックオペラをメインに制作を続け、2000年代まで活動を続けたチェコを代表する国民的なロックグループでもある。

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 プログレス2は、現チェコ共和国の南モラヴィア地方にある都市ブルノ出身のメンバーによって結成されたアートロックグループであり、元々は1968年に結成したプログレス・オーガニゼーションに遡る。当時のメンバーはズデニェク・クルカ(ドラムス)、パヴェル・ヴァーニェ(ギター)、ヤン・ソホル(キーボード)、そしてギリシャ人のエマヌエル・シデリディス(ベース)の4人である。彼らは主にザ・ビートルズやクリーム、ヴァニラ・ファッジ、ピンク・フロイドなどのグループから影響を受けた演奏をしていたという。 彼らは1969年6月にはブルノのクラーロヴォ・ポーレ屋内のアリーナでビーチ・ボーイズの前座を務め、1970年には3曲入りEP『Klíč K Poznání(知識への鍵)』をリリースする人気ぶりだったが、1969年にチェコスロバキアのプラハの春改革以前の状態への回復と、その後の新たな現状維持による「正常化」という社会主義国家の圧力のため、グループは解散することになる。しかし、1971年に再度メンバーが集結し、フルアルバム『Barnodaj(バルノダイ)』をリリースしている。その後、クルカとソホル、シデリディスの3人は、ポップデュオのマルタ&テナのバックバンドであるアレシュ・シグムンド・グループで演奏し、ギタリストのヴァーニェはスロバキアのプログレッシヴロックグループのコレギウム・ムジクムとアトランティスで短期間演奏したという。ヴァーニェは1972年にアレシュ・シグムンド・グループに加入したが、その頃にはクルカとソホルは脱退しており、シデリディスに至っては最終的に祖国のギリシャに帰国したとされている。クルカとソホルの2人は1972年にヤン・ソホル・グループを結成し、シンガーソングライターのボブ・フリドルのバックバンドを務めたという。そして2年後の1974年にベーシストのパヴェル・ペルツが加入し、いくつかのグループを渡り歩いていたギタリストのパヴェル・ヴァーニェもグループに復帰。彼らは1977年に再び作曲を始め、1978年にバルノダイという名義でアルバム『Mauglí(モーグリ)』をリリースしている。

 アルバム『Mauglí(モーグリ)』のレコーディング中に、クルカとヴァーニェ、ペルツはキーボード奏者のカレル・ホルキーとギター奏者のミロシュ・モラヴェクをメンバーに加え、プログレス2という名義でロックオペラ 『Dialog S Vesmírem(宇宙との対話)』の制作に取り掛かっている。当時バルノダイという名で活動していた彼らは、コンサートで映像や様々な事前録画されたシーケンスを投影するオーディオビジュアルプロジェクトを推進していたという。その時、彼らのマネージャーであるオスカー・マンは、SF文学の愛好家であり、地球上の物質主義社会から自分を解放しようとし、そして無限の宇宙に逃避を求める男の物語を創作。彼らはこの物語に同意し、メンバーは物語に合わせて曲を書き、オスカー・マンがそれに独自の歌詞を加えたという。彼らはグループ名をプログレス2に改名し、チェコスロバキア初のロックオペラを演奏するプロジェクトグループとして認知されるようになる。このロックオペラは1978年2月27日にブルノ展示場劇場で初演され、チェコスロバキア全土で1980年までに350回の再演を企画していたが、キーボード奏者のカレル・ホルキーは大学で学ぶために1979年に脱退。コンサートでの重要なキーボードパートは、ベーシストのペルツが引き継いだが、1979年から始まったアルバム用のスタジオレコーディングには参加している。こうしてレコーディングはコンサートの合間に行われて時間がかかったものの、最終的に1980年にリリースされる。そのアルバムはイエスの『危機』を彷彿とさせる演奏に、壮大なシンセサイザーによる宇宙的なスケール感で演出したテクニカル・シンフォニックロックの傑作となっており、東欧プログレ屈指の1枚となっている。

★曲目★
01.V Zajetí Počítačů(コンピューターの束縛)
02.Země 2555(地球 2555年)
03.Píseň O Jablku(リンゴの歌)
04.Odlet(出発)
05.Planeta Hieronyma Bosche I(惑星ヒエロニムス・ボスⅠ)
06.Planeta Hieronyma Bosche II(惑星ヒエロニムス・ボスⅡ)
07.Tisíce Mých Očí(数千の眼)
08.Hymna Robotů(聖歌を歌うロボット)

 アルバム1曲目の『コンピューターの束縛』は、パヴェル・ヴァーニェの華麗なる高速ギタープレイから始まり、的確に刻んだベースとドラムス、そして大胆ともいえるキーボードが印象的な楽曲。イエスやジェントル・ジャイアントの影響を受けたと思われる仕掛けや変拍子の多いプログレ的な表現が盛り込まれている。2曲目の『地球 2555年』は、チェコ語で歌うパヴェル・ペルツのヴォーカルとパヴェル・ヴァーニェのヘヴィなギターから始まる楽曲。癖のあるブルージーなギターとヴォーカルだが、意外とキャッチーな曲になっており、ここでも非常に太いベースが印象的である。3曲目の『リンゴの歌』は9分を越える大曲になっており、シンセサイザーによるスペーシーなイントロから始まる楽曲。最もスペースオペラな雰囲気のあるサウンドになっており、穏やかなギターやヴォーカル、そしてベースが際立っている。3分30秒からのフルートやストリングス、ミニモーグによる美しいアンサンブルがあり、これまでのサイケデリックな要素と多くのクラシック音楽のインスピレーションを巧みに加味してアレンジしている。6分以降のうなるベースやギターソロ、そしてチェンバロ風キーボードによるジャズロック的な演奏は聴き応え十分である。4曲目の『出発』は、シンセサイザーによる壮大なイントロから始まり、キャッチーなメロディによるアップテンポな内容に変化する楽曲。スペイシーなキーボードやコーラスの効いたヴォーカル、そして何よりも後半のミニモーグやギターによるパワフルでダイナミックな展開に驚いてしまう。5曲目の『惑星ヒエロニムス・ボスⅠ』は、マハヴィシュヌ・オーケストラを思わせるようなイントロから始まる楽曲。ヘヴィなギターや荘厳なシンセサイザーが印象的だが、2分過ぎからヴォーカルが加わるとキャッチーなロックサウンドとなる。6曲目の『惑星ヒエロニムス・ボスⅡ』は6分を越える曲であり、降り注ぐようなシンセサイザーの響きから地響きのようなベースが加わったハードロック的なサウンドとなる楽曲。3分過ぎのヴァーニェのギターソロは必聴である。7曲目の『数千の眼』は、重厚なベースと荘厳なシンセサイザーをバックにしたヘヴィな楽曲となっており、穏やかなヴォーカルパートとの対比となっている。後半の飲み込まれるようなキーボード音とうなるベース、力強いドラミングによるアンサンブルが素晴らしい。8曲目の『聖歌を歌うロボット』は、エコーのかかったドラムソロから始まり、独創的なベース音、囁くようなヴォーカルによるサイケデリックな楽曲。コミカルなイメージがあるものの、ダイナミックなギタープレイが終始展開している。

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 元々ロックオペラの『Dialog S Vesmírem(宇宙との対話)』は、17の楽曲で構成されていたが、アルバム用に8曲に絞っており、アルバムは「ロックオペラの断面図」と評されたという。最初の6曲はプロジェクトの連続したオープニング部分を形成し、残りの2曲は元々ロックオペラの後半部分となっている。また、歌詞の一部は薬物やキリスト教をテーマにしたものがあり、当時の体制にとって問題だった歌詞の一部を修正しているという。同年にはアルバムを補完するSPとEPがリリースされたが、コンサートパフォーマンスからの曲の一部は全くリリースされなかったとされている。プログレス2は今後のプロジェクトについて意見の相違を経験し、最終的にヴァーニェが脱退することになり、彼はブロンズというグループを結成することになる。その後、キーボード奏者のロマン・ドラグーンが加わり、次のロックオペラの制作を開始している。この『Třetí Kniha Džunglí (英題:ザ・サード・ブック・オヴ・ジャングル)』というタイトルのロックオペラは1981年に初演され、1982年にアルバムとしてリリースしている。1983年になるとモラヴェクとドラグーンは、Futurumというグループを結成するために脱退。代わりにギタリストのアレシュ・バイガーとピーター・ペタライがメンバーとなり、このラインナップでソ連の作家であるアナトリー・ドニプロフの短編小説を基にしたロックオペラ『Mozek(脳)』の制作を開始している。1985年にはギタリストのピーター・ペテライが脱退し、キーボード奏者のミラン・ニトラが後任として加入。1987年にアルバム『Změna!』をリリースしたが、バジャーとペルツが脱退を表明し、オリジナルメンバーとして残ったのはドラマーのズデニェク・クルカだけとなる。これを機にギタリストのミレク・ソヴァ、ベーシストのダリボル・ドゥノフスキー、そしてヴォーカリストのパヴラ・ドヴォラチコヴァを加え、プログレス・ポクロクと改名。彼らは「オトラヴァ・クルヴェ」というタイトルの新プロジェクトに取り組み始め、1988年から1989年までStBの監督下で演奏している。1990年に同名のアルバムをリリースしたが、その後、グループは活動を停止することになる。1992年にはクルカ、ヴァーニェ、ペルツに加え、新ギタリストのイヴァン・マノロフとキーボード奏者のボレク・ネドロストを加えた新生プログレス2を再結成し、カムバックコンサートを開催。1993年にはチェコのロック音楽に多大な貢献をしたアーティストに選ばれる「Beatová Síň Slávy」への参加にもノミネートされている。その後の彼らの活動は散発的だったが、2008年10月にプログレス・オーガニゼーション結成から40周年を記念して、『プログレス・ストーリー 1968–2008』と題した2回のコンサートを開催。このコンサートはブルノのセミラッソ文化センターで開催され、グループのメンバーであったほぼすべてのミュージシャンが出演したという。2018年にはジャック・ロンドンの1915年のSF小説『星の放浪者』を原作としたニューアルバム『Tulák po hvězdách』をレコーディングし、同年後半にリリースしている。これはグループ結成50周年記念と重なり、チェコテレビによってドキュメンタリー映画として制作されたという。2021年7月には長年ベーシストを務めたパヴェル・ペルツが、残念ながら71歳で死去している。

◆プログレス2 宇宙との対話 アルバムカバーProgress 2 Dialog S Vesmírem アルバムジャケットプログレス2、宇宙との対話。5人組。プログレス2「宇宙との対話」メンバー写真Progress 2の宇宙的ロックオペラ、宇宙との対話プログレス2 宇宙との対話 アルバムジャケット

 

Progress 2 宇宙との対話 アルバムカバー

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は旧チェコスロバキア初のロックオペラと呼ばれているプログレス2のスタジオアルバム『宇宙との対話』を紹介しました。彼らは1968年に結成したプログレス・オーガニゼーション、バルノダイ、プログレス2とグループの名を変えており、本アルバムは事実上の3枚目にあたる作品となります。これまでの作品と大きく違うのは、コンサートで映像や様々な事前録画されたシーケンスを投影するオーディオビジュアルプロジェクトの一環とする壮大なロックオペラとなっていることです。そのロックオペラの物語のベースは、何と彼らのマネージャーでSF文学の愛好家でもあるオスカー・マンが制作したものであり、旧チェコスロバキア初のロックオペラでもあるそうです。国内で多くのコンサートが企画され、2年間で350回も公演が行われたようで、後にリリースされたアルバム『宇宙との対話』は、好セールスを記録したと言います。しかし、ロックオペラ『宇宙との対話』のライヴパフォーマンスは、実際は17に及ぶ楽曲によって構成されており、本アルバムではわずか8曲に抑えられています。2枚組のレコードにすればよかったのでは?と脳裏によぎったのですが、社会主義国家だった当時のチェコスロバキアの音楽シーンを鑑みれば、なかなか難しかったのかもしれないと今では思っています。完全版とは言い切れませんが、2010年にFT Recordsから再発された『Dialog S Vesmírem/Studio & Live』というCD2枚組のコンピレーション作品が、スタジオ録音と17曲構成のライヴバージョンの両方を収録しているとのことです。私はまだ手に入れていませんが、機会があったらぜひ聴いてみたいです。

 さて、そんなプログレス2名義でリリースされた本アルバムですが、スペースロックとプログレッシヴロックの領域を探求し、ストリングスやミニモーグ、シンセサイザーの使用によるスタイルを支配し、これまでのサイケデリックな要素と多くのクラシック音楽のインスピレーションだけではなく、重厚なテクスチャを加味しています。彼らはピンク・フロイド、SBB、エロイ、そして旧ソ連のホリゾントのようなグループの音楽に近づきつつも、SF的な歌詞や宇宙的なサウンドスケープ、そしてエッジの効いたギターと風変わりなシンセサイザーのミックスによって独自のロックオペラを提供しています。本アルバムで最も輝かしいのはキーボード奏者のカレル・ホルキーであり、彼は現代的なキーボードを独自の方法で新しいサウンドを生み出しています。懐古主義を避けつつ、時代遅れとされている1980年代初頭の多くのシンセサイザー作品から巧く回避しています。また、パヴェル・ヴァーニェとミロシュ・モラヴェクのヘヴィなギターは、まるでプログレッシヴロックを演奏するジミ・ヘンドリックスのようです。でも、個人的にはパヴェル・ペルツの重厚なベースこそ、アルバム全体をダイナミックにそして浮遊感を与えていると思っています。

 本アルバムは旧チェコスロバキア初のロックオペラのスタジオアルバムであり、東欧プログレの傑作の1枚です。ぜひ、この機会に一度聴いてみてください。

それではまたっ!
 

 

 

ゴードン・ハスケル『It Is And It Isn't』アルバムジャケット

Gordon Haskell/It Is And It Isn't
ゴードン・ハスケル/歳時記
1971年リリース
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素朴で温かみのある歌声に惹かれる
ブリティッシュフォークロックの逸品
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 キング・クリムゾンの2代目ヴォーカリストであり、2000年代までシンガーソングライターとして活動を続けていたゴードン・ハスケルのセカンドソロアルバム。そのアルバムは穏やかで温かみが感じられ、さらにメランコリックで美しいメロディに包まれた珠玉のブリティッシュロックとなっており、彼のフォークやブルース志向が極まった逸品となっている。後にキング・クリムゾンに参加するジョン・ウェットン(ベース)や元フィールズのアラン・バリー(ギター)、元レア・バードのデイブ・カフィネッティ(キーボード)など、豪華メンバーが参加したアルバムとしても名高い。

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 ゴードン・ハスケルは1946年4月27日に、英国のドーセット州にあるヴァーウッドで生まれたミュージシャン兼シンガーソングライターである。彼の幼いころは音楽に傾倒しており、「教会から帰ると賛美歌が頭に浮かび、美しさ、真実、知恵に満ちた言葉が印象的なメロディに乗せられていることに惹かれ、それで『歌』の演奏方法を学び始めた」と述べている。その後、ウィンボーン・グラマー・スクールでの最後の数年間、クラスメートだったロバート・フリップがハスケルにベースギターを紹介している。2人は最初のグループであるザ・レイヴンズで一緒に演奏したが、翌年に解散している。1967年にハスケルはドーセットからロンドンに移り住み、アトランティックレコードにフルタイムのセッションバンドとして雇われたポップグループ、フルール・ド・リスでベースを演奏。ハスケルはグループと数枚のシングルを録音したが、あまり成功しなかったという。しかし、ソングライターとして『レイジー・ライフ』で南アフリカで1位、オーストラリアで3位を獲得している。彼は実力を買われ、アトランティック所属の多くの曲を書いたアイザック・ヘイズとデヴィッド・ポーターと仕事をし、グリン・ジョンズやドニー・エルバート、アリフ・マーディン、そしてジョージ・マーティンといったプロデューサーと仕事をしたという。その後、ハスケルはフラワー・ポット・メンに短期間在籍し、キューピッズ・インスピレーションに約3か月間加入。そのプロデューサーであるジミー・ダンカンは、ハスケルとCBSレコードとの契約を取り付けるのを手伝っている。ハスケルはダンカンと共にランズダウン・スタジオでレコーディングを行い、1969年にデビューソロアルバム『セイル・イン・マイ・ボート』をリリースする。そのアルバムはCBSレコードの英国部門向けに録音されたものの、残念ながらチャートインしなかったという。しかし、アルバム収録曲の『ザンジバル』は、ワンダ・アルレッティによってカバーされ、1971年1月1日に南アフリカのシングルチャートで2位を獲得することになる。

 そしてキング・クリムゾンがオリジナルシンガーであったグレッグ・レイクと袂を分かったのが1970年である。ハスケルはロバート・フリップから声がかかり、キング・クリムゾンのベーシスト兼ヴォーカリストを務めるよう依頼される。ハスケルにとっては転機ともいえる抜擢だったが、彼はアルバム『In the Wake of Poseidon(ポセイドンのめざめ)』の『Cadence and Cascade』という1曲のみと、サードアルバムである『Lizard』に参加して脱退している。理由はハスケルがナット・キング・コールやレイ・チャールズの曲を好み、フリップをはじめとするグループ内で不満が生じ、彼のフォークやブルース志向はクリムゾンのより複雑なプログレッシヴロックの音楽スタイルと衝突したためである。ハスケルは『Lizard』のレコーディング後、険悪な雰囲気だったライヴ活動のリハーサル中に、嫌気を差して脱退を決意したという。ハスケルはその後、レイ・チャールズやアレサ・フランクリンと契約したアトランティックレコードの社長であるアーメット・アーティガンのオーディションを受けている。そして契約が叶い、後にジャズやロック、ソウル、ディスコ、カントリーなど、さまざまな音楽スタイルのアーティストと仕事をすることになるアメリカの音楽プロデューサーのアリフ・マーディンを紹介され、ハスケルのアルバムのレコーディングのプロデューサーとなる。パイスタジオをはじめ、アイランドスタジオやアトランティックスタジオといった3つのスタジオを利用し、レコーディングエンジニアには4人を起用している。さらにレコーディング時には後にキング・クリムゾンのメンバーとなるジョン・ウェットン(ベース、オルガン、ハーモニーヴォーカル)や元フィールズのアラン・バリー(エレクトリックギター、アコースティックギター、リードギター)、元レア・バードのデイブ・カフィネッティ(ピアノ、エレクトリックピアノ)、そしてビル・アトキンソン(ドラムス)が参加している。こうして1971年にセカンドソロアルバム『It Is And It Isn't(歳時記)』がリリースされる。そのアルバムはキング・クリムゾン時代では受け入れられなかったフォークやブルース志向の強い作品となっており、その穏やかで温かみのあるメロディや歌声に彼のソングライティングの高さがうかがえる逸品となっている。

★曲目★
01.No Meaning(意味が無い)
02.Could Be(可能性あり)
03.Upside Down(アップサイド・ダウン)
04.Just A Lovely Day(素敵な一日)
05.Sitting By The Fire(シッティング・バイ・ザ・ファイア)
06.When I Lose(負けたとき)
07.No Need(必要ない)
08.Worms(ワーム)
09.Spider(蜘蛛)
10.Learning Not To Feel(リーニング・ノット・トゥ・フィール)
11.Benny(ベニー)
12.When I Laugh(笑うとき)

 アルバムの1曲目の『意味がない』は、アコースティカルなギターとベースをバックに穏やかなハスケルの歌声が心地よい楽曲。エレクトリックとアコースティックを使い分けるアラン・バリーのギタープレイとコーラスが冴えわたっており、極上のフォークロックとなっている。2曲目の『可能性あり』はポップテイストの強い哀感あふれるブリティッシュロック。少し舌っ足らずなハスケルのヴォーカルが妙に合っている。1分50秒あたりに曲調が変化し、プログレをやや意識した展開がある。3曲目の『アップサイド・ダウン』は、2本のアコースティックギターによる哀愁のフォークバラード。英国らしいフォークロックの良心ともいえる温かなヴォーカルが素晴らしい1曲となっている。4曲目の『素敵な一日』は、アコースティックギターとグロッケンシュピールによる夢心地な楽曲。デイブ・カフィネッティの優しいオルガンがバックで鳴り響いており、よりドリーミィーな曲になっている。5曲目の『シッティング・バイ・ザ・ファイア』は、もっともロック的なアレンジとなった楽曲。ここではエレクトリックギターや力強いドラミングよりもジョン・ウェットンの存在感のあるベースラインが魅力的である。6曲目の『負けたとき』は、27秒ほどの短い曲であり、次の曲へのブリッジ的な位置づけとなっている。7曲目の『必要ない』は、穏やかなアコースティックギターとエレクトリックピアノによるメロディックな曲。メランコリックで美しく、妙に開放感に満ちた1曲になっている。8曲目の『ワーム』は、後にスタックリッジがハードロック調にカバーする楽曲だが、こちらは純粋なフォークロック的なアレンジとなっている。ピアノとギターのソロ展開は聴きどころのひとつである。9曲目の『蜘蛛』は、重厚なハモンドオルガンをバックにしたフォークロック。シンプルながらも耳に残るキャッチーなメロディと印象的なコーラスが特徴である。10曲目の『リーニング・ノット・トゥ・フィール』は、優しいアコースティックギターの響きと囁くようなハスケルのヴォーカルが印象的な楽曲。前向きに生きようとする彼自身を歌った曲でもある。11曲目の『ベニー』は、こちらもアラン・バリーのアコースティックギターをバックにしたヴォーカル曲。ハスケルがここまで情感的に歌えるのかと思わず唸ってしまう1曲である。最後は優雅なホーンセクションが加わって終えている。12曲目の『笑うとき』は、6曲目の『負けたとき』と同じメロディで締めているが、ヴォーカルが少しだけ明るくなっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、ソフトロック/フォーク調の曲が中心となったアルバムであり、ハスケルのポップ性や牧歌性が最大限に発揮された内容になっている。キング・クリムゾンのロック的な歌唱法ではうまく行かなかったが、フォークアレンジの曲ではここまで抒情的で味わい深いヴォーカルとなるのかと聴くたびに感心させられる。

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 ハスケルにとって満を持したアルバムだったが、商業的には成功しなかったという。その後、ハスケルはクリフ・リチャードやティム・ハーディンのサポートを務めるようになり、1974年には短期間、スタックリッジというグループとリハーサルを行っている。ハスケルはスタックリッジに加入しないことを決めていたが、本アルバムの『It Is and It Isn't(歳時記)』から1曲をレコーディングしている。元々は『ワームズ』というタイトルだったが、スタックリッジの1975年のアルバム『エクストラバガンザ』に収録されたバージョンでは「ミミズより大切なものはない」と改題されている。その後、ハスケルは1980年代初頭に多額の借金を抱え、音楽業界に不満を抱き、1984年にデンマークへ渡っている。デンマークでは酔っ払い相手のバーで演奏していたが、この頃から彼の歌声は格段に力強くなっていったという。この経験から借金を完済した彼はイギリスに戻り、小さなパブやクラブでソロや小編成のグループでの演奏を続けたという。ハスケルは自給自足で演奏するミュージシャンとなり、レコーディング業界とはほとんど関わりがなかったが、彼のシングル『Almost Certainly』は、ジュディ・ブーシェがカバーし、1990年に南アフリカで№1を獲得している。これを機に3枚目のソロアルバム『Hambledon Hill』が1990年にリリースされ、ラジオで好評を博したという。1996年にアルバム『Butterfly in China』をリリースした後、彼はアメリカで小規模なツアーを行っている。しかし、ソロの楽曲を演奏し、レコード契約を獲得できるかどうかを試すためだけにアメリカに行ったにもかかわらず、キング・クリムゾンのファンを喜ばせたという。彼はそれに嫌気を差し、契約できなかったことでイギリスに戻り、再度バーでの演奏を続けている。その後、ハスケルはケン・ワトキンスの紹介でロビー・マッキントッシュと共演。そこで彼は2000年に『All in The Scheme of Things』をリリースしている。チャンスを見出した彼は、ロビー・マッキントッシュのマネージャーであるイアン・ブラウンからレコーディングの機会について打診され、ハスケルはこれを受諾。しかし、彼はレコーディングは昔ながらの方法で作りたいと伝え、ライヴでオーバーダブは使わず、しっかりとしたソングライティングとクラシックなスタイルの演奏を求めたという。2001年2月にリリースしたアルバム『Look Out』には、『How Wonderful You Are』というジャズ風のバラードが収録されている。その曲は2001年にBBC Radio2 で最もリクエストの多い曲となり、全英シングルチャートで2位にランクインし、40万枚以上を売り上げたという。その後もコンスタントにアルバムを制作してはリリースし、2010年頃からギリシャのスコペロス島を拠点として活動。2017年にハンナズ・ヤードとのイギリスツアーのためにイギリスに戻り、その後も自分の好きな時にツアーやレコーディングを続ける予定だったが、残念ながら2020年10月15日にガンのため74歳で死去している。ゴードン・ハスケルは1970年代から1980年代にかけて不遇ともいえるミュージシャンだったが、2000年代になってようやく彼の作品や功績が再評価されつつある。


◆ゴードン・ハスケル アルバム「It Is And It Isn't」のジャケットゴードン・ハスケルとバンドメンバーの写真ゴードン・ハスケル(歳時記)のポートレートゴードン・ハスケル、ブリティッシュフォークロックの逸品

 

ゴードン・ハスケル アルバム「It Is And It Isn't」

 皆さんこんにちはそしてこんばんはです。今回はキング・クリムゾンの2代目のヴォーカリストでありながら、クリムゾンメンバーの中でも最も冷遇な扱いを受けたミュージシャン、ゴードン・ハスケルのセカンドソロアルバム『歳時記』を紹介しました。ちなみに歳時記(さいじき)とは、四季の自然、行事、風物などをまとめた書物のことを差し、日本では主に、俳句の「季語」を集めて分類し、それぞれの意味の解説や名句を添えた本と言われています。曲のタイトルを見ると、ハスケル自身のふとした生活の中で気が付いたことや考えたことを歌詞にしたブリティッシュフォークロックといった感じになっていて、彼の穏やかで温かみのあるメロディを湛えた小品集ともいえます。ハスケルがキング・クリムゾンを失意のうちに離れた後、すぐにレイ・チャールズやアレサ・フランクリンと契約したアトランティック・レコードの社長のオーディションを受けたのは、やはり自分が求めていた音楽を貫き通したかったのでしょう。レコーディングではジョン・ウェットンやビル・アトキンソン、そして元フィールズのアラン・バリー、元レア・バードのデイブ・カフィネッティという豪華なミュージシャンが参加し、難解だったキング・クリムゾンとは違った音楽を創り上げています。後にキング・クリムゾンのメンバーとなるジョン・ウェットンは、もしかしたら本アルバムの参加を経て、ソングライター兼ヴォーカリストのハスケルに対して何か感じたものがあったかも知れません。

 さて、そんな本アルバムですが、アコースティカルなブリティッシュ・フォークサウンドに素朴で味わいのある歌声がマッチした魅力的な作品になっています。プログレッシヴとは程遠いサウンドになっていますが、非常に初期のキング・クリムゾンやマクドナルド&ジャイルズの抒情性を強く感じさせる曲があります。歌詞だけを捉えると、このアルバムを「悲観的」と評した人もいます。しかし、それは単なる感情的な問題ではなく、アルバムの中でハスケルは人間と人間社会に対する悲観的な見方と闘っているのがよく分かります。人間は不完全な存在だと知っていながら、一体何ができるだろうか? どうやって生きていけばいいのだろうか? 結局は誰も分からず時ばかりが過ぎていきます。最後は世界を変えようとせず、私たちができることは恋人と共に静かで心地よい生活を送ることだろうと、悲観的ながら音楽と歌詞はこの願望に見事に応えています。キング・クリムゾンの時はそのロック的なサウンドではうまく行きませんでしたが、本アルバムのようなフォークアレンジの曲ではここまで味わい深いヴォーカルとなるのかと、聴くたびに驚いてしまいます。やっぱりヴォーカルってジャンルによって大きく変わるものなんですね~。

 本アルバムはソフトロック/フォーク調の曲が中心になっています。キング・クリムゾン出身の彼からこのような曲が出てくるとは想像しにくいかもしれませんが、アルバムの曲はまさにゴードンらしさにあふれています。彼のシンガーソングライターとしての才能が散りばめられた珠玉の名曲をぜひとも聴いてほしいです。

それではまたっ!