1867年「王政復古大号令」は発したものの徳川慶喜に「大政奉還」という先手を打たれ、一度は「徳川幕府打倒計画」は挫折した。ここで本格的な倒幕戦を行うきっかけを作るため、岩倉具視の了承のもと、西郷は、相良総三を隊長とする赤報隊を組織する。赤報隊は、江戸の街の人心をかき乱すため暴れ回った。この映画では、末端実行犯の様子をかなりリアルに見ることができる。こんな輩の集まりだったんだろう。
この赤報隊による江戸の街撹乱が徳川崩壊の大きなきっかけとなったのである。
放火・略奪・強姦・強殺を倫理観の強かった江戸社会において繰り返す。毎夜のように、鉄砲まで持った無類の徒が徒党を組んで江戸の商家へ押し入ったという。たとえば日本橋の公儀御用達播磨屋、蔵前の札差伊勢屋、本郷の高崎屋といった大店が次々と襲われ、家人や近隣の住民を惨殺した。江戸の市民はこのテロ集団を「薩摩御用盗」と呼んで恐れた。夜の江戸市中から人が消えたという。
この話の中で出てくる徒党を組んだ強盗団の、頭領は「日本を正しい道に進めるため」の軍資金を集めるために我らは戦っているという。古寺をねぐらに毎夜徒党を組んで略奪・強姦・強殺を繰り返している。彼らの信じる正義のためなら、何をやっても正義。
この強盗団の若者が、岡っ引きに、追われている若侍と出会い、酒をのまし話を聞いたうえで自分たちのねぐら古寺へつれて帰る。
ベロンベロンに酔っぱらった若侍を連れ帰った若者は、強盗団の仲間からは誰を連れてきたと叱責されるが、「いや剣道の達人で腕が立つようだし、それに岡っ引きに追われている。俺たちの役に立つぜ!」「それに、今日初めて酒を飲んだんだって!」
酒で酔った若侍禮三(長谷川一夫)と強盗団の暴れ者が、けんかをする。この喧嘩とても面白い、一種の新人の品定めでもあるんだろう、ボクシング、相撲、柔道の手が次から次へと繰り出されここまでのストリーの暗さを少し和ませてくれるような喧嘩シーンとなっている。古寺の小道具がうまく使われ長谷川一夫が水をかぶったり、祭壇の前に投げ飛ばされたり、この二人の喧嘩を仲間が見守る。この若造、なかなかの腕前と判明。乱暴者が悔しくて刀をとるところで喧嘩はやめさせられる。薄汚い場所での汚い浪人たちばかりの殺風景な喧嘩シーンなのに若侍の無鉄砲さが、りりしく、そしてかわいく、面白い。見ごたえのある場面となっている。
翌日になり、頭領から仲間に入らないかと誘われる、しかし、若侍は蘭学の勉強をするために江戸にやってきた。それに一緒に出てきたお光を探さなくてはならない。いくら徳川の軍資金を集めるためとはいえ強盗団の仲間には入りたくないと答える。しかし頭領は、ここにも学問をやった人物もいるから勉学もできると進める。若侍は「入ったとしても、脱退する事ができるとお約束していただけば」と念を押し入団する事となる。
毎夜徒党を組んで略奪・強姦・強殺を繰り返し、酒を飲むこんな仲間のなかで蘭学の勉強ができるわけもなく、若侍の心は荒んでいく。
実は彼は、上総の代官の息子である。
江戸時代の代官所とは:
代官:多くは御家人 中央から幕府の天領管理のため江戸から赴任
陣屋・代官所: 代官、手付、手代を含めて官史総勢14,5名、これで7万石からの知行を収める。
手付:幕府直参御目見得以下の者 江戸から赴任
手代:現地の百姓から選抜 現地採用 非常に厳しい試験をへて来るので、学問のできる者がそろっていた。
行政全般、司法のみならず最も重要な防衛軍事をすべて担当。天領には侍の数が極端に少ない。
江戸末期、何かこれまでとは違うあわただしさが、普通の人々の生活をもかき乱だそうとしていたのか。上総の国の代官は、忙しくしている、若い後妻もおり、もう成人した息子のことにはかまけてられないようである。息子禮三は、親を失った貧しい娘を自分の嫁にしたいと懇願するが、代官は取り合ってもくれない。禮三は、お光と駆け落ちをする。
禮三が貧しい娘と駆け落ちしたのをチャンスと勘定を預かっていた手代は代官所に送られてきたお上の公金を盗み内通していた代官の後妻と逃げる。彼の細工で代官の息子禮三が公金を盗んだことになってしまう。人々の心がささくれ立ってきている様子がわかる。
江戸の親戚を頼り蘭学の勉強をするためにお光をつれて船で到着するが、計らざる運命の手に弄ばれて、港の高灯篭に着いたまま二人は互いを見失った。
お光をさがしていると、岡っ引きに引き留められ、自分がおたずねものとなっていることを知る。何の事かわからず逃げ回る。そこで、たまたまであった男と生まれて初めての酒を飲み男の仲間のたむろする怪しげな寺に行く。
そこにいた浪人たちは、日本を正しい道に進めるために、江戸の街で強盗をし、人殺しをし、放火をすると言う。その考え方を納得できず。彼は躊躇する。しかし、お上から追われている身でも有り、いつでも脱盟できると言質を取り、かれらのもとで居候する。禮三はお光を捜し求めつつ、相逢う機会を得ずして時は過ぎる。
或る夜上総の国からきたと話す女のこえを耳にし、近づくと父の後妻当人であり、自分が公金泥棒にされてしまったことを知る。そこへ、岡っ引きたちに追われている仲間が助けを求めて来る。応戦するが追い詰められる。
禮三は別の夜鷹に誘われ逃げ込んだ。その夜鷹が汚れた生活に身も魂も疲れ果てたお光であった。悲しい二人の再会。
我身の堕落も忘れ口惜しく恨めしく、拳を挙げて彼女を打倒した。「きたねい!おれに触るなと」突っぱねる。しかし、刀傷を負っており、熱を出し倒れてしまう。結局は傷ついた彼を優しく看護してくれたのは、お光であった。2,3日して寺に帰ると、父の後妻(義理の母)と金を盗んで逃亡した手代が仲間として入っていた。
禮三のからだを案じるお光は禮三を追い古寺に行くが、禮三は、お光を軽蔑し、ありとあらゆる辱めを、彼女の上に加えた。そして今までは一歩引いていた仲間たちの悪事に積極的に参加すると宣言する。
私がいてはもっとだめになると、禮三のからだを案じつつお光は姿を隠す。
このあと禮三は、初めて仲間と強盗にはいり、彼らの現実をしる。このなかまに強姦されようとした娘を助け、その結果仲間たちは強盗に失敗し引き上げる。
そこで禮三に対するリンチが始まる。仲間で囲んで石を投げつけ、ひるんだところに手裏剣を投げつけ、倒れた禮三を全員で切りかかるという。
彼らの掲げる理想理念からすると、何とも浅ましくも卑怯な彼らの戦いぶり。
人の行動はその精神と分離することはできない、いくら「日本を正しい道に進めるために」と正義を振りかざしていても、やっていることが、略奪・強姦・強殺ならば、当然、精神がやんでくる。
この映画は、こんな人間の現実をきちんと描いてくれている。