何ともいえない不思議なお話。出演人物は、一目見て好きになるにちがいない、悪いやつをやっつけてくれるあの方が現れると夢見ている少女(高峰秀子)。悪いやつが自分の物にしようとしているあの方の許嫁(入江たか子)。そしてあの方(長谷川一夫)。
「お客様、お客様はあの方でしょう?」
「あの方って?」
「十郎兵衛様の弟様でしょう。」
「うううん。」
「お客様、本当の事を言って下さい。私にだけ、私、誰にも言いません。」
「十郎兵衛とはどんな人ですか?」
「十郎兵衛さまが無実の罪をきせられて、磔になられたのは、七年前の阿波踊りの日でございました。
十郎兵衛様には、一人の弟様がいらっしゃいました。きっと兄の仇をとりに帰ってくると書き置きを残していなくなってしまいました。
みんなお待ちもうしあげていました。次の年も、その次の年も、踊りの日が来ると、今年こそはと胸を躍らせてお待ちもうしておりました。
2年3年5年たってもあの方はお見えになりませんでした。どこかの国でお兄様の仇討ちも忘れてしまって暮らしておいでになると・・・失望していうものさえ出てくるようになりました。
でも私だけは信じています。きっとあの方は帰っておいでになる。帰ってこられるに違いない。こう信じていたのです。」
「どうして、どうしてそんなことを信じるのですか?」
「お客様、あの方がこのままおいでにならなければ、誰も仇を討たなければ、正しいものが負けたままになります。そんな神様のいない国なんて、いやです。」
「あなたはその人を覚えていますか。」
「私が一目見て好きになれる方が来たら、その方が、あの方だと信じていたのです。」
「あなたの話を聞いてうらやましくなりました。できるものなら、その男になってあげたい。
でもそうでない私には何ともならないのです。」
「しかし、あなたのお願いなら、神様もきっと聞いて下さるでしょう。」
異星の国からやってきたウルトラマンのように、無色透明なあの方に長谷川一夫がぴったりとはまっています。 浮き世離れした、夢見る少女のあの方にぴったりです。阿波の人々がすでに失ってしまった伝説の十郎兵衛様が、あの方となってよみがえってきたのです。
そして、踊りの日、その踊りの輪の中に、少女はあの方を見つけます。
「やっぱり、お客様は、あの方だったのですね」
何も言わずに、あの方は踊り出します。
「えらいやっちゃ えらいやっちゃ よいよいよいよい
十郎兵衛の弟は帰っちゃこれぬ。お上に叛いた海賊、海賊」
「そうです。私がお馬鹿さん。いうまい、聞かまい、何にも見ぬ見ぬ。
えらいやっちゃ えらいやっちゃ よいよいよいよい
みんな一生思い出す、踊りのばんがくる来るたびに
みんな夢見て きっと、あなたのお噂、噂」
「いえいえそれは十郎兵衛 阿波を救ったえらいやつ
えらいやっちゃ えらいやっちゃ よいよいよいよい
阿波の踊りはバカ踊り、踊って、歌って、笑って暮らせ!
踊るあほうに見るあほう。やっとやっとやっとな」
阿波の人々が高揚した踊りのあと、家老の死体だけが、十郎兵衛の屋敷の門によこたわっていました。
そして。あの方は、「どこまでも一緒にお連れ下さい」と願った許嫁のお姫様と仲間を従えて、海賊船でどことはしれずさっていきました。