鍛練が生み出す日本の宝物の一つ「歌舞伎の女形」長谷川一夫が生涯守り続けたもの | 三条河原町のブログ

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昭和30年ぐらいまでの娯楽日本映画は、
普通の人たちの生活を実感させてくれる
タイムトンネルです。

檜舞台は昭和20年9月19日に出されたGHQのいわゆるプレスコードの影響下制作された映画なんでしょう。「終戦(?)により、人々は解放されよかった、よかった」と、やたらに明るく作られている。(昭和21年1月17日公開)

この映画は、敗戦前に計画され、急きょ書き換えられて敗戦後制作されたという。
と、したら見えてくるものがいくつかある。

この主人公梅村曽太郎(長谷川一夫)は、舞踊家である母親一人にそだてられた。
彼の属している劇団新生座の公演は、復員兵を扱った現代劇をだしてはいるが、歌舞伎の伝統に従って中に所作事(踊り)を入れているし、村長さんと座員との宴会では、酔ったところで弁慶と富樫(勧進帳)との山伏問答がちらっと出てくる、また、曽太郎が国民服のままで酒に酔った弁慶の舞(面白や山水に盃をうかめては・・・)を余興で踊る。つまり歌舞伎や時代劇をベースにしていた劇団の設定のようである。

そこへとってつけたように、日本のやった戦争そのものを批判する「一本の足」というような劇中劇の練習が行われている。

しかし、そんな芝居の練習も曽太郎が鏡獅子の舞のけいこを始めるとこらからすべてがふっとんでしまう。

彼は自分の人生をすべてぶちこわされてしまったような大きな失意のもとこの練習を始める。母親が死の直前に手紙で明かしてくれたことは、29年前に引き裂かれてしまった父への思い、その父とはぐくんだ芸能を息子に引き継ぎ舞踊家として育て上げたという思い。
その父親の姿を、母がともに生きようとした人の姿を見たいと、新生座の公演先の小さな村までやってくる。

しかし、偶然と錯誤の結果、彼はその村の村長である父親が、母親と自分を拒否したと思い込む。母の思いの詰まった自分は何なのだろうか。兵隊に行っていっていた自分に代わって、母親の事を最後まで見てくれた恋人小松(山田五十鈴)までもが、その場にいたというのに、知っていながらぐるになって知らせてくれなかった。何なんだ!

そんな疑心暗鬼のおもいのなか檜舞台に向けて鏡獅子をもう一度丁寧に鍛錬し直す、その姿を見て、鏡獅子のけいこを後押しするように、無言で三味線を弾き続けてくれる小松。何度も何度も苦しみながら練習する曽太郎。徐々に、二人の思いが重なってくる。迷いが消えていく。

言葉ではなく精神の鍛練を求める激しい舞の実践と、それに厳しく連れ添う三味線の調べの中に、二人がともに生きるという実感をよみがえらせていったのではないだろうか。

そして檜舞台初日に29年間心の中にしまい続けてきた曽太郎の母の舞扇を曽太郎に使ってもらおうと駆けつけた父親。
母親の残したすばらしい鏡獅子の舞は、曽太郎にひきつがれていた。

戦争からの解放という明るいオブラートに包まれてはいるが、負け戦が濃厚になっていた企画当時は、その舞の鍛錬のきびしさと長谷川一夫の鏡獅子のすばらしい映像を日本芸能の一つの誇りとして残したかったのではないだろうか。

二枚目の疵(2004年出版)の中で矢野誠一氏は、「・・・母親、闇太郎と合わせ手の三役を務める林長二郎の、雪之丞のうつくしさに、真底目を見はった。かれこれ五十年間舞台を見続けているすれっからしの観客を自認する者だが、いまだかってあんなにも美しい女形役者に出会ったことはない。劇中劇の中で紹介される滝夜叉、三千歳、野崎村のお光、紅葉狩などは言うまでもないが、舞台以外のシーンすべてに不思議な魅力が息づいている。売り物の流し目を多用したクローズアップもさることながら、全身をロングでとらえたショットで見せる、さり気ない立居振舞は女形の天性そのものだ。・・・」と長谷川一夫の林長二郎時代の代表作「雪之丞変化」(1935年)をこう語っている。

次からは、長谷川一夫が3度映画化した雪之丞変化1935年、1948年、1963年のお話を・・・