開戦の日におもう(追記あり)長谷川一夫戦後の第一作、「檜舞台」(昭和21年) | 三条河原町のブログ

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昭和30年ぐらいまでの娯楽日本映画は、
普通の人たちの生活を実感させてくれる
タイムトンネルです。

12月8日真珠湾攻撃を知り、ほとんどの日本人が、特にインテリ層が、今までのうっとうしい気分から解放された、と語っている。日本をひねり潰そうとするアメリカの抑圧を何とかはねのけようと、国が戦う事をやっと決意したのだ。

しかし、現実の戦争を始めて見ると、用意周到に準備していたアメリカに対して、日本はあまりにもナイーブすぎた。国際正義を信じ、武士道精神そのものの戦争をした。しかし、相手は情報戦ではきれい事を言うが、現実の戦いでは全く違った。たとえば、商船、暗号傍受により狙い撃ちにされた。ガダルカナル島でも、若林中隊長の1月7日の日記に「本日某地域に於いて敵はGを使用せりと其の卑怯憎むべし」と記されている。(これが日記の最終日、この7日後戦死)

今回のパリのテロ事件においても、カミカゼと比較するような話が出ていたが、私たちがどうしても知っておかなければならないことは、カミカゼは一般人を狙っていない。女・こども・老人を巻き込んではいない。軍艦を、空母を、狙ったのである。アメリカ軍の空襲や原爆とは違う!また現在のテロとも全く違うことを忘れてはいけない

しかし、自存自衛のための戦いも、国力のすべてをかけて世界先進国を殆ど敵に回して4年間戦い抜くと、確かに普通の国民の思いとして、何もかも我慢のひとことで締め付けられているという重圧感が広がっていったのだろう。

そこに「天皇陛下のお言葉による終戦」国のためにと我慢に我慢を重ねていた国民の心は大きく解放され安堵の気持ちがただよった。天皇陛下に申し訳ないと悲しんだのも真実だが、もう我慢しなくていい普通の生活に戻れると感じた普通の人々が大多数を占めていたのも事実だろう。

この心の隙を、うまくGHQに絡め取られてしまった。GHQが日本を解放してくれたと!!解放どころか、GHQは、規制をかけもう二度と先進国として這い上がれないように締め付けていく。戦後、GHQは開放軍の顔をしつつ、「立派で恐ろしい日本」をつぶしていこうとする。

昭和21年に制作された映画「檜舞台」はこのような人々の開放感と戦前の無理から生じてしまった軋轢がさりげなく織りなされている。戦時中に母は病死、死に目にも会えず、終戦によりやっと戻るが、新しく知った現実に深い喪失感をもってしまった男が、自らのル-ツである母から受け継いだ芸をもう一度鍛錬し直す中で自信を、そして自分を取り戻して行く。

この男を演じる長谷川一夫は終戦を慰問巡業中の高岡市で聞いたという。(舞台・銀幕60年より)

終戦は高岡でしりました。ちょうど軍需工場(呉羽紡)の慰問公演をやっている時です。勅語放送を聞いた時、あまりのショックでこの日の公演は取りやめました。工員さんたちはぜひやってくれと言いましたが、私は舞台から涙ながらに「敗戦を知った現在、とても芝居をしたり、踊りを踊る気持ちにはなれません。どうぞ勘弁くださるようにお願い申し上げます」とあやまってしまいました。

ところが引きずらない。

さて終戦の大混乱は、皆様ご承知のとおりですが、じっとしていられない性質の私はなにがなんでも仕事をしたくてしょうがなく、東宝本社で相談して終戦の翌月、9月18日から東宝劇場でいち早く公演をおこないました。幸い東宝劇場は戦禍を免れまして内部は少しよごれていたものの、ステージも楽屋もそのまま使用にたえる状態だったのが幸せでした。顔ぶれは古川ロッパ、高峰秀子、川田正子、市丸のみなさんに私で、私は「鷺娘」を踊り、お客様には大変喜んでいただきましたのがなによりでした。

これが庶民の姿だったと思う。思い煩うよりも、みんな生きていくためにも食べていくためにも現実の普通の生活を自然に取り戻していた。戦争に負けたとはいえ、お上がそのままなんだから、何とかなるだろうと目の前の生活に没頭していく。

「檜舞台」は、こんな庶民のすがたを垣間見せながら、鏡獅子を踊りその素晴らしさを堪能させてくれる。六代目菊五郎の指導を仰ぎながら撮影されたという、その長谷川一夫の鏡獅子の美しさと豪快さ。

こんな素敵なものが、戦争をへても全くうしなわれなかった。

続きます。